裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第八章・明日への道(その12)

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 学校が春休みに入っても、紫をはじめとする生徒会の役員たちは何度か登校して、入学式や新入生のオリエンテーションのための話し合いや準備を重ねていた。潮音も生徒会の活動がある日は手伝いのために登校したが、潮音の仕事は新入生を歓迎するための装飾を作ったり、書類の整理を行ったりするのが中心だった。

 昼食の時間が近づいて潮音が一息つくと、生徒会の副会長に就任した光瑠と愛里紗が潮音のところに来ていた。そこで光瑠が潮音をねぎらうように声をかけた。

「お疲れ様。春休みなのにわざわざ学校来て手伝ってくれてありがとう」

「いや、春休みだからといってブラブラ遊んでばかりいるわけにもいかないからね。それ言ったら紫やほかの生徒会のメンバーはもっと大変なんだし」

「藤坂さんは弁護士になろうって言うのなら、春休みだからって浮かれてないでちゃんと勉強しなきゃダメでしょ」

 愛里紗にたしなめられて、潮音はばつの悪そうな顔をした。しかしそこで光瑠は潮音を向き直して、いつも通りの元気な口調で言った。

「潮音はこの一年間、ほんとによく頑張ったと思うよ。潮音はどんなことに対しても、真っすぐな気持ちで頑張ってきた。だから体育祭でも文化祭でも、みんなが潮音の気持ちに応えてついてきたんじゃないかな」

 その光瑠の言葉に応えるように、愛里紗も潮音に言った。

「その通りよ。私だって学年でもめ事があったときや、この前親とケンカしたときは、藤坂さんのおかげでだいぶ救われたわ。これからもよろしくね」

 潮音は愛里紗のような優等生にまでこのように言われて、ますます気恥ずかしい思いがした。そこで愛里紗はさらに言葉を継いだ。

「あの…この前藤坂さんが私を家に誘ってくれたときには、十分に話できなかったよね。また藤坂さんの家に行ってもいいかな」

 愛里紗が遠慮気味に言ったのに対して、潮音は笑顔で返事をした。

「当り前でしょ。榎並さんだって勉強で疲れることがあるかもしれないけど、そんなときはいつだって家に来てくれたらいいから。なんだったらお泊り会でもやらない? 夜遅くなってもいいから、そこで思ってることを何でも全部打ち明けてくれたらいいよ。ともかく愛里紗は、何でも一人で抱え込まない方がいいんじゃないかな」

 その潮音の言葉に、愛里紗は少し表情をほころばせた。そこでいつの間にかそばに来ていた恭子が口をはさんだ。

「榎並さんって、中等部まではどこか近寄りにくいところがあったやん。でもそれがそうやって、素直に自分の気持ちを人に打ち明けられるようになったってことは、それだけ榎並さんも成長したってことやね」

 愛里紗がいきなり恭子に言われて当惑の色を浮べると、恭子は図星だとでも言わんばかりの顔をした。

「そこやで。榎並さんは今までいつもツンとしとって、人前でそんな顔することなんかなかったけど」

 愛里紗がますます黙りこくるのを見て、潮音は恭子もそこまで愛里紗を困らせなくてもいいのにと思った。

 そのまま潮音が光瑠や愛里紗、恭子と一緒にカフェテリアに向かうと、そこのテーブルではすでに暁子と優菜の二人が席についていた。その二人とも、潮音の姿を見るなり笑顔で手を振った。

「どうしたんだよ、暁子と優菜も春休みだというのに学校来て」

「あたしは手芸部の活動があるからね。新年度のクラブ紹介でどんなことすればいいか話し合っていたの」

「私は水泳部で、プールで一泳ぎしてきたんやけど。潮音かて生徒会やらバレエとかで忙しいのはわかるけど、水泳部にも顔出さへんかったら幽霊部員になってまうで」

 そしてそのまま、潮音は暁子や優菜と一緒にカフェテリアで弁当を食べることになった。しばらく三人でとめどもないおしゃべりに花を咲かせた後で、ふと優菜が春の光が差し込む窓に目を向けた。

