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黒い空
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カンカンカンカン! 鐘の音がけたたましく街中に響き渡った。
街の人々は何事かと慌てて外に飛び出し、鐘撞き堂を見上げてヒエッと声を上げる。
「そ、空が……!」
「まさか、また……!?」
伯爵邸の方角の空が暗く黒く染まり、怪しげに渦を巻きながらおぞましい瘴気を吐き出していた。
ついこの間、祭りの最中に行われた恐ろしい儀式で起こった現象によく似たそれに、街の者たちは誰もが怯え竦み上がる。
「あれはご領主様のお屋敷の方じゃないか!?」
「そんな……ご領主様の身に何かあったら……」
「こ、こうしちゃおれん! 家財道具まとめろ!」
「オイ、まさか逃げる気か?」
「当たり前だ、ご領主様がどうかなっちまったら次はすぐこの街だぞ……!」
動揺が広がり、人々はある者は急ぎ家に帰って家財道具を纏め、ある者はただ茫然と立ち尽くし、またある者は武器になりそうなものを持って戦おうと意気込む。
その様子を見ていた女は顔を青くして、駆け出していた。
「奥様……!」
宿の階段を駆け上がり、ノックもせず飛び込んだのはクローディアの侍女のフェザーだった。
「な、なぁに!? 珍しいわね、あなたがそんなに慌てるなんて……」
遅めの朝食を摂っていたクローディアは、危うく喉に詰まりかけたパンをお茶で流し込む。
「なんて呑気なことを……! 見てください、お屋敷の方が大変なことになってるんですよ!」
フェザーは買い出しの荷物を放り出すように置くと、カーテンを開いて窓を開け空を示した。
おぞましい色に染まっている伯爵邸の方角の空に、クローディアは目を見開き言葉を失う。
「魔界の門が開かれたんだと持ちきりですよ。この間の祭りの時と同じだって街の方々が……」
「祭りの……?」
クローディアは立ち上がって窓辺に寄り、暗黒に染まる西の空をじっと見据えていた。
「それで……フィーリス教の法師様が、魔界の門を開くための恐ろしい儀式を……」
クローディアは身支度を整えながら、フェザーが語るこの間の祭りの出来事を聞いていた。
その日に何が起き、ランドリューやグイードが何をしていたのか。ランドリューがなぜ頑なに祭りへの参加を皆に禁じたのか。クローディアはようやく腑に落ちて得心した。
(……あぁ、本当に。あの方は、私をちっとも信頼してくださってはいなかったのね……)
同時にそう確信もする。
ランドリューは、ローリスの企みを確実に阻止する為に、ほんの一握りの信頼できる者だけに自分の計画を話したのに違いない。頭ごなしの禁止は、ランドリューがクローディアには詳細を話す必要はないと判断していたからだろう。
それが、クローディアがローリスに阻止の計画を漏らすのを恐れてのことか、ただ若い妻を危険なことから守りたい一心ゆえのことなのかはクローディアには判断はつかなかった。
ただ悔しいという思いだけが強く燻る。
「奥様……どうなさるおつもりですか?」
どこか深刻そうに張り詰めたクローディアの表情に、フェザーが不安と心配の入り混じった顔をする。
クローディアは、髪を高く結い上げて硬く丸め上げた。
「行くわ。……あなたはここで待っていて、もし危ないと思ったら街を出なさい」
「そ、そんな……奥様を置いて私だけがなんてこと……!」
「いいのよ。こうなっては、自分の命を守る行動が大事なのよ、フェザーさん」
クローディアは微笑んで言うと、スカートの裾を捌いて階段を降りて行く。
宿の中はすっかり閑散として、既にほかの客たちは避難しているらしかった。
ぼんやりと立ち尽くす宿の主人にクローディアは声を掛ける。
「ねぇご主人。馬はある? 一頭でいいのよ」
「あ、あぁ、お客様……申し訳ありません……うちには……」
居ればさっさと逃げている、とでも言いたげだ。
クローディアは眉を下げ、困ったように一息ついて。
「そう、わかったわ。では、剣はない?」
「け、剣……でございますか……。昔お客様が宿代代わりに置いて行かれたものなら……」
「ではそれを貸して。お代はうちの侍女から貰って」
クローディアは主人から一振りの剣を受け取ると、剣帯代わりにスカーフを腰に巻き付け剣を差す。
そうしてそのまま大通りへと飛び出していった。
しばらく様子を見ていたが、ふいにクローディアは馬や馬車が行き交う通りを走る二頭立ての荷馬車の前に躍り出る。
ギギィ! と御者が慌てて手綱を引き絞り、錆びついた車輪の軋む音をさせた。
「うわぁ! あ、あぶねーだろう!? 死ぬ気か……っ、ひっ……!」
驚き怒鳴る御者の男に、クローディアは抜き身の剣を突きつけ言った。
「今すぐ馬を一頭よこしなさい。この荷馬車なら一頭でも走れるでしょう」
「ば、ばかいうな……! 荷物が多いんだ、一頭じゃへばっちまう」
「では、ひとり分の荷物をここで減らしましょうか?」
切先を御者の首に添えたままもう一度微笑む。
冷たい剣の鋭さとクローディアの黒い瞳に射竦められ、御者は震え上がった。
