131 / 1,060
第四章 恋する気持ち
15話
しおりを挟む
あのあと、私はまた少し眠っていたらしい。
制服のポケットから携帯を取り出すと、六時を回ったところだった。
ここへ運ばれたのが四時過ぎとすれば、二時間は横になっていたことになる。
点滴はあと三十分もすれば終わる残量。
「身体、少し起こしてみようかな……」
今の自分がどれくらい身体を起こしていられるのかを知りたい。
上体を少しずつ起こし、壁に背を預ける。たったそれだけの動作で血が下がっていくのを感じていた。
「困ったな……」
どうやったら学校生活を送れるんだろう……。
薬を飲まなければ痛みが出る。痛みが出れば鎮痛剤を使わなくてはいけない。そしたら胃が荒れて物が食べられなくなるだけではなく、血圧も体温も下がる。
いいことは何もない……。
薬を服用することで痛みをある程度抑えることはできる。けれど、この状態ではどうしたって学校には通えない。
どうしたらいい? 何か方法はないの――?
コンコンコンコン――
「はい」
ドアが開くと湊先生が入ってきた。
「どう?」
「だいぶ、楽になりました。……でも、身体を起こしているのはかなりきついです」
「そりゃそうでしょう? 数値自体がすごく低いもの。こんな数値で普通に過ごされたら医者なんていらないわよ」
湊先生はモバイルディスプレイを私に向けた。
七十六の四十八――確かに低い。いつもなら自宅安静を申し渡される数値だ。
「先生、私……あと二ヶ月、どうやったら学校に通い続けられるだろう……」
先生はものすごく驚いた顔をした。そのあと、
「少し進歩したじゃない」
片方の口端を上げて笑った。
「進歩、ですか?」
先生は秋斗さんが掛けていたスツールに座り、長い脚を組む。
癖なのか、いつも組んでいる足は右が上。細くて長い足がきれいに見える角度を心得ているよう。
「少し前なら、すぐに辞めることを考えたんじゃない?」
言われてはっとした。でも、
「……同じことです。これからの二ヶ月、学校に通えなければ出欠日数や単位もろもろを落として進級できなくなりますから……」
「……学校に登校さえしていればなんとかならないこともない」
え……?
「保健室で授業を受けるシステムも整っているのよ」
「……そうなんですか?」
「嘘なんてつかないわ。学校案内のパンフレットや公にされる資料には載ってないけど、あるのよ」
知らなかった……。
「もちろん、授業を出席扱いにするわけだから、課題もクリアしないといけないけど……。うちの学校、学力のある生徒には慈悲深いの。蒼樹はそれも知っていて翠葉にこの学校を勧めたはずだけど? まさか聞いてないの?」
首を左右に振って知らないことを伝える。
「去年の秋ごろだったかしら? 私のところへ訊きに来たのよ」
私と両親が平行線の話し合いをしているとき、蒼兄は痒いところにまで手が届くような外堀を埋めてくれていたことを新たに知る。
「けど、学校に通えていればって話だから、あんたは学校までがんばって来なくちゃいけないけど」
……まず、突破しなくちゃいけないのはそこだよね。
「先生……」
「何?」
だめもとだけど、これ以外の方法が思いつかない。
「薬の分量を増やすの、全国模試のあとじゃだめですか?」
湊先生の目が見開いたのがわかった。まるで、「何を言い出すんだ」という顔。
私もそう思う。そう思うけれど、これ以外の方法が思いつかないの。
「全国模試って、来月の頭よね?」
「はい。六月の二日です」
あと一週間ある。
「ちょうど入梅が予想されているころか……」
「この状態じゃ勉強できそうにないんです。でも、勉強しなくちゃ危ない科目がいくつかあって……」
湊先生は一度私を見て、視線を前方に戻す。
どうしようか考えている横顔……。
次に私の方を向き直ったときには真正面から見据えられた。
「薬の投与が遅れる分、痛みが出てくる可能性も高くなるわよ?」
「鎮痛剤で抑えます」
「鎮痛剤の副作用で血圧や体温が下がるのもわかってるわよね?」
さっき、嫌というほど考えた。でも――
「ここで耐えておかないと、今後の高校生活に響くと思うんです。全国模試を落とすことはできない。でも、模試のあとなら一週間続けて休んだとしても期末考査まではまだ時間があります。七月頭までになら体調を立て直せるかもしれません」
「……なるほどね。二ヶ月間、どっちにしろつらい思いをするならどこにウェイトを置くか――そういうことね?」
湊先生の目を見てコクリと頷く。
「そういうことなら考えなくもない。薬を増やすのは一週間後の開始で、痛み止めは――三段階に増やそう。三段階というよりは一段階で飲める薬を二種類に増やすわ。ひとつは胃の負担になりにくい軽めの薬。もうひとつは今飲んでいるもの。それで胃への負担が少しでも軽くなるといいけど……」
正直、薬は減らしてもらえないかと思っていた。言ってみるものなのね……?
