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最終章 恋のあとさき
07話
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「この学校の外部生入学枠が少ないのは、こういった教育の土台を崩されないための保守策でもあるの」
藤宮は基本的には幼稚部から高等部までエスカレーターでの持ち上がりが多い。
幼稚部は六十人が入園限度枠となっていて、初等部での外部入学枠は八十人前後。中等部では五十人前後。高等部では二十人以内。
初等部の受け入れ枠が多いのは、本格的な教育が始まる前だから。
中等部ではプレゼンテーション能力のハードルを上げることもあり、学力に加えて面接での受け答えなどが重視されるそう。高等部では学力低下を食い止めるために、外部から学力の高い生徒を募集する。そして、中等部同様に面接がとても重視されるのだという。
今の今まで、学力面における理由しか知らなかったけれど、学園側にはそういう意図があっての入学枠だった。
ふと、紅葉祭前に滋養強壮剤を使ったときのことを思い出す。
相馬先生にぶつけたあれは「反抗」なのだろうか。「反発」なのだろうか。
間違ってもプレゼンテーションではなかった。抑えられない感情を大声で口にし、ただ吐き出したに過ぎない。
話し方を考えれば、言葉を選べば、周りの人を説得することができただろうか。
少し考え首を横に振る。
答えは否。あのときの私にそんな余裕はなかった。
負の感情に呑まれ、冷静に話し方を考えられる心境ではなかった。
そんな私を、相馬先生はを受け止めようとしてくれていた。全部吐き出せ、と。
黒くドロドロとした感情を抱えた私を否定せず、けれど甘やかすでもなく、今やっていることは間違っている、とはっきりと言ってくれた。
蒼兄も両親も、先生がストップを出すまで見守っていてくれた。唯兄に関しては肯定してくれていた。私は誰にも否定されていなかった。
自分を否定していたのはほかでもない自分自身――
思い出しては涙が溢れる。
「どうかした?」
先生に訊かれ、私はそのときの話をした。しゃくりあげるものをこらえながら。
「翠葉ちゃんは体調的に色んなものを抱えているものね。でも、周りにたくさん理解者がいて幸せね?」
首を大きく縦に振る。大好きな人たちのことを思い浮かべて。
私は幸せ。こんなにも自分をわかってくれる、肯定してくれる人が周りにたくさんいて。
それがどれだけ幸せなことなのか、今改めて知った。
「翠葉ちゃんが反発しちゃうのは自分の身体に対して、なのね。……難しいことだとは思うけど、その身体を翠葉ちゃんが肯定してあげる、認めてあげることで葛藤や反発心は少し軽いものになるかもしれないわ」
そうなのかもしれない。
頭ではわかっていても、心が追いつかない。心が伴わない。
理解できても実践は難しい。
「そんな顔しないっ! 今すぐできるようにならなくてもいい。でも、頭の片隅に覚えておいて。反対することよりも認めること、受け入れることのほうが難しい。痛みを伴うこともある。……でも、苦しい思いをした分報われることも必ずあるから」
先生は、「休憩しよう」と新しくお茶を淹れに席を立った。
三歩歩いて振り返る。
「カモミールティーなくなっちゃった。ラベンダーティーでもいい?」
私は泣き笑いで頷いた。
気づけば時計は三時を指していた。
「時間が過ぎるのってあっという間ね?」
「はい。……あの、ほかの外部生にもこれだけの時間かけたんですか?」
「そうよ。外部生の事前授業は念入りにするの。だから、たいていが土曜日の午後半日を使うわ。それで足りなければもう一日設ける。今はマンツーマンだけど基本は二十人弱の生徒、男女ごちゃ混ぜでやるからね。全員が納得してるかどうかは、最後の筆記試験や実技試験でマンツーマンになったときに最終確認をする感じ」
「筆記試験と実技試験、ですか……?」
「翠葉ちゃんの場合、筆記はいらないわね。今、ほとんど口頭で答えてもらってるから。あぁ、試験と言っても点数がつくわけじゃないの。ただ、知識をきちんと習得できているかの確認よ」
「……実技、は?」
「避妊に関する実技が最後にあるから、覚悟しててね?」
先生に出されたチョコレートをふたつ頂いてから、本格的な性教育の授業が始まった。
「異性を好きになったとき、女子と男子では心の変化や感じ方がちょっと違うの。女子は段階を踏みたがり、男子は衝動的というか、即物的というか、何にせよ欲望に実直だわ」
その違いは何……?
