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しおりを挟む「……薬」
頭痛で目覚める朝。眠さよりも痛さが勝って、起きて一番痛み止めを探す。最近、本当に体調がおかしい。また二度寝と行きたいが大学に提出しないといけない書類があるからそんな訳にも行かない。
あいにく家の冷蔵庫は空っぽで、鎮痛薬は食後の使用とあるが水を少し多めに飲むことでいいことにした。身支度を進めながら、ふと洗面台で自分の顔を見たら、顔の印象がなにか前と変わっている気がした。おそらく気のせいだろうとあまり気にもせず、今日だって金森に呼ばれるかもしれないと貰った服を着る。
熱っぽさも感じて熱を測れば37度代の軽い微熱もあったが、真面目が取り柄の俺の休む理由にはならなかった。
無事に書類を提出したが未だに痛みは続いていて、次の講義まで休もうと医務室に向かう。医務室は別棟にあり、距離があるが少しでも早く横になりたい。なるべく早足で歩いているところだった。
「こんなとこに勘違いベータがいる」
たっぷりの悪意ある声が背後からかかる。この声は聞き覚えがある。こんな時に限って勘弁してもらい。
「お前さ、調子乗んなよ」
「そうそう。お前はおもちゃとしてたまたま切られてないだけだから」
「ベータだし孕む可能性ないしね」
「そうでもなきゃ誰がお前みたいなブサイク」
金森に捨てられたオメガたち。アルファがいない時はこうやって嫌がらせをしてくる。普段はなんとも感じないが今は別だ。相手なんてしていられない。
無視して立ち去ろうとすると、目の前のオメガが道を塞いだ。
「お前、無視するとか何様なわけ?」
相変わらず綺麗な見た目なのに、中身は真っ黒な奴らだ。こうしているうちも気持ち悪くて吐き気が込み上げてくる。無意識にため息が出た。
「っお前」
目の前の華奢なオメガに思い切り身体を押される。いくらヒョロい俺でも普段なら耐えられたがこの体調では耐えられるはずもなく、尻餅をついた。今まで散々言われて来たが、手を出されたことはない。頭を抑えて目の前に立ちはだかるオメガ達を見た。
「馬鹿にしてんじゃねぇぞ」
「選ばれた気になってんじゃねぇよ」
顔を真っ赤にした怒りの形相。漸く分かった。このオメガ達は格下と思っていたベータだけが金森に選ばれたことでプライドが傷付いているんだ。
選ばれたなんてとんでもない。お前らみたいに性格悪くないから切られなかっただけじゃないか。
痛みで理性が薄れて余計な言葉が出そうになる。グッと抑えて立ちあがろうとするがオメガ達の怒りは転ばすことくらいじゃ解消しなかった。
「だいたい金森さんには許嫁がいるんだから!」
「そうそう。お前なんて所詮遊び」
「いい気にんなよ」
もう一度肩を押されて、また地面に転がる。それでも俺が何も言わないとオメガ達は舌打ちをして去って行った。
許嫁なんて初めて聞いた。金森って許嫁いるんだ。そりゃいるか。世界の金森財閥だもんな。そもそも恋人になれるなんて馬鹿な期待していないんだから傷付きはしない。別世界の人間なのだから。その内、金森は俺にも飽きて選ばれし者と結ばれる。あのオメガ達みたいに勘違いなんかしない。
だるい身体を引きずるが、吐き気が込み上げて近くの建物に入る。慣れない建物でトイレを探しつつ歩くと、大勢の生徒に囲まれた豪くんが見えた。今は挨拶する気力さえないと、見なかったふりをしようとしたら俺に気付いた豪くんがわざわざ集団から離れて駆け寄って来てくれた。
「小林さん。どうしました?具合悪いんですか?」
開口一番心配する言葉で、本当に良い子だと思う。はたから見てそんなに具合悪そうなのか。さっきのオメガ達には体調の良し悪しなんて関係ないんだな。