「……翠葉、そういうことは口にしなさい。いくら主治医とはいえ、翠葉の身体が手に取るようにわかるわけじゃない。思うことがあれば口にすればいい。そしたら一緒に考える」
湊先生は残り少ない点滴の滴下を速めた。
「医者的見地からすれば家で休ませたいというのが本音だし、薬も飲ませておきたい。けど、それで翠葉の人生に歪みが生じるなら考えなくちゃいけない。一度離脱すると社会復帰が難しい――それは現場で働いたことがある医者なら誰もが知ってる。だから、自分がどうしたいのかは口にしていい」
「……はい」
「薬は秋斗に渡しておく」
す、と立ち上がると、今度は点滴の抜針を始めた。
「もう少し寝てなさい。秋斗もまだ仕事が残ってるみたいだし。秋斗が迎えに来るまで寝てるのね」
先生は私に視線を戻すと、
「無理に身体を起こしてる必要もないわ。寝てたらきっと運んでくれるでしょう?」
「……それは恥ずかしいです」
「いいじゃない、眠れる森の乙女みたいで」
くつくつと笑いながら先生は仮眠室を出ていった。
「翠葉ちゃん、帰れる?」
「はい。今、何時でしょう?」
「七時過ぎかな」
秋斗さんは側まで来ると身体を起こすのを手伝ってくれた。
まずは一段階目、上体を起こすだけ。
――頭がくらくらする。
その状態に少し慣れてベッドから足を下ろす。
あとは立つだけ――
ゆっくりと立ち上がる。でも、視界を保つことはできなかった。
どんなに段階を踏んでもだめじゃない……。
情けなくて悔しくて目に涙が溜まる。
でも、泣かない――絶対に泣かない。
眩暈と涙が引くのを待っていると、すっぽりと秋斗さんの腕に抱きこまれた。
「ゆっくりでいい……。ゆっくりいこう」
コクリと頷く。それが精一杯。
今声を発したとしても震えた声しか出てきそうにないし、何か口にしようものなら真先に泣き言を漏らしてしまいそう。
少しすると、「落ち着いた?」と声をかけられた。
それは眩暈のことを問われたのか。それとも、泣きそうだったのを悟られたのか――
声が掠れないように最善の注意を払い、今できる限りの笑顔を添えて顔を上げる。「大丈夫です」と一言伝えるために。
声は震えることも掠れることもなかった。でも、秋斗さんの目がかわいそうな子を見るような目で、少し嫌だった。
そんな目で見ないで。私をかわいそうな子にしないで――
「じゃ、行こうか」
その言葉に、「はい」と普段より硬い声で答えた。
私、そんなにかわいそうじゃない。そんなに弱くない。
必死に自分を奮い立たせる。それが精一杯。
図書室を出る際には生徒会メンバーに声をかけられた。けど、あまり上手に受け答えができた気はしなかった。
こんな状態の私を見たのだから、生徒会への打診も取り下げられるだろう。
そういうことは早くに判断してもらったほうがいい。迷惑がかかるその前に回避することができるのなら、そのほうが私の気持ちも幾分か楽だ。
必要とされて、何かの拍子に要らないものになるよりそのほうがいい。傷つかないで済む……。
心を強く持とう、家に帰るまではがんばろう――
どれだけそう思っていても、テラスへ出て一階へと続く階段を見ると挫けそうになる。
体調が悪いとこうも景色が違って見えるものなのか。階段がいつもよりも長く、傾斜が急に感じた。
左に手すり、右手に秋斗さんの手を借りてゆっくりと下りた。
部活が終わる時間と重なったこともあり、人の視線を感じる。私たちが下りる階段は部室棟へとつながる階段だから余計に……。
せめてもの救いは、階段の幅が広いこと。人が五人並んでも歩けるため、どれだけゆっくり下りていようと人の邪魔になることはない。
少しでも早く下りようと焦ろうものなら、それを引き止めるように右手に力をこめられた。
