1 / 1
私が「子供を産まない」という選択をしたワケ。
しおりを挟む
人は何故、子供を産みたいと思うのだろう?
自分の子孫を残したい、といった人間の本能によるものなのだろうか?
でも、それではあまりにも動物的過ぎる気がする。
そこで私は「一体世の中の女性達がどんな理由で子供を産もうと思っている(産んでいる)のか」を調べてみた。すると、母親になりたかった、人間の本能、大好きな人の子供を産みたかった、生きがいを見つけたい……など様々な理由があることが分かった。つまり、子供を産みたいという理由は人それぞれだということだ。
では自分自身はどうかというと、はっきり言って「子供を産みたい」という気持ちは今の私には全くない。だから、先程挙げた様々な理由も、正直なところどれもピンと来ない。もちろん、若い頃は子供が欲しいと思ったことがあるし、自分が子供の頃は将来は結婚して子供を産むものだと当たり前のように思っていた。しかし、歳を重ねるにつれ、子供に対しての自分の気持ちや考え方に変化があった。それはやはり自分が発達障害者であり、精神疾患を抱えているからなのだろうと最近気づいたのである。
【子供が苦手】
私はHSPという感覚に敏感な特性を持っているからか子供が苦手である。大声で喚き、はしゃぎ、泣き叫ぶ。それは仕方がないことだというのは分かっているのだが、大きな音や声に敏感なのでどうしても拒絶反応が出てしまう。特に小学生までの挙動不審な言動と声が苦手で、電車やバスで近くに子供が来ると座席や車両を移動する程だ。
それから、私は身長が145センチしかないチビなのだが、子供に睨まれたりジロジロと見られる事がある。障害の特性で普段から他人の視線にとても敏感なためそれが堪らなく嫌なのだ。あと、幼少期~小学生辺りまでの子供とどう接したらいいのかが全く分からないというのもある。自分にも子供時代があったというのに不思議なものだ。
【婦人科医の宣告】
理由はもうひとつある。それは過去に受診した婦人科で医師からハッキリと「子供は産めない」と言われたからだ。私は生理が重く、生理不順な体質だ。しかし、今のところ子宮にガンがあるとかそういう大きな疾患はなく、経過観察状態である。医師から宣告を受けた時は少しショックを受けたが、当時は彼氏もおらず結婚願望もなかったため、すぐに割り切り、受け入れることができた。旦那との結婚を意識し始めた時も「子供を産みたい」とは全く思わなかった。
一方、旦那も私が子供が産めない体質だということを受け入れてくれたし、出会った時はお互い結婚する気が全くなかったためか元々子供に対しての意識も薄く「別に子供はいなくてもいい」とハッキリと自分の意思を伝えてくれた。子供を産む産まないで揉める夫婦も多い中、お互いの意志が一致したことも旦那との出会いは私にとって幸運だったのだろうと思う。
しかし、時折「もし自分が子供を産んだら?」と思うことはある。
・国からの支援が受けられる
・子供好きな旦那はきっと溺愛するだろうなぁ(自分の子供はいらないというが、子供はわりと好きな様子)
・両親に孫の顔を見せてあげられる
具体的には大体こんなことだ。
その一方でこんな風にも思う。周りにいる同年代の既婚女性には大抵子供がいる。それなのに、自分にはいない……と、疎外感を感じることがあったり、妻の妊娠中や子育て中に浮気や不倫に走り離婚する有名人のニュースを見ると「子供を産んだら夫が妻のことを女として見られなくなるっていうのはよく聞く話だな」などと不安に思ってしまったりする。
でも、これは全て自分中心の考えであって、子供に対しての気持ちなど微塵もないということが分かる。そのことに気づいた時、私は
「ああ、やっぱり私にとって子供の存在ってそんなものなんだな」
と、冷めた気持ちになったものである。
【ある姉弟の体験談】
そんな時、ネットである体験談を目にして衝撃を受けた。
「中卒引きこもりの姉が大卒公務員と結婚して専業主婦になり幸せを掴んだが、いじめで高校を中退した弟は頑張って就活してプログラマーになるもパワハラなどを受けて生きづらさを感じており、『あんたも良い人と結婚して早く幸せになりな』と言ってきた姉に対して激怒。『俺と同じ無能の癖に(中略)無能を再生産しないためにも頼むから子供は産まないでくれ』と罵倒し、姉を泣かせる」
といった内容だった。全てを説明すると長くなるため詳細は省くが、この体験談には社会における男女の立場の違いが色濃く表れている。それから「姉なりに努力して掴んだ幸せ」なのに、自分を悲観し過ぎてそれに気づかず、姉の立場に立って考えることができない弟の主張が強く書かれている。
これを読んだ時、私は「姉」に思わず自分のことを重ねてしまった。私は中卒でも引きこもりでもないし、それなりに社会に出て生きて来た。旦那だって特に高学歴でもないし、今は低収入で生活は苦しく、専業主婦なんて夢のまた夢だ。だからこの「姉」の立場と私の立場はまた違う。では、私がこの「姉」のどういうところに自分を重ねたかというと弟の言う「無能な人間」というところだ。
発達障害の診断を受けてから、「私は人とは違う。障害者だ」という自覚を常に持つようになった。それは時に良くも悪くも。だから、この体験談を読んだ時に「障害者である自分が子供を産んだら、子供に障害が遺伝するかもしれない」と咄嗟に思ったのである。
それと同時に、障害当事者ではなく「育てる側」に立場を置き換えてみた時に、私は子供を育てられないなと思ったのだ。日々の家事すら満足にできない自分が子供を育てることなど全く想像できないし、今の言葉で言うと「毒親」になり兼ねない。それに精神疾患持ちとしては「産後うつ」の心配もある。
因みに私の両親は「毒親」ではない。自分が発達障害者だと知ったのはつい最近だが、子供の頃から私は少し周りの子達とは違うところがあったと思う。しかし、両親は私にも妹にも沢山愛情を注ぎ、懸命に育ててくれた。なので、両親には感謝の思いで一杯である。
【24人のビリーミリガン】
私は今、「24人のビリーミリガン」という小説を読んでいる。これは「アルジャーノンに花束を」で有名なダニエル・キイスという作家が書いたノンフィクション作品だ。多重人格者であるビリーミリガンの中には24人の人格者が存在する。その中の「好まざる者達」が事件を起こし、警察や精神科医などを巻き込んでいく話だ。
ビリーが多重人格者になった原因はまさに「毒親」だ。彼は幼少期に養父からここにはとても書けないような酷い性的虐待を受けていた。また、何人もの男と結婚・離婚を繰り返す母親の存在も原因のひとつであったように思う。
これは小説として一言でいうと「とても面白い作品」である。一人の人間の中に多種多様な24人もの人格がいて、彼らの起こす行動、人格同士の会話はもちろん、外部との接触もとても濃密に書かれている。漫画家や小説家もびっくりするだろうと思うぐらいキャラが立っている。また、彼らは自分達のことを「人格」と呼ばれることを嫌い、呼んだ人達にわざわざ「人間」と訂正するように言う。それぐらい自我を持っている。とても「一人の人間の中に存在する人格」だとは思えないぐらい。しかし、これは全てフィクションではなくノンフィクション、事実なのである。
また一人の人間をここまで精神的に追い詰めるぐらい「毒親」というのは恐ろしい存在なのだということを改めて実感する。とても考えさせられるノンフィクション小説である。興味がある方はぜひ手にとってみて欲しい。
あれこれと思いを綴ってきたが、選択する前に考えるのは私の悪い癖だ。しかし、子供を産む産まないという選択は私にとっても、何より子供にとっても重要である。子供を産むということは一人の人間の人生を背負う、責任を負うということだからだ。小さな選択なら「とりあえずやってみて駄目なら諦める」こともできる。でも、産んでから「やっぱり駄目だったから施設に入れる」ことはあまりにも無責任だ。何より子供が哀れである。
虐待事件が後を絶たない。今、私がこうしている間にもきっとどこかで苦しんでいる子供が沢山いるのだろう。そんな「毒親」に対して「育てられないなら産むな」という声が多数上がるが、「子供を産む、産まないという選択」はまさにそこにかかってくる。重要なことなのである。
どうして私が改めてこの問題について深く考えたのかというと、つい最近になって昔ヒットした某子育て漫画の裏側が話題になっていたからである。私はこの漫画を読んだことがないので詳しくは分からないが、要するに母親である作者に対して成長したその子供が「自分のことを勝手に晒された。他にも色々酷いことをされた。毒親だ」(要約)と告白したのだ。両方の言い分があると思うのでこれ以上の言及は避けるが、この話題を目にした時に私は改めて
子供を育てるってどういうこと?
人は何故、子供を産むんだろう?
と、考えたのである。
最後にひとつだけ言いたいのは「私は世の中の子育てママや子供を応援している」ということである。最初にも書いたが、私自身は子供が苦手だし、欲しいとも思わない。しかし、これからの日本の未来を担っていく子供の存在はとても大切である。高齢化であり、少子化な社会の中でかなり重要なことだ。
「私は子供を産まないけど頑張ってね!」
と、他人事のように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。自分にはできない「子供を産むこと」そして「子育て」を一生懸命頑張っているママ達は凄いと思うし、尊敬しているのだということを声を大にして言いたいのだ。
そして、これから結婚、出産、子育てを控える女性には、よく考え、パートナーとよく相談することが重要だということをお伝えしたい。「子供を産むということは一人の人間の人生を背負うということ」私達女性がこれからも常に心に深く刻んでおくべきことである。
自分の子孫を残したい、といった人間の本能によるものなのだろうか?
