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本編
清一の回想_異世界2(清一視点)
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神殿の扉を抜けた瞬間、俺は愕然とした。
さっきまでの満州の戦場は、跡形もなく消え去っていた。代わりに広がるのは、西洋の田舎町を思わせる石造りの街並み。往来には見慣れぬ服装の人々が行き交っているが、誰一人として黒髪や黒い瞳を持つ者はいない。
遠く山並みの向こう――空一面を、重く厚い靄が覆っていた。どす黒く澱んだその光景は、ただ見ているだけで胸の奥に不安を呼び起こす。
「あの辺りが国境沿いでな」
隣に立つ大柄の男が、靄の広がる方角を指差した。
「向こう側に蔓延る瘴気を少しずつ祓い除いていくのが、当面の我らの務めになる」
快活に笑ったその男――グランフォード公爵は、この地の軍部を束ねる重鎮だという。
「聖騎士殿は、遠い異国からわざわざ招かれたと聞く。見知らぬ土地で文化も違えば、戸惑うことも多いだろう。分からぬことがあれば、遠慮なくこのわしに尋ねてくれ。……まったく、神官たちも強引なものだな、はっはっは!」
豪快に笑いながら、俺の背中をドンと叩く。
大柄な体躯と快活な性格――竹を割ったような人柄とは、まさにこういう人を指すのだろう。
この世界に来たばかりで心細かった俺にとって、公爵の存在は大きな支えだった。
「……お気遣い、痛み入ります」
「うむ、何でも言ってくれ。こう見えてもわしは“国防の要”と呼ばれる軍部のすごい人なんだからな。遠慮は無用だぞ!」
また背をバシバシ叩かれ、少し痛みに顔をしかめながらも、俺は不思議と安堵を覚えていた。
やがて公爵は、ドラゴンとの戦いについて語ってくれた。
この世界は長らく、悪しきドラゴンの吐き出す瘴気に蝕まれてきたという。
瘴気に満ちた土地には魔物が巣くい、人の住処は次々と奪われていった。軍は必死に瘴気の境で防衛線を築き、どうにか人の暮らす土地を守ってきたらしい。
「守っても守っても、魔物は次々と湧いてくる。討伐のたびに怪我人は山のように出る。――そこでだ、聖騎士殿には怪我人の治癒と、瘴気の浄化をお願いしたい」
「……治癒はともかく、瘴気の浄化など、やったことがありません」
「ふむ、実のところわしも見たことはない。大神官の言葉をそのまま信じておるだけでな。だがまぁ、やってみて無理ならそう言えばいい。聖騎士殿がいてくださるだけで、兵たちの士気はぐんと上がる。――頼んだぞ!」
またも豪快に背を叩かれ、思わずむせそうになる。
だがその明るさに、不安に沈みかけていた心が少し救われるのを感じていた。
*
討伐へ向かう日の朝、この世界に来て最初に言葉を交わした男──大神官が、俺のもとを訪れた。
「聖騎士様に、祝福を授けに参りました」
祝福。耳慣れないその言葉に、俺はただ「まじないの類か」と察する。
「勝手にしてくれ」
ちらと一瞥をくれるだけで、俺は出立の支度に戻った。
「聖騎士様の御武運をお祈りいたします」
大神官が両手を組み、低く祈りの言葉を紡ぐ。その瞬間、俺の身体が温かな光に包まれた。驚いて手を止め、思わず彼を見やる。
「……聞いてもいいか」
俺の声に、大神官は無表情のままわずかに首を傾げた。
「ドラゴンの討伐が終われば、俺はもとの世界に戻れるのか」
ずっと胸にくすぶっていた疑念だった。討伐さえ終えれば帰れるのなら、どんな困難でも受けて立つ。そう思っていた。だが、大神官の顔に一瞬の翳りが走った。
「……これまで、召喚された聖騎士様がもとの世界に戻られたという記録はございません」
全身が凍りつく。
「……なんだと」
声は低く、喉の奥で掠れた。
「聖騎士様が討伐を成功された暁には、その功績を認められ、叙爵なさることでしょう」
「そんなことを聞いてるんじゃない。帰れるのか帰れないのかを聞いているんだ」
「……ご帰還された事例はありません」
俺は堪えきれず、大神官の胸ぐらを掴んでいた。
「ふざけるな」
睨みつけても、大神官は眉を下げるばかりで沈黙する。怒鳴り散らしたところでどうにもならない。息が荒くなるのを感じ、俺は力を抜いて手を離した。
「……何か方法はないのか。何でもいい、どうにかならないか」
頭を抱え、押し殺すように吐き出した。しばし沈黙が落ち、やがて大神官は衣服を正し、低く告げた。
「……ドラゴンは、ときに女神に姿を変え、願いを叶えることがあるそうです」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「女神……?」
「伝承の域を出ませんが、その女神に願うことができれば、あるいは」
胸の奥に、僅かな光が射し込む。
「……そうか。わかった」
俺は静かに頷いた。
「その女神に会えばいいんだな」
帰る道はある。帰れるかもしれない。
百合子さんのもとに帰れる。
俺の中に、一筋の希望が生まれた。