駐車場に着き助手席のシートに座ると、秋斗さんの手ですぐにシートが倒される。
「この時間は少し混むかもしれないから寝てて?」
秋斗さんが運転席に乗り込みエンジンをかけると、カーステから「Close To You」が流れてきた。この曲独特のゆったりとしたリズムが心地よく感じる。
横になっているというのに車の振動をほとんど感じない。静かに停まっては緩やかに走り出す。それを何度も感じていると、サイドブレーキを引くとき特有の音がした。
自宅に着くには早すぎる。目を開けて秋斗さんを見ると、「ちょっと待っててね」と車から降りた。
横になっている状態で得られる視界からは、そこがどこなのかはわかりかねる。
ただ、白熱灯ぽいオレンジ色の光が届くことから、もしかしたらお店の前なのかもしれない。
コンビニなら蛍光灯……?
そんなことを考えていると、五分と経たないうちに秋斗さんが戻ってきた。
運転席側の後部座席が開き、目の前に置かれた箱はアンダンテのケーキボックスだった。
「アンダンテの、前……?」
「そう」
秋斗さんはにこりと笑う。
今度はかわいそうな子を見る目じゃなかった。
さっきの顔は蒼兄と似ている……。心配という文字が顔に貼り付いていて、どこか哀れまれている気になるから少し嫌……。
そんな顔をさせているのは自分なのだけど、それでも嫌なの。
だって、好きな人には笑っていてほしい。
――あ、れ……? それはどういう意味で?
どことなく蒼兄と似ているから……?
運転席に戻ってシートベルトを締める秋斗さんに顔を覗き込まれ、
「ご飯が食べれなくても苺タルトならがんばれるんでしょ?」
ちょっと意地悪な笑顔。そんな笑顔も最近は見慣れつつあって……なのに、どうして?
頬の、熱の持ち方がいつもと違いすぎた。咄嗟に秋斗さんから顔を逸らす。と、
「……どうかした?」
不思議そうに、ほんの少し心配の色を含む声で訊かれる。
「いえ――どうも、しないです」
「……そう?」
そのあとは追求されることなくほっとした。
蒼兄……恋はするものじゃなくて気づいたら落ちているって――こういうことを言うの? これは恋……? これが、恋……?
「恋」と「好きな人」。
ふたつのキーワードが頭でひとつになった瞬間、心臓がけたたましく鳴りだした。思わず胸を押さえてしまうほどに。
「翠葉ちゃん、痛みが出てたりする?」
エンジンをかけた状態で訊かれる。
「違っ――痛みとか、そういうのじゃなくて……あの、大丈夫です」
「……薬は早めに飲んだほうがいいんじゃない?」
本気で心配されているのがわかるから、顔を背けている場合ではなかった。
ドアの方へ向けていた身体をほんの少し運転席へ向ける。
「本当に違うので……大丈夫です」
「……わかった。あと十五分くらいで家に着くから」
秋斗さんは再び車を発進させた。
制服のポケットから携帯を取り出すと、六時を回ったところだった。
ここへ運ばれたのが四時過ぎとすれば、二時間は横になっていたことになる。
点滴はあと三十分もすれば終わる残量。
「身体、少し起こしてみようかな……」
今の自分がどれくらい身体を起こしていられるのかを知りたい。
上体を少しずつ起こし、壁に背を預ける。たったそれだけの動作で血が下がっていくのを感じていた。
「困ったな……」
どうやったら学校生活を送れるんだろう……。
薬を飲まなければ痛みが出る。痛みが出れば鎮痛剤を使わなくてはいけない。そしたら胃が荒れて物が食べられなくなるだけではなく、血圧も体温も下がる。
いいことは何もない……。
薬を服用することで痛みをある程度抑えることはできる。けれど、この状態ではどうしたって学校には通えない。
どうしたらいい? 何か方法はないの――?
