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第五部
第四章・北の国へ(その10)
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札幌のホテルで潮音たちが夕食を済ませると、宴会場になっている広間でカラオケ大会が行われた。修学旅行もこれが最後の晩というわけで、生徒たちもそれを楽しみにしている様子がありありと見てとれた。しかしこのカラオケ大会は結婚を控えている美咲も参加している以上、失恋や別れなどをテーマにした歌はNGという条件がつけられた。
カラオケ大会のトップをつとめたのは美鈴だった。美鈴がアップテンポで調子のいい歌を歌ったので、生徒たちの雰囲気も一気に盛り上がった。それに続いて校内でも軽音部で活動している千夏がロックを歌い、その次にキャサリンが英語でポップスを歌うと、生徒たちの目はそれに釘づけになった。
それから何人かが歌を披露した後で、潮音にお鉢が回ってきた。潮音もカラオケ大会に出てみないかと美鈴から誘われて、そこまで言うならと参加することにしたのだった。
潮音は歌う曲目をどうするべきか迷ったが、結局人気のある女子アイドルグループの曲を歌うことにした。場はそこそこ盛り上がったものの、潮音がこの曲を歌うのを、暁子や優菜はどこか複雑そうな表情で眺めていた。
カラオケ大会も終盤に近づいて、光瑠が男性歌手のバラード曲を歌うと、それがけっこう長身でクールな光瑠には似合っていた。そこで光瑠に対してうっとりするような視線を送るような生徒がいたのには、潮音も少々げんなりさせられた。
そして大会のトリをつとめたのは紫だった。しっかりとした歌唱力でムードのある歌を歌い切ってみせた紫には、潮音も目を離すことができなかった。
カラオケ大会も最後になって、生徒たちの間から引率の先生も何か歌ってほしいという声が上がったので、美咲がマイクを手にすることになった。美咲の歌に生徒たちも歓声を上げたが、同じく引率で旅行に同行していた学年主任の牧園久恵は美咲のお調子者ぶりにやれやれと言いたげだった。しかしそこで生徒たちの間から「牧園先生も何か歌って下さい」という声が上がったので、久恵も仕方がなさそうに昔のフォークソングを歌ってみせた。日ごろは生徒指導を担当していて厳しい先生として通っていた久恵の別の一面に、生徒たちもいささか面食らっていた。
久恵が歌い終ると、紫が率先して美咲に何かを手渡した。それは紫があらかじめ用意していた、美咲の結婚を祝って生徒たちが寄せ書きをした色紙だった。美咲も生徒たちの歓声と一緒に色紙を手渡されると、嬉しさと困惑が入り混じったような表情をしていた。
カラオケ大会が大盛況のうちに幕を閉じて、生徒たちがぞろぞろとホテルの客室へと引き上げると、少し遅れて客室に行こうとした潮音を美咲が呼びとめた。
「藤坂さんもみんなと一緒にこの修学旅行を楽しんでくれているようで何よりだわ」
美咲にいきなり声をかけられて、潮音は少し戸惑い気味に美咲の方を見返した。
「…どうしたんですか。いきなり私のこと呼び止めたりして」
「藤坂さんのことは去年入学したときからずっと心配してたの。あなたが中学生のときに男の子から女の子になってしまったという、あなたを診察したお医者さんの診断書を読んだときは私もさすがに驚いたわ。学校でもあなたを生徒として受け入れることにはちょっと議論があったけど、今のあなたは生物学的にも完全に女性である以上、入学を断る理由はないってことになってね。それからも藤坂さんがこの学校でちゃんとやっていけるかはずっと気になってたけど、先生たちが思っていたより藤坂さんはずっと学校のみんなともなじんでうまくやってるし、勉強や生徒会の活動だって頑張ってるしね」
「そんな…私は勉強でも友達づきあいでも、みんなから置いて行かれないように必死で頑張ってきたのです。勉強だって授業についていけないことなんかしょっちゅうだし、『うまくやってる』なんて、そんなこと言われたくないんです」
潮音が手を振って美咲の言葉を否定するそぶりを見せても、美咲の態度は落ち着いていた。
「そんなのみんな一緒よ。あなたは峰山さんのことを意識してるようだけど、あの子は勉強だって生徒会活動だって、陰で人一倍努力してる子だわ。あの子もお嬢様だからといってちやほやされてるなんて思われたくないのかもね」
潮音は紫の姿を身近で見てきただけに、美咲の言っていることも理解しているつもりだった。潮音は少し自信がなさそうに口を開いた。
