彼女の前世がニホンジン? 2 聖妃二千年の愛

さんかく ひかる

文字の大きさ
209 / 215
12章 エリオン(史師の教え)

192 アタランテの巻き毛

 エリオン、ニコス、セオドアの三人は、南の帝都エレアを目指して旅を続けていた。ネールガンドの国境を越え、南方の地ボーグへと足を踏み入れる。
 前世のアタランテだった頃、彼女は飢えに苦しむこの地を救おうとしてアトレウスと激しく対立したことがあった。その後、アトレウスに誘われ孫娘の嫁入りに付き添い、この地に入った。旅の帰り道、ようやく夫と心が通い合ったと信じていたのだが……今思えば、幻に過ぎなかった。

 村々に立ち寄るたび、エリオンは傷ついた人々を励まし、病に伏せる者を癒やした。
 ニコスは手際よく家屋を修理し、村人と共に防御の柵を築く。セオドアは村の若者たちを集めて剣技を叩き込み、「打倒、魔王ネクロザール!」と叫び、彼らを鼓舞した。

 その傍らで、エリオンは偽りの聖妃像の「破壊」を民に説いて回った。

「聖王陛下が愛したのは、聖妃アタランテ様お一人。今に伝わる『嫉妬に狂った悪妻』という醜い姿は、聖妃を妬む魔女が化けた偽りの姿なのです。この魔女こそが、地獄から魔王を引き寄せた元凶。民よ、この呪われた偽りの聖妃像を、布で覆い隠すのです」

(気づかれてはならない。私が、今に残る聖妃の姿に生き写しであることに……)

 己の過去を「魔女」として葬り去る。
 エリオンは村に立ち寄るたびに自ら髪を短く切り、正体を隠そうとした。しかし、三人の名声が高まるにつれ、村人たちは切り落とされたエリオンの髪さえも「聖遺物」として崇め始めた。なかには石碑を建て、その髪を恭しく埋葬する者まで現れる始末だった。
 エリオンは、顔に慈愛の微笑みを張り付かせた。

「ただの奉仕生に過ぎぬ私を、これほどまでに尊んでいただけるとは。皆様の信心に、どう報いればよいのか」

 圧政に喘ぐ人々は、エリオンの奇跡を目の当たりにし、彼女こそが聖王の再来、あるいは救世主ではないかと熱狂した。背中に冷や汗が流れるのを感じながら、彼女は必死に表情を保つ。

(ただ、髪が伸びるとアタランテ像に似てしまうから切っているだけなのに。こんなものに祈るなんて)

 居たたまれなさに襲われながら、エリオンはふと、前世で自分の髪を求めた「あの男」のことを思い出した。

 アタランテが三十代半ば、アトレウスが四十を過ぎた頃のことだ。
 長男イドメネウスが新妻を伴い北火山へ旅立つ前、クリュメネや五人の子供たちとささやかな宴を開いた夜。アトレウスはアタランテの部屋に入ろうとしたが、彼女はそれを拒んだ。正妃として、夫の子を身ごもっていた侍女リディアの心を、傷つけたくなかったからだ。
 アタランテが「リディアを悲しませたくない」と告げると、アトレウスは妻のブルネットの巻き毛を手に取った。

『竜の娘の力を分けてくれないか』

 アタランテは「そんなものに力などない」と突き放したが、夫は寂しげに微笑み、切り取った一房の髪に口づけをして去っていった。夫の背中にすがりつきたい衝動を抑え、一人泣き明かしたあの夜。

 切ない痛みが胸に蘇る。あの後、何度か絆を取り戻したが、彼の心の奥底には、常にアタランテへの憎しみが渦巻いていたのだろう。そうでなければ、病の妻に、心を抉るような薔薇園を見せつけるはずがない。
 切り取った髪など、ただの亡骸に過ぎない。千年経った今、あの髪は風に吹かれ、ゴンドレシアの果てへと消えたはずだ。エリオンは、重い記憶を振り払うように頭を振った。


「セオドア殿、なぜネールガンドの者は、そんなにアルゴス人を嫌うのだ?」

 野営の焚き火を囲みながら、ニコスが問いかけた。

「ニコス、貴殿も知っていよう。ネールガンド中興の祖、ニコラス公こそが聖王アトレウス陛下の正統なる直系であることを」

「それはどの領主も同じだ。我が主君レオニダス様もまた、聖王の血を引いておられる」

 セオドアは不愉快そうに顔を顰めた。

「レオニダス公は傍系ではないか! 我らが祖ニコラス公こそ、オレステス陛下のご嫡子」

 ネールガンド領主の忘れ形見の口から、堰を切ったように言葉が溢れる。

「本来ゴンドレシアの王位を継ぐべきは、我が一族であったのだ。それをレアンドロスが、大臣コメテスの息子という身分でありながら、王位を簒奪した。それがすべての間違いの始まりなのだ!」

「聞き捨てならんな。レアンドロス陛下は、ニコラス公が病弱ゆえに政務を代行されただけではないか」

「病人がネールガンドをここまで復興できると思うのか!」

 エリオンはハーブ茶で喉を潤しながら、二人の諍いを静かに聞いていた。

 オレステスにコメテス。どちらも、長男イドメネウスとクリュメネの息子。ーアタランテにとっては、愛すべき孫たちだ。あんなに小さかったオレステスが王になったという話は、どこかこそばゆい。
 だが、自分の見知らぬひ孫たちの代で、これほど根深い争いが起きていたとは。