コンコンコンコン――
「はい」
ドアが開くと湊先生が入ってきた。
「どう?」
「だいぶ、楽になりました。……でも、身体を起こしているのはかなりきついです」
「そりゃそうでしょう? 数値自体がすごく低いもの。こんな数値で普通に過ごされたら医者なんていらないわよ」
湊先生はモバイルディスプレイを私に向けた。
七十六の四十八――確かに低い。いつもなら自宅安静を申し渡される数値だ。
「先生、私……あと二ヶ月、どうやったら学校に通い続けられるだろう……」
先生はものすごく驚いた顔をした。そのあと、
「少し進歩したじゃない」
片方の口端を上げて笑った。
「進歩、ですか?」
先生は秋斗さんが掛けていたスツールに座り、長い脚を組む。
癖なのか、いつも組んでいる足は右が上。細くて長い足がきれいに見える角度を心得ているよう。
「少し前なら、すぐに辞めることを考えたんじゃない?」
言われてはっとした。でも、
「……同じことです。これからの二ヶ月、学校に通えなければ出欠日数や単位もろもろを落として進級できなくなりますから……」
「……学校に登校さえしていればなんとかならないこともない」
え……?
「保健室で授業を受けるシステムも整っているのよ」
「……そうなんですか?」
「嘘なんてつかないわ。学校案内のパンフレットや公にされる資料には載ってないけど、あるのよ」
知らなかった……。
「もちろん、授業を出席扱いにするわけだから、課題もクリアしないといけないけど……。うちの学校、学力のある生徒には慈悲深いの。蒼樹はそれも知っていて翠葉にこの学校を勧めたはずだけど? まさか聞いてないの?」
首を左右に振って知らないことを伝える。
「去年の秋ごろだったかしら? 私のところへ訊きに来たのよ」
私と両親が平行線の話し合いをしているとき、蒼兄は痒いところにまで手が届くような外堀を埋めてくれていたことを新たに知る。
「けど、学校に通えていればって話だから、あんたは学校までがんばって来なくちゃいけないけど」
……まず、突破しなくちゃいけないのはそこだよね。
「先生……」
「何?」
だめもとだけど、これ以外の方法が思いつかない。
「薬の分量を増やすの、全国模試のあとじゃだめですか?」
湊先生の目が見開いたのがわかった。まるで、「何を言い出すんだ」という顔。
私もそう思う。そう思うけれど、これ以外の方法が思いつかないの。
「全国模試って、来月の頭よね?」
「はい。六月の二日です」
あと一週間ある。
「ちょうど入梅が予想されているころか……」
「この状態じゃ勉強できそうにないんです。でも、勉強しなくちゃ危ない科目がいくつかあって……」
湊先生は一度私を見て、視線を前方に戻す。
どうしようか考えている横顔……。
次に私の方を向き直ったときには真正面から見据えられた。
「薬の投与が遅れる分、痛みが出てくる可能性も高くなるわよ?」
「鎮痛剤で抑えます」
「鎮痛剤の副作用で血圧や体温が下がるのもわかってるわよね?」
さっき、嫌というほど考えた。でも――
「ここで耐えておかないと、今後の高校生活に響くと思うんです。全国模試を落とすことはできない。でも、模試のあとなら一週間続けて休んだとしても期末考査まではまだ時間があります。七月頭までになら体調を立て直せるかもしれません」
「……なるほどね。二ヶ月間、どっちにしろつらい思いをするならどこにウェイトを置くか――そういうことね?」
湊先生の目を見てコクリと頷く。
「そういうことなら考えなくもない。薬を増やすのは一週間後の開始で、痛み止めは――三段階に増やそう。三段階というよりは一段階で飲める薬を二種類に増やすわ。ひとつは胃の負担になりにくい軽めの薬。もうひとつは今飲んでいるもの。それで胃への負担が少しでも軽くなるといいけど……」
正直、薬は減らしてもらえないかと思っていた。言ってみるものなのね……?
