掌の上の園

すずしろ

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「お届けものです!」
「裏切り者おおおおお!!!」
瑠璃は部屋のドアを躊躇いなく開け満面の笑顔で言い放った。室内にいた家庭教師と思しき男性が目を丸くして瑠璃ライドオンシュテファンを見た。足首を確り瑠璃が固定しているので逃げることも出来ず半泣きでシュテファンは叫び、瑠璃の頭を叩いている。時折おでこも叩くのでペチンといい音がした。

「シュテファン様?あの貴女は?」
「坂上と申します!逃亡中だったシュテファンくんを捕獲、連行した次第であります!!」
男性の問いに軍人の業務報告口調で、敬礼までして言った。ノリにノッて最早悪ノリであった。

「ああああ。ルリのバカアア!」
「はっ。馬鹿で結構。ていうか馬鹿って言う方が馬ぁ鹿!!」
子供同士の喧嘩のような言い合いをしている二人の背後から声がかかった。

「シュテファン様!!もう!探しましたよ!また先生に御迷惑をお掛けして!!」
大股で近付き、心配と安堵混じりのお小言を言いながらアニカはシュテファンの耳を引っ張った。

結局大人三人から逃げ出すことは叶わず残りの午前は勉強の時間となった。
「本日は国語を中心にやりたいと思います」
家庭教師は教本と薄い石盤と石筆をシュテファンに渡す。


(そうか。この世界では紙は別段珍しい物ではないけど使い捨てにする程気安い物では無いのか。)
使い回しの利く教本などならともかくノートの類いは高価なのだろう。

家庭教師に促されながらシュテファンは面白く無さそうに文字の書き取りを始めた。邪魔にならないよう瑠璃はこっそりと観察する。

ローマ字とも違う、全体的に丸みを帯びた文字だった。教本のアルファベット表をチラ見したがどれも同じような形に見えて難解だ。子供用だからか、教師が付いて教えることを前提とした教本だからか、細かい説明の類いは書かれていない。

次の項目からはいろはかるたのように一つの文字にイラスト、そして小さく単語が記されていた。流石子供用の教本である。大きく書かれているのでとても見やすい。

だがそのページを見た瑠璃の表情が引き攣った。

自動翻訳があるため見たままの情報量だけでは済まなかったからだ。元ある文字と絵の視覚情報だけではなく、文字や単語の本来の発音に加え翻訳後の意味、付随する概念が脳内に直接叩き込まれている感覚がした。
(酔う)

聞いたり話したりの時には自然と訳されていたので不都合は生じなかったが、読む行為の脳への負荷に吐き気と目眩がした。
(知恵熱が出そう)

瑠璃は眉間を揉みつつ溜息を吐いた。見開き一ページで肩がガッチガチに固まっている。

隣ではシュテファンはアルファベットは全文字制覇したらしく今度は自分の名前の書き取りをしていた。
やはり面白くないのか頬を膨らませブスくれている。
(単純作業の繰り返しって退屈だもんね。国語や習字なんかが特にそう)
かつての在りし日々を思い出し瑠璃は遠い目になった。

「ああ、ここの文字が違います。形の似通った物がありますので注意して下さい」
誤字に対して家庭教師がすかさず訂正をする。それが“面白くない”に拍車を掛けるのでシュテファンの顔は爆発寸前の形相だった。

(ありゃりゃ)
このままではシュテファンは癇癪を起こすだろう。勉強への苦手意識だけで無く嫌悪感が植え付けられるのは宜しくない。

瑠璃は立ち上がりシュテファンの前に来てそっと頭を撫でる。瑠璃の行為に家庭教師は面喰らった様子だった。
「サカガミ様!?あの勉強の邪魔はなさいませんよう……」
壁に控えていたアニカも慌てて瑠璃を止めに入った。

瑠璃は人差し指を唇に当てて二人を制し、意図ありげに笑うと大きく息を吸い腹から声を出しのだった。

「♪シュテファンのシュの字は一体どう書くの?こうしてこうしてこう書くの♪」
シュテファンに背を向けて瑠璃は歌いながら両手を腰にやり脚の筋肉を使フル稼働して身体を使って文字を表していった。

尻文字である。

シュテファンは大笑いして喜び、「次は?次の文字は?」と二文字目をせがんだ。
(子供ってこういうの好きだよねぇ)
達成感で瑠璃も笑った。

しかし家庭教師とアニカに『下品だ』と尻文字は禁止された。残念。
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