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赤い髪の(小)悪魔④
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ジャックはフィリカを連れて先陣を切り、ミーナの待つ方へと走り出していた。しかし来た時とは違い、ナイフや手でツタを乱雑に扱っては足に絡まぬことだけをただ注意して。
取りきれなかった果実が、次々透明から黒へと変わっていた。
そして、その異常事態はすぐに外の彼女にも伝わる。
「ちょっと、どうしたの!?」
「ミーナ、まずい! 実を潰した!」
ジャックは戸惑う彼女に、単純に、分かりやすく、簡潔に、最小限で伝えた。彼女はそれで状況を把握。
「はぁ!? なにやってんのよ!?」
ミーナは怒気を含んで叫んだ。両手で髪を乱したくなるほどの衝動に駆られるが堪えていた。
そしてしばらくしてその彼女の元へ、切り落とされたツタの中から現れるジャックとフィリカが合流。――するも、ジャックは軽く息を乱しながらもペースを落とすことなく、ミーナの肩を掴んでは半ば強引に後ろを振り向かせ、押しては進むように催促。
「ちょ、ちょっと――」
「とりあえず森を出るぞ。詳しいことは走りながら話す」
そう。まだ立ち止まって話す余裕はなかった。それを理解したミーナは、不満ながらも今はその指示に従って足を動かす。
三人は来た道を戻って森の外へと向かう。そして、三人で出せる最高速度で一分ほどをかけ、ようやく人によって踏み固められた、草木も生えぬ獣道へ。
そこまで行くとより視界が開けたため、少しだけ走るペースを落としては辺りを警戒しつつ体力の回復を図る。そこで走りながら、窮地の抜け道を駆け始めたと感じた、横一列に並ぶ三人のうち真ん中を走る少女が口を開いた。
「ねぇなんで!? 上手くいってたんじゃないの!?」
彼女はジャック達が何をしたのかは理解していたものの、この状況に至るまでの経緯(いきさつ)は全く分かっていなかった。故に彼女は嘆くようにジャックを見ていた。
そんなジャックは、
「いや、上手くはいってたんだよ。ただ、いつ落ちたか分からない黒の実を俺が倒れた拍子に潰しちゃったらしくてさ」
と、やけに余裕ある落ち着いた口調で答える。そして、実によって汚れた自身の服を前へ伸ばすように引っ張っては「ほら」と言って隣の少女へと見せた。
それを見た途端少女――ミーナは呆れで眩暈を起こしそうだった。靴でも尻でも背中でもなく、まさかの腹で潰してたなんて、と。彼女は中空を仰いでは目を瞑り、その馬鹿馬鹿しさのあまり言葉を失くす。
「まぁ潰れたもんはしょうがないだろ」
起きたことは仕方ない、覆水盆に返らずというように彼は口にするが、当然それで彼女の怒りが収まるはずもなく、それはむしろ火に油。
「しょうがないだろ、じゃないわよバカっ! 普通潰したらまず気付くでしょそんなもん! 実も固さを増すってのに!」
手のひらを見せるように両手を大きく広げ、ミーナはひどい剣幕でまくし立てる。だが、ジャックは変わらず平然とした調子で、
「いや、俺も最初は石かなんかだと思ったよ。でも疑問に思う前に腹に当たる感触がなくなって、気のせいかなぁ、って思ったんだ。なんか染みてるなぁとも思ったけどさ、それも俺はてっきり水溜まりか露だとでも思ってたんだ」
それを聞いてミーナは、なによそれ、と、ひどく顔を歪ませ、わなわなと手を震わせて拳を握りかけては広げ、また握りかけてはを広げを何度も繰り返す。
「そんだけ感じたなら一回ぐらい確認しなさいよバカっ!」
「んなこと言うけどな、俺、疲労で足ガクガクだったんだぜ? 立ち上がる気も起きないほどに」
「知らないわよ、そんなあんたの調子なんか!」
もはや無茶苦茶な言い分をし始めるミーナ。――と、ここで、怒る彼女の右側から、自分にも責任の一端があると思っていたフィリカが口を挟む。