「私たちがこの学校に入学してからちょうど一年になるんやね。なんかあっという間の一年やったね」

 その優菜の言葉に対して、潮音は感慨深そうに答えた。

「ああ…去年の四月にあの桜並木を通ったときには、自分が本当にこの学校でちゃんとやっていけるのか、不安でしょうがなかったよ。それが今じゃこうやって生徒会の活動にまで出ているわけだからな」

 しかし暁子は、その潮音の話を黙ったまま、どこか気づまりそうな表情で聞いていた。優菜は暁子のそのような表情を見て、いぶかしむようにして暁子に尋ねた。

「どないしたん? 最近になってアッコは、潮音に対してどっかよそよそしい態度を取っとるような感じするけど」

 そこで暁子は、ようやく重い口を開いた。

「いや、あたしだって去年の今ごろは、潮音がこの学校でちゃんとやっていけるか心配だったんだ…。あたしですらこのお嬢様学校でちゃんとやっていけるか心配だったのに。でも潮音はあたしが想像してたよりも、ずっとこの学校でしっかりやってるんだもの。…むしろ今じゃ、あたしの方こそ潮音に教えられてばっかりだよ」

 そこで優菜は、暁子の方に顔を向けた。

「アッコってもしかして、潮音が困ったり迷ったりしたときには、自分が潮音のこと助けなあかんと思っとったん? そりゃアッコはちっちゃい頃からずっと潮音と一緒におって、そんな風に思う気持ちかてわかるけど、ここはもっと潮音のこと信頼して任せてみたらどないかな」

 そこで潮音は、首を横に振った。

「…違うよ。私なんか今だって迷ったり困ったりしてばっかりいるよ。でも暁子や優菜がこの学校で自分のそばにいてくれる、それだけでちょっとの迷いや悩みなんか乗り越えられそうな気がするんだ。だから暁子だって、そんなにクヨクヨする必要なんかないよ。これからも暁子にはいろいろ世話になるだろうし、時には迷惑かけることだってあるかもしれないけど、そのときはよろしくな」

 潮音のその言葉を聞いたとき、暁子は多少なりとも迷いが晴れたような、さっぱりとした表情をしていた。暁子はそこで手芸部の活動があるからと言って、優菜と一緒に潮音と別れた。

 そこで潮音は、カフェテリアの一角でにぎやかに談笑する声を聞いた。その明るく陽気な声の主はキャサリンだった。キャサリンも先ほどまで、潮音たちと一緒に生徒会の集まりに出ていたのだった。

 キャサリンは潮音の顔を見るなりそばに寄ってきて、潮音に声をかけた。

「潮音も生徒会の活動を頑張ってますね」

「キャサリンだって今度の入学式では、留学生代表として新入生にあいさつするんだよね。どんな話するか楽しみにしてるよ」

「そんな…私はどんな話するかまだ考えているところです。…でも家族の元を離れて日本に来るのには不安もあったけど、この一年間はみんなも仲よくしてくれたし、私もこれまで体験したことなかったことばかりで楽しかったですよ。おかげで日本のことをもっとよく知りたいと思うようになりました」

「だったらこのことを話せばいいじゃん。自分の感じたことを素直に話せば、きっとみんなわかってくれるよ」

「そうですね。…私は日本での留学を終えたらおそらくイギリスに帰ることになると思うけど、そこでもっと勉強して、日本とイギリスの互いの交流をさらにさかんにできるような仕事がしたいと思います」

 そこで潮音は、キャサリンも将来についてしっかり考えているのだから、自分だってうかうかしていられないと感じていた。そこで潮音はキャサリンに応えた。

「キャサリンはこの一年間、この学校やクラスを本当に明るくしてくれたと思うよ。イギリスの話だってもっと聞かせてほしいし、これからもよろしくね」

 潮音に言われた後のキャサリンは、少しはにかみ気味な表情をしていた。


 潮音が午後も生徒会の活動を少し手伝った後で帰宅の準備をしていると、生徒会室の入口で紫と琴絵が並んで立っていた。紫は先ほどまで、琴絵の助言も借りて入学式のときに行う在校生代表のあいさつの文面を考えていたようだった。紫は潮音の姿を見るなり口を開いた。

