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不死王

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 勇者が、マレフィアが、ベルラが、そして私も。
 その声に一斉に警戒と構えを取る。

「可愛いラーナを滅したそうではないですか。おまえたち……随分と、無体なことをしましたね」

 ゆらりと何かが揺れる。
 ぼう、と浮かび上がる不可思議な存在感。
 
 血のように紅いふたつの輝き。

 それが向けられた瞬間。

「――っ」

 ゾクリとした。
 一瞬で距離がなくなり、心臓を鷲掴みにされたかのような……恐怖。
 
「ら、ラーナを……、あんな……ふうに、したのは……おまえ、か! おまえが、不死王!?」

 勇者が、何かを振り切るように声を絞り出した。
 シャンッと剣が抜き放たれる。
 キラ、と白刃。その神聖なる輝きに、私は呼吸を思い出すような心地がした。

「おや……おや、おや……。ほう。おまえが、勇者……ですか。勇者……フォルト……」

 白刃のきらめきに浮かび上がる不死王は。
 紅い瞳に銀色の長い髪をした、白面の……優男……いや美女……? どっちだ。わからん。
 ざわざわと胸騒ぎがするような、恐ろしい美貌の持ち主なのは確かだった。
 正直意外なことだった。
 アンデッドの王などというからには、てっきり骸骨とか動き回る腐った死体とか……そういうのを想像していた。

「勇者……! 不死王の声にあまり耳を傾けてはダメよ。どんないやらしい術を仕掛けてくるかわからないわ!」

 マレフィアがそう言いながら、カッ! と眩しいほどの光球ライトボールを天井に浮かべる。
 暗闇が一掃され……見えたこの場の全容。

 そこは、どうやら書斎のようだった。
 壁一面が書棚で埋まり、一角に書斎机。
 
 長い廊下を何巡かした挙句、なにがどうしたことか、我々はこの部屋にいた。
 招かれたのかもしれない。

「ふ、ふ……。小賢しい、エルフ……いや、雑種か。……エルフにも、それ以外にもなれぬ半端者が……たいそうな口をきいたものですねぇ……」
「不死王……!」
「ぐるるぅ……」

 勇者とベルラが怒りを露わに不死王を睨み付け、唸った。
 そこには確かな仲間への友愛を感じられる。
 私も結構ムカっ腹は立った。

 しかし、当のマレフィアは。

「勇者、ベル。安い挑発よ。……不死王なんて言っても、大したことわね。聞き飽きて欠伸が出るほど退屈だったわ」

 挑発に挑発で返す! さすがだ。おそらく喃語より先に厭味を話し出しただろうだけのことはある!
 私は思わず拳を握ってしまった。


「……ふ。それはそれは。我には雑種なるものの生き様は想像もつかぬこと。とは、いえ……雑種を楽しませてやる義理もなし……。それよりも……そう、おまえです……」

 不死王の姿が、ふいに、揺らいだ。
 まるで陽炎のように。

「勇者……フォルト……」
「っ不死王……!」

 次の瞬間、不死王は勇者の眼前に居た。
 勇者が剣を横に薙ぐ。
 刃が、不死王の首を捉え……

 ――スパァ

 ゴロン。

「……!」

 不死王の頭が。
 転がって……

「な、なに……や、った……のか?」

 あまりにもあっさりと。
 あっけなく。

 終わった……。

「チガウ……! まだ……」

 ベルラが……なにかを……叫ぶ。

 その声も、姿も。
 一瞬で。
 闇に、呑まれた。

***


 ふいに。

 私を襲ったのは、喉を圧迫されたような息苦しさと。

 ギチギチと巨人の怪力で締め付けられるような頭の痛み。

 その上、身体はズシリと重く、指一本動かすことすら難しい。

 ゾッとするような冷たさが、首の後ろを撫でていく。それは鼻の穴から入り込み、キュウと眼の内側が引き絞られて視界が曇る。

 そんな感覚が、全身に広がっていた。

 カチカチと音がする。

 それが、自分の歯の根が噛み合わず立て続ける音だと気付くまでにも随分とかかった。
 
 何も、見えない、底知れぬ闇。だった。

 勇者は。マレフィアは。ベルラは。
 どこにいる?
 無事なのか。
 どうなったのか。
 どうなるのか。
 わからなかった。

 ただ、恐ろしさからか冷たさのせいかわからないまま、身体はずっと震え続けていた。

「――!」

 勇者、と呼んだはずの声が出ない。
 口を開けるとそこから、更に冷たく恐ろしい空気が入り込み、肺腑を凍えさせるかのようだった。

 どこだ?
 勇者。マレフィア。ベルラ。
 私は足を踏み出そうとして。

 ゾクリとする。

 いま、私に“足はあるのか?” と。
 そんな、恐ろしい疑問が脳裏に浮かんだのだ。
 踏み出そうとした体がまろび、よろけ、ドッと転ぶ。
 
 あるのか、ないのか。
 わからない。
 だから、動けない。動かせない。

 奇妙な、不可思議な、ただただ恐ろしい感覚に全てが支配されていた。

 ほかの、皆は……
 無事なのか。
 大丈夫なのか。

 勇者……
 こんな、恐ろしい闇の中では。
 私が、彼を……導いてやらなければならないのに……

「ふ、ふ……」

 鼓膜を撫で、直接脳を震わすような蠱惑的な声が、すぐそばでした。

「おまえ……なかなか、面白い思考をしていますね……。そうか。……ふふ。そうですか。あの勇者と、おまえに……それほどの絆がある、と……?」

 首筋を、何かが撫でていく。

「おまえは、そう……思っているのですね。なば……見るが良い……。おまえの勇者が、どうなったかを……」

 ふいに。
 暗闇の中で、視界が晴れる。
 闇を見渡すことが、できる。

 そして、私は……

「――!」

 目を見開いた。
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