平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です

美並ナナ

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17. 変化(Sideフェリクス)

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「その顔は一体なんですの? だらしないですわよ」

フェルベルネ公爵邸の玄関口で顔を合わせて早々、マルグリットから冷たい目を向けられた。

夜会へ出席するため着飾っているマルグリットはその本性さえ知らなければ多くの男が思わず跪くような華やかな美女なのだが、悲しいかな僕にとってはただの面倒な女でしかない。

「何のことかな? 全く心当たりがないね」

一言何か言い返そうかと思ったものの、今日の僕はすこぶる機嫌が良い。

そのため首を傾げて、ただ普通に問い返した。

「心当たりがないですって? 殿下はご自分の顔を鏡で見ていらっしゃらないのかしら。その緩んだ顔、いつもの貼り付けた笑顔よりも気味が悪いですわよ」

そう指摘され、僕は自分の顔に手を当てる。

どうやらこの上機嫌がマルグリットにも分かるほどに顔に出てしまっているらしい。

「今日は侯爵家以上が集まる夜会ですわよ。王族からの出席者は殿下のみなのですから、有象無象が甘い汁を求めて寄ってくるでしょうね。気を抜いていると足元掬われますわよ」

「言われるまでもなく分かってるよ」

「それでしたらいいのですけれど。パートナーとして出席するわたくしに迷惑をかけないでくださいね? ……それにしても何があればそれほどニヤニヤした顔になるのかしら」

呆れたような視線を受けたが、僕はさらりと受け流す。

マルグリットに教えてやる義理はない。

話せば減る気がして話したくない気分だ。

 ……あの日の可愛かったシェイラの姿は、僕だけが知っていればいいからね。

夜会会場へ向けてマルグリットと共に馬車に乗り込みつつ、僕は先日の出来事に思いを馳せる。

僕とシェイラの関係に小さな変化が生まれた記念すべきあの日のことを。

◇◇◇

シェイラの元婚約者ギルバートの噂を耳にしたことから、もっと積極的に動こうと方針を決めた僕はさっそく行動に移した。

シェイラをデートに誘ったのだ。

学園や王城以外の場所で会うのが良いだろうと思ったからである。

何事も新鮮さは重要な要素だ。

いつもと違う場所で会えば、新しい刺激があるだろうし、違った展開や気持ちの変化も期待できる。

もちろんデートと言えば彼女が警戒するのは分かりきっていたので「視察」という建前を用意した。

シェイラの興味が高そうなセイゲル共和国の珍しい品を扱うマクシム商会への訪問なら乗ってくれそうだ。

授業に関連する視察だという理由もつく。

そしてその誘いを綴った手紙は学園の寮へではなく、あえてシェイラの実家である子爵邸へ送った。

彼女がちょうど実家へ帰っているという情報を得ていたのも理由の一つだが、真の狙いは他にある。

ずばり、シェイラの家族を僕の味方につけることだ。

なぜかシェイラは僕から必死に距離を取ろうとするが、普通は下級貴族であればあるほど権力者には取り入りたがるものだ。

立場の弱さを補強するため有力者の後ろ盾を得ようと誼を結びたがる。

シェイラ自身は真逆の行動を見せるものの、彼女の家族はそうではないだろうと僕は推測していた。

王太子である僕とシェイラに親交があることを知れば、必ずやこの縁を逃すなと後押ししてくれるはずだと踏んでいた。