大神官は深く頭を垂れ、祈るように言った。
「あなた様に神のご加護があらんことを」
さっきまでの満州の戦場は、跡形もなく消え去っていた。代わりに広がるのは、西洋の田舎町を思わせる石造りの街並み。往来には見慣れぬ服装の人々が行き交っているが、誰一人として黒髪や黒い瞳を持つ者はいない。
遠く山並みの向こう――空一面を、重く厚い靄が覆っていた。どす黒く澱んだその光景は、ただ見ているだけで胸の奥に不安を呼び起こす。
「あの辺りが国境沿いでな」
隣に立つ大柄の男が、靄の広がる方角を指差した。
「向こう側に蔓延る瘴気を少しずつ祓い除いていくのが、当面の我らの務めになる」
快活に笑ったその男――グランフォード公爵は、この地の軍部を束ねる重鎮だという。
「聖騎士殿は、遠い異国からわざわざ招かれたと聞く。見知らぬ土地で文化も違えば、戸惑うことも多いだろう。分からぬことがあれば、遠慮なくこのわしに尋ねてくれ。……まったく、神官たちも強引なものだな、はっはっは!」
豪快に笑いながら、俺の背中をドンと叩く。
大柄な体躯と快活な性格――竹を割ったような人柄とは、まさにこういう人を指すのだろう。
この世界に来たばかりで心細かった俺にとって、公爵の存在は大きな支えだった。
「……お気遣い、痛み入ります」
「うむ、何でも言ってくれ。こう見えてもわしは“国防の要”と呼ばれる軍部のすごい人なんだからな。遠慮は無用だぞ!」
また背をバシバシ叩かれ、少し痛みに顔をしかめながらも、俺は不思議と安堵を覚えていた。
やがて公爵は、ドラゴンとの戦いについて語ってくれた。
この世界は長らく、悪しきドラゴンの吐き出す瘴気に蝕まれてきたという。
瘴気に満ちた土地には魔物が巣くい、人の住処は次々と奪われていった。軍は必死に瘴気の境で防衛線を築き、どうにか人の暮らす土地を守ってきたらしい。
「守っても守っても、魔物は次々と湧いてくる。討伐のたびに怪我人は山のように出る。――そこでだ、聖騎士殿には怪我人の治癒と、瘴気の浄化をお願いしたい」
「……治癒はともかく、瘴気の浄化など、やったことがありません」
「ふむ、実のところわしも見たことはない。大神官の言葉をそのまま信じておるだけでな。だがまぁ、やってみて無理ならそう言えばいい。聖騎士殿がいてくださるだけで、兵たちの士気はぐんと上がる。――頼んだぞ!」
またも豪快に背を叩かれ、思わずむせそうになる。
だがその明るさに、不安に沈みかけていた心が少し救われるのを感じていた。
*
討伐へ向かう日の朝、この世界に来て最初に言葉を交わした男──大神官が、俺のもとを訪れた。
「聖騎士様に、祝福を授けに参りました」
祝福。耳慣れないその言葉に、俺はただ「まじないの類か」と察する。
「勝手にしてくれ」
ちらと一瞥をくれるだけで、俺は出立の支度に戻った。
「聖騎士様の御武運をお祈りいたします」
大神官が両手を組み、低く祈りの言葉を紡ぐ。その瞬間、俺の身体が温かな光に包まれた。驚いて手を止め、思わず彼を見やる。
「……聞いてもいいか」
俺の声に、大神官は無表情のままわずかに首を傾げた。
「ドラゴンの討伐が終われば、俺はもとの世界に戻れるのか」
ずっと胸にくすぶっていた疑念だった。討伐さえ終えれば帰れるのなら、どんな困難でも受けて立つ。そう思っていた。だが、大神官の顔に一瞬の翳りが走った。
「……これまで、召喚された聖騎士様がもとの世界に戻られたという記録はございません」
全身が凍りつく。
「……なんだと」
声は低く、喉の奥で掠れた。
「聖騎士様が討伐を成功された暁には、その功績を認められ、叙爵なさることでしょう」
「そんなことを聞いてるんじゃない。帰れるのか帰れないのかを聞いているんだ」
「……ご帰還された事例はありません」
俺は堪えきれず、大神官の胸ぐらを掴んでいた。
「ふざけるな」
睨みつけても、大神官は眉を下げるばかりで沈黙する。怒鳴り散らしたところでどうにもならない。息が荒くなるのを感じ、俺は力を抜いて手を離した。
「……何か方法はないのか。何でもいい、どうにかならないか」
頭を抱え、押し殺すように吐き出した。しばし沈黙が落ち、やがて大神官は衣服を正し、低く告げた。
「……ドラゴンは、ときに女神に姿を変え、願いを叶えることがあるそうです」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「女神……?」
「伝承の域を出ませんが、その女神に願うことができれば、あるいは」
胸の奥に、僅かな光が射し込む。
「……そうか。わかった」
俺は静かに頷いた。
「その女神に会えばいいんだな」
帰る道はある。帰れるかもしれない。
百合子さんのもとに帰れる。
俺の中に、一筋の希望が生まれた。
大神官は深く頭を垂れ、祈るように言った。
「あなた様に神のご加護があらんことを」
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