きみは運命の人

佐倉 蘭

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きみは運命の人

§ 8 ③〈完〉

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「ところで……」

   用事が終わったので、チェアから立ち上がった智史に、和哉がなおも声をかける。

「……まだ、なにか?」
   智史はまだ座ったままの和哉を見る。

   だが、いつまでもこんなことをしていられない。GWの大型連休までにしなければならない仕事が山積みなのだ。

「おまえ、美咲にチクろうとしていた『あのこと』ってなんや?」

   和哉の問いかけに、智史は「は?」と片眉を上げる。

「おまえの『運命の相手』がわかったら、教えるって言うとったやろ?なんや?よ、言え」

   和哉の眉間には深ーくシワが寄っていた。

「あぁ……そうでしたね」

   智史は片方の口角を上げる。

「……和哉さんが『カナヅチ』や、っていうことですよ」

   スポーツの得意な和哉だが、どういうわけか、ほとんど泳げないのだ。

   智史が和哉の家に厄介になっていた子どもの頃、和哉は海水浴はおろか、市民プールへも行くのさえ拒んでいた。風呂ですら、湯船に身体からだを沈めるのが苦痛なため、典型的な烏の行水で温泉も苦手だ。

「……はぁ⁉︎」

   和哉はぶるぶる…と震えだした。

——やっぱり、カッコ悪うて、美咲さんには知られたないんやろな。

「アホかっ!おまえっ!そんなん、秘密でもなんでもないわっ!美咲は小学生のときから知っとるわっ‼︎」


   そのあと、「あんなに悩んどったおれの時間を返せっ‼︎」と怒鳴り散らす和哉に、
「そうでしたか。そんな和哉さんにも幻滅しないのは、さすが美咲さんですね。……では、稍の件はそういうことで」
   しれっと標準語でそう言って、智史は何事もなかったかのようにミーティングルームを出た。

「お…おいっ、こらっ、智史っ!ちょっと、待たんかいっ⁉︎」

   和哉の怒鳴り声が背中越しに聞こえてくるが、ガン無視だ。用が済めば、一刻も早く「稍」のところへ戻りたい。

   たとえ、それが「八木」の姿であったとしても……


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   MD課に戻った智史は、タブレットを見ながら思案する。「計画」は順調過ぎるほど、順調だ。

——せやけど、稍には、なんて言うてこのことを切り出そうか。

   いつものように右隣に座る「八木」からは、「青山」がディスプレイに表示されているデータを神経質な面持おももちで凝視しているようにしか見えない。

「青山さん、ちょっとすいません。このデータの扱いなんですけど……」

   八木は青山の隣に慣れてきたのか、今ではおどおどせずに声をかけてくるようになっていた。智史は「青山」として、そんな彼女に淡々と対応する。

   しかし、心の中では……

——そうや……「やぎ」って呼ぶところを、「やや」って呼んでみよか。こいつ、おれにすっかりバレてるって知ったら、どんな顔になるやろな。

   そのとき、智史の顔が、普段は憎らしいほどの冷血漢の鉄仮面なのに、ほんの一瞬だけ、まるで子どもの頃のようになった。

   大きな窓に面した席だ。窓の向こうには晴れた空に穏やかな春の海が広がっている。対岸の都心へ渡る首都高速台場線にはレインボーブリッジが見えた。

   ふたりは、ほかの社員たちからは背を向けて座っている。すぐ隣にいる「八木」ですら、「青山」の顔の方に目を向けなければ、その顔はわからない。

   それは、人懐っこそうな、いたずらっ子のような笑顔だった。







「きみは運命の人」〈 完 〉
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