「今日は生徒会の準備を手伝ってくれてありがとう。これからも潮音にはいろいろ手伝ってもらうことがあると思うけど、そのときはよろしくね」

「いや、紫は私なんかより勉強もバレエも、そして生徒会活動だってずっと一生懸命やってるし、琴絵だって文芸部で小説書いてるのに、それに比べたら私のやれることなんてこのくらいしかないよ」

 そこで琴絵が潮音をたしなめた。

「潮音ももっと自信持ちなよ。潮音はこれまで、いろんなところでクラスを盛り上げてくれたじゃん」

「琴絵は私がいろいろ迷ったときには、文芸部の部室に私を呼んで話を聞いてくれたよね。私はこれでだいぶ救われたような気がするよ。…それに、紫も琴絵も私が一年少し前までは男だったって打ち明けても、変な目で私のさそすこと見たりしなかったじゃない」

 潮音が遠慮気味な口調で琴絵に答えると、紫ははっきりと口を開いた。

「潮音、あなたが男の子から女の子になったという話を聞かされたときにはたしかに驚いたわ。でもあなたは、その現実から決して目をそむけようとも逃げようともせずに、問題が起きても前向きにぶつかってきた。私は潮音のそういうところは見習わなきゃと思っていたの」

「そうよね。潮音が高等部から入ってきたことで、学校の雰囲気はだいぶ変わったと思うよ。それに潮音の頑張ってる姿からは、私もだいぶいろんなことを教えられたような気がするの」

 潮音は勉強でも何でも、自分にとっては雲の上のような存在だと思っていた紫と琴絵から口々にそのようなことを言われて、顔が真っ赤になった。

「そんな…私は何も特別なことなんかしてないのに。それに私は紫に負けたくないと思ってたけど、何をやっても紫にはかなわないから…」

 そこで琴絵が潮音に話しかけた。

「潮音は峰山さんにはなれないかもしれないけど、そのかわり潮音にしかないものやできないことがあるはずでしょ? それを伸ばしていけばいいんじゃないかしら」

 潮音はそこで、その琴絵の言う「潮音にしかないもの」「できないこと」とは何か、その意味はわかっているつもりだった。しかしそれをさらに伸ばすためには、やはりこれからも勉強でもなんでも努力するしかないと思っていた。そこで潮音は紫に向かってきっぱりと言った。

「私はこれから勉強だってもっと頑張らなければいけないのはわかってる。でも私はいっぺん、紫と一緒にバレエで舞台に立ちたいんだ。…それこそわき役だっていいから」

 その潮音の表情に、紫は冷ややかな視線を向けた。

「そう思うんだったら潮音は、バレエだってもっと人一倍練習しなきゃいけないわね。でもくれぐれも無理はしないでね。あなたはこうやってちゃんと毎日学校に通えてる、それだけで十分立派だから」

 その紫の言葉に潮音が深くうなづいたとき、生徒会室の入口の方から元気な声がした。さっきまで潮音と一緒に話をしたみんなが集まって、潮音に一緒に帰ろうかと声をかけたのだった。

 そして潮音はみんなとおしゃべりしながら校舎を後にしたが、そのときの潮音の表情からは、一年前に高校に入学したときのような不安げな様子は消え失せていた。

 みんなで校門に続く桜並木にさしかかると、すでに薄紅色の桜のつぼみがふくらみかけていて、ぽつりぽつりと開花している枝もあった。そこで潮音は口を開いた。

「この様子だったら、入学式のころには桜も満開になりそうだね」

 そこで暁子も笑顔で答えた。

「この四月から入ってくる新入生とも、早く仲良くなれたらいいのにね」

 その暁子の言葉には、一同が深くうなづいた。そこで潮音は、いつの間にか桜並木を吹き抜ける風からも、冷たさが和らいで温もりを感じられるようになっていることに気づいていた。潮音がさらに空を見上げると、明るさを増した春の光が霞のかかった青空にきらめいていた。

(第四部・完)
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