「それに…うちの学校の子たちってみんな個性が強くて自分をしっかり持っていて、少々のことでは物怖じせずに思ったことだってはっきり言える子ばっかりで…そして周りもそれを抑えようとはしないし。もし男女共学の学校だったら、そんな風にはなってないと思います」
その潮音の言葉を聞いて、美咲は笑い出していた。潮音がその美咲の反応に驚いていると、美咲は話を継いだ。
「そりゃ周りに男の子の目がないとそうなるのかもね。うちの学校にはお嬢様学校だからといって生徒を入れる親もいるみたいだけど、周りに男の目がないからかえってガサツになったという声もよく聞くわ。最近は共学化する女子校だって多いし、うちの学校だって大学ではそういう話も出てるけど、理事長は少なくとも中等部と高等部については『自分の目が黒いうちは共学化はしない』って言ってるわね。何年か前に中等部と高等部も共学化しようという話が一部の理事から出たときには卒業生も生徒会もみんな反対して、キャサリンのお母さんもわざわざロンドンから反対の意見書を送ってきたのよ。私だって共学化なんかしたら、長年続いたうちの学校の良さがなくなってしまうと思うからね。共学化したからといって志望者が増えるとは限らないだろうし」
「でもどうしてうちの学校の子たちは、男だった自分を受け入れてくれたのかなって…」
「それは藤坂さんこそ、自分を偽ったりせずに自分の気持ちをみんなにストレートに伝えてきたからじゃないかしら。去年入学早々に大ゲンカをしたときなんかは冷や冷やしたけどね」
「『自分を偽る』って言ったって、私はその『自分』って何かわかんないからずっと悩んでるのに。…もし自分が男のままだったら、どんな高校に行っていたのかはわかんないけど、そこで友達見つけてそれなりに楽しい学校生活送ってたかもしれないとは思います。でもそこでこんな風に悩んだり、壁にぶつかったりしてたかなって…」
「そんなのわかるわけないじゃない。そんなことでクヨクヨ悩んでる暇なんかあるなら、その間に何か一つでもやるしかない、そう思ってあなたは今までこの学校でやってきたんでしょ? それにみんなも応えてくれたってことじゃないかな」
そこで潮音は、ホテルの窓から夜の闇に目を向けた。するとそこでは札幌の街の上空を月が静かに照らしていた。美咲もそのような潮音の様子を見ながら声をかけた。
「この修学旅行も明日で終りよね。なんか長いような、短いような旅だったよね」
潮音は美咲に対して話題を変えてみた。
「先生ってこの修学旅行から帰ったら結婚するんですよね。相手がどんな人か知らないけど、先生はこれからもずっとうちの学校の先生でいてほしいなって思うんです」
そこで美咲は胸を張ってみせた。
「当り前じゃない。そりゃ子どもができたら今までのようにはいかなくなるかもしれないけど、それ言ったら理事長をやってる私の母だって牧園先生だって、子ども育てながら先生やってきたんだから」
そこで潮音が驚いた顔で言った。
「牧園先生って子どもいた…いやその前に結婚してたんですか」
そこで美咲は呆れたような顔をした。
「知らなかったの? それも旦那さんとは大恋愛の末に結婚したみたいよ」
潮音は学校では頑固で堅物で通ってきた久恵に、そのような面があったとはと意外でならなかった。
「でも女の人って、結婚して赤ちゃんが生まれたら、仕事続けるかどうか悩まなきゃいけないから大変ですよね」
「藤坂さんは男の子だった頃は、そんなこと考えたことなかったの?」
そこで潮音は、気恥ずかしそうな顔をして口をつぐんでしまった。
「ともかく藤坂さんはそろそろ部屋に戻った方がいいわね。でも最後の晩だからといって、あまり羽目を外して夜更かししちゃダメよ」
「ありがとうございます。先生と話していて、少し気が楽になりました」
潮音は美咲に丁寧にお礼を言って、ホテルの客室へと向かった。
潮音がホテルの客室に着くと、部屋では暁子たちがトランプに興じていた。
「潮音もどこに行ってたのよ。もうみんなでゲームを始めていたのに」
「いや、ちょっとみさきちと話してただけだから…」
そこで美鈴が興味深げに口をはさんだ。
「みさきちは今度結婚するお婿さんのこととか、何か話しとったん?」
「そんな話なんかしてないってば」
潮音がむっとしながら美鈴に答えると、暁子が潮音を手招きした。
「ともかく潮音も早くおいでよ。修学旅行も明日で終りで、こうやってみんなで遊べるのも今夜が最後だから、今夜はめいっぱい遊ぼうね」
「暁子はそんなことばかり言って、いつも遊んでばかりいるくせに。明日は札幌の近辺でグループごとの自由行動だから、寝坊しないように気をつけないとね」