「たとえばね、女子が異性を好きになると、まずは『話したい』と思う。次は『一緒にいたい』。その次くらいでやっと『触れたい』と思い始めて、最終的に『愛されたい、愛したい』になるのよ。ま、中には例外もいるけどね? 男子は『好き』って思ったら、次が『抱きしめたい』。女子と比べると、それくらい段階をすっ飛ばしたところにたどり着く。これは脳のつくりが違うし持っている本能が違うから仕方のないことなんだけど」
先生はため息をついてクスリと笑う。
「私はその欲望に素直なところがかわいいなって思うけど、何もかもが初めての女子からしてみたら面食らっちゃう部分でもあるわね」
先生の説明で、心の中に濃い影となって姿を現したのは秋斗さんだった。
私は秋斗さんを好きだった。それははっきりと自覚している。
好きと気づいたら、途端に色んなことが恥ずかしくなっちゃったけど――でも、お話できることが嬉しかった。一緒に過ごせることが嬉しかった。
手をつないでドキドキして、抱っこされてドキドキして、抱きしめられてドキドキして――キスされたときはびっくりした。自分が蒸発しちゃうんじゃないかと思うくらいに身体中に熱を持った。
そんな私を見た秋斗さんはいつも余裕そうにクスクスと笑っていたけれど、「自分もドキドキしてるんだよ」と、こんなふうに赤くなる私を好きだと言ってくれた。
本当に好きだったのに、どうしてキスマークはだめだったのかな……。
どうして、あんなに優しい人を怖いと思ってしまったのか……。
秋斗さんはきちんと段階を踏んでくれていたのに。
何度考えても、どんなに考えても答えは出ない。
「先生……好きな人を怖いと思ってしまうのはおかしい、ですよね」
気づけばそんな質問をしていた。
「それは……性行為に関するものと解釈していいのかしら?」
私はぎこちなくコクリと頷く。
「おかしくはないと思うわよ?」
本当に……?
視線を合わせると、
「私は人によると思う」
「個人差……?」
先生はコロコロと笑った。
「個人差は個人差でも、もう少し砕いて話すなら『性格』じゃないかしら?」
「性格」と言われ、咄嗟に頭に浮かんだ文字は「臆病者」。
「翠葉ちゃん、ちょっと飛躍したたとえ話をするわよ? 宇宙人が藤山で目撃されました、ってニュースが流れたらどうする?」
私は目を瞬かせた。
「宇宙人……ですか?」
「そう。もしくは未確認生物とか、未確認飛行物体でもいいんだけど……」
「どうする?」と訊かれても、あまり近寄りたいとは思わない。だって、連れ去られたら怖いし、何か病気になるようなウイルスを持っていないとも限らない。
「見に行く派? 見に行かない派?」
「見に行かない派、です」
写真なら見たいと思うかもしれないけれど、現場に行ってまで見ようとは思わない。
「それはどうして?」
「……怖いから。だって、どんな相手なのかわからないし、もし遭遇でもして言葉が通じなかったり連れ去られたりしたら怖いし……」
答えると、先生はクスリ、と笑う。
「私もとりあえずは様子見かしらねぇ……。でも、友達の中には率先して見に行きそうな人、いない?」
「え……?」
あ――桃華さんなら真実を見極めに行くかもしれない。海斗くんなら好奇心で見に行くかもしれない。久先輩もカメラ持って行ってしまいそう……。飛鳥ちゃんは意外と怖がって誘われても行かないかも……。佐野くんは慎重な一面があるから、見に行くのではなく情報を集めそう。
「つまり、そういうことよ」
言われてはっとした。
「性格って……」
「未知のものに対して好奇心を抱くか恐怖を感じるのか、はたまた慎重にものごとを見ようとするのか。そういう差。もっとわかりやすいたとえを言うなら……小さい子が初めて海を目にして、寄せては引いていく波を前に足を踏み出せるかどうか。翠葉ちゃんは怖がる子がおかしいと思う?」
私は首を振った。
だって、砂浜の波打ち際でも初めて足を踏み出すのはとても怖かった。
蒼兄とお父さんの手をぎゅっと握って挑んだ覚えがある。
頼りになる家族の手を握っていても怖かった。
水に入った途端、波が引くときの砂がサラサラと形を変えていく様に驚いて、足を掬われる感覚にびっくりして私は泣いてしまった。
エレベーターも同じ。あの独特な浮遊感に慣れなくて、エレベーターよりもエスカレーターを好んだ。
「誰でも初めて見るものや体験することには慎重になるわ。その一方、好奇心や探究心、そういう気持ちで挑める人もいる。そんな差、性格の違いよ。怖いと思うことはおかしいことじゃない」
でも、先生……違うの。私は――行為ではなく秋斗さんを怖いと思ってしまったの。
それはどうして……?