つまりシェイラ本人へ仕掛けるのと並行して、外堀から埋める作戦に出たわけだ。

これらの策は非常に上手くいき、シェイラから色良い返事が貰えた上に、当日子爵邸へ迎えに行ったら一家総出で歓迎を受けた。

中でも特に彼女の祖母は熱烈だった。

 ……これで彼女の家族は懐柔成功。今後も心強い味方になってくれることだろうね。

乗り込んだ馬車の中で思わず僕がニンマリ笑ったのは言うまでもない。

そうしてシェイラと訪れた城下町でのデートも実に順調だった。

予定通り、マクシム商会へ向かう前にナチュールパークに立ち寄り、この時期見頃を迎えていた紅葉の鑑賞を楽しんだ。

もちろんただ楽しむだけではなく、積極的に攻めることも忘れない。

こちらから仕掛けるつもりだったので、城下町に到着して早々、馬車を降りる時にエスコートした手をそのまま離さずにいた。

明らかに動揺すらシェイラを横目に見つつ、何食わぬ顔していると、さすがに耐えかねたのか「離して欲しい」と懇願された。

まあそう言われるのは予想の範疇だったため、アッサリ受け入れつつも、手の甲に口づけを落としてみた。

目を見開くシェイラの頬に赤みが刺す。

照れている様子が見受けられ、僕を意識してくれているようで嬉しく思った。

 ……僕の方から先制攻撃はなかなか効いているみたいだね。

気を良くした僕は、鼻唄でも奏で出しそうな気分で紅葉が美しい歩道に向かって歩き出した。

先行攻撃を僕に許したシェイラからの後攻攻撃はその歩道での散策中のことだった。

シェイラが突然僕の腕を取り、身を寄せてきたのだ。

不可抗力的に腕に柔らかい感触を感じ取る。

いや、わざと当てられているのかもしれない。

「いきなりすみません。足元に落ちている葉に滑って転びそうになって。思わずフェリクス様の腕を掴んでしまいました」

そう述べつつ、僕の反応を窺っているシェイラは分かっているのだろうか。

 ……なかなか大胆な手を使ったみたいだけど、顔が真っ赤で無理して頑張ってるのが丸わかりなんだけど。相変わらず可愛いなぁ。

これで僕に嫌われようとしているとは。

色仕掛けをする女は嫌いだが、それがシェイラである以上嬉しいだけだということを、そろそろ気付いて欲しいものだ。

しばらく頑張っていたシェイラだったが、僕の反応が期待したものと違ったらしく、この手は諦めたようだ。

慌てて身体を離そうとする。

その時シェイラの身体がグラリと傾いたのが目に入り、僕は咄嗟に腕を伸ばして彼女を抱き留めた。

ふわりと石鹸の香りがシェイラの髪から香り、僕の鼻腔をくすぐる。

ちょっと離れがたいなと心底思った僕は、シェイラが無理ですと言えないくらいに言葉で追い詰めて、公園内では手を繋ぐ権利を手に入れた。

手を引いて歩きながら、彼女のことを時折観察していたが、照れてはいるものの、本気で嫌がっている様子はない。

 ……これは良い兆候じゃないかな。シェイラも僕に心を許し始めているってことだよね。

この小さな変化に喜ぶなという方が無理だ。

ずっと僕から逃げようとしてきた相手が、今大人しく僕に手を預けていて、尚且つ嫌そうにしていないのだから。

上機嫌になるのも無理からぬことだろう。

自分でもいつも以上に口角が上がっているのを感じた。

だが、絶好調とも言えるその楽しい時間は長くは続かなかった。

マクシム商会で、シェイラとマクシム男爵が顔を合わせた時に一気に消え失せたのだ。

 ……なんだ、この空気。二人だけで分かり合ってるみたいな雰囲気だけど……?