「ミーナさん。あまりジャックさんを責めないでください」
「······どうしてよ」
「私、ジャックさんが倒れる前、足元を尋ねられてたんです。その時何かあることには気付いてたんですが、ツタではないと安心して、つい大丈夫と言ってしまったんで――」
「そんな些細なことはもうどうでもいいの!」
申し訳なさそうにフィリカは言うが、頭に血が上っているミーナは、彼女の言葉を最後まで聞かず途中で言葉を遮った。向けられた怒声に思わず身を縮めるフィリカ。だが、
「私は今、いつも以上にどうしようもない、この馬鹿の呑気さに腹が立ってるのよ!」
「す、すみませ······あへっ?」
彼女は目を丸くし、呆気に取られた。ここでようやく、怒りが自分達に向けたものではないと気付いて。
確かに、ミーナの怒りの一部には二人に対するそれもあった。だが、それは言葉通り彼女とってはやはり些細なことで、それこそ『仕方のないこと』だと途中から思っていた。問題は彼女の幼馴染の発見と対応の遅さ。そしてこの様子。この二つだけだった。
隣を走る彼女の怒りがそれと知り、ほっとするフィリカ。――が、この時、彼女は別のことにも気付いてしまう。発見に何故そこまで遅れたのか、そこに関してはまだ詳しく触れてないことを。そして、それについては完全に負い目となる心当たりがあったフィリカは、故に、そこを追及されたら言い訳のしようがない。と、ある結論に至った。
「えー、あっ、そうでしたかぁ······。じゃあ私は何も······」
触らぬ神に祟りなし。彼一人に向け柳眉を逆立てている彼女をわざわざ逆撫でする必要もない。これ以上無用な口出しはやめよう。わざわざ怒られたくないし。と、最後には自分の身を案じ、フィリカは大人しく身を引くことを選んだ。
と、そんな狡(ずる)さをいざ知らず、その後もミーナはフィリカと逆にいる彼に対して怒り続けた。
「はぁ、ありえない······! 大体なんでまず、あんたまだその服着てんのよ! そんなの着てたらどれだけ逃げたって魔物おびき寄せちゃうじゃない!」
「いやそうは言うけどさ、俺これ一枚だし、上半身裸で森の中走るわけにも行かないだろ? 枝は引っ掛かるし、あのツタだって擦ると結構痛いもんなんだぜ?」
と、腕の所々にできた擦過傷をミーナに見せる。――が、
「知らないわよそんなもん! 元々半袖の癖に何言ってんのよ!? それにもうここまで来たらそんなの関係ないでしょ! いいからそんな服さっさと脱いでさっさと捨ててよ、もう! あああぁ!」
今のミーナに、森を上半身裸で走るような野蛮人に対する余裕はなかった。
「そうカッカすんなって。怒っても疲れるだけだぞ?」
「その怒らせてるのは誰よ! こっちはあんた等が遅い時から苛々してたのよ! ホントは!」
「まぁ、落ち着けって、怒るとシワが増えるって言うぜ?」
「うるさい!!」
「あ、そうそう。そうだ、いいもんあんだよ。――フィリカ、アレ渡してやれよ? こいつ怒ってばっかだしさ」
「えっ? あっ、は、はい」
不意にも、『優しく傍観』を決め込んでいたフィリカに事が振られる。フィリカはそれに従おうか一瞬迷ったが、直前にミーナが『あんた達』と口にしていたため、その後の危機を予想しジャックに従う。
話の流れからして自分の鞄に入ってる物だろう。と察するフィリカは手を後ろへ伸ばす。そして手探りでその一つを掴もうとした。――が、その時フィリカは思う。
何故、彼がここまで彼女を怒らせるような真似をしているのか。
その疑問が頭を逡巡するが、すぐにあの木の下で自分が口にしていたことを思い出し一つの仮説を立てる。これはもしや、後で叱られるの可能性を鑑みた彼が、同時にここで全てを流してしまおうという魂胆を持っているからでは? と。それならやけに落ち着いていることも、やけに彼女を刺激するような態度なのも、全てがフィリカには納得がいった。
