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黒の帳 『一つ目の帳』

友達の時間

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龍牙に謝りたい。

ここに居て欲しい。


だが、そんな私の願いも虚しく、龍牙は私の手をシャツから剥がした。まあ、仕方ないのかな。嫌な思いをさせてしまったんだから。もう帰るんだろう。見送りくらいしなくては。

私が諦めていると、龍牙が突然振り向いた。

「…ごめん、俺の方こそ、ごめん」

私は、抱きしめられていた。
わー、龍牙いい匂いする。やっぱりシャンプーは良いものを使ってるな?
いや、そうじゃない。
そっと背に腕を回し、私も抱きしめ返して尋ねた。

「………私のこと、置いていかないの?」
「ん」

その返事に体の力が抜けた。良かった、置いていかれないんだ。
体を離すと、龍牙の手が私の目じりをなぞり、溜まっていた雫を拭き取っていく。

「…泣くなよ」
「泣いてないよ」

ちょっと涙目になっただけだ!
龍牙の手を見ると、野菜が入った袋を持っていた。

「今のは、おかゆ作ろうと思ってさ」
「うちの台所廃墟にしないで」

龍牙の料理の腕は、雅弘さんといい勝負だ。暗黒物質が出来てしまう。どうしてレシピ通りに作ろうとしないんだ。何故彼らはアレンジを加えるんだ。自分らしさは普通の料理を作ってからでお願いしたいものだ。
というか、キャベツとかニンジンとかゴーヤとか入ってるな。おかゆに入れるつもりだったの?というか、何故このラインナップなんだ…。

「はァ?中学で俺は家庭の授業を受けたんだぞ、大丈夫だ」
「家庭の授業だけでそこまで自信持たないでよ。氷川さんが作ってくれたのがあると思うから、それにする」

根拠が弱すぎる自信だ。それで誰もが料理を出来たら苦労しない。ちゃんとお勉強しなさい。

「…あっ」
「危ねぇっ!!」

突然足の力が抜けてしまった。そうだ、怠いけど無理やり起きてきたんだった。
倒れそうになった私を龍牙が支え、肩を貸してベッドまで運んでくれる。…流石に抱き上げるのは無理だよね。やっぱり、私をあんなに勢いよくお姫様抱っこをしてひょいひょい運んだ紅陵さんはすごいんだな。

「ったく…、無理すんなよ、病み上がりだろうが。お粥持ってくるからな」
「…置いていかれるって思ったら、寝てられなくて」

そう呟くと、龍牙が苦い顔をする。でも、ちょっと嬉しそう?

「そんなに、不安だったのか」
「うん」
「俺と、一緒に居たいのかよ」
「うん、だって大親友だよ?」
「…そうか」

私の言葉を聞くなり、すぐに部屋を出てしまった。龍牙だって、クリミツだって、大切な親友だ。昨日みたいに置いていかれるなんて、絶対にごめんだ。

さっきは立ち上がって倒れそうになったけど、起き上がることならできる。ベッドに腰掛けて、スポーツドリンクを飲んだ。
視界にビニール袋が入る。中身は何だろうか。大きめの袋には、さっき見せてくれたC組の人達の物が入っていた。もう一つの袋は何だろう。

私はそっと屈んで中身を覗いた。

靴だ。私が履いていた、クロッケス。
ということは、この袋は紅陵さんからか。他に何か入っているかな、紅陵さん、心配してくれたのかな。ちょっとドキドキしながら袋を漁ると、小さなメッセージカードが出てきた。

『ごめんなさい。お大事に』

簡素な二言。
でも、筆跡が美しすぎる。何たる麗筆だ。あの大きな手で、こんな文字を綴れるのか。
ギャップ萌えというやつだろうか。頭も良いらしいし、勉強出来そうだなあ。強くて賢くて格好いい、凄すぎる。

紅陵さん、やっぱり悪い人じゃないな。こんな手紙を添えるなんて。暴力はどうかと思うけど、感情が昂っただけなら、それを制御出来るようになればいいだけだ。
とりあえず、紅陵さんと話をしないことには何も分からない。月曜日、絶対会いに行くぞ!

「おかゆ温めたぞ。…それ」
「あ、ありがと!」
「…俺が返せばいいのか?」
「うん。紅陵さんからじゃないと受け取りませんって言ってた、って渡して欲しいな」
「………分かったよ」

呆れたように龍牙が笑った。良かった、今度は大丈夫だったみたい。
手にしていたメッセージカードをサイドテーブルに置き、龍牙が持ってきてくれたお椀とスプーンを受け取る。

「氷川先輩、料理出来るんだな…」
「あの人、僕は優秀!って言ってたからね。多分何でも出来るんじゃないかなあ…、プライド高そうだし」
「でもその割には周りと仲良くしてるよな。…あ、人を率いるのも優秀とか、そういう感じかもしれないな。超優秀なのに、なーんか嫌味がないんだよな。開き直ってるっつーか…なんつーか…」
「不思議な人だよね。んん、美味しい…!」

氷川さんは、無表情の雅弘さんと親しげに会話をしていた。
雅弘さんは、あの眼力といい、纏う雰囲気といい、何もしなくても相手に威圧感を与えられる風貌を持っている。氷川さんはそんな雅弘さんをものともせず、朗らかに会話を交わしていた。
流石、将来家業を継ぐだけあるな。

「…旨いの?」
「うんっ!」
「……俺にもちょうだい」
「いいよ。えーっとスプーンは…」

もう体温は下がったが、私は熱を出していた。風邪とは違うただの不調だが、もし病気なら移してしまうかもしれない。私と同じ食器で食べるなんて言語道断!そう思い、食器を取りに行こうとしたのだが、ものすごく不満げな顔で引き止められた。

「…何だよ。昨日の昼はしてくれたじゃん」
「ダメだよ、風邪だったら移っちゃう」
「……鈴」

龍牙は、引き止める時に掴んだ私の腕を引き、私を抱きしめた。
わ、顔近い。
ついでにいい香りもする。これ何のシャンプーかな、後で聞いてみよう。

真剣な目で私を見つめている。
何か大事なことでも言うのかな。

「お前になら、移されてもいい」
「何頭悪いこと言ってるの、誰でもダメでしょ」

意味が分からない。
もしかして、風邪は移すと治る、なんて迷信を信じているのか。それが本当だったら、私だってクリミツや龍牙に移されたって構わない。
そもそも、風邪は三日くらいで治る。移された人に症状が発生する頃には移した人の風邪が治っているから、移すと治ると錯覚してしまうだけだ。

考えれば分かるだろうに。龍牙だって分からないわけじゃないだろう。
否定すると、また龍牙が不満げな顔になってしまった。

「…お前なあ…ときめかねぇの?」
「こんなのでときめいてたら、小学生で心臓爆発してるでしょ」

何の冗談だろう。

私は、異性愛も同性愛もどちらも好いている、所謂バイだが、勿論見境がない訳では無い。

龍牙は友達だ。確かに、長い髪は美しいし、切れ長の三白眼にはドキッとする。でもクールなわけではなくて、寧ろ、友達思いの人情に厚い子だ。屈託の無い、無邪気な笑顔が可愛い。見た目はクールなのに、性格がやんちゃで笑顔が可愛い。

でも、友達だ。

モテるだろうな、ギャップにやられる子は沢山いるだろうな、と思うだけで、そういう目で見たことは無い。

はっきり言うのなら、タイプじゃない。

可愛いけど、やんちゃすぎる。小学生の時は、厄介事を持ってきては死にそうなほど心配させられたし、クリミツだって何度もブチ切れていた。恋人にするには…ちょっと腕白すぎるかな。

「何だよ、つまんねーな」
「はいはい、あーん」
「…ん、うま!」
「だよね~」

不貞腐れる龍牙の口におかゆを突っ込んだ。
そんなに風邪を引きたいのなら引かせてやる!
もしそうなったら看病は私がするんだ。龍牙には申し訳ないけど、弱った龍牙はしおらしくて可愛いんだよなあ。

それにしても、ときめきだとか変なこと言うな。
おかしな龍牙。

でも、美味しい美味しいとおかゆをモグモグする龍牙はいつもの笑顔。美味しいもの、大好きだもんね。可愛いなあ。あ、口の端に米粒がついている。手を伸ばして拭き取り、昔の癖でそのまま口に入れる。

「…ついてる。もう、急ぎすぎだよ」
「……ぉ…おう」

顔赤いな。…風邪が移ったとしても早すぎる。というか、そもそも私は風邪を引いていない。

「何で顔赤いの?」
「うるせぇ。す、鈴こそ、なんで食うんだよ」
「昔はよくやってたでしょ?」
「そうかよ…」

歯切れが悪いな。やっぱり今日の龍牙はちょっとおかしい。
昨日の出来事も不自然だ。
紅陵さんの言う通り、何かあったんだろう。そして、それは私に伝えてくれないことだ。


だったら、男らしく待ってようじゃないか。

彼が伝えてくれる、その時を。

「…ねえ龍牙」
「ん?」
「困った時は、頼ってね」
「それはこっちのセリフだ!」



そう答えた龍牙は、いつもの無邪気な笑顔を見せてくれた。
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