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私は勇者を導かねばならない

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 聖歴六六五年 十の月 十日
 
 勇者フォルト、ハーフエルフの女魔導師マレフィア、獣人の少女戦士ベルラ、そして光の神ルクスに仕える品行方正謹厳実直なるプリーストこの私、レリジオ・ロクシャーン。 
 私たちはいま、打倒魔王を目指す過酷な度の途上にあった。

 世界が常闇の国の魔族どもに支配されて十八年。
 各地で滅びた王国や街や村は数えればきりがない。
 過去に何度か結成されたヒューマンエルフ獣人による対魔王同盟軍もはかばかしい戦果は上げられず敗れ去り、人的被害の多さから有名無実と化して久しい。

 そんな絶望濃く深まる人々の希望をしょってたつ者が見つかったのは、ほんの二月ほど前のことであった。

 勇者フォルト。十八歳。長らく失われて久しかった聖なる宝剣ルクスフルーグを手に現れたこの青年は、まさしく、光の神ルクスによって選ばれた勇者であった。
 短く切りそろえられたまっすぐの黒髪、きりりとして意志の強そうな切れ長の目、端正なその顔立ちは誰もが理想とする勇者そのものだ。
 細身の体からは想像もつかないほどの胆力で宝剣を振るう姿はまさに勇壮!

 対魔王軍同盟の各国首脳は、この勇者の存在に賭けた。
 もはやこの世界を救えるのは彼しかいない!

 そして各陣営からひとりずつ、勇者と共にいく者が選出された。
 それがこの日誌の冒頭で紹介した女魔導師マレフィアと獣人の少女ベルラ、そしてこの私レリジオであった。
 
 しかし、このパーティは若い。
(とはいえハーフエルフの場合は見た目と年齢が合致しないこともままあるが)
 勇者は十八歳、戦士ベルラもまだ子どもといって差し支えない年頃である。

 ゆえに、私の責任は重大であるとも言えた。この若き未来の英雄たちを、良き方向へ、正しい道へ、私が導かねばならないのだ。
 
 ***

 私は、ぱたんと日誌を閉じると、パチパチと火の粉の爆ぜる焚き火に目線を移した。
 実に重大な旅である。
 魔王の居城は北の最果てにある。
 世界を救う旅である。
 光の神ルクスが、魔王の目を盗みようやく私たちに授けた託宣でもある。

 なのに。
 なのに、である。

 我らは、徒歩であった。

 魔物の跋扈し、街道の整備も追いつかず、危険な道中。
 なにも、飛空艇を寄越せというのではない。 だが、馬車の一台くらいは寄越してくれても良かったのではいだろうか。
 対魔王軍同盟はドケチだった。
 危険な旅路に出掛ける私たちに授けてくれたのは、金貨十枚。
 ひとりに、ではない。
 よにんで、である。
 結果我らは、のろのろと徒歩の旅。
 今日も今日とて野営の夜。
 
 嗚呼、ベッドが恋しい。
 柔らかいベッドで眠りたい。
 温かい風呂に入りたいし、ぱりっと糊の利いた洗い立てのシャツと法衣を着たい。
 白いふかふかのパンと、赤葡萄酒と、寝る前の優雅な読書のひととき。

 過酷な旅において、最も気をつけねばならないのは、こうした心身の疲弊である。
 魔物の襲撃を警戒し夜も交代で見張りを立てねばならないこの状況は、確実に精神を蝕むのである。
 三十路の男には厳しい。
 腰が痛い。

「レリジオさん」

 陰々滅々としかけて私は、控えめに呼びかける声にハッと心を持ち直す。
 勇者フォルト! このパーティにおいて唯一の私のオアシスであった。

 なにせあのハーフエルフの魔導師も獣人の戦士も、気が強く口さがなく自己中心的で自信過剰でなんとなればいちいち私への当たりが強いのである。
 
 とくにあのハーフエルフ! 
 ことあるごとに私のことを糸目だのおでこだのひょろ長だの。名前を呼ばないのは百歩譲ってやってもいい。せめて役職とかで呼べ!