そして潮音も、暁子たちと一緒にゲームに加わった。潮音は明日で修学旅行も最後なのだから、この晩は暁子たちと思いきり遊ぼうと腹を決めていた。暁子も潮音が旅行の前まで抱いていたわだかまりが、いつの間にか消えていることに気がついていた。
カラオケ大会のトップをつとめたのは美鈴だった。美鈴がアップテンポで調子のいい歌を歌ったので、生徒たちの雰囲気も一気に盛り上がった。それに続いて校内でも軽音部で活動している千夏がロックを歌い、その次にキャサリンが英語でポップスを歌うと、生徒たちの目はそれに釘づけになった。
それから何人かが歌を披露した後で、潮音にお鉢が回ってきた。潮音もカラオケ大会に出てみないかと美鈴から誘われて、そこまで言うならと参加することにしたのだった。
潮音は歌う曲目をどうするべきか迷ったが、結局人気のある女子アイドルグループの曲を歌うことにした。場はそこそこ盛り上がったものの、潮音がこの曲を歌うのを、暁子や優菜はどこか複雑そうな表情で眺めていた。
カラオケ大会も終盤に近づいて、光瑠が男性歌手のバラード曲を歌うと、それがけっこう長身でクールな光瑠には似合っていた。そこで光瑠に対してうっとりするような視線を送るような生徒がいたのには、潮音も少々げんなりさせられた。
そして大会のトリをつとめたのは紫だった。しっかりとした歌唱力でムードのある歌を歌い切ってみせた紫には、潮音も目を離すことができなかった。
カラオケ大会も最後になって、生徒たちの間から引率の先生も何か歌ってほしいという声が上がったので、美咲がマイクを手にすることになった。美咲の歌に生徒たちも歓声を上げたが、同じく引率で旅行に同行していた学年主任の牧園久恵は美咲のお調子者ぶりにやれやれと言いたげだった。しかしそこで生徒たちの間から「牧園先生も何か歌って下さい」という声が上がったので、久恵も仕方がなさそうに昔のフォークソングを歌ってみせた。日ごろは生徒指導を担当していて厳しい先生として通っていた久恵の別の一面に、生徒たちもいささか面食らっていた。
久恵が歌い終ると、紫が率先して美咲に何かを手渡した。それは紫があらかじめ用意していた、美咲の結婚を祝って生徒たちが寄せ書きをした色紙だった。美咲も生徒たちの歓声と一緒に色紙を手渡されると、嬉しさと困惑が入り混じったような表情をしていた。
カラオケ大会が大盛況のうちに幕を閉じて、生徒たちがぞろぞろとホテルの客室へと引き上げると、少し遅れて客室に行こうとした潮音を美咲が呼びとめた。
「藤坂さんもみんなと一緒にこの修学旅行を楽しんでくれているようで何よりだわ」
美咲にいきなり声をかけられて、潮音は少し戸惑い気味に美咲の方を見返した。
「…どうしたんですか。いきなり私のこと呼び止めたりして」
「藤坂さんのことは去年入学したときからずっと心配してたの。あなたが中学生のときに男の子から女の子になってしまったという、あなたを診察したお医者さんの診断書を読んだときは私もさすがに驚いたわ。学校でもあなたを生徒として受け入れることにはちょっと議論があったけど、今のあなたは生物学的にも完全に女性である以上、入学を断る理由はないってことになってね。それからも藤坂さんがこの学校でちゃんとやっていけるかはずっと気になってたけど、先生たちが思っていたより藤坂さんはずっと学校のみんなともなじんでうまくやってるし、勉強や生徒会の活動だって頑張ってるしね」
「そんな…私は勉強でも友達づきあいでも、みんなから置いて行かれないように必死で頑張ってきたのです。勉強だって授業についていけないことなんかしょっちゅうだし、『うまくやってる』なんて、そんなこと言われたくないんです」
潮音が手を振って美咲の言葉を否定するそぶりを見せても、美咲の態度は落ち着いていた。
「そんなのみんな一緒よ。あなたは峰山さんのことを意識してるようだけど、あの子は勉強だって生徒会活動だって、陰で人一倍努力してる子だわ。あの子もお嬢様だからといってちやほやされてるなんて思われたくないのかもね」
潮音は紫の姿を身近で見てきただけに、美咲の言っていることも理解しているつもりだった。潮音は少し自信がなさそうに口を開いた。
「それに…うちの学校の子たちってみんな個性が強くて自分をしっかり持っていて、少々のことでは物怖じせずに思ったことだってはっきり言える子ばっかりで…そして周りもそれを抑えようとはしないし。もし男女共学の学校だったら、そんな風にはなってないと思います」
その潮音の言葉を聞いて、美咲は笑い出していた。潮音がその美咲の反応に驚いていると、美咲は話を継いだ。
「そりゃ周りに男の子の目がないとそうなるのかもね。うちの学校にはお嬢様学校だからといって生徒を入れる親もいるみたいだけど、周りに男の目がないからかえってガサツになったという声もよく聞くわ。最近は共学化する女子校だって多いし、うちの学校だって大学ではそういう話も出てるけど、理事長は少なくとも中等部と高等部については『自分の目が黒いうちは共学化はしない』って言ってるわね。何年か前に中等部と高等部も共学化しようという話が一部の理事から出たときには卒業生も生徒会もみんな反対して、キャサリンのお母さんもわざわざロンドンから反対の意見書を送ってきたのよ。私だって共学化なんかしたら、長年続いたうちの学校の良さがなくなってしまうと思うからね。共学化したからといって志望者が増えるとは限らないだろうし」
「でもどうしてうちの学校の子たちは、男だった自分を受け入れてくれたのかなって…」
「それは藤坂さんこそ、自分を偽ったりせずに自分の気持ちをみんなにストレートに伝えてきたからじゃないかしら。去年入学早々に大ゲンカをしたときなんかは冷や冷やしたけどね」
「『自分を偽る』って言ったって、私はその『自分』って何かわかんないからずっと悩んでるのに。…もし自分が男のままだったら、どんな高校に行っていたのかはわかんないけど、そこで友達見つけてそれなりに楽しい学校生活送ってたかもしれないとは思います。でもそこでこんな風に悩んだり、壁にぶつかったりしてたかなって…」
「そんなのわかるわけないじゃない。そんなことでクヨクヨ悩んでる暇なんかあるなら、その間に何か一つでもやるしかない、そう思ってあなたは今までこの学校でやってきたんでしょ? それにみんなも応えてくれたってことじゃないかな」
そこで潮音は、ホテルの窓から夜の闇に目を向けた。するとそこでは札幌の街の上空を月が静かに照らしていた。美咲もそのような潮音の様子を見ながら声をかけた。
「この修学旅行も明日で終りよね。なんか長いような、短いような旅だったよね」
潮音は美咲に対して話題を変えてみた。
「先生ってこの修学旅行から帰ったら結婚するんですよね。相手がどんな人か知らないけど、先生はこれからもずっとうちの学校の先生でいてほしいなって思うんです」
そこで美咲は胸を張ってみせた。
「当り前じゃない。そりゃ子どもができたら今までのようにはいかなくなるかもしれないけど、それ言ったら理事長をやってる私の母だって牧園先生だって、子ども育てながら先生やってきたんだから」
そこで潮音が驚いた顔で言った。
「牧園先生って子どもいた…いやその前に結婚してたんですか」
そこで美咲は呆れたような顔をした。
「知らなかったの? それも旦那さんとは大恋愛の末に結婚したみたいよ」
潮音は学校では頑固で堅物で通ってきた久恵に、そのような面があったとはと意外でならなかった。
「でも女の人って、結婚して赤ちゃんが生まれたら、仕事続けるかどうか悩まなきゃいけないから大変ですよね」
「藤坂さんは男の子だった頃は、そんなこと考えたことなかったの?」
そこで潮音は、気恥ずかしそうな顔をして口をつぐんでしまった。
「ともかく藤坂さんはそろそろ部屋に戻った方がいいわね。でも最後の晩だからといって、あまり羽目を外して夜更かししちゃダメよ」
「ありがとうございます。先生と話していて、少し気が楽になりました」
潮音は美咲に丁寧にお礼を言って、ホテルの客室へと向かった。
潮音がホテルの客室に着くと、部屋では暁子たちがトランプに興じていた。
「潮音もどこに行ってたのよ。もうみんなでゲームを始めていたのに」
「いや、ちょっとみさきちと話してただけだから…」
そこで美鈴が興味深げに口をはさんだ。
「みさきちは今度結婚するお婿さんのこととか、何か話しとったん?」
「そんな話なんかしてないってば」
潮音がむっとしながら美鈴に答えると、暁子が潮音を手招きした。
「ともかく潮音も早くおいでよ。修学旅行も明日で終りで、こうやってみんなで遊べるのも今夜が最後だから、今夜はめいっぱい遊ぼうね」
「暁子はそんなことばかり言って、いつも遊んでばかりいるくせに。明日は札幌の近辺でグループごとの自由行動だから、寝坊しないように気をつけないとね」
そして潮音も、暁子たちと一緒にゲームに加わった。潮音は明日で修学旅行も最後なのだから、この晩は暁子たちと思いきり遊ぼうと腹を決めていた。暁子も潮音が旅行の前まで抱いていたわだかまりが、いつの間にか消えていることに気がついていた。
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