初対面であるはずの二人は、明らかにお互いを強く意識し合っていた。

それはその場の空気感からも、二人の表情からも明らかだった。

その美貌ゆえに言い寄られることが多かったからか、シェイラは他者に対して警戒心が高いところがある。

僕に対しても最初は警戒心剥き出しで、あえて過剰に丁寧に接されていた。

だというのに、マクシム男爵にはその警戒心が見られない。

慕うような瞳を向け、心を開いているのが傍目からでも分かった。

なんとなく二人の間に入りづらく感じて、つい離れて店内を見て回ったくらいだ。

 ……こうも簡単に心を許す姿を見せられたら、さすがに落ち込むなぁ。

ナチュールパークでの楽しかった気分はすっかりなりを潜め、僕は顔に貼り付けたような笑顔を浮かべるしかなかった。

しかしその笑みがおかしいと他ならぬシェイラに復路の馬車の中で見抜かれてしまった。

「無理してるように見える」、「様子がおかしい」と次々に指摘されてしまえば、お手上げだった。

 ……この際、気になるなら聞いてしまおうか。シェイラが答えてくれるかは賭けだけど。

結局僕は率直に疑問を口にした。

「……マルクス男爵とシェイラってどういう関係なの?」

「えっ!? 商会長との関係、ですか?」

予想外の質問だったのかシェイラは目を丸くした。

「商会長とはフェリクス様が思われているような関係ではありません……!」

そして慌てたようにハッキリとこう言い切ったのだが、ではなぜ初対面だったのに明らかにただならぬ空気を醸し出していたのかという疑問は尽きない。

そう重ねて問えば、シェイラは迷うような素振りを見せて逡巡している。

 ……これはやっぱり僕には話したくないってことだよね。シェイラが心を許し始めているかもと思ったのは早計すぎたなぁ……。

こっそり消沈していると、やがてシェイラは反応を窺うように水色の瞳を僕に向けてきた。

「……その質問にお答えするためには、かなり個人的な身の上話をする必要があります。とても王族の方にお話するようなお話ではないのですが……」

「そんなこと気にしなくていいよ。僕は聞かせて欲しいな」

シェイラのことならなんでも知りたい、そんな想いを込めて見つめ返せば、彼女はおずおずと語り出した。

それは亡くなった彼女のお母上の身の上話だった。

シェイラの母――アイゼヘルム子爵夫人が元平民だというのは一応知っていたが、結婚前にマクシム男爵と恋人関係だったことは初耳で驚きだった。

名前は知らなかったものの、恋人の話はお母上から聞かされていたらしいシェイラは、マクシム男爵と今日顔を合わせてピンと来たという。

同様に、お母上に顔が似ているというシェイラを見てマクシム男爵が気付くのも納得だ。

 ……それであのような空気だったのか。

納得と同時に、シェイラがなぜセイゲル語を勉強していたのかの理由にも思い至り、僕は尋ねる。

以前聞いた時には「なんとなく」と曖昧に答えたシェイラだったが、今日は本当の理由を打ち明けてくれた。

「亡くなった母を悼みたかったのかも」と瞳に悲しい影をよぎらせるシェイラは、とても儚げで今にも消えてしまいそうだった。

だから気付けば衝動的に抱きしめていた。

僕の両親は健在であるし、近しい人を亡くした経験もないため、シェイラの抱える気持ちのすべてを分かってあげることはできないのかもしれない。

でも少しでも気持ちに寄り添いたいと思った。

突然抱きしめられたことに最初は驚いていたシェイラだったが、次第に身体の力を抜いて身を預けてくれた。

身体的な距離もそうだが、なによりも今まで話してくれなかった心の内を見せてくれたことが嬉しい。

シェイラとの距離が縮まったのを僕は如実に感じた。

そしてそれこそが今、思わず顔が緩むほど僕が上機嫌である理由なのだった。

◇◇◇

「フェリクス殿下、先程噂を耳にしたのですけれど、アイゼヘルム子爵令嬢と城下町で仲睦まじくデートされたって本当ですの!?」

ゆったりとした音楽が流れる夜会会場には、エーデワルド王国を支える上級貴族の関係者が集い、華やかな時間が繰り広げられている。

夜会は伴侶探しの場としても活用されており、若い男女は目の色を変えている様子が見受けられるが、この場で伴侶探しをするつもりも必要もない僕は、マルグリットと共に爵位持ち貴族との社交に励んでいた。