でも、それではあまりにも動物的過ぎる気がする。
そこで私は「一体世の中の女性達がどんな理由で子供を産もうと思っている(産んでいる)のか」を調べてみた。すると、母親になりたかった、人間の本能、大好きな人の子供を産みたかった、生きがいを見つけたい……など様々な理由があることが分かった。つまり、子供を産みたいという理由は人それぞれだということだ。
では自分自身はどうかというと、はっきり言って「子供を産みたい」という気持ちは今の私には全くない。だから、先程挙げた様々な理由も、正直なところどれもピンと来ない。もちろん、若い頃は子供が欲しいと思ったことがあるし、自分が子供の頃は将来は結婚して子供を産むものだと当たり前のように思っていた。しかし、歳を重ねるにつれ、子供に対しての自分の気持ちや考え方に変化があった。それはやはり自分が発達障害者であり、精神疾患を抱えているからなのだろうと最近気づいたのである。
【子供が苦手】
私はHSPという感覚に敏感な特性を持っているからか子供が苦手である。大声で喚き、はしゃぎ、泣き叫ぶ。それは仕方がないことだというのは分かっているのだが、大きな音や声に敏感なのでどうしても拒絶反応が出てしまう。特に小学生までの挙動不審な言動と声が苦手で、電車やバスで近くに子供が来ると座席や車両を移動する程だ。
それから、私は身長が145センチしかないチビなのだが、子供に睨まれたりジロジロと見られる事がある。障害の特性で普段から他人の視線にとても敏感なためそれが堪らなく嫌なのだ。あと、幼少期~小学生辺りまでの子供とどう接したらいいのかが全く分からないというのもある。自分にも子供時代があったというのに不思議なものだ。
【婦人科医の宣告】
理由はもうひとつある。それは過去に受診した婦人科で医師からハッキリと「子供は産めない」と言われたからだ。私は生理が重く、生理不順な体質だ。しかし、今のところ子宮にガンがあるとかそういう大きな疾患はなく、経過観察状態である。医師から宣告を受けた時は少しショックを受けたが、当時は彼氏もおらず結婚願望もなかったため、すぐに割り切り、受け入れることができた。旦那との結婚を意識し始めた時も「子供を産みたい」とは全く思わなかった。
一方、旦那も私が子供が産めない体質だということを受け入れてくれたし、出会った時はお互い結婚する気が全くなかったためか元々子供に対しての意識も薄く「別に子供はいなくてもいい」とハッキリと自分の意思を伝えてくれた。子供を産む産まないで揉める夫婦も多い中、お互いの意志が一致したことも旦那との出会いは私にとって幸運だったのだろうと思う。
しかし、時折「もし自分が子供を産んだら?」と思うことはある。
・国からの支援が受けられる
・子供好きな旦那はきっと溺愛するだろうなぁ(自分の子供はいらないというが、子供はわりと好きな様子)
・両親に孫の顔を見せてあげられる
具体的には大体こんなことだ。
その一方でこんな風にも思う。周りにいる同年代の既婚女性には大抵子供がいる。それなのに、自分にはいない……と、疎外感を感じることがあったり、妻の妊娠中や子育て中に浮気や不倫に走り離婚する有名人のニュースを見ると「子供を産んだら夫が妻のことを女として見られなくなるっていうのはよく聞く話だな」などと不安に思ってしまったりする。
でも、これは全て自分中心の考えであって、子供に対しての気持ちなど微塵もないということが分かる。そのことに気づいた時、私は
「ああ、やっぱり私にとって子供の存在ってそんなものなんだな」
と、冷めた気持ちになったものである。
【ある姉弟の体験談】
そんな時、ネットである体験談を目にして衝撃を受けた。
「中卒引きこもりの姉が大卒公務員と結婚して専業主婦になり幸せを掴んだが、いじめで高校を中退した弟は頑張って就活してプログラマーになるもパワハラなどを受けて生きづらさを感じており、『あんたも良い人と結婚して早く幸せになりな』と言ってきた姉に対して激怒。『俺と同じ無能の癖に(中略)無能を再生産しないためにも頼むから子供は産まないでくれ』と罵倒し、姉を泣かせる」
といった内容だった。全てを説明すると長くなるため詳細は省くが、この体験談には社会における男女の立場の違いが色濃く表れている。それから「姉なりに努力して掴んだ幸せ」なのに、自分を悲観し過ぎてそれに気づかず、姉の立場に立って考えることができない弟の主張が強く書かれている。
これを読んだ時、私は「姉」に思わず自分のことを重ねてしまった。私は中卒でも引きこもりでもないし、それなりに社会に出て生きて来た。旦那だって特に高学歴でもないし、今は低収入で生活は苦しく、専業主婦なんて夢のまた夢だ。だからこの「姉」の立場と私の立場はまた違う。では、私がこの「姉」のどういうところに自分を重ねたかというと弟の言う「無能な人間」というところだ。
