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最初の魔法③

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 ミーナが最初に魔力に興味を持った理由こそ別だが、彼女は先に述べた『埋もれた資源』にこそ、やはり人の可能性があるのではないのかと考えていた。もし仮に魔力を別の"なにか"と組み合わせる事が出来たならば、魔法は未知数の力を得ることが出来る、と。

 今までの魔力の概念を抱いてる者なら「やるだけ時間の無駄」と嘲笑っては切り捨てるのが普通だったが、それでも彼女はひたすらにそれを追求した。様々な可能性を打ち立ては自分を否定し、試行錯誤だけを。

 そして、五年の月日が経ち、彼女は答えを導き出した。

 それは、魔法を人の中で完結するのではなく、その枠を越えること。この世界に作られた『倫理の境界線』へ限りなく近寄る行為だった。

 それが魔物――『モンスターの力を利用すること』。

 彼女が新しく作り出そうとしている魔法は、あるモンスターの『能力』を体内へ吸収させ、それと魔力を混ぜ合わせて『新しい魔法』を作るというものだった。

 そしてそれには、モンスターがその『能力』を生み出していると思われる『身体の一部』が必要だと、彼女は睨んでいた。




 まだ理論の段階ではあるものの、そんな、魔物と同等の存在になれる、常識を越えた話を聞かされたジャックは、

「そんな簡単に上手くいくのかー?」

 と、すっかり気の抜けた様子。

「私だってまだ可能性の段階よ。だけど、いくつか考えた中でこれが一番届きそうなの」
「ホントかねぇ」

 その小馬鹿にするようなジャックの半信半疑な発言に、ミーナは少し口を尖らせては睨み「文句ある?」と言いたげな顔を見せた。その昔と変わらぬ、大きな不満を示す仕草に気付くも、今はそれに触れることなくジャックは反駁する。

「いやだってさ、ほら。それなら俺等だって魔物を食べない訳じゃないだろ? 魔物の肉とか結構旨いのあるし。なのになんで、俺等はそのまま食べてもその能力を使えないんだ?」

 それを聞いたミーナは、再会したときのようなあの気取った顔はせず、ジャックの未理解な部分を真っ直ぐに理解しようとする。そして「そのことね」と言うと机のチョークを手に取り、後ろを振り返る。そして、

「様々な説や可能性はあるけど······」

 と、そう言いながらミーナは子供でも描けそうな、簡単な人の絵を黒板へ描き始めた。絵は、瞬く間に出来上がる。が、やはり簡素なもの。人影を切り取ったような、目も口もない外輪郭だけの絵。ただ、一つ違う点を足すとしたら、その絵には体外と体内、それぞれへと向かう、二つの丸と二本の矢印が足されていた。

 ミーナはチョークを持ちながら「そうね」と言って、その絵と共に説明を始める。

「まず、私の考えでは『その部分』が、単に吸収されないのが原因だと思ってるの。人体を構成するのに必要な栄養こそ吸収するけど、人が本質的成長に備えているのとは関係ないもの、つまり、私達が『求める部分』――『能力』を、本能は『不必要な部分』と見なしてるんだと思うわ」

 栄養を象った『丸』と体内とを繋ぐ『矢印』の一本に、ミーナはバツを打つ。バツのついた矢印の元――その『丸』が、自分たちの『求める栄養』だとジャックは理解。

「ただ、それは別に魔物に限ったことではないと思うわ。大げさな話、鶏肉をどれだけ食べたって、私達には羽は生えてこないでしょ?」

 身近な物で例えたミーナに、ジャックは「たしかに」と頷く。そして、もし人の身体が全てを吸収できるのなら、今頃、人はとんでもない生き物になってるだろうな、とふと思う。ついでに、鱗のついたケンタロスとペガサスを混ぜたような、そんな異形なものになってるだろう、とも。

 ――と、ここで、ジャックはふと疑問に思う。

「じゃあさ、わざわざ魔物じゃなくても、鶏(にわとり)とか身近な動物で始めればいいんじゃないか?」

 ジャックの疑問はもっともだったが、ミーナはそれも想定済みだった。

「そういったことも、やろうと思えば可能でしょうね。でも残念ながら私の求める魔力の融合とは関係ないわ。どちらかといえばそれは薬による肉体改造だもの」

 それを聞いたジャックは「あぁ、そっか」と、ミーナが『魔法を作るのが目的』ということを思い出す。そう説かれれば、自分の言うそれは畑違いか、とジャックは気付く。

 全ての魔物がそうではないが、魔物にはただの動物には無い『人智を超えた能力』を備えている場合があった。つまり、ミーナの思惑は、その能力を魔法として身に付けようということ。

「というわけよ。まぁ、この『栄養論』は『吸収するための』私の答えで『吸収されない明確な理由』については、実は別の可能性があるのも否めないんだけどね」

 と、ミーナはチョークを置いてこの説明に区切りをつけた。

 そしてその頃、ようやく彼女の話を理解し終えたジャックが合点のいったように「あぁ、それでか」と、顎に手を当てた思案顔を持ち上げる。そして、

「だから、その『不必要な部分』を吸収する為の『調合』か」

 ミーナは上下に手をはたいて、指に付いたチョークの粉を落としていたが「そういうこと」と、ジャックのほうを指差す。

「なるほどねぇ······」

 ジャックはこの説明の前にミーナから、下調べ、探索、狩猟または採取、調合、試用、という流れで研究科は仕事をしていくことを説明されていた。またその中で、外の活動にあたる、探索と狩猟、採取だけは「必ず手伝ってもらう」というのが彼女の勅命だった。ちなみに、そんな自身とあまり関係の無い『調合』という言葉がジャックから出たのは、その単語が単に、頭の隅にポツンと残っていただけのこと。

 さておき、自分の伝えたいことがジャックへと伝わったように感じたミーナは手の粉を落とし終えると、

「まっ、この科での活動はこんなものよ。他に聞いておきたい事はあるかしら?」

 尋ねられたジャックはやや難しい顔をするも、

「いや大丈夫かな、きっと」
「ずいぶん曖昧ね」
「だって俺のやれることは決まってるだろ? 調合なんて出来ないし。だから後の部分は合間合間にでもゆっくり覚えてくよ」
「ふーん、本当かしら」

 と、調合やその他の詳細については、ジャックは今はこれ以上尋ねなかった。しかしそれは、覚えるのが面倒なだけでしょ、と言いたげな呆れた顔の彼女はすっかり見通していたが。

 ともあれ、そんなことは歯牙にも掛けず、この話が済んだと感じたミーナはふと、次の確認しておきたいことを思い出す。

「そうだ。それよりあなた、武器の扱いは出来るんでしょうね?」 
「あぁ、それなりにはいけるぞ。武器だけは」

 と、さりげなく自慢のように念を押すジャック。だが、

「あら、そう。でも折角だけど、今回ナイフだけでいいわよ」
「はぁ?」

 自慢をスルーされたことも忘れるほど、彼女の発言に耳を疑い、ジャックは思わず声を上げる。街の周辺には魔物がいる。それと会敵する可能性があるにも関わらず、剣ではなくリーチの短いナイフ。敵の懐へ入れれば戦えないこともないが、長剣に比べたら圧倒的に不利だった。

「外へ行くのにそんな軽装でいくのか?」
「えぇ、そうよ」

 もう一度「はぁ?」と若干、興奮気味のジャックに対し、ミーナはその冷めた調子で続ける。

「血が採れればいいもの」
「血?」
「そう、ドラゴンの血」
「は?」

 突如告げられたターゲットの名前。
 それもナイフで到底敵いそうもない相手。

「······」

 ジャックは意味が分からず、思考が停止したように全く言葉が出なかった。ミーナはそんなジャックを、肘を抱えるように腕を組んで見据えたままだった。

 そのまま沈黙が流れるが、ようやくしばらくして、言葉を失っていたジャックは顔の前で「いやいやいや······」と軽く手を降る。そして、気を少しずつ持ち直すと、まずその存在の真偽を確かめにかかった。

「ドラゴンなんて本当にいんのか? 俺は噂でしか聞いたことないぞ? しかも遠い地の話で」

 腕はそのままに、首をわずかに横へ傾けるミーナ。
 肩から前面へ垂れる髪が少し揺れる。

「私だってそうだったわよ。ただ最近、ドラゴンをキメリア火山で見かけたって情報が複数入ってきてね」
「あのキメリア火山に?」
「えぇ、あの火山に」
「はぁ、嘘だろ······」

 距離は少しあるが、キメリア火山はこの国の北に位置する休火山だった。

「その情報そのものは間違いないのか?」
「八割方ね」
「十じゃないのは?」
「証言時に、目撃者が情緒不安定だったから」
「んな時に聞いてやるなよ······」
「私じゃないわ」
「あぁ、そう······」

 だがともあれ、そんな状態とはいえ一人ではなく複数人の証言。ほぼ間違いない情報だろうな、とジャックは思う。

「まぁ、もしかしたら既に違う場所へ移動してる可能性もあるけど」
「それは行ってみないと分からないってわけか」
「そういうこと」

 すると、ジャックはミーナから目を逸らし、顎に手を当ててはぶつぶつと思案に耽る。そうして、誰も聞き取れないほどの音量でジャックがしばらく何かを言っていると、話を進めようとしていたミーナはあまりの奇妙さに首を傾げる。

「どうしたの?」

 純粋な疑問を持った穏やかな口調のそれに、ジャックは目を合わせては逸らし、合わせては逸らし、そして言おうか言わまいか口を曲げては悩み、腕を組んでは唸る。それは、これを言えばこいつからどんな言葉が飛んでくるだろうか、と苦慮したからだった。

 しかし、いつかは話すであろうこと、また、口を開かない限り話が進みそうもないと思ったため、ジャックは散々悩んだ挙句、その胸中を吐露する。

「いや、その······ドラゴンって近付いて大丈夫なのかなー、って」
「怖いの? 優秀なのに」

 結果、予想通り矢のように鋭い言葉が、ジャックの矜持を容赦なく貫いた。「うっ」と呻くジャックだが、なんとか倒れまいと反逆の意思を見せる。

「ん、んなことねぇし! たださ、ほら、だって凶暴なんだろ? 南地区のパン屋のチャックなんか、叔父がそれで腕を失ったって、鋭い牙が一瞬で骨ごと噛み千切ったって怖々話してたぜ。お前の細い身体なんかあっという間に、ガブッ! ってなって、あの世行き間違いな――」

 と、ドラゴンの牙を両手で模して上下に動かし、噛み付く仕草をした所で、彼女に、再会してから今までで一番に冷めた視線を送られていることに気付き、ジャックはどこか情けなくなるとその手を止めた。

 わざとらしく、無駄に、大袈裟に、やれやれ、というようにミーナは深く溜息を吐いた。完全に馬鹿にした様子。

「そのために、囮(あなた)がいるんでしょ?」
「おい」
「冗談よ」

 だが、蔑む目を向けられるジャックは、こいつならやりかねない。と、疑いに満ちた細目をしていた。

 ――と、そんな彼女の態度にジャックが悄然としていると、ミーナは突然、窓の外――城の中央部のほうへと顔を背ける。そして、先とは違う小さな溜め息を吐き「本当は」と言うと、続けて愚痴をこぼした。

「本当はドラゴンを倒したいのだけれど、どう考えても私たち二人じゃ無理よねぇ? 上層部に協力を仰いだけど、人手不足だから無理、ってすげなく断られるし、たとえそうでなくても、成果も実績もないこんな所には人も兵器も割いちゃくれないし······。ホントもう、やってられないわ。まったく。あの恩知らず共め」

 平静な口調ではあるが感情を露にし、終いには言葉汚くするミーナは、ジャックと再会してから一番に口を尖らせていた。

 少し目を丸くするジャックは、あの上官が、ミーナのお陰で武器が強くなったと言っていたことをふと思い出す。あの彼の言葉や人柄、またこの幼馴染が「上層部」というあたり、残念ながらそういった決定権は人の良さそうなあの司令官とは別の誰かにあるんだろうな。と、ジャックは軽く同情を覚える。そして、

「······哀しいな」
「ホント」

 いつの間にか矢で負傷していたはずのジャックは、すっかり彼女に共感していた。

 そうして、そんなこんなになりつつも、ミーナは気持ちを切り替えて、ドラゴンと接触した際のことへ話を戻す。

「だから、二人で出来る作戦を考えたの」
「作戦?」

 ミーナは「えぇ」と頷いて、黒板に重要な点を書き記していく。先の人体の絵は消され、今度は箇条書きでつらづらと要項が記されていった。長々となっていくその文を見るジャックは、一人でもうそこまで考えてんのな。と、白衣に垂れる髪を見ながら軽く呆れた。

 程なくして、要点を書き終えたミーナ。

 彼女はジャックのほうを振り向いては「まずこれからいくわ」と、先の理論を説明した時のようにチョークを持ちながら語り始める。

「文献によると、ドラゴンの皮膚は鱗に覆われていて刃も通さないらしいの」
「ん?」

 と、いきなりから疑問を抱かざるを得ないジャックは、思わず口を挟んだ。

「なぁそれって本末転倒だろ。だって血を採るんだろ? いくらドラゴンとはいえ傷付けなきゃ血は――」
「そう急かさないで」

 それをこれから説明するから、というようにミーナは言う。ジャックは仕方なく追及を止め、とりあえず耳を傾けることに。

 彼女は説明を続ける。

「いい? ドラゴンの身体は、鱗で全体が覆われているように見えるけど、実はその一枚一枚にはわずかに隙間があるの、手の入れられるくらいの僅かなね。つまり、今回やる作戦は、そこを手で持ち上げて、ナイフを刺し込み、皮膚を傷付けるのってことなの」

 と、あたかも上策で当たり前のように語る彼女へ、

「······いや、それ作戦って言うのか?」
「何も知らずに突っ込むよりはマシでしょ?」

 釈然としないが、ジャックはとりあえず唸るように頷く。
 それを見てミーナは話を続ける。

「そして切ったら、今度は傷口付近にこの瓶を突っ込んで血を集めるの」

 そうするとミーナは、ポケットから取り出した瓶を机の上にトンッと置く。手の中に収まりそうな程の小さなガラス瓶だった。

「――で、ある程度集めたら木栓をして、撤収。簡単でしょ?」

 と、彼女は説明を終えるが、

「······いや、それ誰がやるんだよ」

 と、ジャックはジト目でミーナに尋ねる。だが、当の彼女は言うまでもないという目でジャックを見る。「おかしいだろ」と眉が綺麗な八の字になるほど、ジャックは眉間にシワを寄せていた。

 そしてしばらくミーナを睨む。

 ――が、こいつがやると決めたらやるんだろうな。と、ここまでのことを思い出し、溜め息と共に折れる。すると、

「やる事は分かった?」

 そう尋ねる彼女に、ジャックは仕方なく覚悟を決めると、もう一度深く溜息を吐く。そして、

「あぁ、しっかりと。昔と違って危険だな」
「そうね。でも、新しい事に危険は付き物なのよ」
「なに一丁前なこと言ってんだ」
「一丁前よ」
「んなら一人で行こうとしねぇだろ」
「それは上のせいよ」
「まだ言うか」

 と、苦笑するとはいえ、自分のやることをしっかり理解したジャックは、

「まぁともあれ――」

 椅子から腰を上げ、凝り固まった身体を解すように手を組んで天井へ高く伸ばす。そして、その腕をぶらりと下ろすと軽く笑っては一言。

「本当に、魔法が出来ることを願うよ」
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