「うん。吐きそうだから取り敢えずトイレ……」
「あー、この棟トイレ遠い上に数少ないんで違うところ行った方がいいかもしれないです」
「まじか……」
一刻も早くトイレに駆け込みたいのに嘘だろ。また歩くのか、とげんなりしていたら豪くんが俺の背中をさすりながら思いついたように言った。
「よければおんぶして連れて来ますよ」
「いやいやいや、いいよ。大丈夫」
「いえ、顔色相当悪いんで」
普段優しい豪くんがピシッと諭すように言って驚く。それでも大丈夫と断ろうとしたら、豪くんは大きな声でさっきいた集団に先に行っててと伝えており、もうここまで来たら断るのも失礼だ。
「はい」
豪くんがしゃがんで背中を差し出す。アルファらしい体格の広い背中だ。本当に良いのだろうかと思案する内に豪くんに早くと急かされ、つい乗った。最近体重も増えたし、重くて進めなかったらと思ったが豪くんはスイっと立ちずんずん進んでいく。
「ごめんね。重くない?」
「男にしては軽すぎですよ。それに俺、力持ちなんで」
何も知らない外野の視点が刺さるがそれどころじゃない。豪くんは揺れの少ない中の最大限の速さで歩いてくれて、すぐによく俺が講義で使用している棟のトイレ近くまで来た。
「ここでいいよ」
「分かりました。気をつけて降りて下さいね」
うん、そう言って地面に足を付けた瞬間、急に身体が沸騰した。いや、実際に燃えている訳じゃない。身体が熱い。ぶわっと甘い匂いが広がって、急に後穴が濡れていくのを感じる。
「ヒート!?」
腕で鼻を覆い隠した豪くんが驚いたように言う。
ヒート?ほぼベータの俺に?
でもこの感覚、教科書で習った通りのヒートの症状だ。
熱い身体の中でぼんやりとこれがヒートであると納得した。ガリガリと理性が溶けてゆくのを感じる。俺の中の何かが欲している。アルファが欲しいと喚き散らかして、暴れている。早く、早く隠れなきゃ。豪くんはアルファだ。
腰が抜けているから、地面を張って目の前のトイレの個室に向かう。逃げなきゃ。逃げなきゃ?アルファが目の前にいるのに。嫌だ。逃げるんだ。嫌だ。早く。動け。豪くんだってヒートに釣られて襲ってくるかもしれない。嫌だ。どうせ噛まれるなら。
「っ小林さん。失礼します!」
身体がふわりと持ち上がる。上を見ると顔を真っ赤にした豪くんがいて、俺を抱えてトイレに連れて行くようだ。
一瞬、恐怖を感じる。アルファと共に個室へ行くなんて嫌だ。それが例え豪くんであろうと。彼が優しい人物だと分かっていても、嫌だ。嫌だ。襲われたくない。
俺が震える声で抵抗の声を上げようとした時、豪くんは俺を個室に閉じ込めて外から扉を閉めた。
「鍵をかけて下さい!早く」
反射的に鍵をかける。
「緊急抑制剤持ってますか」
「……持ってない」
「医務室から取ってきます。そこで待っててください。誰が来ても開けちゃダメですよ」
「うん」
熱い。熱い。早く楽になりたい。誰でもいいから……いや、嫌だ。助けて。助けて……金森。
震える手で金森にメッセージを送る。
『助けて』
きっと返信なんて返ってこない。金森は大学では俺を無視しているし、金森が俺を助ける義理がない。ふと、初めて金森に呼び出された時のことを思い出した。俺は金森のたった一言で駆け出した。……ああ、金森は俺みたいな馬鹿じゃない。奇跡的にこのメッセージを見たって来るわけがない。
スマホが手から落ちる。
自分の中で暴れる熱を抑えて、ひたすら時間が経つのを待つ。豪くんがきっと緊急抑制剤持って来てくれる。それまで我慢。我慢すればいい。
「来たぞ」
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