上 下
67 / 92
6 主人公は、あっさりワナにはまる

(10)旅の目的

しおりを挟む
 翌朝、パリスはヒポクラテスに村を案内した。

「今は、病気は治まってます。でもしばらくすると、流行るんですよ」

「症状は、何日も高熱が続き息苦しくなる。特に若者に多く、何人も亡くなったか。治っても、物忘れがひどくなり、疲れやすくなる。また、食事が美味しくなくなる……なるほど、流行り病の一種だが、他では見られない病だなあ」

 数年前から急激に世界中に広まったあの病気では? と思う方もいるだろうが、偶然だ。

「先生が流行り病を防ぐ方法を教えてくれたので、やってみたんです。前よりは治まったんですが……」

 ヒポクラテスは、ため息をついた。

「すまんなあ。わしにもお手上げ。アポロン様には敵わんよ」

「えっ! 先生でもダメなの?」

 パリスは肩を落とす。

「流行り病は一度起きてしまうと、完全になくすことはできんよ。そうだねえ、症状を抑える薬草を育てるとするかあ」

 ヒポクラテスはパリスに種を見せた。オイノネがパリスに渡したミズタマソウの種だ。

「これを、ここで育てような」

「え? いいんですか? これ、僕の診察代なのに……」

「この種は、トロイアの人がお前のために用意したんだよね」

 若者は小さく頷く。種を渡してくれた彼女、オイノネを思い浮かべる。

「その代わりパリス、アンブロシアを調達してよ」

「……やっぱり僕は、薬の調達係か……待ってもらっていいですか? 僕、やることが他にあるんです」

「お前、いっぱい旅したんだねえ」

 パリスは、両親の家に師匠を招き、これまでの旅について語った。


「なーるほどなー。お前が妙に女どもに受けがいいのは、外国の王子だからかあ。王子で外国人でイケメン。受け要素トリプルだー」

「王子はやめたんです!」

「でも、トロイアに戻るんだねえ」

「それは、おじいさんとヘルミオネを助けるためです」

「よかったなあパリス、人生の目標、見つかったねー」

「目標? それなら最初から決まってます。僕が先生に弟子入りしたのは、ここの病気をなんとかしたかったからですよ」

「そうかなあ? パリス、村の病をなんとかしたい、ってのは、町へ出る口実だったんしょ?」

 師匠はいつもと同じ調子で、サラッと剛速球を……いや、槍を放り投げた。
 パリスはしばし硬直し、やっとの思いで口を開く。

「……先生、それひどくない? 口実って、僕は本当に……」

「だってパリス、町でいつもフラフラ女と遊んでいたし」

「そんなことない! 僕、今回は真面目に修行した。あんなこと、二度と起こしたくないんだ」

 今回? あんなこと? パリスは自分の言葉に首を捻る。

「そうだねー、お前なりに真面目にやってたけど、やっぱ町暮らしを楽しんでたねー」

「先生! 僕は……人と仲良くしたいんです!」

「そりゃいいこと、いいこと。わしはね、若いもんは大いに青春を楽しむのがいいと思ってんの。健康にはそれが一番。だれも病からは逃れられんし」

「病か……先生でも病をなくすことはできないのか。病がなければ、みんな幸せになれるのに」

 パリスは悲しい顔を見せるが、話題が変わって安堵する。

「病はね、アポロン様の仕業なの。でも病と闘う力も、アポロン様がくれるの」

「なんだそれ。アポロン様って、勝手だ。どこにいるんだろう」

「神々は、遥か北のオリュンポス山に住んでるよ。遠くてここからは見えんなあ」

「いつか行って、文句言ってやる」

「落ち着きなって。あ、間違えた。他の神様はともかくアポロン様はね」

 ヒポクラテスは、まさにアポロンの太陽に向き直った。

「トロイアのどこかの山にいるんよ」

 アポロンはトロイアにいる?
 パリスは四日間の王子生活を思い出す。トロイアを守る神はアポロンだと、ヘクトルから聞かされた。

「じゃ、トロイアに行ったら、アポロン様のいる山に登ってみます」


 寝床でまどろみながら、パリスはヒポクラテスの鋭い指摘を思い出す。
 村で謎の病が流行りだしたとき、なんとかしようと町に出たはずだが……本当は、単に田舎暮らしに嫌気が指して、外に出たかったのか?
 確かに、町に出たら楽しくなり、故郷のことを忘れていた。医者修行は自分なりにちゃんとやったが、それも……あれ?

――二度とあんなことを起こしたくないから。

 あんなこととはなんだ?
 しかしパリスの疑問は、眠りの神ヒュプノスの力で、かき消されてしまった。


 故郷で迎える三日目の朝、パリスはヒポクラテスに告げられた。

「わしは、しばらく村を回って、ミズタマソウの種を育てたり、流行り病の対処法を教えたりするよ。だから、お前は旅に行ってきな」

 師匠の穏やかな微笑みに、パリスの胸が温まる。この名医が村人を診てくれることと、パリスの旅を応援してくれることに。

「先生、ありがとうございます! 必ずアンブロシアを持って帰ります」

 超ヘビーなクエストを約束して、パリスは旅に出た。仲間だったナウシカのいる島を目指して。
しおりを挟む

処理中です...