そして、敵を策に嵌めるのなら、まず冷静さを欠かせることが大事だと、本で得た知識をフィリカは思い出す。また、人の怒りというのは早いうちに爆発させ、鎮めさせたほうが根に持ちにくいということも。
フィリカはこの時初めて、ジャックという人間を少し理解。
また、彼女の想像はおおむね間違っていなかった。
ジャックは、あのツタが巡る場所からこの獣道へ出るまでの一分足らずで、必ず咎められるであろう事をどう説明――言い訳するかに頭をフル回転させていた。通常ならば一分という時間じゃ時間は足りなかったであろうが、今回は違った。
すぐに答えが見つかっていた。
それこそが天啓――ミーナの怒りを鎮めるための切り札だと、ジャックは思った。自身でも納得のいく、それでいて、同じ女子でミーナの事をよく知るフィリカのお墨付きとあればそれを利用しない手はない、と。
その絶対に近い確証があったからこそ、ジャックは落ち着いていた。
そう。これまでの落ち着きは、全てここでこの会話を引き出すためだけに交わされたものだった。そしてさっきの『あんた達』という彼女の言葉。ジャックはそれをずっと待っていた。このままいけば必ず「どうしてそんな時間がかかったの?」という展開は避けられない。
どうしてジャックは自らそんな窮地へ行くのか。それは、待たせていたことには自分も入ってる事を同じく罪を犯した少女に危惧させるため。同じように罪を犯した少女――フィリカに、間違っても離反されることのないようにするためのものだった。そこまでジャックは考えていた。
そして、当のフィリカはここまでの思惑には勿論気付いていなかった。時間があれば考えを見直しただろうが、彼女はすっかり、これはまずい。と思い込み、憧れの人に嘘をつくのは忍びないが、誤魔化す程度ならいいだろう、と心で妥協。加えて、やっぱ怒られるのは嫌、と思っていた。
それ故に、
「ミーナさん。とりあえず、これでも食べて落ち着いてください」
フィリカは見事に、ジャックの策へと嵌まる。
彼女は鞄からあの透明な実を一つ取り出すと逆の手でミーナの右手を掴み「はい」と、その掌に乗せた。拒否する間もなく強引に乗せられたそれを、ミーナはまるで上から冷たい視線で見下すように凝視。そしてその冷めた目のままにジャックのほうを睥睨。
「······なによこれ」
「あの実だよ」
「分かってるわよ!」
「ミーナさんに食べてもらいたくて採ってきたんです」
フィリカは、妹が姉にプレゼントを送るように、優しさで満ち満ちした笑みを湛える。もはや悪びれる様子もなく。
そこに、
「滋養強壮にも良いって本に書いてあったろ? それに走りながらの水分補給にもいいからとりあえず食ってみろって? 驚くから」
ジャックはデタラメな嘘を混ぜ、そこにさらに信憑性を持たせては彼女がその実を食べるように仕向ける。
「······」
鋭い目付きのミーナだが、主に怒ってではあるものの喉が乾いていることには代わりなかった。そして、自身の手に乗る果実を胡乱(うろん)な眼で見る。
「大丈夫だって。別に変なもんじゃねぇから」
「そうですよ。ミーナさんもきっと喜びますって」
ここまで来れば、後は未知の食べ物を口に入れる抵抗を取り払うだけだった。故に、囃し立てる二人。
ジャックはともかく、フィリカが言うのなら、とその実を食べることを渋々受け入れるミーナ。先の「食べてもらいたくて」というあの言葉が特に効いていた。
そしてついに、ミーナはその実を口元へ運び、唇を当ててはゆっくりとその実を齧る。
直後だった。
「んっ!」
ミーナは目を見張り一声。そして実を見ながら、
「んんっ! なにこれ!? うんまああぁい!!」
「だろー?」
「ほっぺ落ちそうー!!」
「でしょでしょー?」
彼女は走りながらも頬に手を当て、幸せそうな顔でその実を食べていた。それを見た二人は、ミーナのやや後ろ、彼女の見えぬ位置で目を合わせ、ジャックは「やったな」と言うようにグーサイン。フィリカも「やりましたね」と言うように頷いた。辛くも、二人の目標は達成された。
