光のもとで1

葉野りるは

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第八章 自己との対峙

30話

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 お母さんが家を出る前に部屋に入ってきてふわりと抱きしめられた。
「身体、大事にしなさい。無理はしなくていいの。痛かったら痛いでいいの。……確かに私は言われて何をできるわけでもないけど、言われて困ったりはしないから。泣いても何してもいいから、我慢はしすぎないでちょうだい」
 ……言葉に詰まるとはこういうことをいうのね。
「お母さん……大好き。お仕事、がんばってね」
 私はお母さんに言われたことには何ひとつ返事ができなかった。でも、精一杯の気持ちを伝えたつもり。
 そのあと、栞さんと唯兄に私のことをお願いすると、お母さんはボストンバッグとハンドバッグを持って部屋を出ていった。
 栞さんが玄関まで見送りに行き、唯兄は私の部屋に残ってくれた。今は唯兄の手が私の頭をゆっくりと撫でてくれている。
 まるで幼稚園児並みの扱い。でも、お母さんと離れることがこんなにもつらく寂しいと感じたのは初めてかもしれない。
「そんなに寂しいならいてもらえば良かったのに」
「それはだめ……」
「リィ、顔と言ってることが正反対」
「いいの、私だけがわかっていれば」
「それ不愉快」
「……私、がんばらなくちゃいけないの」
「リィはがんばりすぎなので、それ以上がんばる必要はないかと思う」
「……唯兄を見てると、もっともっとがんばらなくちゃだめだなって思う」
 唯兄は少し考えてから、
「俺がここにいるとつらいの増す?」
「っ……違うっ。そういう意味じゃなくて――」
 思わず、唯兄のシャツを両手で握りしめていた。
「わかった。俺の勘違いね? でもさ、リィはひとりでなんでもかんでも抱え込みすぎだし、体調のことにしても何にしても我慢しすぎだと思うよ」
「……どこらへんが?」
「……秋斗さんのときもそうだったし、ここに戻ってくる前のテスト期間だってそうだったし。っていうか、俺が一緒にいるようになったのがそのあたりからだから、俺が気づけたのがそれだけってだけかも。一緒にいたらもっと色んなことが見えるだろうな、とは思ってたけど案の定……」
「……でも、人は自分の醜いところを人に見せたいとは思わないでしょう?」
「醜いものが何を指すのか教えてよ」
「……具合が悪くなってどんどんやつれていく自分とか、不安定な気持ちで心無い言葉を人にぶつけてしまうのとか……」
 言おうと思えばいくらでも言える気がした。
「それが人間なんじゃないの? 具合悪くて肌の色艶良かったら気持ち悪いし、不安定な感情を持った人間がまともなことを口にしてたら変じゃない?」
 それはそうなのだけど……。
「周りはそんなの知ったうえで側にいるんだろうから、そういうのは気にしなくていいのに。なのに、リィは気にするんだ?」
 私はコクリと頷く。すると、
「自意識過剰、見栄っ張りの意地っ張り」
 唯兄の言葉にはっと顔を上げる。と、
「人の視線を気にすぎ。自分を良く見せようとしすぎ。自分は耐えられると過信しすぎ」
 唯兄に言われてひとつ訂正する。
「唯兄、ひとつ訂正。最後のは違う。私は弱い人間だから、だから一生懸命強いふりをしているだけ」
「……それで自爆してたらだめでしょ」
 突如額にデコピンを食らう。
「ほら、本当は横になっていたいんでしょ? 寝ちゃいな。起きたらコールしてよ。飲み物持ってくるからさ」
 唯兄はそう言うと部屋を出ていった。
 入れ替わりで栞さんが入ってくると、クスリと笑われた。
「いい関係が築けているみたいでほっとしたわ」
 言いながら、栞さんはベッドに腰掛ける。
「唯兄は蒼兄ほど選んで言葉を話さないから……」
「それは翠葉ちゃんにとって嫌なことなの?」
 首を傾げて訊かれる。
「嫌、ではないです。ただ、時々意表をつかれてドキッとします。嫌な自分を見つけちゃったときのドキ……。少し心臓に悪いんだけど、でも知らないよりは知っていたほうがいいこと」
「……若槻くんが負担になっているわけじゃないのね?」
 どこか確認するような訊かれ方だった。
「はい。唯兄がいると救われることがたくさんあります。とくに、蒼兄やお母さんといて空気が重くなるとき。そういうときに唯兄が何かを話すだけで魔法みたいにその場の空気が軽くなるんです」
「……良かったわね」
 栞さんは穏やかに微笑むと、
「今日はこれで帰るけど、明日からは普通どおりに来るから」
 栞さんはドアまで歩いて行き振り返る。
「碧さんから、いつでも泊っていいって言われているの。だから、翠葉ちゃんが心配なときは遠慮せずに泊ることにするわ」
 そう言うと、栞さんは部屋を出ていった。
 やっぱり――お母さんはどこまでも用意周到で、簡単に私をひとりにする気はないようだ。
 でもね、お母さん……私には私の意地も見栄もあるの。それを手放したら、私はなし崩しに脆く崩れ去ってしまいそうで怖いの。
 だから、それだけは手放せない――