正直なところ、夜会という場自体あまり好きではない。

ただどうせ交流するのならば、政務が円滑に回ることに寄与するような相手との関係を深めたい。

そう思って王城勤めの要職者との懇親を深めていたのだが、ちょうどその切れ目で、若い令嬢からの突撃を受けた。

確か最近父親が出世した侯爵家の令嬢だったはずだ。

一言二言会話を以前交わした記憶はあるが、さして親交があるわけでもない。

そんな侯爵令嬢が僕の隣にいるマルグリットをチラリと見つつ、唐突に前述の質問をしてきたのだった。

 ……なるほど。噂になってるのか。まあ、あれくらいの変装だったらバレても仕方ないしね。特に隠すつもりもなかったし。

それよりも第三者に仲睦まじく見えていたというのが嬉しい限りだ。

「さあ? ご想像にお任せするよ」

にこりと笑って僕は明言を避けた。

本当は声を大にしてそうだと言いたいところだが、ここで僕が肯定してしまえばシェイラにも迷惑がかかるかもしれないという心理が働いた。

それにマルグリットが婚約者筆頭として暗黙の了解を得ている状況も覆りかねない。

シェイラを完全な形で手に入れるまでは、マルグリットには悪いが、まだ女避けとして機能してもらいたいのだ。

その令嬢は引き際は心得ていたようで、僕が答えるつもりがないことを察すると「失礼しました」と大人しく去って行った。

「シェイラとデートですって? わたくし初めて聞くのですけれど、どういうことかしら?」

だが、周囲に人がいなくなったタイミングで、隣にいるマルグリットにジロリと横目で見ながら追求を受けた。

まるでお気に入りの人形を盗られたかのように不満げな顔をするマルグリットを相手に説明をするのは面倒だ。

僕は適当にはぐらかして、マルグリットから逃げるように一人でお手洗いへ向かうことにした。

そのお手洗いから会場へ戻る道中のことだ。

「あの、フェリクス様。どうしても相談したいことがあるのですが少々よろしいですか?」

ストラーテン侯爵家のカトリーヌ嬢がするりと僕の前に現れ、親しげに話し掛けてきた。

 ……カトリーヌ嬢に名前を呼ぶ許可は出したことがないのだけどなぁ。

「相談? 僕よりも最適な相手がこの場にはたくさんいると思うけど?」

馴れ馴れしい態度に少々の不快さを感じながら、僕は愛想良く笑い、暗に拒否を伝える。

だが、カトリーヌ嬢には僕の真意は全く伝わらなかったらしい。

「フェリクス様以上に頼りになるお方なんてこの王国内にはいませんわ! それに以前もわたくしが困っている時に学園の庭で助けてくださいましたもの。わたくしはフェリクス様のお優しさを知っていますの」

カトリーヌ嬢が言っているのは、シェイラが婚約破棄を告げられていた時のことだろう。

あれはカトリーヌ嬢を助けたわけではないのだが、彼女の中では都合良く記憶が改竄されているらしい。

「……ああ、そんなこともあったね。それこそその時に結ばれたギルバートに相談すればいいんじゃないかな?」

「ええ、本当はそうすべきなのでしょう。でもギルバート様に関わることなので相談しづらくて。……実は、婚約破棄を根に持ったシェイラ様がわたくしに嫌がらせをしてくるんです。身の危険を感じる程でわたくし怖くて怖くて……」

ため息を吐き出したい衝動を抑え、仕方なく会話を続けたら、またしてもカトリーヌ嬢はとんでもないことを語り出した。

うるうると瞳を潤ませて、「怖い…」と言いながらすがるように僕の腕に触れる。

シェイラを貶める発言も、馴れ馴れしい態度も不快すぎて吐き気を催しそうだ。

 ……不敬罪で投獄してやりたい気分だね。けど、何か企んでそうだし、シェイラに害意を向けそうな匂いがするのが気になる。ここは油断させてちょっと探りを入れておこうかな。

不愉快さをぐっと飲み込み、僕はあえて甘く微笑む。

「そういうことなら、詳しく話を聞かせてくれるかな?」

そう告げると、カトリーヌ嬢は悲しげながらも喜びを隠し切れていない顔で、シェイラを蔑める聞くに耐えない作り話をペラペラと話し始めた。

カトリーヌ嬢の妄言は最初から最後まで許しがたいものだったが、僕は相槌を打ちながら黙って聞き続けた。

探りを入れる気力も失われるほどに馬鹿馬鹿しく、これほど忍耐を試されたのは初めてかもしれない。

しかし、あえて感じ良く接したこの対応が間違いだった。

カトリーヌ嬢は完全に勘違いしてしまったようで、その日から大臣である侯爵に帯同して王城に日参してくるようになったのだ。

僕との接触の機会を狙っているらしく、王城内の一般進入可能区域で出くわすことが何度もあった。

あまりカトリーヌ嬢といるところを人に見られたくはない。

そのため手近に部屋がある時はそこへ押し込み、すぐに執事や衛兵を呼んで対応を代わってもらうようにした。

邪険に扱わずのらりくらりと応対するのもいい加減我慢の限界を迎えようとしていたちょうどその時、念のため探りを入れさせていた諜報部の者より、カトリーヌ嬢がよからぬ者達と接触の兆候ありと報告が入った。

何を企んでいるのか知らないが、もしシェイラに手を出したらタダでは済まさない。

不本意ながら、カトリーヌ嬢を油断をさせるため不快さをグッと飲み込み、僕はしばらく現状維持することを決めたのだった。
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