これで、怒られることはない、と安心する二人。
――が、それも束の間だった。
「ねぇ」
突如、ドスの効いた、蛇が蛙を睨むような声が二人の耳に響いた。身体をビクッと震わせるジャックとフィリカ。二人が視線をやや前に戻すと、いつの間にか彼女はその実を食べ終えていた。
「フィリカ、私も喜ぶってどういうこと?」
変わらぬ声で彼女は言う。
「ジャック、どうして水分補給にいいだなんて知ってるの?」
前の彼女の表情は窺えなかった。
「あんたたち。やけに遅いなーとは思ってたけどさ、もしかして、これ食べてて遅れたの?」
突如的を射たその追及に、二人は動揺を隠せなかった。
すっかり冷や汗が溢れている。
――と、いち早く危険を察した彼女が、しどろもどろながら、
「い、い、い、いや、わわ、私はやめた方がいいってジャックさんにいったんですよぉ? でもこの人が勝手に——」
「ばかっ、嘘つけ! お前なに言ってんだ! 裏切るのか!? お前キラッキラッした目で『私も!』なんて言ってたじゃねぇか! ふざけんな!」
と、共犯仲間を見捨てるフィリカと、道連れにしようとするジャック。もはや全てを暴露しているようなものだが、今はもう互いにどう相手を貶めるかだけに尽力していた。責任を擦り付けるようにして。
「ジャックさんがあんな美味しそうに食べなければそうは思わなかったですよ! あんな顔して食う方が悪いんです!」
「んだと!? 俺は親切に実を採ってやったのにその言い方はなんだ!? それに、ミーナに食べさせたら怒りもたちまち吹っ飛ぶなんて言ったのはお前だろ!?」
「それは言っただけですよ! あくまで例えです! 誰が実行すると思うんですか!」
「はぁ!? 俺はお前のその言葉を信じたのに、なんで俺だけ悪者みたいならなきゃなんねぇんだ! 大体お前もノリノリに実を鞄に——」
その時だった。
「ねぇ」
またも、あの睨め付けるような声が、二人の会話を遮った。
まるで喋る権利を剥奪され、黙る二人。
「あんたら、帰ったら覚えてなさい」
「はい······」「はい······」
二人の思惑通りには、ミーナは冷静にはなっていた。
取りきれなかった果実が、次々透明から黒へと変わっていた。
そして、その異常事態はすぐに外の彼女にも伝わる。
「ちょっと、どうしたの!?」
「ミーナ、まずい! 実を潰した!」
ジャックは戸惑う彼女に、単純に、分かりやすく、簡潔に、最小限で伝えた。彼女はそれで状況を把握。
「はぁ!? なにやってんのよ!?」
ミーナは怒気を含んで叫んだ。両手で髪を乱したくなるほどの衝動に駆られるが堪えていた。
そしてしばらくしてその彼女の元へ、切り落とされたツタの中から現れるジャックとフィリカが合流。――するも、ジャックは軽く息を乱しながらもペースを落とすことなく、ミーナの肩を掴んでは半ば強引に後ろを振り向かせ、押しては進むように催促。
「ちょ、ちょっと――」
「とりあえず森を出るぞ。詳しいことは走りながら話す」
そう。まだ立ち止まって話す余裕はなかった。それを理解したミーナは、不満ながらも今はその指示に従って足を動かす。
三人は来た道を戻って森の外へと向かう。そして、三人で出せる最高速度で一分ほどをかけ、ようやく人によって踏み固められた、草木も生えぬ獣道へ。
そこまで行くとより視界が開けたため、少しだけ走るペースを落としては辺りを警戒しつつ体力の回復を図る。そこで走りながら、窮地の抜け道を駆け始めたと感じた、横一列に並ぶ三人のうち真ん中を走る少女が口を開いた。
「ねぇなんで!? 上手くいってたんじゃないの!?」
彼女はジャック達が何をしたのかは理解していたものの、この状況に至るまでの経緯(いきさつ)は全く分かっていなかった。故に彼女は嘆くようにジャックを見ていた。
そんなジャックは、
「いや、上手くはいってたんだよ。ただ、いつ落ちたか分からない黒の実を俺が倒れた拍子に潰しちゃったらしくてさ」
