騎士様も異世界人

キマイラ

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 石造りの窓しかない部屋で目覚めた人間の心情を三十字以内で述べよ――なんて試験問題がもしも学生時代にあったならそんな馬鹿なことはあるかと思いながら適当に空欄を埋めただろう。

 混乱と恐怖。

 それ以外なかった。夢じゃないかと疑う気持ちも十分ある、むしろそうであれと願っている。けれど脈打つ鼓動が、緊張から浅く早くなる呼吸が訴えるのだ。これは現実であると。

 ここにいるのは私の意志ではないから誘拐されたのかもしれない。

 ……いったいなんの為に? 私はお金が有るわけでも美しいわけでもない普通のどこにでもいるような女で、そんな人間を攫うメリットが誘拐犯にあるとは思えない。

 自分の状況を客観的に捉えようとすると拉致監禁としか思えないけれどそれにしたってこの状況はおかしいのだ。

 だって、ここには、扉がないのだから!

 窓から見下ろした地面は遠く、そこから抜け出すことも不可能だった。
 どうしてここに居るのかも、どうすればここから出られるのかも、なにもかもが分からない。
 
 それでも入ったんだから出られるはずと扉を探すが見つからない。扉がないなんてそんなことは有り得ないのに見つけられない。

 床にはペンキかなにかで描かれたであろう魔法陣のような模様がこびりついていた。

 ……本当に、何一つ分からない。

「誰かいませんかー!」

 叫ぶ。耳を澄ます。なにも聞こえない。

 ……焦りだけが、募っていく。

「誰か、誰かここから出して!」

 恐怖が限界を超えた。冷静に考えればなんの意味もないと分かるのに壁を叩いて助けてくれと叫んだ。

「……いたっ」

 壁の一部が欠けていたらしく石の鋭利な断面で切ってしまった手に血が滲む。その痛みに少しだけ冷静になれた気がした。それでもなにもせずにはいられなくてうろうろと部屋の中を歩き回る。

「なんで。なんでここから出られないの……? 出して! ここから出して! もう嫌だ、なんで私がこんな目に? お願いだからここから出して……! だれかたすけて!」

 取り繕った冷静さはあっという間にはがれ落ちて、座り込んで涙声で祈った。床に触れた傷口が鈍く痛んだ。

 刹那、床が光りだした(正確には床に描かれた魔法陣だが、そこまでの情報の処理ができるほどの余裕はその時の私にはなかった)。

 なにが起こっているのか分からなかった。でもなにかが起ころうとしていることだけは分かった。今更なにが起こったってかまわなかった。半ばヤケだ。なにが起こっても、どうなってもかまわないから、だからどうかここから出してとそう祈り続けた。

 光が消えて、そこには見知らぬ男がいた。ゲームにでも出て来そうな甲冑姿で三十過ぎくらいの亜麻色の髪の男だった。青い目が状況を分析するように周囲に視線を走らせている。精悍な顔立ちの格好いい人だった。さっきの光といい、まるで私が召喚したみたい。なら、この人は悪魔だろうか。それでもいい。とにかく助けてほしかった。

「……お願いします、助けて、ここから出してください!」

 たとえ男が本当に悪魔だったとしてもかまわない。対価になにを求められたとしても差し出せる気がした。

「それにしても自分を贄にしてまで召喚するなんて随分無茶をなさいましたね」

 男の言っている意味が分からなかった。

「ふむ、随分古い術式だ。それも不完全なもの。よくこれで召喚できましたね」

 床の魔法陣を見て男が続ける。やっぱり私には意味が分からなかった。

「あの、おっしゃってる意味が分かりません」

「御自分がなにをなさったか理解していらっしゃらないと?」

「なにも分かりません。どうしてここにいるのかも、どうしてあなたが現れたのかも」

「マスター、あなたは俺を召喚なさった。それも贄を捧げて召喚するような邪法を用いてです」

「生贄なんですか、私」

「はい。マスターだって魔術師なら術式を見た段階でお分かりになったでしょう? あれが贄を対価に召喚するものだと」

「あの、私魔術師なんてファンタジーな生き物じゃありません」

「魔術の素養がないとおっしゃるのですか」

「はい」

そう答えれば男は困ったような顔をした。

「マスターは俺に捧げられた贄ですが特に危害を加えるつもりはありませんのでご安心ください。騎士ナイトである俺にとってあなた様は唯一の主なので」

「はあ」

 初対面の人間に唯一の主とか言われても……。そう思ったけれど曖昧に返事をして誤魔化した。

「おや、マスター。怪我をしていますね、治しましょう。……癒しの魔法は苦手なんですが一応は使えますので」

 そう言うと男は私の手を取った。すると傷がみるみる癒えていく。

「……ありがとうございます」

 わけが分からない。けれど男が治してくれたみたいだからお礼を言った。それに男は口角を僅かに上げて応えた。

「とにかくここから出ましょう。扉は……厳重に隠されていますね。探すよりこちらの方が早いか」

 そう言うと男は私を抱え上げて窓から身を投げた。

 失神した。人間って簡単に失神するものなのね。今まで知らなかったし、知りたくもなかった。

 目を覚ますと地面に横たわっていて、心の底から生きててよかったと思った。正直死んだかと思ったので。

「すみません、マスター。まさか失神するとは」

「……いえ、大丈夫です」

「とりあえず、自己紹介といきましょう。俺はパーシヴァル。メイジアーマーです。大抵のことはこなせますよ」

「私は……」

 名乗ろうとして、言葉に詰まった。

「あ、あれ? ……名前、名前ですよね? 待って、待ってください、……私の、名前? どうして……?」

「ご自分の名が分かりませんか?」

「そんなはずは……!」

「マスター、あなたはこの召喚で自身を俺に捧げてしまった。名を知ることは存在を知ることだ。存在を捧げたあなたの名はあなたから離れてしまったのでしょう」

「あの、なかったことにはできませんか」

「残念ながら契約を破棄して俺が還ったところであなたが捧げたものは返りません。そうですね、例えるならパンを食べた後に返してくれと言われても無理でしょう?」

「私、食べられちゃったパンなんですか」

「……マスターは魔術師ではありませんから、そう考えてもらった方が分かりやすいかもしれません」

「もう食べちゃったなら仕方ないですね。どうにもなりません。……あの、できれば還らないで助けてほしいです」

「ええ、勿論。それにしても……いくら己を贄としたとしてこんな古い形式の不完全な術式で召喚に成功するとは。マスター、鍛えればかなりの魔術師になれるかもしれませんよ。もしくはよっぽど我々の相性がいいのか」

「召喚に相性って関係あるんですか?」

「それはもう影響しますよ。ほら、嫌なやつの為に働きたくないでしょう? だから共感できるだとか、ある程度人間性や倫理観の近い相手の方が召喚しやすいんです。まあ、召喚する側の技量や魔力によってはそんな事は無視して喚び出せるのですが」

「知らなかったとはいえ御身を贄とするなんて。喚んだのが俺で本当に良かった。これからは魔術の練習もちゃんとしましょうね、マスター。魔術師本職には劣りますがメイジアーマーですからお教えしましょう」

「まずはマスターの名前を決めましょうか。ないと不便ですからね。……差し支えなければ俺が決めても?」

「あ、はい。大丈夫です。お願いします」

「では、ミナーヴァとしましょう。知恵、医療、戦いを司る異国の女神の名です。ああ、音楽や魔術も司るんだったかな。仮とは言え名は存在を縛るもの。可能性を狭めるより広めるものの方が好ましいですから」

「そういうものなんですか」

「そういうものです。ではマスター、人から名前を聞かれたら? あなたはこれからなんと名乗るんです?」

「ミナーヴァです」

「よくできました、ミナーヴァ」

「ありがとうございます?」

 それから私達は移動することにした。ここにいてもなんにもならないからだ。だって私が閉じ込められていた塔しかここにはない。ここがどこだか分からないけれどとりあえず人のいるところに行かないと。

 辺りに広がるのは麦畑というやつだろうか。初めて見た。稲穂とは違う金色の草原を見渡してよもや外国ではあるまいなと疑念を抱く。しばらく歩いて足が棒のようになった頃、ようやく街に出た。通貨単位はゴールドらしい。外国だ。というかすごくゲームっぽい。もしかしたら異世界なのだろうか。異世界、だろうな。人間を召喚するなんてめちゃくちゃなことができたくらいだし。ゴールドってことは金本位制なのかしらなんて考えていたらいかにもなチンピラとぶつかってしまった。というかぶつかられた。ぶつかりおじさんかよ。最悪だ。

 チンピラは慰謝料を寄越せなんて言っている。残念ながら私達は無一文。というかむしろ私が精神的苦痛に対する慰謝料を請求したい。だなんて考えていたらチンピラが手を振り上げて、あ、ヤバいと思った次の瞬間チンピラは倒れ伏していた。私の目の前にはパーシヴァルさんの背中があって、正直なにが起こったのか分からないけど、きっと助けてもらったんだろう。だけど人をノックアウトなんてして大丈夫なのだろうか。これは警察に御厄介になる事案ではなかろうか。そう考えていたら「あいつ、百万ゴールドの賞金首を一撃で!」なんて聞こえてきた。……賞金首なら、ノックアウトしても大丈夫なのでは? だって西部開拓時代においてはその生死を問われなかったはずだ。この国の法律がどうかは分からないが多少の暴力なら許容されるのではないだろうか。たぶん大丈夫と自分に言い聞かせている私とは違って冷静なパーシヴァルさんは換金所の場所を聞いていたらしい。仕事のできる男である。

「さて、マスター。参りましょう」

「あ、はい」

 チンピラを担ぎ上げたパーシヴァルさんに着いて行った。

 換金は恙なく行われた。危惧していた身分証の提示などはなかった。これでこの国はいいのだろうか。それともここまで手続きを簡略化しないといけないほど犯罪者が多いのだろうか。さっきだって周囲の人間はチンピラが賞金首だと知っていたのになにもしていなかった。私ならすぐに警察に通報するのに。この国というかこの世界というかの治安が不安になった。私は無事に生きていけるのだろうか。

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