 お母さんが現場に戻ってから一週間、色んなことがあった。
 色んなこと、といっても起きた事象は少ない。
 ただ、痛みがひどくて病院で処置を受けること四回。それだけ。
 学校やマンションにいれば湊先生が注射を打ってくれたのだろう。けれど、ここは幸倉の自宅。
 自宅を選択したことに後悔はない。でも、栞さんや唯兄、蒼兄、離れている両親にもたくさんの心配をかけている。唯兄はイライラしているのが見て取れるくらいだ。
「なんでこんなに痛がってるのに眠らせるような薬でしか処置ができないんだよっ」
 病院の廊下で叫ぶ唯兄の声を聞いたのは昨夜のこと。
 唯兄、仕方がないんだよ。私の痛みは炎症反応も出ないし、ありとあらゆる検査にも引っかからないのだから。
 先生たちが悪いわけじゃない。悪いのは私の身体なのだ。それに、注射で眠れるのならそれは救いとも思えた。
 付き添ってくれている栞さんの表情が日に日に暗いものへと変わっていくのも気づいていた。
 そろそろだ――
 私の我慢もあと少しで限界だろう。そうなる前に私はしなくてはいけないことがある。
 司先輩が教えてくれたように数を数えた。何度も試した。でも、うまくいくことはなかった。
 どうしても自分を切り替えることはできなかった。
 このままでは言ってはいけないことを口にしてしまいそうになる。それだけは避けたい……。
 お母さんは痛いと言っていいと、何を口にしてもかまわないと何度も何度も言ってくれた。でも、私が言いたくない言葉だってある。吐き出せば楽になるなんて、そんなに簡単なものじゃない。
 以前口にしそうになったときのことを思い出すと、未だにぞくりと粟立つほどだ。
 人を傷つけると自分も傷つく。
 だから、これは自分を守るための行為でもある――

 痛む指先を我慢して携帯の操作をする。
 今、日付が変わったところ。でも、この人なら絶対に起きている。
 コール音が数回鳴ると、「翠?」と低く落ち着いた声が耳に響いた。
 この声が好き……。心にす、と染み込んでいく感じがする。
「夜遅くにすみません……」
『いや、起きてたから問題ないけど――』
 まだ続きそうな先輩の言葉を遮り自分の用件を伝える。
「先輩……お願い、十を数えてください」
 先輩からの反応はすぐには得られなかった。
「自分で何度も数えたの。でも、だめだった……。お願い、十、数えてください」
『何かあっ――』
「何も訊かないでっ。……お願い」
『……わかった』
 先輩は一息置いてから数を数え始めた。
 一クール終わると、「数えたけど?」と言われる。
「……もっと聞きたい」
 先輩は何も言わずに数を数え始め、十まで数えるとまた一に戻って数を数えてくれた。それを何度繰り返してくれたのかは覚えていない。
『翠?』
「先輩……最後に一緒に数を数えてください」
『わかった」
 静かにふたりの声が重なる。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……」
『一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……』
「夜分遅くにありがとうございました」
『翠っ!?』
「おやすみなさい」
 携帯の通話を切ってから、謝罪の言葉を口にした。
「一方的な電話でごめんなさい……」
 でも、先輩のおかげで心は穏やかだ。
 これなら大丈夫。気持ちを切り替えることができた。
 先輩の声は録音をさせてもらった。この声を聞けば何度でも気持ちを切り替えることができるだろう。
 素の自分を隠すための切り替えが、術が、今の私には必要だった。
 手を伸ばしてサイドテーブルの上に置いてあるコンパクトミラーを開く。
 鏡の中の自分と目を合わせ、にこりと笑顔を作った。その笑顔から穏やかな表情へと変える。
 この顔を忘れてはいけない。この表情筋の使い方を忘れてはいけない。
 つらい時期が終わるまで、それまでがんばれ私――
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