光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
644 / 1,060
第十二章 自分のモノサシ

22話

しおりを挟む
 この階は相変わらずほかの階と比べて少し暗い。
 レベーターを出てすぐのところにあるロビーは、床から天井までのガラス窓でとても明るいのに、廊下はわずかな照明のみ。
「患者がいなけれりゃ、俺が困らない程度についてればいい」
 それが相馬先生の考えなのだ。
 実際に暗すぎて足元が見えないなんてことはないし、困らない程度の照明はついている。
 ナースセンターに着くと、
「先生、ちょっと内線借りまーす」
 唯兄がカウンターに手を伸ばし、
「新棟九階にいる若槻です。藤守さんお願いできますか? ――あ、若槻です。すぐに新棟のエレベーターを八階止まりにしてください。ほか、二棟との連絡通路のロックがされていないようでしたらそちらもロックかけてください。それから、非常階段に警備員の配置をお願いします。自分は五分以内に非常階段から下りますので、話はそのときに」
 いつもより活舌良く早口で、けれども相手が聞き取れる速さをキープしつつ用件のみを簡潔に伝えて内線を切った。
「リィ、俺ちょっと警備室に行ってくるね」
 いつもの口調に戻ったけれど、急いでいる感じは変わらない。
「治療が終わったら警備室に内線かけて? くれぐれも、単独行動はしないこと。エレベーター内の九階ボタンは無効にしたから下からは上がってこれない。でも、九階からの呼び出しにエレベーターは応じる。でも、俺が戻るまではだめ。相馬先生と一緒にいて」
 念を押すように言われた。
「何かあったのか?」
 相馬先生が訊くと、
「んー……ちょっと面倒そうなのと鉢合わせちゃっただけです」
 いつもの口調に戻るけど、やはり急いでいるようだった。
「今、この階に誰も入ってませんよね?」
「あぁ、相変わらずの不況ぷりだ。たまに物好きな人間が人間ドックで数泊するくらいさ。今はいない」
「なら問題ない。リィの治療って時間かかります?」
「それなりに」
「じゃ、やっぱり必要」
 言いながら、唯兄はエレベーターホールとは反対方向に向かって後ろ歩きを始める。
「自分が出たら非常階段もロックされるから、何かあったら警備室に連絡ください。非常時にはこっちで避難経路確保して連絡するなり迎えに来るなりします」
 言うだけ言って、くるりと背を向けて走りだす。
「何があったんだ?」
「エレベーターで八階を押した人たちに、九階には家族が入院しているのか訊かれたんですけど……」
 その後のやりとりや唯兄が話してくれたことを続けようとしたけれど、説明はそれで十分だったみたい。
「なるほど。そりゃ面倒な人間と鉢合わせたな」
 唯兄が色々と説明してくれたけれど、私はそこではなくて違う部分が気になっていたからあまり深くは考えていなかった。
 改めて先生に疑問をぶつけると、
「そうだなぁ……。ま、使い道はそれぞれ違うだろうが、やることはひとつだな。九階に誰が入院しているのかが知りてぇってとこだ」
「知ってどうするんですか?」
「この階に入院できる人間はそれなりの経済力がある人間に限られる。企業の重役であってもおかしくはない。十階は藤宮一族が使うVIP階。九階は会長や藤宮の上層部の口利きがないと入れない。そんな人間たちは一握りだ。それ以外の企業のトップはこの棟の八階に入ることが多い。誰が入院しているのかを情報として使うのか、お近づきになりたいのか、入院している人間によりけりで使い道は変わるんだろうな。ま、実際には誰もいないし、誰かがいるのならそれなりのセキュリティ対応に変わるがな」
 自分の入院していた階が特別であることは知っていたけれど、ここまで詳しく知ったのは初めてのことだった。
 でも、なんだか難しい……。
 今でも苦しんでいて、入院したいのに万床でベッド待ちの人はたくさんいると思う。なのに、誰も使わない病室が常にあるなんて……。
 楓先生がこんな部屋はなくてもいいから病室に、と自分にあてがわれたオフィスを見て言っていたのを思い出す。
 そしたら、なんとなく楓先生に会いたくなった。
「十階にはいつもセキュリティがかかっているが、ここは患者がいない限りはセキュリティをかけてはいないんだ」
「そうなんですか……?」
「スイハが治療で来るときはいつも警備員がエレベーターに同乗していた。違うか?」
「あ――」
「あれはほかの階で停まらないようにノンストップで上がるために、だ」
 知らなかった……。
 でも、言われてみればいつもほかの階で停まることもなく、ほかの誰と一緒にエレベーターに乗り込むでもなく、いつだって警備員さんが同乗していた。
 気にしていなかったから言われるまで気づかなかった。
「ここで治療を続けるのも意外とリスクがあるってこったな。ま、スイハが気にすることじゃねぇ。んなもん、気にしなくちゃなんねぇ人間たちがどうにかするさ」
 ケケケ、と笑っては夏休みに過ごした病室へ移動する。
 気づかないところで人に守られている。そして、気づかないことで私はお礼も言っていないのだ。
 それが警備員さんたちのお仕事でも、お礼を言いたいと思うのはおかしいことかな……。お礼を言うことは、その人たちを困らせることになるのだろうか……。
 あとで唯兄に訊いてみよう。

