大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜

佐倉 蘭

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肆の巻「謀(はかりごと)」

其の弐 〜壱〜

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   その日の朝、おるいは雇い主である水茶屋・嘉木かぎ屋を営む老夫婦から、こんこんと云い含められた。

「いいかい、おるい。今日うちの店においでんなる御仁方のことは、絶対ぜってぇ余所よそでくっちゃべっちゃなんねえんだぞ」
「そうだよ、おるい。あんたが茶を運ぶとき、特に御用向きのお客の話にこっそり聞き耳立ててんのは、あたいら気づいてんだかんね」

   おるいは二人に必死で謝った。
「あ、あたいが悪かったよ。もう聞き耳なんざ立てやしないからさ。ゆるしとくれよ。
   今日のお客だって、御用向きに関わるお人たちなんだろ。ちゃあんと心得てるよ」

「おめぇは器量良しで気立てがいい上に、おせい・・・ちゃんの友だちの娘だってんで、身元もしっかりしてっからよ」
   おるいは、奉行所のお役人の御家おいえで女中頭をやっている母親の昔馴染みの伝手つてで、この水茶屋に茶汲み娘として奉公するようになった。

「あんたのおっつぁんとおっさんにゃ、お嫁入りするまでうちで預かるっってんだかんね」
   なのに、この店をおん出されてしまったら、故郷くにの両親にも近所にも顔向けができなくなってしまう。

   それに「御用向き」の話に聞き耳を立ててたのは…… 

「与太の役に立ちたかっただけなのにさ」

——そのためなら、おとりにだって何だってなってやったのに……

   世田谷村とは全然違った朱引内こっちの言葉だって、必死になってたったの三月ほどで覚え込んだくらいだ。


   水茶屋・嘉木屋の最奥には「座敷」があった。
   平生のお客が案内あないされるのは店に入ってすぐの小上がりだが、その奥に茶を支度するためのへっついの間と勘定場内所があり、さらにその奥には外からは決して見えぬよう畳敷きの八畳間がしつらえられていた。

   「座敷」に通されるのは、決まって「御用向き」に関わる者たちだ。といえども、御用聞き手下である岡っ引きや下っ引きなぞが立ち入れるところではない。
   表立って集まるには何かと怪しまれ勘繰られてしまう——なかなかに難しい立場を背負った面々で——無論、町家界隈の者ではない。

   おるいは主人夫婦より、今夜この「座敷」に集うことと相成あいなった者たちの給仕を任された。
   世田谷村の子だくさんの百姓家に生まれついたおるいは、かような人たちをたとえ本日一日限りであろうと目にできるとは、夢にも思っていなかった。

   その昔、お忍びで店にやってきた御公儀のお偉方に見初められて嫁いでいったと云う、茶汲み娘の「笠森お仙」も、さような心持ちになったのであろうか……

——だけど、あたいにゃ与太がいるんだかんね。


   そして、夜がやってきた。
   今宵は望月満月から三日経った居待月が夜空に見える。

   酒器を乗せた盆をしっかりと持ち、おるいは店の最奥にある「座敷」へと向かった。

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