「ありがとう、感謝します」
その無言を是と受け取って有無を言わさず、クローディアは暗黒渦巻く空の下を目指して馬を走らせていった。
街の人々は何事かと慌てて外に飛び出し、鐘撞き堂を見上げてヒエッと声を上げる。
「そ、空が……!」
「まさか、また……!?」
伯爵邸の方角の空が暗く黒く染まり、怪しげに渦を巻きながらおぞましい瘴気を吐き出していた。
ついこの間、祭りの最中に行われた恐ろしい儀式で起こった現象によく似たそれに、街の者たちは誰もが怯え竦み上がる。
「あれはご領主様のお屋敷の方じゃないか!?」
「そんな……ご領主様の身に何かあったら……」
「こ、こうしちゃおれん! 家財道具まとめろ!」
「オイ、まさか逃げる気か?」
「当たり前だ、ご領主様がどうかなっちまったら次はすぐこの街だぞ……!」
動揺が広がり、人々はある者は急ぎ家に帰って家財道具を纏め、ある者はただ茫然と立ち尽くし、またある者は武器になりそうなものを持って戦おうと意気込む。
その様子を見ていた女は顔を青くして、駆け出していた。
「奥様……!」
宿の階段を駆け上がり、ノックもせず飛び込んだのはクローディアの侍女のフェザーだった。
「な、なぁに!? 珍しいわね、あなたがそんなに慌てるなんて……」
遅めの朝食を摂っていたクローディアは、危うく喉に詰まりかけたパンをお茶で流し込む。
「なんて呑気なことを……! 見てください、お屋敷の方が大変なことになってるんですよ!」
フェザーは買い出しの荷物を放り出すように置くと、カーテンを開いて窓を開け空を示した。
おぞましい色に染まっている伯爵邸の方角の空に、クローディアは目を見開き言葉を失う。
「魔界の門が開かれたんだと持ちきりですよ。この間の祭りの時と同じだって街の方々が……」
「祭りの……?」
クローディアは立ち上がって窓辺に寄り、暗黒に染まる西の空をじっと見据えていた。
「それで……フィーリス教の法師様が、魔界の門を開くための恐ろしい儀式を……」
クローディアは身支度を整えながら、フェザーが語るこの間の祭りの出来事を聞いていた。
その日に何が起き、ランドリューやグイードが何をしていたのか。ランドリューがなぜ頑なに祭りへの参加を皆に禁じたのか。クローディアはようやく腑に落ちて得心した。
(……あぁ、本当に。あの方は、私をちっとも信頼してくださってはいなかったのね……)
同時にそう確信もする。
ランドリューは、ローリスの企みを確実に阻止する為に、ほんの一握りの信頼できる者だけに自分の計画を話したのに違いない。頭ごなしの禁止は、ランドリューがクローディアには詳細を話す必要はないと判断していたからだろう。
それが、クローディアがローリスに阻止の計画を漏らすのを恐れてのことか、ただ若い妻を危険なことから守りたい一心ゆえのことなのかはクローディアには判断はつかなかった。
ただ悔しいという思いだけが強く燻る。
「奥様……どうなさるおつもりですか?」
どこか深刻そうに張り詰めたクローディアの表情に、フェザーが不安と心配の入り混じった顔をする。
クローディアは、髪を高く結い上げて硬く丸め上げた。
「行くわ。……あなたはここで待っていて、もし危ないと思ったら街を出なさい」
「そ、そんな……奥様を置いて私だけがなんてこと……!」
「いいのよ。こうなっては、自分の命を守る行動が大事なのよ、フェザーさん」
クローディアは微笑んで言うと、スカートの裾を捌いて階段を降りて行く。
宿の中はすっかり閑散として、既にほかの客たちは避難しているらしかった。
ぼんやりと立ち尽くす宿の主人にクローディアは声を掛ける。
「ねぇご主人。馬はある? 一頭でいいのよ」
「あ、あぁ、お客様……申し訳ありません……うちには……」
居ればさっさと逃げている、とでも言いたげだ。
クローディアは眉を下げ、困ったように一息ついて。
「そう、わかったわ。では、剣はない?」
「け、剣……でございますか……。昔お客様が宿代代わりに置いて行かれたものなら……」
「ではそれを貸して。お代はうちの侍女から貰って」
クローディアは主人から一振りの剣を受け取ると、剣帯代わりにスカーフを腰に巻き付け剣を差す。
そうしてそのまま大通りへと飛び出していった。
しばらく様子を見ていたが、ふいにクローディアは馬や馬車が行き交う通りを走る二頭立ての荷馬車の前に躍り出る。
ギギィ! と御者が慌てて手綱を引き絞り、錆びついた車輪の軋む音をさせた。
「うわぁ! あ、あぶねーだろう!? 死ぬ気か……っ、ひっ……!」
驚き怒鳴る御者の男に、クローディアは抜き身の剣を突きつけ言った。
「今すぐ馬を一頭よこしなさい。この荷馬車なら一頭でも走れるでしょう」
「ば、ばかいうな……! 荷物が多いんだ、一頭じゃへばっちまう」
「では、ひとり分の荷物をここで減らしましょうか?」
切先を御者の首に添えたままもう一度微笑む。
冷たい剣の鋭さとクローディアの黒い瞳に射竦められ、御者は震え上がった。
「ありがとう、感謝します」
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