「……翠葉、そういうことは口にしなさい。いくら主治医とはいえ、翠葉の身体が手に取るようにわかるわけじゃない。思うことがあれば口にすればいい。そしたら一緒に考える」
湊先生は残り少ない点滴の滴下を速めた。
「医者的見地からすれば家で休ませたいというのが本音だし、薬も飲ませておきたい。けど、それで翠葉の人生に歪みが生じるなら考えなくちゃいけない。一度離脱すると社会復帰が難しい――それは現場で働いたことがある医者なら誰もが知ってる。だから、自分がどうしたいのかは口にしていい」
「……はい」
「薬は秋斗に渡しておく」
す、と立ち上がると、今度は点滴の抜針を始めた。
「もう少し寝てなさい。秋斗もまだ仕事が残ってるみたいだし。秋斗が迎えに来るまで寝てるのね」
先生は私に視線を戻すと、
「無理に身体を起こしてる必要もないわ。寝てたらきっと運んでくれるでしょう?」
「……それは恥ずかしいです」
「いいじゃない、眠れる森の乙女みたいで」
くつくつと笑いながら先生は仮眠室を出ていった。
「翠葉ちゃん、帰れる?」
「はい。今、何時でしょう?」
「七時過ぎかな」
秋斗さんは側まで来ると身体を起こすのを手伝ってくれた。
まずは一段階目、上体を起こすだけ。
――頭がくらくらする。
その状態に少し慣れてベッドから足を下ろす。
あとは立つだけ――
ゆっくりと立ち上がる。でも、視界を保つことはできなかった。
どんなに段階を踏んでもだめじゃない……。
情けなくて悔しくて目に涙が溜まる。
でも、泣かない――絶対に泣かない。
眩暈と涙が引くのを待っていると、すっぽりと秋斗さんの腕に抱きこまれた。
「ゆっくりでいい……。ゆっくりいこう」
コクリと頷く。それが精一杯。
今声を発したとしても震えた声しか出てきそうにないし、何か口にしようものなら真先に泣き言を漏らしてしまいそう。
少しすると、「落ち着いた?」と声をかけられた。
それは眩暈のことを問われたのか。それとも、泣きそうだったのを悟られたのか――
声が掠れないように最善の注意を払い、今できる限りの笑顔を添えて顔を上げる。「大丈夫です」と一言伝えるために。
声は震えることも掠れることもなかった。でも、秋斗さんの目がかわいそうな子を見るような目で、少し嫌だった。
そんな目で見ないで。私をかわいそうな子にしないで――
「じゃ、行こうか」
その言葉に、「はい」と普段より硬い声で答えた。
私、そんなにかわいそうじゃない。そんなに弱くない。
必死に自分を奮い立たせる。それが精一杯。
図書室を出る際には生徒会メンバーに声をかけられた。けど、あまり上手に受け答えができた気はしなかった。
こんな状態の私を見たのだから、生徒会への打診も取り下げられるだろう。
そういうことは早くに判断してもらったほうがいい。迷惑がかかるその前に回避することができるのなら、そのほうが私の気持ちも幾分か楽だ。
必要とされて、何かの拍子に要らないものになるよりそのほうがいい。傷つかないで済む……。
心を強く持とう、家に帰るまではがんばろう――
どれだけそう思っていても、テラスへ出て一階へと続く階段を見ると挫けそうになる。
体調が悪いとこうも景色が違って見えるものなのか。階段がいつもよりも長く、傾斜が急に感じた。
左に手すり、右手に秋斗さんの手を借りてゆっくりと下りた。
部活が終わる時間と重なったこともあり、人の視線を感じる。私たちが下りる階段は部室棟へとつながる階段だから余計に……。
せめてもの救いは、階段の幅が広いこと。人が五人並んでも歩けるため、どれだけゆっくり下りていようと人の邪魔になることはない。
少しでも早く下りようと焦ろうものなら、それを引き止めるように右手に力をこめられた。
駐車場に着き助手席のシートに座ると、秋斗さんの手ですぐにシートが倒される。
「この時間は少し混むかもしれないから寝てて?」
秋斗さんが運転席に乗り込みエンジンをかけると、カーステから「Close To You」が流れてきた。この曲独特のゆったりとしたリズムが心地よく感じる。
横になっているというのに車の振動をほとんど感じない。静かに停まっては緩やかに走り出す。それを何度も感じていると、サイドブレーキを引くとき特有の音がした。
自宅に着くには早すぎる。目を開けて秋斗さんを見ると、「ちょっと待っててね」と車から降りた。
横になっている状態で得られる視界からは、そこがどこなのかはわかりかねる。
ただ、白熱灯ぽいオレンジ色の光が届くことから、もしかしたらお店の前なのかもしれない。
コンビニなら蛍光灯……?
そんなことを考えていると、五分と経たないうちに秋斗さんが戻ってきた。
運転席側の後部座席が開き、目の前に置かれた箱はアンダンテのケーキボックスだった。
「アンダンテの、前……?」
「そう」
秋斗さんはにこりと笑う。
今度はかわいそうな子を見る目じゃなかった。
さっきの顔は蒼兄と似ている……。心配という文字が顔に貼り付いていて、どこか哀れまれている気になるから少し嫌……。