発達障害の診断を受けてから、「私は人とは違う。障害者だ」という自覚を常に持つようになった。それは時に良くも悪くも。だから、この体験談を読んだ時に「障害者である自分が子供を産んだら、子供に障害が遺伝するかもしれない」と咄嗟に思ったのである。
それと同時に、障害当事者ではなく「育てる側」に立場を置き換えてみた時に、私は子供を育てられないなと思ったのだ。日々の家事すら満足にできない自分が子供を育てることなど全く想像できないし、今の言葉で言うと「毒親」になり兼ねない。それに精神疾患持ちとしては「産後うつ」の心配もある。
因みに私の両親は「毒親」ではない。自分が発達障害者だと知ったのはつい最近だが、子供の頃から私は少し周りの子達とは違うところがあったと思う。しかし、両親は私にも妹にも沢山愛情を注ぎ、懸命に育ててくれた。なので、両親には感謝の思いで一杯である。
【24人のビリーミリガン】
私は今、「24人のビリーミリガン」という小説を読んでいる。これは「アルジャーノンに花束を」で有名なダニエル・キイスという作家が書いたノンフィクション作品だ。多重人格者であるビリーミリガンの中には24人の人格者が存在する。その中の「好まざる者達」が事件を起こし、警察や精神科医などを巻き込んでいく話だ。
ビリーが多重人格者になった原因はまさに「毒親」だ。彼は幼少期に養父からここにはとても書けないような酷い性的虐待を受けていた。また、何人もの男と結婚・離婚を繰り返す母親の存在も原因のひとつであったように思う。
これは小説として一言でいうと「とても面白い作品」である。一人の人間の中に多種多様な24人もの人格がいて、彼らの起こす行動、人格同士の会話はもちろん、外部との接触もとても濃密に書かれている。漫画家や小説家もびっくりするだろうと思うぐらいキャラが立っている。また、彼らは自分達のことを「人格」と呼ばれることを嫌い、呼んだ人達にわざわざ「人間」と訂正するように言う。それぐらい自我を持っている。とても「一人の人間の中に存在する人格」だとは思えないぐらい。しかし、これは全てフィクションではなくノンフィクション、事実なのである。
また一人の人間をここまで精神的に追い詰めるぐらい「毒親」というのは恐ろしい存在なのだということを改めて実感する。とても考えさせられるノンフィクション小説である。興味がある方はぜひ手にとってみて欲しい。
あれこれと思いを綴ってきたが、選択する前に考えるのは私の悪い癖だ。しかし、子供を産む産まないという選択は私にとっても、何より子供にとっても重要である。子供を産むということは一人の人間の人生を背負う、責任を負うということだからだ。小さな選択なら「とりあえずやってみて駄目なら諦める」こともできる。でも、産んでから「やっぱり駄目だったから施設に入れる」ことはあまりにも無責任だ。何より子供が哀れである。
虐待事件が後を絶たない。今、私がこうしている間にもきっとどこかで苦しんでいる子供が沢山いるのだろう。そんな「毒親」に対して「育てられないなら産むな」という声が多数上がるが、「子供を産む、産まないという選択」はまさにそこにかかってくる。重要なことなのである。
どうして私が改めてこの問題について深く考えたのかというと、つい最近になって昔ヒットした某子育て漫画の裏側が話題になっていたからである。私はこの漫画を読んだことがないので詳しくは分からないが、要するに母親である作者に対して成長したその子供が「自分のことを勝手に晒された。他にも色々酷いことをされた。毒親だ」(要約)と告白したのだ。両方の言い分があると思うのでこれ以上の言及は避けるが、この話題を目にした時に私は改めて
子供を育てるってどういうこと?
人は何故、子供を産むんだろう?
と、考えたのである。
最後にひとつだけ言いたいのは「私は世の中の子育てママや子供を応援している」ということである。最初にも書いたが、私自身は子供が苦手だし、欲しいとも思わない。しかし、これからの日本の未来を担っていく子供の存在はとても大切である。高齢化であり、少子化な社会の中でかなり重要なことだ。
「私は子供を産まないけど頑張ってね!」
と、他人事のように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。自分にはできない「子供を産むこと」そして「子育て」を一生懸命頑張っているママ達は凄いと思うし、尊敬しているのだということを声を大にして言いたいのだ。
そして、これから結婚、出産、子育てを控える女性には、よく考え、パートナーとよく相談することが重要だということをお伝えしたい。「子供を産むということは一人の人間の人生を背負うということ」私達女性がこれからも常に心に深く刻んでおくべきことである。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる