ある伯爵の懊悩【R18】

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疑念の網の目

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 街がにわかに活気付く朝早く。ランドリューは公民館の戸を叩いた。

 中からは若い男の声がして、ゆっくりと開かれる。
 扉を開いた白装束の青年が、ランドリューの姿を見て驚いたように目を見開いた。

「あ、貴方様は……!」
「朝早くから失礼する。其方がフィーリス教の巡礼の法師殿で相違ないか」

 冷厳な表情で堂々と佇むその姿は、いかにも伯爵然として、フィーリス教の若き巡礼者は緊張したように息を呑むとその居住まいを正した。

「は。ローリスと申します。ご領主様御自ら足をお運び頂き、大変申し訳ありません。いま、お飲み物でもご用意致しますので……」

 ランドリューはローリスと名乗った青年法師の態度を、すうと細めた鋭い眼光で睨み据えた。

 彼の蜂蜜色の髪が朝の柔らかな光を受けて透けるようにきらめいている。

 青年が落ち着かない様子でお茶を支度する間、ランドリューは設られた簡素な祭壇にも目をやった。

 友愛を司る女神フィーリスを象ったレリーフと赤い花のいけられた花瓶。
 
 二人掛けの丸テーブルには蝋燭がひとつ立てられ、揺らめく小さな炎からは甘い蜜の香りが立つ。

「な、なにか、気になるところでもおありでしたか。ご領主様」

 お茶をいれて戻った青年法師が、やはり緊張した面持ちでランドリューの視線に尋ねた。

「あぁ、いや……。ここに通う者は多いのか?」
「は、い、いえ。まださほどでは……。こちらをお借りしてまだ半月も経ちません」
「そうか。……我が領内で、宗教の儀式などと称していかがわしい催しなどしてはおるまいな」
「そ、そのような! とんでもございません!」

 青年法師は髪と同じ蜂蜜色の目をまた大きく見開き、さも心外と言いたげに強い口調で否定した。伯爵たる人を前にあからさまにこそしなかったが、不快感を覚えているのは微かに握り込まれた拳から見てとれた。

 しかしランドリューは青年のその様子も意に介する気配なく、フンと鼻先で笑ってさえみせた。

「だと良いがな。……そうそう、妻から聞いたのだが、其方、旧街道で魔獣の声を聞いたとか? よもやそのような妄言で人心を惑わし、信徒を増やそうという魂胆ではなかろうな」
「ご領主様が、我らフィーリス教を快くお思いでないことはわかりました。……しかし、まさかそのようなことは致しません。フィーリス様に誓って」

 青年法師が胸元で聖印を切ると、ランドリューにまっすぐ目線を合わせてくる。それをしばらく黙って見据え、睨み合いのような数瞬間。再びランドリューが口を開いた。

「なぜ、わざわざ旧街道を使った」
「それは……人の往来の絶え、村々もなく、ゆえに人の手を借りられぬ。それだからこそ、人のぬくもり、優しさ、ふれあいがより尊く思え、深く感謝をできるという教えであり……友愛こそが尊ぶべき最も重要なものと理解するための巡礼の途でありますから……」

 青年法師の口上を聞きながら、ランドリューはしかし微かに眉を顰める。
 過酷な旅路を越えてきたという割には、髪や肌はずいぶんと綺麗に見えたのだ。

 ランドリューには、フィーリス教への偏見が根強くある。

(どうにも胡散臭い男だ……)

 そうは思うが、グイードからの情報もある。旧街道に本当に魔獣が出たのならば、このまま捨て置くこともできるわけはなかった。
 
 目を伏せ頷くと、ランドリューはおもむろに踵を返し扉へ向かう。

「ご領主様……まさか、おひとりで調査に行かれるおつもりでは……」
「そのつもりだ、魔獣の痕跡探しなど私ひとりで十分だからな。……さて、法師よ。よいか、我が領内で友愛の名の下に不埒な真似をしようものなら、即刻追放するぞ。心せよ」

 ランドリューは半ば唾棄するような心持ちでそう告げると、今度こそ外へ出て行った。

ーー

 旧街道。
 それは、数十年前起きた魔獣災禍の折に大きな被害を受け、街道沿いの村々も壊滅し長らく不浄の地として使われることなくそのままにされている地帯だった。

 荒れ果てた地は見晴らしこそ良かったが、宿場となる村もない今では旅人も行商も通ることはほとんどない。

 ランドリューは単身馬に乗り、街道とは名ばかりの荒野を進んでいた。

 数十年の月日は、魔獣の残したおぞましい障気も多少は浄化したようだが、晴れた空の下になお陰惨として薄暗くどんよりと空気は濁るものだった。

(このような障気の中をあの法師はひとりで辿ってきたというのか?)

 黒い靄めいた荒廃する空気の中に、打ち捨てられた廃墟がぼんやりと浮かび上がる。

 過去には賑わったであろう街道沿いの宿場町の跡地だった。

(雨風を凌ぎ、野営をするとなれば……廃墟も使い勝手は良いかもしれんな。しかし、となれば……)

 盗賊や逃亡者、魔獣にとっても良い隠れ家ともなるだろう。治安の維持にあたっては、看過できぬ状況ともいえた。

 ランドリューは馬を降り、宝玉を嵌め込んだ杖を地に突き立てた。そこから光り輝く方陣が広がり、縦横斜めに光の筋が伸びて網の目のように一帯に伸びていく。

(それにしてもあの法師……尤もらしいことを言いおって……。戻ったら、クローディアにはあの男に近付くなとよく言っておかねばならんな。友愛などと……たわけたことを……)

 魔術による探査の網を広げていきながら、ランドリューは内心で苦々しく毒づいていた。


 ランドリューとフィーリス教にはちょっとした因縁がある。

 それはまだランドリューが宮廷で王の右腕として執政の多くをとりしきっていたころのことだ。

 フィーリス教は、友愛の教えの下に現在の夫婦のあるべき形を破壊し、一夫一妻などという縛りから解き放たれ、広く友愛の輪を広げるべきだというとんでもない教えを広めたのである。

 それに感化された一部の若者や貴族たちの間では性風俗も乱れ、ふしだらな交流が流行った。

 法廷にはたびたび不倫を糾弾する妻や夫の訴えが届き、その為に悪辣な犯罪の裁きにも影響が出るほどになった。

 そうした風紀の乱れは問題視され議会でも取り上げられ、即刻禁教とすべきという意見も少なからずあったのだが、しかしそれも王の一言で大勢は変わった。

「風紀道徳も婚姻のなんやかやも大事だが、あんまり反対するとモテん男の僻みに見えるぞ。友愛結構! 良いではないか、ふっはっは!」

 先王、正確には国王代理という立場であったが、ともかく王は大雑把で磊落なたちであった。
 王の言葉は議会のプライドの高い貴族たちの心を大いに揺さぶり、強硬な反対派も意見を軒並み翻すことになり、結果フィーリス教はどうにか存続は許されることとなった。といういきさつがある。
 
 ただし、友愛の教えは不倫や乱交を推奨するものではない、という注釈をきっちりと添えることを条件に、である。
 そうしてフィーリス教と友愛の教えはギリギリ許され今も細々とながら続いており、近年は少しずつ信徒を増やしているともいう。

 当時のこの強硬な反対派の急先鋒こそがランドリューであり、風紀道徳を乱す虞れのあるフィーリス教については未だに嫌悪の情を抱いていた。

 探査の網を広げていく意識の片隅で、またもやランドリューは焦燥を覚えだしていた。

(嗚呼……クローディア、もしもあの男のいかがわしい教義に触れたりしたら……)

 障気よりもどす黒い、おぞましい思考がランドリューの脳裏をじわりじわりと占めていく。

 どうしようもない不安は、まるで強迫観念のように精神と思考を蝕んでいくのだった。
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