そんな顔をさせているのは自分なのだけど、それでも嫌なの。
だって、好きな人には笑っていてほしい。
――あ、れ……? それはどういう意味で?
どことなく蒼兄と似ているから……?
運転席に戻ってシートベルトを締める秋斗さんに顔を覗き込まれ、
「ご飯が食べれなくても苺タルトならがんばれるんでしょ?」
ちょっと意地悪な笑顔。そんな笑顔も最近は見慣れつつあって……なのに、どうして?
頬の、熱の持ち方がいつもと違いすぎた。咄嗟に秋斗さんから顔を逸らす。と、
「……どうかした?」
不思議そうに、ほんの少し心配の色を含む声で訊かれる。
「いえ――どうも、しないです」
「……そう?」
そのあとは追求されることなくほっとした。
蒼兄……恋はするものじゃなくて気づいたら落ちているって――こういうことを言うの? これは恋……? これが、恋……?
「恋」と「好きな人」。
ふたつのキーワードが頭でひとつになった瞬間、心臓がけたたましく鳴りだした。思わず胸を押さえてしまうほどに。
「翠葉ちゃん、痛みが出てたりする?」
エンジンをかけた状態で訊かれる。
「違っ――痛みとか、そういうのじゃなくて……あの、大丈夫です」
「……薬は早めに飲んだほうがいいんじゃない?」
本気で心配されているのがわかるから、顔を背けている場合ではなかった。
ドアの方へ向けていた身体をほんの少し運転席へ向ける。
「本当に違うので……大丈夫です」
「……わかった。あと十五分くらいで家に着くから」
秋斗さんは再び車を発進させた。
5
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される
けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」
県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。
頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。
その名も『古羊姉妹』
本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。
――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。
そして『その日』は突然やってきた。
ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。
助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。
何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった!
――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。
そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ!
意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。
士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。
こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。
が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。
彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。
※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。
イラスト担当:さんさん
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?
宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。
栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。
その彼女に脅された。
「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」
今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。
でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる!
しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ??
訳が分からない……。それ、俺困るの?
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる