裸足の人魚

やわら碧水

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第六部

第一章・潮音、アイドルになる(その10)

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 潮音をはじめとする、アイドルのパフォーマンスを行った生徒たちは、控室に引き上げるとみんな汗だくで息も絶え絶えになっていた。それでもその場にいた生徒たちは全員が紫の提案に従って円陣を組むと、一緒に腹の底からかけ声を上げた。そしてそのまま、潮音たちはみんなで互いに肩を抱き合いながら、感極まって顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。それはみんなで一緒に練習を繰り返し行い、その末に今日の晴れ舞台を成功させることができたことへの喜びから来るものだった。

 潮音たちがそのままステージの後の余韻から抜け切れずにいると、その場を訪れた二人の人影があった。それは三年生の松崎千晶と椿絵里香の二人組だった。先輩たちが姿を現したのを見て、その場にいた二年生の生徒たちはだれもが我に返って、二人に対してお辞儀をした。しかしそれに対して、絵里香は笑顔を浮べたまま穏やかな口調で二年生たちをなだめた。

「そんなにかしこまらなくてもいいのよ。あなたたちもよく頑張ったじゃない」

 それに対して紫がはっきりと返事をした。

「松崎先輩も椿先輩も、受験前の大変なときにわざわざ来て下さりありがとうございます。先輩たちが去年行ったパフォーマンスの実績があるからこそ、私たちも今年なんとかしてこの行事を成功させることができました」

 それに対して千晶は、軽く首を振りながら応えた。

「私たち三年生は何もしてないよ。今日のパフォーマンスがうまくいったのは、みんなあなたたち二年生が頑張って、自分たちのするべきことをやり遂げたからじゃないかな」

 千晶の話を聞いて、紫はきっぱりとした表情で言った。

「今年の私たちの活動を見て今の一年生が何かを感じてくれたら、そして私たちが三年生から受け継いだものをそのまま受け継がせることができたらと思います。…松崎先輩も椿先輩も受験勉強頑張って下さい」

「今年の一年生は元気な子が多いから、私たちが卒業してからもみんなで学校を盛り上げてくれたらいいのにね」

 絵里香が紫に返事をしたとき、控室の入口の方から明るい声がした。

「お姉ちゃん」

 千晶の妹の香澄の声だった。その場にいたみんなが声のした方を向き直すと、部屋の入口のドアで香澄が笑顔で手を振っていた。香澄の声を聞いただけで、その場の雰囲気がなごんだような気がしたが、千晶は戸惑ったような顔をしていた。

「何やってるの、香澄。これから校内の後片付けをしなきゃいけないんでしょ。早く行きなさい」

 しかしそこでも、絵里香はおっとりした態度を崩そうとしなかった。

「ほんとに香澄ちゃんはお姉ちゃんっ子よね。それも千晶がかっこよくてしっかりしているからかしら」

 絵里香がにこやかな顔で香澄に話しかけるのを聞くと、千晶はますますいやそうな顔をした。そこで香澄は、紫や潮音たち二年生にも目を向けた。

「先輩たちのアイドルの演技もすごかったですね。見ていて感動しました」

 香澄が興奮冷めやらない様子で話すのを見て、潮音は思わず声をかけていた。

「香澄も来年は高等部だろ? そしたら今度は香澄たちが頑張ってみんなを盛り上げていかなくちゃ。香澄のお姉ちゃんは来年高校を卒業するんだし」

 その潮音の言葉を聞くと、二年生たちはみんな笑顔を浮べた。それを見て香澄は、少し照れくさそうな顔をしていた。そこで絵里香が、二年生たちに声をかけた。

「あなたたちもこれから後片付けが残ってるから、早く支度した方がいいわよ。それじゃあ私たちもそろそろ引き上げるわ。邪魔して悪かったわね」

 そう言い残して絵里香は、千晶と香澄の姉妹と一緒に控室を後にした。

 それから潮音が着替えと身支度を済ませて控室を後にすると、暁子と優菜がその場に待っていた。潮音の顔を見るなり、優菜は潮音をねぎらうように声をかけた。

「お疲れさん。あんたもよう頑張ったやん。そこまでやれたのは、やっぱりあんたは峰山さんと一緒にバレエやって、ダンスの基礎ができとったからやないかな。あ、潮音の彼氏と漣ちゃんはさっき一緒に帰ったよ。彼氏が漣ちゃんを駅まで送っていくと言うとったわ」

 優菜の話を聞いて潮音は、昇と漣が自分の姿を見てどのように思ったかが少し気になった。しかし暁子は、潮音に対してどこかよそよそしい表情をしていた。暁子は潮音にどう話しかければいいのか少し戸惑っているように見えたが、少しの沈黙の後でぼそりと口を開いた。

「潮音…やっぱりあんたはえらいよ。なんでもかんでも前向きに頑張ろうとするんだから」

 そこで優菜が口をはさんだ。

「アッコかてもっと素直に潮音のことを褒めればええのに。でもこれからあたしらも後片付けに行かへんとな」

 それから潮音たちは校内の片付けにとりかかったが、装飾が見る見るうちに取り外されていくのを見て潮音は一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。

 片づけが一段落して下校時間になったときには、秋の日は早くも暮れかけて辺りには宵闇が漂いつつあった。文化祭の間は華やかに装飾されていた校内が日常の静けさを取り戻すのを見て、潮音はぽつりと暁子と優菜に声をかけた。

「なんか文化祭の後って不思議だよね。あれだけにぎやかだった校内が、それがウソだったかのようにしんと静かになるんだから」

 そこで暁子は潮音の顔を向き直した。

「たしかにそうだけど、終りがあるからこそお祭りは楽しいんじゃないかな。一年中お祭りだったら楽しいとも思わないし、第一疲れちゃうよ」

 しかしそこで潮音は、暗くなった窓の外を眺めながらさらに暁子と優菜に話しかけた。

「私たちは来年受験だから、学校のみんなで一緒に何かやって盛り上がれるのはこれが最後だよね」

 このように話すときの潮音の口調は、少し寂しそうだった。そこで優菜が、潮音を元気づけるように明るく声をかけた。

「そんなこといちいち気にせんと、今を精一杯楽しく生きられるようにすればええやん。受験があったって、これから楽しいことなんかいくらでもあるよ」

 その優菜の言葉には、潮音だけでなく暁子も少し明るさや元気さを取戻したようだった。それから潮音と暁子、優菜の三人は学校を後にして暮れなずむ通りを駅へと向かったが、その頃になると暗くなりかけた六甲山の稜線の上には早くも星がまたたきつつあった。

 潮音は帰宅すると、さっそく昇と漣にSNSで連絡を取った。二人とも潮音の演技を褒めているのを見て、潮音は少し顔をほころばせた。潮音は特に漣が、自分のステージを見て元気をもらえたらいいのにと思っていた。

 それから潮音はSNSでみなもにも連絡を取ったが、自分がアイドルの衣裳を着ている写真をみなもに送信したら、みなもはただ「かわいいじゃん」と短い言葉で返信しただけだった。潮音はそれを見ながら、みなもは今どのような表情でこの写真を眺めているのだろうと思っていた。


 やがて文化祭の終った学校に日常の日々が戻ってきて、校内が落ち着きを取り戻しても、特に後輩たちの潮音たち高等部二年を見る目は明らかに変っていた。特に以前からクールですらりとした態度で後輩たちの注目を集めていた光瑠は、ますます後輩たちの人気が上がったようだった。さらにセンターで堂々とした態度を取ってみんなをまとめていた紫にも、生徒たちの熱い視線が注がれていた。

 そのようなある日の昼休みに、潮音は長束恭子と一緒にカフェテリアでおしゃべりをしていた。潮音と恭子は入学直後こそ大ゲンカもしたものの、その後はむしろ仲良くなって二年生になって別のクラスになっても、休み時間などに一緒におしゃべりをすることがしばしばあった。

「文化祭以来、紫や光瑠は廊下でも後輩から声をかけられることがしょっちゅうだよね」

「特に光瑠はこれまでのクールでかっこいいイメージと違って、アイドル姿もなかなかかわいかったということで、かえって人気出たみたいやな。あと愛里紗もようまあアイドルのパフォーマンスに参加してくれたな。あの子はちょっと前までやったら何かカリカリして余裕なくて、こんな生徒会のイベントなんか勉強の邪魔やとか言うて断ってたと思うんやけど、それでも今回はよう頑張ってくれたやん」

「愛里紗もこのところ、みんなと自然につきあえるようになれて良かったよ。肩の力が抜けたとでも言うのかな…。以前の愛里紗はもっと態度もつっけんどんで、周りに対して変に壁作ってるようなところがあったけど」

 しかしそこで、恭子は潮音の顔を向き直してきっぱりと言った。

「それはあんたかて一緒やろ」

 恭子の唐突な言葉を聞いて、潮音は一瞬意表を突かれたような表情を浮べた。

「それってどういうことだよ」

「潮音かて去年の春にうちの学校入ったばっかりの頃は、なんかこの学校の空気に対してとんがってるようなところがあって、なんかつき合いにくいなと思っとったんや。その頃に比べたら、あんたも生徒会とかでみんなと一緒にちゃんとやっとるから大したもんやと思うよ」

 恭子はそう話しながら顔に笑みを浮べていたが、潮音はその恭子の言葉に戸惑わずにはいられなかった。

「ほんとにそうかなあ…。私がこの学校でなんとかやってこられたのは、紫や光瑠をはじめとするみんなが私のこといろいろ手助けしてくれたおかげだよ。でもあの二人は今みんなからちやほやされて、なんか戸惑ってるみたいに見えるけど」

「校内の人気者も大変やな」

 恭子がそう言ってため息をつくのを見て、潮音は恭子だって紫にべったりだったくせにと内心で思っていると、潮音の背後から元気な声がした。潮音が声のした方を振り向くと、そこには一年生の遥子と小春、すぴかの三人組が立っていた。遥子はいつも通りの快活な声で潮音に声をかけた。

「藤坂先輩や長束先輩のアイドル姿もすごく良かったですよ」

 遥子から自分のことを褒められて、潮音は少し気恥ずかしい思いがした。そこで潮音は遥子たちに返事をした。

「今の一年生こそ来年には、生徒会の中心になって文化祭を盛り上げてほしいな。それにすぴかだって、ファッションショーをずいぶん頑張ってたじゃん。あれは私も見てたけどすごかったよ。これから後のファッション同好会の活動が楽しみだな」

 その潮音の言葉に対して、遥子とすぴかは快活に返事をした。

「はい。…今年と同じようにアイドルをやるかはまだわかりませんけど」

「あたしは遥子や小春が何をするにしても、ファッション同好会としてそれを支えていきたいと思います」

 一年生三人の明るく元気な様子を見て、潮音は彼女たちなら来年の生徒会活動もやっていけそうだと頼もしく感じていた。そこで先ほどから潮音と後輩たちとのやり取りを眺めていた恭子も、笑顔で潮音に声をかけた。

「一年生たちもこれからしっかり頼んだよ。でもやっぱ潮音って、後輩にけっこうもてるよね」

 その恭子の言葉には、その場にいた全員が照れ笑いを浮べていた。
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