 病室は自然光で十分な明るさだった。
 まだ午前だけどとても明るい。
 午後になると、今よりも柔らかなお日様の光が部屋に溢れ、陽が傾きだすころには赤味を帯びた光に変化する。
 ここは病室であって処置室でも診察室でもない。けれど、私にとっては病室兼処置室兼診察室の三役を担う部屋になっていた。
「でも、あのシスコン兄貴二号も藤宮警備にいるだけあって機転が利くな?」
「……二号って、唯兄のことですか?」
「あぁ。スイハはナンバーツーのとこで仕事すんだろ? それがトップシークレットなら、ここに来ているのがスイハだと知られないのが最良だ。だから、あらかじめ警備室に連絡を入れてスイハたちの名前は記入させないようにしていたんだが……」
 あ――
「まぁ、いい。それは二号に任せとけ」
 そう言うと、いつものようにカイロに使われる寝台に腰掛けて脈を取られる。
「学校はどうだ?」
「すごく楽しいですっ! 昨日ね、初めて起案書を作らせてもらったんですよっ!」
「おー、良かったな」
 脈診を進めるうちに、先生の表情が厳しいものに変わった。
「……先生?」
「全部最悪だな。ストレスの脈も強ければ肺の脈も無駄に強い。気をつけないと風邪ひくぞ。それに加えて胃腸、腎臓の動きも弱い。ものが食えてないか何かしらの症状が出てると思うんだが? ……それから、睡眠も取れてねぇな」
 鋭い目が私を射止めた。
「ピルケース出せや」
「っ……」
「何か見せられないものでも入ってんのか?」
 ピルケースには普段から携帯している薬のほかに、蒼兄や唯兄が飲んでいる滋養強壮剤と呼ばれるものが一錠だけ入っている。
 どうしてか、それを見られるのはとてもいけないような気がした。
「……出せ」
 その言葉には逆らえなくて、仕方なしにメタリックグリーンのケースをかばんから出す。
 先生はそれを受け取ると、ケースをスライドさせて中を見た。
「俺の知らないものがひとつある」
 先生は錠剤を人差し指と親指でつまみ、
「これはなんだ?」
「…………」
「なんだ、と訊いている」
「……滋養強壮剤。おうちにあったものです」
「……誰かに勧められて飲んでるのか? それとも自分でか? 少なくとも、俺は許可した覚えはねぇ」
「……自分で――」
「……もう飲むなよ?」
 私はその言葉に頷くことも返事をすることもできずにいた。けれども、無言は肯定と見なされてしまい、先生はそれをゴミ箱に放り投げた。
 あれがないと一日動いていられないのに――
「ずいぶんと名残惜しそうだな?」
 だって――
「言いたいことがあるなら口にしろ」
「――だってっっっ、あれがないと一日動けないっっっ」
 テスト明けの火曜日、午後から紅葉祭の準備に取り掛かったけれど、夜にはご飯が食べられないほどに疲れていた。
 翌朝、キッチンに入ったときに目についたものがある。
 それは、唯兄と蒼兄が愛用している滋養強壮剤。
 普段は気にも留めなかったけれど、「滋養強壮」の文字がひどく魅惑的なものに思えて、その日初めて一錠持ち出した。
 夕方、極度の疲労感が襲ってきたときに飲んだら、身体がポカポカしてきてなんとなくそのあとも動けた。少なくとも、前日よりは楽だった。
「おまえは夏休みの治療を全部無駄にしたいのか?」
「そんなつもりないっ」
「そんなもの飲み続けてたら、あっという間に逆戻りだ。今すぐやめろ。もう飲むな」
「でもっっっ」
「でもじゃねぇ……」
「……どうして――」
 だめだ……感情のままになんて話ちゃだめ。
 また私は泣きだして、何もかもが止らなくなる。
 そうではなく、きちんと話をしなくちゃいけない。
 ――だけど、もう遅かったみたい。
 言いたくない言葉が次から次へと口から出ていく。
「今日、日曜日なのに先生に呼ばれた理由ってこれなのっ!?」
「あぁ、そうだ」
 即答だった。
「バイタルが何かおかしかったからっ!? だからっっっ!?」
「そうだ。良かったな? それを付けてて」
「――もうやだっっっ、なんでもかんでも見られて知られてて、こんなの今すぐ外したいっっっ。今日、ここに呼ばれなかったら起案書だって最後まで作れたのにっっっ」
「ばかやろうっっっ、おまえは死にたいのかっ!?」
「死にたいわけないじゃないっ。死にたいわけじゃなくて、ただ、みんなと一緒に行動したいだけっっっ。目の前にあることをやりたいと思っちゃいけないっ!? それはそんなにいけないことなのっっっ!?」
 止まらなかった。止めることができなかった――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...