訊こうにも訊けないでいた。すると、
「ここで話すことがほかに漏れることはないわ。胸につかえているものがあるなら話してみない?」
「でも、授業から逸れてしまいます」
「こういう授業は臨機応変に対応するものよ?」
とてもとても優しい笑顔を向けられた。
「翠葉ちゃん。呼吸をしてみて?」
「え?」と思う。
私はほんの少しの息を吐き出してから、深く酸素を吸い込んだ。
先生に止められるまでそれを繰り返すと。
「呼吸って面白いのよ? 吐かないと吸えないの。吸わないと吐けないの」
それは、物理的にごく当たり前なこと。
先生はいったい何を教えようとしてくれているのか……。
「知識も同じようなものよ。詰め込むだけじゃだめ。インプットとアウトプットはバランスよくしなくちゃね?」
その言葉に、身体中に入っていた力が一気に抜けた。
玉紀先生が言っていることと相馬先生に言われたことがふと重なる。
きっと、相馬先生も玉紀先生と同じことを言いたかったのではないだろうか。
吐いてから吸え、と――吐き出すことは悪いことではなく、吐き出したら新しいものを吸い込め、と言いたかったのかもしれない。
性格や容姿、話し方など何ひとつ似ていないのに、言われていることは同じことのように思えた。
藤宮は基本的には幼稚部から高等部までエスカレーターでの持ち上がりが多い。
幼稚部は六十人が入園限度枠となっていて、初等部での外部入学枠は八十人前後。中等部では五十人前後。高等部では二十人以内。
初等部の受け入れ枠が多いのは、本格的な教育が始まる前だから。
中等部ではプレゼンテーション能力のハードルを上げることもあり、学力に加えて面接での受け答えなどが重視されるそう。高等部では学力低下を食い止めるために、外部から学力の高い生徒を募集する。そして、中等部同様に面接がとても重視されるのだという。
今の今まで、学力面における理由しか知らなかったけれど、学園側にはそういう意図があっての入学枠だった。
ふと、紅葉祭前に滋養強壮剤を使ったときのことを思い出す。
相馬先生にぶつけたあれは「反抗」なのだろうか。「反発」なのだろうか。
間違ってもプレゼンテーションではなかった。抑えられない感情を大声で口にし、ただ吐き出したに過ぎない。
話し方を考えれば、言葉を選べば、周りの人を説得することができただろうか。
少し考え首を横に振る。
答えは否。あのときの私にそんな余裕はなかった。
負の感情に呑まれ、冷静に話し方を考えられる心境ではなかった。
そんな私を、相馬先生はを受け止めようとしてくれていた。全部吐き出せ、と。
黒くドロドロとした感情を抱えた私を否定せず、けれど甘やかすでもなく、今やっていることは間違っている、とはっきりと言ってくれた。
蒼兄も両親も、先生がストップを出すまで見守っていてくれた。唯兄に関しては肯定してくれていた。私は誰にも否定されていなかった。
自分を否定していたのはほかでもない自分自身――
思い出しては涙が溢れる。
「どうかした?」
先生に訊かれ、私はそのときの話をした。しゃくりあげるものをこらえながら。
「翠葉ちゃんは体調的に色んなものを抱えているものね。でも、周りにたくさん理解者がいて幸せね?」
首を大きく縦に振る。大好きな人たちのことを思い浮かべて。
私は幸せ。こんなにも自分をわかってくれる、肯定してくれる人が周りにたくさんいて。
それがどれだけ幸せなことなのか、今改めて知った。
「翠葉ちゃんが反発しちゃうのは自分の身体に対して、なのね。……難しいことだとは思うけど、その身体を翠葉ちゃんが肯定してあげる、認めてあげることで葛藤や反発心は少し軽いものになるかもしれないわ」
