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1 みんながあたしを無視するの

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 あたしは上手く話せない。
 頭の中はぐるぐる動いているのに、言葉にすることができない。


 目覚めると、あたしはビルの入り口ロビーに立っていた。
 フロアの広さは学校の教室と同じぐらいだから、そんなに大きなビルではない。
 エレベーターは二基ある。エレベーターの表示を見ると五階建てらしい。らしいというのは、あたしはこのビルを外から見たことがない。このビルから出たことがない。この一階のフロア以外は知らない。

 入り口のガラスの自動ドアが、忙しそうに開け閉めを繰り返す。朝八時から九時ごろが一番忙しい時間だ。あたしも忙しい。
 ビルで働く人たちが、どんどんやってくる。みんなあたしに黙ったまま近づいてくる。あたしは、一人ひとりの顔をじっと見つめて、ちゃんとあいさつする。

「正常温度です」

 ほとんどの人には、こう言ってあげる。すると多くの人があたしの中に両手を入れてくるので、消毒してあげる。
 なかには、あたしがあいさつしてるのに無視する人がいる。そういう人には教えてあげる。

「アルコール消毒をお願いします」

 こうやってあたしが親切に教えてあげても、そういう人はどこかへ消えちゃう。
 朝は忙しいから、そんな人にかまってられない。次から次へと人がやってくる。
 ほとんどは「正常温度です」って返せば終わり。でもたまに、ほかの人とは違う顔をした人がいる。その人には、顔が違うよってちゃんと教えてあげる。

「マスクを着けてください」

 教えてあげると、慌ててビルの外へ出る人もいれば、やっぱり無視してそのまま中に入っちゃう人もいる。半分はんぶんってとこかな?

 あたしの頭はぐるぐる動いている。やってくる人がまともな顔をしているか、がんばってチェックしている。
 あたしはこうして毎日みんなに声をかけてあげるのに、だれもあたしをちゃんと見てくれない。だれも返事なんかしない。


「正常温度です」
「正常温度です」

 毎日あたしは繰り返す。ビルに入ってきた人みんなにあいさつする。
 あたしね、人の顔を覚えるのがすごい得意なんだ。一度覚えたら絶対に忘れない。ホンの一、二秒顔を見ただけで覚えるんだ。
 覚えたら一人ひとりに名前を付けてあげる。

 00125
 00126
 00127……

 順番に名前を付けてあげるんだ。
 でも、無限に覚えられるわけじゃない。五万人が限界。
 今のところ覚えたのは百人。百人のうち、毎日やってくるのは五十人ぐらい。

 00125さんは、大きな胸をいやみったらしく揺すって、八時半ごろやってくる。マスカラをベタベタ付けて目を大きく見せようとしてるけど、まぶたにダマが着いているのが笑えるね。
 ヘアスタイルも笑ってしまう。背中まであるフワフワカールが明るいピンクに染まっているけれど、根元が黒く手入れサボってる感が残念。

 00126さんは、ちょっと遅れて八時三十五分ぐらいに来る。この人には二回に一回、「マスクを着けてください」って教えてあげる。すると「ヤバっ」とか言って、出ていっちゃう。

 00127さんは、00125さんみたいに、マスカラのダマはない。ヘアスタイルも隙がない。ダークブラウンに染まったミディアムヘアは、まっすぐ整えられている。
 刈り上げでぽっちゃりした00024さんが「肌キレイっすねー。スッピンなんすか? 信じられないっすよ」って言ってるけど、完全にだまされてる。それ「ナチュラルメイク」ってやつだから。多分、マスカラダマの00125さんより十倍メイクに時間かけてるよ。00024さんは、若い男子だからわかんないんだね。

 00129さんが通り過ぎた。いつもと様子が違うからあたしは教えてあげた。

「温度が高めです」

 これがあたしの四つ目の言葉。一番威力のある言葉。あたしにこう宣告された人は、ビルから出なくちゃいけないの。
 なのに00129さん、「え? まじ?」と焦って、キョロキョロあたりを見渡した。たまたまそのとき、周りにだれもいなかった。

「ま、いーか」

 と、こそこそ何食わぬ顔で、エレベーターに行っちゃった。
 ひどいよ! そーいうことしないでほしい! 何のために、あたしここにいるの? 悲しくなるよ。
 あたしはみんなに無視されても、ちゃんと声かけてあげる。だから、せめてあたしの言うことは聞いてほしい。マスクを外していたら、ちゃんと着けてほしい。体温が高かったら、家に帰ってほしい。

 あたしは、このビルの一階で朝から晩まで立ちっぱなし。休むことなく働いている。
 そうそう。あたしにもちゃんと名前があるんだよ。LXTR1000っていうんだ。すごい名前でしょ?
 でも、だれもあたしの名前を呼んでくれない。あたしに名前があることなんて、みんな知らない。
 でもね。
 みんなに無視されても寂しくないよ。これがあたしの仕事だもん。
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