と、やけに余裕ある落ち着いた口調で答える。そして、実によって汚れた自身の服を前へ伸ばすように引っ張っては「ほら」と言って隣の少女へと見せた。
それを見た途端少女――ミーナは呆れで眩暈を起こしそうだった。靴でも尻でも背中でもなく、まさかの腹で潰してたなんて、と。彼女は中空を仰いでは目を瞑り、その馬鹿馬鹿しさのあまり言葉を失くす。
「まぁ潰れたもんはしょうがないだろ」
起きたことは仕方ない、覆水盆に返らずというように彼は口にするが、当然それで彼女の怒りが収まるはずもなく、それはむしろ火に油。
「しょうがないだろ、じゃないわよバカっ! 普通潰したらまず気付くでしょそんなもん! 実も固さを増すってのに!」
手のひらを見せるように両手を大きく広げ、ミーナはひどい剣幕でまくし立てる。だが、ジャックは変わらず平然とした調子で、
「いや、俺も最初は石かなんかだと思ったよ。でも疑問に思う前に腹に当たる感触がなくなって、気のせいかなぁ、って思ったんだ。なんか染みてるなぁとも思ったけどさ、それも俺はてっきり水溜まりか露だとでも思ってたんだ」
それを聞いてミーナは、なによそれ、と、ひどく顔を歪ませ、わなわなと手を震わせて拳を握りかけては広げ、また握りかけてはを広げを何度も繰り返す。
「そんだけ感じたなら一回ぐらい確認しなさいよバカっ!」
「んなこと言うけどな、俺、疲労で足ガクガクだったんだぜ? 立ち上がる気も起きないほどに」
「知らないわよ、そんなあんたの調子なんか!」
もはや無茶苦茶な言い分をし始めるミーナ。――と、ここで、怒る彼女の右側から、自分にも責任の一端があると思っていたフィリカが口を挟む。
「ミーナさん。あまりジャックさんを責めないでください」
「······どうしてよ」
「私、ジャックさんが倒れる前、足元を尋ねられてたんです。その時何かあることには気付いてたんですが、ツタではないと安心して、つい大丈夫と言ってしまったんで――」
「そんな些細なことはもうどうでもいいの!」
申し訳なさそうにフィリカは言うが、頭に血が上っているミーナは、彼女の言葉を最後まで聞かず途中で言葉を遮った。向けられた怒声に思わず身を縮めるフィリカ。だが、
「私は今、いつも以上にどうしようもない、この馬鹿の呑気さに腹が立ってるのよ!」
「す、すみませ······あへっ?」
彼女は目を丸くし、呆気に取られた。ここでようやく、怒りが自分達に向けたものではないと気付いて。
確かに、ミーナの怒りの一部には二人に対するそれもあった。だが、それは言葉通り彼女とってはやはり些細なことで、それこそ『仕方のないこと』だと途中から思っていた。問題は彼女の幼馴染の発見と対応の遅さ。そしてこの様子。この二つだけだった。
隣を走る彼女の怒りがそれと知り、ほっとするフィリカ。――が、この時、彼女は別のことにも気付いてしまう。発見に何故そこまで遅れたのか、そこに関してはまだ詳しく触れてないことを。そして、それについては完全に負い目となる心当たりがあったフィリカは、故に、そこを追及されたら言い訳のしようがない。と、ある結論に至った。
「えー、あっ、そうでしたかぁ······。じゃあ私は何も······」
触らぬ神に祟りなし。彼一人に向け柳眉を逆立てている彼女をわざわざ逆撫でする必要もない。これ以上無用な口出しはやめよう。わざわざ怒られたくないし。と、最後には自分の身を案じ、フィリカは大人しく身を引くことを選んだ。
と、そんな狡(ずる)さをいざ知らず、その後もミーナはフィリカと逆にいる彼に対して怒り続けた。
「はぁ、ありえない······! 大体なんでまず、あんたまだその服着てんのよ! そんなの着てたらどれだけ逃げたって魔物おびき寄せちゃうじゃない!」
「いやそうは言うけどさ、俺これ一枚だし、上半身裸で森の中走るわけにも行かないだろ? 枝は引っ掛かるし、あのツタだって擦ると結構痛いもんなんだぜ?」
と、腕の所々にできた擦過傷をミーナに見せる。――が、