 だがしかし勇者は違う。フォルト、さすがに勇者だけあって人を見る目がある。私の素晴らしさをよく理解し、なにかと私に意見を仰ぎ、尊重してくれるのだ。年上への敬意、神職への敬意、そうしたものを感じられてとても良かった。

「勇者殿。……どうなさったかな、まだ見張りの交代の時間には、早いはず」

 私はいついかなるときも穏やかに、厳かに振る舞う。
 誰に対しても、それがたとえ遙か年下の青年にであっても、丁重さも忘れない。 
 私の仄かな微笑を浮かべた顔に、勇者もまた控えめな笑みを浮かべる。
 焚き火を挟んだ対面に腰を下ろして、どこか物憂げな顔で空を見上げた。
 勇者フォルトは、いつもどこか寂しげな目をしていた。
 戦いぶりは勇壮であるのに、普段の彼は全く驕ることもなく控えめで、ともすれば自信なさげな頼りない雰囲気すらある。

「レリジオさん……。昼間、言ってましたよね。ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため。団結こそが大事だって」

 ぽつぽつと口を開いた勇者に、私は努めて微笑を心掛けた。
 言ったか? そんなこと。
 言ったかもしれない。いちいち覚えていないのだが。

「人ひとりの力とはちっぽけなもの。しかし、ひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、と数が増えればその力は増すもの。とはいえ……ばらばらに戦っていれば、それはひとりとひとりとひとりに過ぎない」

 私の声は深みがある。
 なんということのない当たり前の言葉でも、それっぽく言うと人は感銘を受けるものである。
 特に勇者のように若く素直な者ほど。

「はい……! そうですね。その通りです!」

 うーむチョロい。あまりにもチョロい。この勇者、本当にとことん素直である。やはり私が良い方向へ導いてやらなければ。簡単にコロッと悪い連中に騙されてしまいかねん。

「お悩みは……マレフィアとベルラのことですかな」
「……はい。ふたりは、僕を嫌っているようで。でも、僕はふたりと、仲良くしたい。ふたりはとても強くて、頼りになって、だから僕みたいな不甲斐ないのが勇者なのが気に入らないのもわかるんです。どうしたら……あのふたりに、認めてもらえるのか」

 うむ、これは難題。
 私は思わず天を仰いだ。

 そもそもエルフ族とはだいたいみな高慢で傲り高ぶって自分以外の全てを見下すのがデフォルトのような種族である。

 獣人などというのは野蛮そのもので、自分より強いか弱いかでしか物事を判断しない。そして大抵のヒューマンは獣人よりもずっとか弱いのだ。

「レリジオさんでも……難しいですか」
「そんなことはありませんとも! 勇者殿!」

 勇者のがっかりムードを敏感に察した私は食い気味に反論した。こんなことでせっかくの勇者からの尊敬を損なうのは御免である。

「ふむ……良いですかな、勇者殿。まず、その弱気な姿勢がいけません。高慢なエルフと野蛮な獣人。どちらも、弱気を見せればそこにつけいってくるものです」
「そ、そんな言い方……」
「失敬。これはいわゆる一般論。私はもちろんそのようには思ってはおらぬことですぞ。本当にな。……おほん」

 咳払いをして、私は勇者をじっと見つめた。

「胸を張り、強気に振る舞いなされ。勇者殿はあのふたりに負けず劣らず勇敢で強い。あのふたりの勢いに呑まれてはなりません。自信をもって、貴殿の正しいと思うことを毅然と主張するのです。まずはそこから」

 勇者は目を伏せ、俯いた。
 私にはわからなかった。なぜこんなにも自信なさげなのか。
 神に選ばれ、宝剣を使いこなせる。若く美しく才能に溢れているというのに。

「……。はい、わかりました。頑張って、みます」

 そう言う勇者の微笑みは、やはりどうにも頼りなげであった。
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