そうなのかもしれない。
頭ではわかっていても、心が追いつかない。心が伴わない。
理解できても実践は難しい。
「そんな顔しないっ! 今すぐできるようにならなくてもいい。でも、頭の片隅に覚えておいて。反対することよりも認めること、受け入れることのほうが難しい。痛みを伴うこともある。……でも、苦しい思いをした分報われることも必ずあるから」
先生は、「休憩しよう」と新しくお茶を淹れに席を立った。
三歩歩いて振り返る。
「カモミールティーなくなっちゃった。ラベンダーティーでもいい?」
私は泣き笑いで頷いた。
気づけば時計は三時を指していた。
「時間が過ぎるのってあっという間ね?」
「はい。……あの、ほかの外部生にもこれだけの時間かけたんですか?」
「そうよ。外部生の事前授業は念入りにするの。だから、たいていが土曜日の午後半日を使うわ。それで足りなければもう一日設ける。今はマンツーマンだけど基本は二十人弱の生徒、男女ごちゃ混ぜでやるからね。全員が納得してるかどうかは、最後の筆記試験や実技試験でマンツーマンになったときに最終確認をする感じ」
「筆記試験と実技試験、ですか……?」
「翠葉ちゃんの場合、筆記はいらないわね。今、ほとんど口頭で答えてもらってるから。あぁ、試験と言っても点数がつくわけじゃないの。ただ、知識をきちんと習得できているかの確認よ」
「……実技、は?」
「避妊に関する実技が最後にあるから、覚悟しててね?」
先生に出されたチョコレートをふたつ頂いてから、本格的な性教育の授業が始まった。
「異性を好きになったとき、女子と男子では心の変化や感じ方がちょっと違うの。女子は段階を踏みたがり、男子は衝動的というか、即物的というか、何にせよ欲望に実直だわ」
その違いは何……?
「たとえばね、女子が異性を好きになると、まずは『話したい』と思う。次は『一緒にいたい』。その次くらいでやっと『触れたい』と思い始めて、最終的に『愛されたい、愛したい』になるのよ。ま、中には例外もいるけどね? 男子は『好き』って思ったら、次が『抱きしめたい』。女子と比べると、それくらい段階をすっ飛ばしたところにたどり着く。これは脳のつくりが違うし持っている本能が違うから仕方のないことなんだけど」
先生はため息をついてクスリと笑う。
「私はその欲望に素直なところがかわいいなって思うけど、何もかもが初めての女子からしてみたら面食らっちゃう部分でもあるわね」
先生の説明で、心の中に濃い影となって姿を現したのは秋斗さんだった。
私は秋斗さんを好きだった。それははっきりと自覚している。
好きと気づいたら、途端に色んなことが恥ずかしくなっちゃったけど――でも、お話できることが嬉しかった。一緒に過ごせることが嬉しかった。
手をつないでドキドキして、抱っこされてドキドキして、抱きしめられてドキドキして――キスされたときはびっくりした。自分が蒸発しちゃうんじゃないかと思うくらいに身体中に熱を持った。
そんな私を見た秋斗さんはいつも余裕そうにクスクスと笑っていたけれど、「自分もドキドキしてるんだよ」と、こんなふうに赤くなる私を好きだと言ってくれた。
本当に好きだったのに、どうしてキスマークはだめだったのかな……。
どうして、あんなに優しい人を怖いと思ってしまったのか……。
秋斗さんはきちんと段階を踏んでくれていたのに。
何度考えても、どんなに考えても答えは出ない。
「先生……好きな人を怖いと思ってしまうのはおかしい、ですよね」
気づけばそんな質問をしていた。
「それは……性行為に関するものと解釈していいのかしら?」
私はぎこちなくコクリと頷く。
「おかしくはないと思うわよ?」
本当に……?