「知らないわよそんなもん! 元々半袖の癖に何言ってんのよ!? それにもうここまで来たらそんなの関係ないでしょ! いいからそんな服さっさと脱いでさっさと捨ててよ、もう! あああぁ!」
今のミーナに、森を上半身裸で走るような野蛮人に対する余裕はなかった。
「そうカッカすんなって。怒っても疲れるだけだぞ?」
「その怒らせてるのは誰よ! こっちはあんた等が遅い時から苛々してたのよ! ホントは!」
「まぁ、落ち着けって、怒るとシワが増えるって言うぜ?」
「うるさい!!」
「あ、そうそう。そうだ、いいもんあんだよ。――フィリカ、アレ渡してやれよ? こいつ怒ってばっかだしさ」
「えっ? あっ、は、はい」
不意にも、『優しく傍観』を決め込んでいたフィリカに事が振られる。フィリカはそれに従おうか一瞬迷ったが、直前にミーナが『あんた達』と口にしていたため、その後の危機を予想しジャックに従う。
話の流れからして自分の鞄に入ってる物だろう。と察するフィリカは手を後ろへ伸ばす。そして手探りでその一つを掴もうとした。――が、その時フィリカは思う。
何故、彼がここまで彼女を怒らせるような真似をしているのか。
その疑問が頭を逡巡するが、すぐにあの木の下で自分が口にしていたことを思い出し一つの仮説を立てる。これはもしや、後で叱られるの可能性を鑑みた彼が、同時にここで全てを流してしまおうという魂胆を持っているからでは? と。それならやけに落ち着いていることも、やけに彼女を刺激するような態度なのも、全てがフィリカには納得がいった。
そして、敵を策に嵌めるのなら、まず冷静さを欠かせることが大事だと、本で得た知識をフィリカは思い出す。また、人の怒りというのは早いうちに爆発させ、鎮めさせたほうが根に持ちにくいということも。
フィリカはこの時初めて、ジャックという人間を少し理解。
また、彼女の想像はおおむね間違っていなかった。
ジャックは、あのツタが巡る場所からこの獣道へ出るまでの一分足らずで、必ず咎められるであろう事をどう説明――言い訳するかに頭をフル回転させていた。通常ならば一分という時間じゃ時間は足りなかったであろうが、今回は違った。
すぐに答えが見つかっていた。
それこそが天啓――ミーナの怒りを鎮めるための切り札だと、ジャックは思った。自身でも納得のいく、それでいて、同じ女子でミーナの事をよく知るフィリカのお墨付きとあればそれを利用しない手はない、と。
その絶対に近い確証があったからこそ、ジャックは落ち着いていた。
そう。これまでの落ち着きは、全てここでこの会話を引き出すためだけに交わされたものだった。そしてさっきの『あんた達』という彼女の言葉。ジャックはそれをずっと待っていた。このままいけば必ず「どうしてそんな時間がかかったの?」という展開は避けられない。
どうしてジャックは自らそんな窮地へ行くのか。それは、待たせていたことには自分も入ってる事を同じく罪を犯した少女に危惧させるため。同じように罪を犯した少女――フィリカに、間違っても離反されることのないようにするためのものだった。そこまでジャックは考えていた。
そして、当のフィリカはここまでの思惑には勿論気付いていなかった。時間があれば考えを見直しただろうが、彼女はすっかり、これはまずい。と思い込み、憧れの人に嘘をつくのは忍びないが、誤魔化す程度ならいいだろう、と心で妥協。加えて、やっぱ怒られるのは嫌、と思っていた。
それ故に、
「ミーナさん。とりあえず、これでも食べて落ち着いてください」
フィリカは見事に、ジャックの策へと嵌まる。
彼女は鞄からあの透明な実を一つ取り出すと逆の手でミーナの右手を掴み「はい」と、その掌に乗せた。拒否する間もなく強引に乗せられたそれを、ミーナはまるで上から冷たい視線で見下すように凝視。そしてその冷めた目のままにジャックのほうを睥睨。
「······なによこれ」
「あの実だよ」