 思い出す。アトレウスは、長男イドメネウスにことさら厳しかった。
 統一戦争の折、軍略の才に長けた次男ヒュロスに比べ、内政や調査を好むイドメネウスを、アトレウスは何度も怒鳴りつけた。

『ヒュロスに後れを取ってどうする! お前は次期国王なのだぞ、長男の意地を見せろ!』

『……父上がヒュロスに王位を譲るというのなら、私はそれに従います』

『馬鹿者が! お前がその体たらくでは、俺が死んだ後に国が分裂するぞ!』

『やめて! あなた、メナンドロス将軍を褒めていたじゃない。的確に糧食を戦地に送るって。この子もそうよ。占領地の人々をこれほど穏やかに治めているじゃない!』

『アタランテ、甘いぞ! 将軍なら一芸に秀でれば良い。だが王者は、すべてにおいて民を圧倒する存在でなければならぬのだ!』

 アトレウスが危惧した通り、絶対王者がいなくなった後、愛する子孫たちは争いを始めてしまった。それが今、目の前でいがみ合う二人の従者のルーツなのだと思うと、やりきれない。
 エリオンは、ネールガンドの若者をじっと見つめた。

「……セオドア。お前は、自分こそが王位に相応しいと思っているのか?」

 師匠の問いかけに、若者の顔が火の粉を浴びたように赤らんだ。

「そ、そのような不遜なことは……ですが」

 セオドアは、きっと唇を結ぶ。

「父は、アルゴスの権威が失われた今、王位を継げるのはネールガンドしかないと。氏素性も知れぬネクロザールなどに国を奪われたことが無念だと、いつも言っていました。それを幼心に覚えているだけです」

「二人とも、わかっているはずだ。敵は地獄の魔王。ここで仲違いすれば、それこそ奴の思う壺だ。アルゴスとネールガンドで争う時代は、もう終わったのだ」

 エリオンの静かな、だが重みのある言葉に、二人は言葉を失い、深く頭を垂れた。


 ある村の広場で、エリオンはいつものようにネクロザールが魔王であることを説いていた。真剣に聞き入る群衆の中から、突如として甲高い男の声が響いた。

「ほんとか! 王様はニセモンか!」

 声の主は、人だかりから少し離れた場所に立つ、巨体の若者だった。
 ボサボサの栗毛を掻きむしり、丸い顔を所在なげに揺らしている。
 村人たちは一斉に彼を蔑みの目を向けた。

「セルゲイじゃないか。あっちへ行け!」
「お前の来るところじゃない。消えろ!」
「寄るな、馬鹿がうつるだろうが!」

 容赦ない罵倒を浴びせられる若者を見て、エリオンはとっさに彼の前に立ちはだかった。

「やめなさい! この若者も、あなたたちと同じくネクロザールに苦しめられた同胞ではないか」

「エリオン様! そいつに関わってはいけません」

 だが、巨体の若者はその大きな体を揺らし、まっすぐエリオンを見つめた。

「おいらだって、エリオン様の声、聞きたい!」

 その真っ直ぐな言葉に、エリオンは微笑んだ。
 彼が後にボーグの初代王となる第三の勇者、セルゲイである。
感想 0

あなたにおすすめの小説

片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた

アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。 高校生くらいから何十回も告白した。 全て「好きなの」 「ごめん、断る」 その繰り返しだった。 だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。 紛らわしいと思う。 彼に好きな人がいるわけではない。 まだそれなら諦めがつく。 彼はカイル=クレシア23歳 イケメンでモテる。 私はアリア=ナターシャ20歳 普通で人には可愛い方だと言われた。 そんなある日 私が20歳になった時だった。 両親が見合い話を持ってきた。 最後の告白をしようと思った。 ダメなら見合いをすると言った。 その見合い相手に溺愛される。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました

由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。 ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。 遠い存在になったはずの彼。 けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。 冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。

冷酷公爵と呼ばれる彼は、幼なじみの前でだけ笑う

由香
恋愛
“冷酷”“無慈悲”“氷の貴公子”――そう恐れられる公爵アレクシスには、誰も知らない秘密がある。 それは、幼なじみのリリアーナの前でだけ、優しく笑うこと。 貴族社会の頂点に立つ彼と、身分の低い彼女。 決して交わらないはずの二人なのに、彼は彼女を守り、触れ、独占しようとする。 「俺が笑うのは、お前の前だけだ」 無自覚な彼女と、執着を隠しきれない彼。 やがてその歪な関係は周囲を巻き込み、彼の“冷酷”と呼ばれる理由、そして彼女への想いの深さが暴かれていく―― これは、氷のような男が、たった一人にだけ溺れる物語。

夫が勇者に選ばれました

プラネットプラント
恋愛
勇者に選ばれた夫は「必ず帰って来る」と言って、戻ってこない。風の噂では、王女様と結婚するらしい。そして、私は殺される。 ※なろうでも投稿しています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。