空の蒼 海の碧 山の翠

佐倉 蘭

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Prologue

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   雲ひとつない晴れ渡った蒼い空が、目の前に広がっていた。
   大空の下には紺碧に輝く凪いだ大海原が横たわっている。
   大海の向こうには、まるで翡翠をたたえたような森を抱える小さな島が見えた。

   若者は、それらすべてを照らす朝陽の眩しさに、少し目を細めながら、手をかざす。

「……今日は、北島がちこう見えるな」


   若者は、南島で代々漁師をしている家に生を受けた。

   母親は海女あまをしている家系の出であるが、産後の肥立ちが悪く命を落としたため、彼はその顔を覚えていない。
   それからは、島で一番の腕利きの漁師であった父親が、男手一つで彼を育ててきた。

   ところがある日、父親は出漁したまま、二度と還らぬ人となった。
   島を出たときは今日のように凪いでいた海が、沖に出る頃に突然、大風のような時化しけ模様に急変したのだ。
   若者がまだ七つのときだった。

   その後若者は、父親の幼なじみに引き取られた。彼の住む集落で網元の親方をしている男だった。
   息子のいない親方は、若者をわが子のように鍛え上げた。
  物心ついた頃にはだれから教わるでもなく海に入り、一年も経たないうちに沖までも泳いでいけるくらい泳ぎに長けた若者は、親方の厳しい指導に必死で喰らいついていった。
   今では、その親方ですら一目置く漁師に成長していた。

   褐色に近い肌の色は、年がら年中、灼熱の太陽に身を焦がされている証だ。
   分厚い胸板は、荒い波を泳いで切り開いて造られた賜物であろう。
   筋肉が猛々しく隆起した上腕は、力強く網や綱を引けることを裏付けている。
   白い砂浜を走って鍛えられた二本の脹脛ふくらはぎは、きっと鋼のように強靭に違いない。


「……ティーラ」

   急に名前を呼ばれた若者は、後ろを振り返った。
   浜育ちの娘らしく黄金こがね色に焼けた素肌の、手足が長くてすらりとした肢体がそこにあった。

「おとうが呼んどるよ。はよう、家に戻れって」

   親方の一人娘、マヤーだった。
   漆黒の長い髪を頭頂で巻き貝のように結ったこの娘は、目鼻立ちのハッキリとした、艶やかな顔立ちだ。

「もう、漁の支度はしてきたさ」
   ティーラと呼ばれた若者は、すでにせねばならぬ仕事を終えてこの砂浜に立っていた。

「お父が、今日は漁に出んで構わんって」
   彼女は首を振った。

「こんな天気の良い日にか」
   ティーラは怪訝な顔をした。

「……なぜだかは、あたいにはわからんよ。お父に訊くがいいさ」
   彼女は首をすくめた。

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