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接近 1
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初音が屋敷に来てから一年が過ぎた。
日の光を遮るための暗幕が引かれた小さなお堂のなかで、雪為が対峙するのは、陸軍将校の瀬村だ。
厳めしい大男が、今は場の空気にのまれてしまったようにオドオドと視線をさまよわせている。
まぁ、無理もないこと。異形と対話するときの雪為は、彼自身もこの世のものではなくなっているのだから。
地の底から響くような、低いうなり声で雪為は告げる。
「視える。あぁ、今はよい。しばらくは……よい」
ごくりと喉を鳴らして、瀬村は尋ねる。
「し、しばらくとは具体的には?」
「そなたの命が続く間は進めばいい。だが、止まらねばならないときは、そう遠からずやってくる。子孫に伝えよ。時機を見誤るなと。さすれば、瀬村家には今以上の栄華がおとずれる」
「露西亜との戦は進んでよい、そういうことですな?」
最後の念押しのように瀬村はしつこく食いさがる。
人間の顔に戻った雪為は、もう興味もないといった表情で小さくうなずいた。
当面の指針は得られたと、瀬村は満足げな顔で東見の屋敷を出ていく。
「終わられましたか?」
庭の片隅にひそんでいた初音が、ひょっこり姿を現す。
「あぁ」
雪為が答えると、彼女は小さな子どものようにパタパタと小走りで雪為に近づく。
衣食住が整ったおかげで、初音の外見はずいぶん見られるようになった。汚れが落ちた生来の肌はなめらかで美しく、身体にも年頃の娘らしい肉がついた。
黒目がちな瞳も、丸い唇も、おかっぱ頭も、親しみやすく愛嬌がある。
だが、二十二歳という年齢よりずっと幼く見えるせいで、七歳年上の雪為とは夫婦というより兄妹のようだ。
「あれ? 今日は顔色がいいですね。前回は今にも倒れてしまいそうだったのに」
悪びれもせずに彼は答える。
「今日は視ていないからな。お前の力も必要もない」
「そうなんですね。では――」
いらないと言われたことを素直に受け止めた彼女は、あっさりとその身をひるがえそうとする。
ふわりと揺れた朱色の袂を、雪為は思わずといった様子でつかんだ。
「なにか?」
きょとんとした瞳が雪為を見返す。ややバツが悪そうに彼はぼやく。
「去れ、と言ったわけではない」
パチパチと幾度が目を瞬いたあとで、彼女はふふっと笑みをこぼす。
誰かと一緒にいたがるなど、雪為には珍しいことだ。それだけ、命姫は特別だということだろうか。いや、多分そうではない。
初音という娘は、意図せずに、するりと人の懐に入り込んでしまうようなところがある。
誰もが恐れる東見の当主が、こんな小娘に懐柔されていると思うとなんだかおかしかった。
日の光を遮るための暗幕が引かれた小さなお堂のなかで、雪為が対峙するのは、陸軍将校の瀬村だ。
厳めしい大男が、今は場の空気にのまれてしまったようにオドオドと視線をさまよわせている。
まぁ、無理もないこと。異形と対話するときの雪為は、彼自身もこの世のものではなくなっているのだから。
地の底から響くような、低いうなり声で雪為は告げる。
「視える。あぁ、今はよい。しばらくは……よい」
ごくりと喉を鳴らして、瀬村は尋ねる。
「し、しばらくとは具体的には?」
「そなたの命が続く間は進めばいい。だが、止まらねばならないときは、そう遠からずやってくる。子孫に伝えよ。時機を見誤るなと。さすれば、瀬村家には今以上の栄華がおとずれる」
「露西亜との戦は進んでよい、そういうことですな?」
最後の念押しのように瀬村はしつこく食いさがる。
人間の顔に戻った雪為は、もう興味もないといった表情で小さくうなずいた。
当面の指針は得られたと、瀬村は満足げな顔で東見の屋敷を出ていく。
「終わられましたか?」
庭の片隅にひそんでいた初音が、ひょっこり姿を現す。
「あぁ」
雪為が答えると、彼女は小さな子どものようにパタパタと小走りで雪為に近づく。
衣食住が整ったおかげで、初音の外見はずいぶん見られるようになった。汚れが落ちた生来の肌はなめらかで美しく、身体にも年頃の娘らしい肉がついた。
黒目がちな瞳も、丸い唇も、おかっぱ頭も、親しみやすく愛嬌がある。
だが、二十二歳という年齢よりずっと幼く見えるせいで、七歳年上の雪為とは夫婦というより兄妹のようだ。
「あれ? 今日は顔色がいいですね。前回は今にも倒れてしまいそうだったのに」
悪びれもせずに彼は答える。
「今日は視ていないからな。お前の力も必要もない」
「そうなんですね。では――」
いらないと言われたことを素直に受け止めた彼女は、あっさりとその身をひるがえそうとする。
ふわりと揺れた朱色の袂を、雪為は思わずといった様子でつかんだ。
「なにか?」
きょとんとした瞳が雪為を見返す。ややバツが悪そうに彼はぼやく。
「去れ、と言ったわけではない」
パチパチと幾度が目を瞬いたあとで、彼女はふふっと笑みをこぼす。
誰かと一緒にいたがるなど、雪為には珍しいことだ。それだけ、命姫は特別だということだろうか。いや、多分そうではない。
初音という娘は、意図せずに、するりと人の懐に入り込んでしまうようなところがある。
誰もが恐れる東見の当主が、こんな小娘に懐柔されていると思うとなんだかおかしかった。
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