視線を合わせると、
「私は人によると思う」
「個人差……?」
先生はコロコロと笑った。
「個人差は個人差でも、もう少し砕いて話すなら『性格』じゃないかしら?」
「性格」と言われ、咄嗟に頭に浮かんだ文字は「臆病者」。
「翠葉ちゃん、ちょっと飛躍したたとえ話をするわよ? 宇宙人が藤山で目撃されました、ってニュースが流れたらどうする?」
私は目を瞬かせた。
「宇宙人……ですか?」
「そう。もしくは未確認生物とか、未確認飛行物体でもいいんだけど……」
「どうする?」と訊かれても、あまり近寄りたいとは思わない。だって、連れ去られたら怖いし、何か病気になるようなウイルスを持っていないとも限らない。
「見に行く派? 見に行かない派?」
「見に行かない派、です」
写真なら見たいと思うかもしれないけれど、現場に行ってまで見ようとは思わない。
「それはどうして?」
「……怖いから。だって、どんな相手なのかわからないし、もし遭遇でもして言葉が通じなかったり連れ去られたりしたら怖いし……」
答えると、先生はクスリ、と笑う。
「私もとりあえずは様子見かしらねぇ……。でも、友達の中には率先して見に行きそうな人、いない?」
「え……?」
あ――桃華さんなら真実を見極めに行くかもしれない。海斗くんなら好奇心で見に行くかもしれない。久先輩もカメラ持って行ってしまいそう……。飛鳥ちゃんは意外と怖がって誘われても行かないかも……。佐野くんは慎重な一面があるから、見に行くのではなく情報を集めそう。
「つまり、そういうことよ」
言われてはっとした。
「性格って……」
「未知のものに対して好奇心を抱くか恐怖を感じるのか、はたまた慎重にものごとを見ようとするのか。そういう差。もっとわかりやすいたとえを言うなら……小さい子が初めて海を目にして、寄せては引いていく波を前に足を踏み出せるかどうか。翠葉ちゃんは怖がる子がおかしいと思う?」
私は首を振った。
だって、砂浜の波打ち際でも初めて足を踏み出すのはとても怖かった。
蒼兄とお父さんの手をぎゅっと握って挑んだ覚えがある。
頼りになる家族の手を握っていても怖かった。
水に入った途端、波が引くときの砂がサラサラと形を変えていく様に驚いて、足を掬われる感覚にびっくりして私は泣いてしまった。
エレベーターも同じ。あの独特な浮遊感に慣れなくて、エレベーターよりもエスカレーターを好んだ。
「誰でも初めて見るものや体験することには慎重になるわ。その一方、好奇心や探究心、そういう気持ちで挑める人もいる。そんな差、性格の違いよ。怖いと思うことはおかしいことじゃない」
でも、先生……違うの。私は――行為ではなく秋斗さんを怖いと思ってしまったの。
それはどうして……?
訊こうにも訊けないでいた。すると、
「ここで話すことがほかに漏れることはないわ。胸につかえているものがあるなら話してみない?」
「でも、授業から逸れてしまいます」
「こういう授業は臨機応変に対応するものよ?」
とてもとても優しい笑顔を向けられた。
「翠葉ちゃん。呼吸をしてみて?」
「え?」と思う。
私はほんの少しの息を吐き出してから、深く酸素を吸い込んだ。
先生に止められるまでそれを繰り返すと。
「呼吸って面白いのよ? 吐かないと吸えないの。吸わないと吐けないの」
それは、物理的にごく当たり前なこと。
先生はいったい何を教えようとしてくれているのか……。
「知識も同じようなものよ。詰め込むだけじゃだめ。インプットとアウトプットはバランスよくしなくちゃね?」
その言葉に、身体中に入っていた力が一気に抜けた。
玉紀先生が言っていることと相馬先生に言われたことがふと重なる。
きっと、相馬先生も玉紀先生と同じことを言いたかったのではないだろうか。
吐いてから吸え、と――吐き出すことは悪いことではなく、吐き出したら新しいものを吸い込め、と言いたかったのかもしれない。
性格や容姿、話し方など何ひとつ似ていないのに、言われていることは同じことのように思えた。
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