「分かってるわよ!」
「ミーナさんに食べてもらいたくて採ってきたんです」
フィリカは、妹が姉にプレゼントを送るように、優しさで満ち満ちした笑みを湛える。もはや悪びれる様子もなく。
そこに、
「滋養強壮にも良いって本に書いてあったろ? それに走りながらの水分補給にもいいからとりあえず食ってみろって? 驚くから」
ジャックはデタラメな嘘を混ぜ、そこにさらに信憑性を持たせては彼女がその実を食べるように仕向ける。
「······」
鋭い目付きのミーナだが、主に怒ってではあるものの喉が乾いていることには代わりなかった。そして、自身の手に乗る果実を胡乱(うろん)な眼で見る。
「大丈夫だって。別に変なもんじゃねぇから」
「そうですよ。ミーナさんもきっと喜びますって」
ここまで来れば、後は未知の食べ物を口に入れる抵抗を取り払うだけだった。故に、囃し立てる二人。
ジャックはともかく、フィリカが言うのなら、とその実を食べることを渋々受け入れるミーナ。先の「食べてもらいたくて」というあの言葉が特に効いていた。
そしてついに、ミーナはその実を口元へ運び、唇を当ててはゆっくりとその実を齧る。
直後だった。
「んっ!」
ミーナは目を見張り一声。そして実を見ながら、
「んんっ! なにこれ!? うんまああぁい!!」
「だろー?」
「ほっぺ落ちそうー!!」
「でしょでしょー?」
彼女は走りながらも頬に手を当て、幸せそうな顔でその実を食べていた。それを見た二人は、ミーナのやや後ろ、彼女の見えぬ位置で目を合わせ、ジャックは「やったな」と言うようにグーサイン。フィリカも「やりましたね」と言うように頷いた。辛くも、二人の目標は達成された。
これで、怒られることはない、と安心する二人。
――が、それも束の間だった。
「ねぇ」
突如、ドスの効いた、蛇が蛙を睨むような声が二人の耳に響いた。身体をビクッと震わせるジャックとフィリカ。二人が視線をやや前に戻すと、いつの間にか彼女はその実を食べ終えていた。
「フィリカ、私も喜ぶってどういうこと?」
変わらぬ声で彼女は言う。
「ジャック、どうして水分補給にいいだなんて知ってるの?」
前の彼女の表情は窺えなかった。
「あんたたち。やけに遅いなーとは思ってたけどさ、もしかして、これ食べてて遅れたの?」
突如的を射たその追及に、二人は動揺を隠せなかった。
すっかり冷や汗が溢れている。
――と、いち早く危険を察した彼女が、しどろもどろながら、
「い、い、い、いや、わわ、私はやめた方がいいってジャックさんにいったんですよぉ? でもこの人が勝手に——」
「ばかっ、嘘つけ! お前なに言ってんだ! 裏切るのか!? お前キラッキラッした目で『私も!』なんて言ってたじゃねぇか! ふざけんな!」
と、共犯仲間を見捨てるフィリカと、道連れにしようとするジャック。もはや全てを暴露しているようなものだが、今はもう互いにどう相手を貶めるかだけに尽力していた。責任を擦り付けるようにして。
「ジャックさんがあんな美味しそうに食べなければそうは思わなかったですよ! あんな顔して食う方が悪いんです!」
「んだと!? 俺は親切に実を採ってやったのにその言い方はなんだ!? それに、ミーナに食べさせたら怒りもたちまち吹っ飛ぶなんて言ったのはお前だろ!?」
「それは言っただけですよ! あくまで例えです! 誰が実行すると思うんですか!」
「はぁ!? 俺はお前のその言葉を信じたのに、なんで俺だけ悪者みたいならなきゃなんねぇんだ! 大体お前もノリノリに実を鞄に——」
その時だった。
「ねぇ」
またも、あの睨め付けるような声が、二人の会話を遮った。
まるで喋る権利を剥奪され、黙る二人。
「あんたら、帰ったら覚えてなさい」
「はい······」「はい······」
二人の思惑通りには、ミーナは冷静にはなっていた。
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