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三段目
玉ノ緒の場〈参〉
しおりを挟むとうとう玉ノ緒にとって、三味線のお師匠・染丸から稽古をつけてもらえる最後の日となった。
最後に舞ひつると三人で端唄を浚ったあと、染丸はお三味と撥を脇に置くと、しみじみと云った。
「……玉ノ緒、此度のおめでたき由、まことに良うござんした。わっちもうれしゅうござんす。淡路屋さんへ嫁っても、達者でやってくんだよ」
玉ノ緒は改めてきちっと正座し直し、三つ指をついて深々と頭を下げた。
「染丸姐さん、右も左もわからぬ幼き頃より今日まで……まことにお世話になりなんした。姐さんこそ、どうか末永くお達者で……」
声が詰まって、そのあとの句が継げない。
「やだねぇ、湿っぽいのは止しとくれ。なんだよ、その云い種は。金輪際会えねぇわけじゃあるまいし、縁起でもないよ。わっちは淡路屋さんのある町家に住んでんだかんね」
まるで今際のきわのごとき玉ノ緒の口上に、染丸が気色ばむ。
「……まぁ、要領のいいおまえさんのことだ。
嫁いた先でも、うまいことやってけると思ってっからね、心配なんぞこれっぽっちもしてねぇけどさ」
そうは云いつつも、染丸の目には光るものが見えた。
玉ノ緒を飛び抜けたお三味の上手にまでに育て上げたのは、染丸だ。
いくらお目出度い慶事とは云え、とりわけ目をかけていた「一番弟子」に去られるのはさぞ寂しかろう。
「淡路屋の若旦那と……幸せにおなり」
面を上げられず、ただ肩を震わせる玉ノ緒の背を、染丸はぽんぽんと叩いた。
そして、舞ひつるの方に向き直り、
「これから先は、玉ノ緒のぶんまで舞ひつるを仕付けるからね。覚悟しなよ」
口元に薄く笑みを浮かべて、ぎろり、と見た。
「ええっ」
お三味が不得手な舞ひつるにとっては、とんだ厄災だ。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
稽古を終えた染丸が座敷から去ったあと、舞ひつるは話しかけた。
「……玉ノ緒」
お三味の不得手な舞ひつるですら——さればこそかもしれぬが——今まで稽古を付けてもらったお師匠のうちでは、気風の良いサバサバした気性の辰巳芸者の染丸に一番魅かれている。得手で、贔屓にされている舞のお師匠よりもだ。
しからば、お三味にあないに精進した玉ノ緒に至っては、云わずもがなであろう。
玉ノ緒は未だ潤んだ切れ長の目を、袂から取り出した懐紙で拭いながら、舞ひつるを見た。
今までこれだけ同じお師匠に付いて稽古を続けていながら、実は二人はほとんど話をしたことがない。互いに無駄口を叩く気質ではないのもある。
しかしながら、やはり見世の客を巡って相対する立場である、と云うことが大きいかもしれぬ。
玉ノ緒は、姉女郎である昼三の玉菊、妹女郎である禿のたまゑ・たま乃、そして番頭新造のおかねと組んで見世の御座敷に出ていた。
相手よりも一日も早く見世の最高峰・呼出になるべく、切磋琢磨している其々の姉女郎を見ていると、たとえ同じゅう歳だとは云え、気安う声をかけて話をしようなんざ、夢にも思えなかった。
されども、身請に向けていよいよ支度に入った玉ノ緒は、お三味以外の稽古を受けることはもうなかった。お三味だけが、玉ノ緒たっての願いで続けられていたのだ。
それも——本日で終わる。
「……玉ノ緒」
もう一度、舞ひつるは話しかけた。
「もし……淡路屋さんのお相手がわっちらではのうて、羽衣姐さんらでいなんしたら……」
涙を拭っていた所為か、玉ノ緒の声は鼻にかかってくぐもっていた。
「若旦那は……舞ひつるを身請けしていなんしたかもしれなんし」
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