大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
61 / 129
六段目

遭逢の場〈参〉

しおりを挟む

   惚れた腫れたで夫婦めおとになれる町家の者と違って、武家は家同士の「思惑」で縁組が決められる。

   もし、当人がいやだと申して逆らえば、武家界隈から道理に反することとなじられ、また相手方の面目を潰すことにもなる。
   すなわち、双方どちらの家にとっても恥となるのだ。

   美鶴は先達せんだってからの「指南役」である刀根とねから、武家にとっての「恥」は、たとえ身命を賭してでも抗わなければならぬ、と教え込まれた。
   ゆえに、この場で美鶴ができることは、勘解由のめいに黙って従うことだけだった。

   そして、かつての勘解由自身も「通ってきた道」であった。

   見目かたちなどつらの皮一枚だけのことで気に入らぬのは「恥」だと云う武家の建前に従い、心を殺して多喜を娶らされた。
   祝言を終えた夜、その妻には当家の家督を兄の広次郎二男に渡す旨を淡々と告げた。

   その後、自然と家から足が遠のいたのは、なにも御役目だけのことではなかった。


「おまえたちの祝言であるが……」

   心なしか、勘解由の眉根がかすかに寄ったような気がした。

「だれにも知られず、秘しておこなうことと相成あいなった」

——『だれにも知られず、秘して』とは……

   まるで、だれからも目出度めでたきことと望まれておらぬようだ。

「この家におまえが来る、少し前のことだ」

   流石さすがに訝しむ美鶴に、勘解由は経緯いきさつを語り始めた。

「御三卿・清水しみず様の御当主様が身罷みまかわれたことに端を発する」

「御三卿」とは、公方将軍徳川様より分家された「田安たやす家」「一橋ひとつばし家」そして「清水家」の三大名家である。もし、水戸・尾張・紀伊の御三家に御世嗣およつぎがいない場合は、この三家のうちのいずれかに生まれた男子が差し出され、継がねばならぬ。

   御公儀幕府の重責を担う御家ではあるが、実は亡くなった御当主・敦之助あつのすけ様は、かような御家であろうと役不足なお立場にあった。
   なぜなら、十一代の公方様(徳川家斉)の御子であるばかりか、三代の公方様(徳川家光)以来の御台所様御正室の御腹より生まれた男子であったからだ。

   ご誕生の折には、公方様や御台所様・茂姫(広大院)のお喜びは言うまでもなく、御台所様の父である薩摩藩八代藩主(島津重豪)に至っては「我が世の春」とばかりのはしゃぎっぷりであった。

   ところが……

   その三年ほど前、「次」の公方様はすでに御側室・お楽の方(香琳院)が産んだ敏次郎としじろう様(徳川家慶)と決められていた。
   ゆえに、先代(徳川重好)に御世嗣がおらず断絶していた清水家を再興させて、断腸の思いでその当主へと敦之助様は据えられた。

   されども……

   御当主となったその翌年、敦之助様はこの世を去った。享年わずか四歳であった。

「……公方様はもちろんのこと、御台所様のお嘆きが並々ならぬそうだ。昨年、懐妊なされた御子をお流しになってござるから、余計に堪え難きことであろう」

   そういえば、吉原のくるわにいたとき、姉女郎・羽衣の上客であった安芸国広島新田しんでん藩の藩主・浅野 近江守おうみのかみが、御座敷でさようなことを云っていたのを美鶴は思い出した。

「よって、当面晴れがましきことは御法度になったがゆえ、おまえたちの祝言は秘しておこなうことと相成った」

しおりを挟む

処理中です...