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第二部〜アリュス湖と赤い実〜
ヴァルディアの城門を出た朝、空は青くどこまでも高かった。
副局長のテオドールは、わざわざ見送りに来てくれた。
「馬車なら半日で着きますよ」
そう言いながらも、彼は本気で勧めているわけではないとわかった。
ルカは静かに首を振る。
「歩いて行く」
「……理由を伺っても?」
「セフィが見る景色が減る」
私は思わず彼を見た。
テオドールが小さく笑う。
「なるほど。ではせめて、行きと帰りには顔を出してください。これからも」
「わかった」
ルカは頷く。
「旅先で必要だと感じたら、自分たちの判断で解呪する」
「承知しています」
短いやり取り。
けれどそこには、信頼の種があった。
私たちは歩き出す。
振り返ると、ヴァルディアの白い城壁が朝日に光っている。
帰る場所がある。
それがこんなにも心強いなんて、昔の私は知らなかった。
一日目は街道沿いにゆるやかな丘陵を越えた。
途中、小さな野営をして、星を見上げる。
「寒くないか?」
「うん、平気」
隣にルカがいるだけで、平気だった。
二日目の昼前。
道がなだらかに下り始めたころだった。
ふいに視界が開ける。
「……わあ」
思わず声が漏れる。
そこにあったのは、青。小さな湖。
けれどその水は、空を丸ごと落としたみたいに澄んでいる。
湖を囲うように、果樹園が広がっていた。
赤く艶やかな実が、枝いっぱいに揺れている。
アリュス果。
ヴァルディアの露店で食べた、あの甘い実。
ここはその源だ。
「ここが……アリュス湖?」
ルカが頷く。
「村の水源らしい。果樹園はこの湖に支えられている」
私は湖のほとりへ駆け寄った。
水面は静かで、風が止むと空をそのまま映す。
しゃがみ込み、そっと覗き込む。
青い空。赤い果実。
そして——並んだ私とルカ。
「湖なのに、空みたい」
「そうだな」
ルカが隣にしゃがむ。
その距離が近くて、胸が少し熱くなる。
「セフィの目の方が澄んでる」
「え?」
顔を上げると、彼は少しだけ目を逸らしていた。
「今の、ずるい」
「事実だろ」
ルカの耳がほんの少し赤いのに気付き私はくすっと笑う。
「ルカも、赤いよ」
「何が」
「耳」
私がくすりと笑うと彼が無言で外套の襟を直す。
その仕草が可笑しくて、愛おしくて、胸が満たされる。
私は水に手を浸した。
冷たい。
でも優しい。
もう壊さない手。
ルカがそれを見ている。その視線が、あたたかい。
「ねえ、ルカ」
「ん?」
「私、ここ、好き」
それは湖のことか、村のことか、旅のことか。
きっと全部だった。
ルカは小さく笑う。
「セフィが楽しそうなら、それでいい」
胸がきゅっとする。
私は思わず、彼の手を握った。
彼は握り返す。
力強くて、優しい。
アリュス村はもうすぐだ。
村へ入ると、甘い香りが一層濃くなる。
中心部にある宿屋兼食堂で昼食をとることにした。
素朴な木のテーブル。
果実を使った甘酸っぱいソースの肉料理。
「おかわりいるかい?」
女将さんが笑う。
私はなんだか恥ずかしくなって慌てて首を振るけれど、顔が緩んでしまう。
「彼女、果実が好きみたいで」
ルカが言う。
「可愛いねえ。美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」
私は頬が熱くなる。
村人たちは穏やかそうで、どこかゆったりしている。
私たちは女将さんに勧められて午後、市場へ向かった。
並ぶのは、同じアリュス果でも様々な品種。
「これはロゼリア。甘味が強いよ。近隣の街に出てるのはだいたいこれさ」
露店のおばちゃんが教えてくれる。
私は一切れ口に入れる。
「……おいしい」
やっぱり甘い。
でも——
「こっちはメルティア。少し酸っぱいよ」
かじると、爽やかな酸味が広がる。
「こっちはヴェルカ。加工向きだね。ジャムやソースにするんだ」
「フィオラは若い子に人気だよ」
私は目を輝かせる。
「全部違う……!」
ルカが横で笑っている。
「全部買うのか?」
「うん」
即答だった。
彼は迷わず代金を払ってくれる。
「ルカは私を甘やかしすぎじゃない?」
「セフィが喜ぶならいいんだ」
その声が、優しい。
私は果実を抱え、大満足で歩く。
湖の青。
果樹園の赤。
ルカの横顔。
幸せって、こういう瞬間なんだと思った。
ヴァルディアに帰る場所がある。
でも今は、ここにいる。
歩いて来た時間も、湖の静けさも、果実の甘さも、全部、私たちのものだ。
私はふとルカを見ると彼は私を見ていた。
目が合う。
「どうしたの?」
「可愛いなと思って」
「……もう」
顔が熱くなる。でも嬉しい。
笑ってしまう。
果実よりも甘い気持ちが、胸に広がる。
私たちはまた歩き出す。
湖の青を背に。
赤い実を抱えて。
この先に何が待っていても。
きっと大丈夫だと思えた。
隣に、ルカがいるから。
副局長のテオドールは、わざわざ見送りに来てくれた。
「馬車なら半日で着きますよ」
そう言いながらも、彼は本気で勧めているわけではないとわかった。
ルカは静かに首を振る。
「歩いて行く」
「……理由を伺っても?」
「セフィが見る景色が減る」
私は思わず彼を見た。
テオドールが小さく笑う。
「なるほど。ではせめて、行きと帰りには顔を出してください。これからも」
「わかった」
ルカは頷く。
「旅先で必要だと感じたら、自分たちの判断で解呪する」
「承知しています」
短いやり取り。
けれどそこには、信頼の種があった。
私たちは歩き出す。
振り返ると、ヴァルディアの白い城壁が朝日に光っている。
帰る場所がある。
それがこんなにも心強いなんて、昔の私は知らなかった。
一日目は街道沿いにゆるやかな丘陵を越えた。
途中、小さな野営をして、星を見上げる。
「寒くないか?」
「うん、平気」
隣にルカがいるだけで、平気だった。
二日目の昼前。
道がなだらかに下り始めたころだった。
ふいに視界が開ける。
「……わあ」
思わず声が漏れる。
そこにあったのは、青。小さな湖。
けれどその水は、空を丸ごと落としたみたいに澄んでいる。
湖を囲うように、果樹園が広がっていた。
赤く艶やかな実が、枝いっぱいに揺れている。
アリュス果。
ヴァルディアの露店で食べた、あの甘い実。
ここはその源だ。
「ここが……アリュス湖?」
ルカが頷く。
「村の水源らしい。果樹園はこの湖に支えられている」
私は湖のほとりへ駆け寄った。
水面は静かで、風が止むと空をそのまま映す。
しゃがみ込み、そっと覗き込む。
青い空。赤い果実。
そして——並んだ私とルカ。
「湖なのに、空みたい」
「そうだな」
ルカが隣にしゃがむ。
その距離が近くて、胸が少し熱くなる。
「セフィの目の方が澄んでる」
「え?」
顔を上げると、彼は少しだけ目を逸らしていた。
「今の、ずるい」
「事実だろ」
ルカの耳がほんの少し赤いのに気付き私はくすっと笑う。
「ルカも、赤いよ」
「何が」
「耳」
私がくすりと笑うと彼が無言で外套の襟を直す。
その仕草が可笑しくて、愛おしくて、胸が満たされる。
私は水に手を浸した。
冷たい。
でも優しい。
もう壊さない手。
ルカがそれを見ている。その視線が、あたたかい。
「ねえ、ルカ」
「ん?」
「私、ここ、好き」
それは湖のことか、村のことか、旅のことか。
きっと全部だった。
ルカは小さく笑う。
「セフィが楽しそうなら、それでいい」
胸がきゅっとする。
私は思わず、彼の手を握った。
彼は握り返す。
力強くて、優しい。
アリュス村はもうすぐだ。
村へ入ると、甘い香りが一層濃くなる。
中心部にある宿屋兼食堂で昼食をとることにした。
素朴な木のテーブル。
果実を使った甘酸っぱいソースの肉料理。
「おかわりいるかい?」
女将さんが笑う。
私はなんだか恥ずかしくなって慌てて首を振るけれど、顔が緩んでしまう。
「彼女、果実が好きみたいで」
ルカが言う。
「可愛いねえ。美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」
私は頬が熱くなる。
村人たちは穏やかそうで、どこかゆったりしている。
私たちは女将さんに勧められて午後、市場へ向かった。
並ぶのは、同じアリュス果でも様々な品種。
「これはロゼリア。甘味が強いよ。近隣の街に出てるのはだいたいこれさ」
露店のおばちゃんが教えてくれる。
私は一切れ口に入れる。
「……おいしい」
やっぱり甘い。
でも——
「こっちはメルティア。少し酸っぱいよ」
かじると、爽やかな酸味が広がる。
「こっちはヴェルカ。加工向きだね。ジャムやソースにするんだ」
「フィオラは若い子に人気だよ」
私は目を輝かせる。
「全部違う……!」
ルカが横で笑っている。
「全部買うのか?」
「うん」
即答だった。
彼は迷わず代金を払ってくれる。
「ルカは私を甘やかしすぎじゃない?」
「セフィが喜ぶならいいんだ」
その声が、優しい。
私は果実を抱え、大満足で歩く。
湖の青。
果樹園の赤。
ルカの横顔。
幸せって、こういう瞬間なんだと思った。
ヴァルディアに帰る場所がある。
でも今は、ここにいる。
歩いて来た時間も、湖の静けさも、果実の甘さも、全部、私たちのものだ。
私はふとルカを見ると彼は私を見ていた。
目が合う。
「どうしたの?」
「可愛いなと思って」
「……もう」
顔が熱くなる。でも嬉しい。
笑ってしまう。
果実よりも甘い気持ちが、胸に広がる。
私たちはまた歩き出す。
湖の青を背に。
赤い実を抱えて。
この先に何が待っていても。
きっと大丈夫だと思えた。
隣に、ルカがいるから。
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