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第二章 ~少年期・前編~

第十八話 「宿泊」

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 ゴブリンと交渉するには、北の山に赴き『山に住まう神様』の願いを叶える手助けをしなければいけないらしい。

 その手助けとは――神様の御子が誕生する手助けをすること。

 その手助けには、魔力が必要らしいこと。
 その手助けに失敗すると、ゴブリン達は神様に殺されてしまうとのこと。
 その期限は、おおよそ一年先くらいであること。

 魔力がないらしいゴブリンは、自分達の力で手助けすることが出来ない。

 だからこのまま放っておくと、ゴブリン達の寿命は……一年で尽きる。

 他でもない神様に、殺されて。

 ――神様とは、多分ドラゴンのことだ。

 ドラゴンは、実際には見たことないが破格の存在らしい。なにせ動物や魔物から神と称されるほどなのだ。

 つまり、ゴブリンにはドラゴンに抗う術がない。
 憎き敵である人間に頼らざるを得ないほど、切羽詰っている。

 だから交渉に応じる条件をつけて、俺に事情を話した。

「……もしかして、だから野菜を盗もうとしたのか?」

 ゴブリン姉は、弟に野菜を食べさせようと人間の町から降りて、盗みに走った。
 結果は失敗したけれど……。

「ふ、ふん! 別にっ!」

 ゴブリン姉は、誤魔化すようにそっぽを向いた。
 その態度は、正直に答えていると同じだ。

「そっか、すまなかった。必死だったんだな……考えなしだったのは、俺の方だ」

 何も知らない状態で、偉そうに説教してしまった。

 もちろん、窃盗を許すつもりはない。
 だけどこのゴブリン達の事情を鑑みれば、人間に見つかったら死んでしまう場所に子供だけで行くという行為を、こちらの価値観だけで否定することは、なんだか憚られたのだ。

 一年で死んでしまう未来を抱えていて、家族から「野菜が食べたい」と言われたら……。

「ばっ、蛮族が謝る必要は、ないわよ……。確かに、例え蛮族のものでも、盗んじゃうのは……その……」

 ゴブリン姉は、顔をこちらに向けない状態でもごもごと言葉を紡ぐ。

 ……よかった。
 やっぱり、言葉を交わして、ちゃんとコミュニケーションを取れば、こうして価値観を共有することができるのだ。

 俺は、このゴブリン達と人間が争わない未来を――選びたい。

 もちろん。一年先も命が続くことを前提にだ。

「ユウリだ」
「は……?」
「ユウリ=シュタットフェルト。俺の名前だよ。蛮族じゃなくて、ユウリって呼んで欲しい」
「……わ、わかったわ! どうしても呼んでほしいんなら、ユウリって呼んであげる!」
「さんきゅ」
「ふんっ!」

 よし、俺は北の山へ行って――ドラゴンに会う。
 街を盛り立てるためには、ゴブリンの力があったほうがいい。

 これはもう、確信に近い。
 この判断を俺は突き進むことに決めた。

 俺は長ゴブリンに視線を向ける。

「わかった。北の山に行って、神様の手助けをするよ」
「……そうか。蛮族に期待などしていないが、好きに試すといい。だが神様の機嫌を損ねるのだけは、やめて欲しい。巻き添えで我々が死ぬことになるのは避けたいからな」

 ……そんなに、癇癪持ちなの?
 その神様って、怒っただけで周囲に被害が及ぶほどの力を持ってるのかぁ。

 た、対策を考えないと、な……。

「と、というわけで、神様の元へ赴くときに数人の山の民が道案内についてくれると助かるんだが、お願いできるか?」
「……我々が?」
「そうだ。一緒に行って事情を説明してくれると有り難い。いくらなんでも、俺たちだけで行って成功するとは思えない」

 人間だけで行ったら問答無用で殺されそうだし。
 もしファーストコンタクトを無事に乗り切って、もし翻訳魔法が効果抜群で会話できたとしても、なんでお前らが話してもいない事情を知っているんだってなったら、絶対印象悪いだろう。

 だが、長ゴブリンはよほどその神様に恐怖心を抱いているのか、表情が険しくなってしまう。

 おいおい、どんだけ恐いんだよ、その神様。
 やめて欲しい。俺も決意が鈍っちゃうじゃんよ。

「…………我々は――」
「ここで躊躇う意味などない! それとも、死にたいのか!? このまま方法がないことに甘んじて、ただ神に殺されるその時をじっと待つのか!」
「ぐ、それは、そうなのだが……」

 まだ渋るか。
 くそう、最低限成功率を上げるには、ゴブリンのお供は絶対に必要なんだが……。

 そのとき、一匹のゴブリンが前に出てきた。

「俺が行こう」
「……貴方は?」
「この二人の親だ。蛮族よ、家族を助けてくれたことに、感謝する」

 姉弟の父親か。この野太い声の感じからして、女ってことはないだろう。

「いいのか。まだ長は許可を出していないようだが?」
「我々も、抗いたくなったのだ。このまま何もせず死ぬなんてごめんだ」
「……そうか、助かる」
「もし命が助かったとしても、蛮族に手柄を全て持っていかれるのは良くないという判断だ。蛮族を信用したわけではない」

 なるほど、もし助かったとしたら人間との交渉が始まるかもしれない。
 借りが大きい状態じゃ、ゴブリン側が不利になるもんな。

 いい判断だ。

「と、父ちゃんが行くなら、わたしも行く!」
「ぼくも!」

 姉弟ゴブリンは声を上げる。
 だが――

「駄目だ」
「「なんで!!」
「死にに行くのは、俺一人だけでいい。反論は許さない」
「「…………」」

 姉弟は、父親の覚悟を見て何も返せなくなった。
 それはいい。最低でもゴブリンが一匹いれば可能性ができる。だからそれはいいんだけど……。

 ……え? そんな簡単に死ぬの?
 会いに行くだけで死ぬの!?

 い、嫌になってきたなぁ……北の山、行きたくないなぁ。
 そんな覚悟、持っているかな俺。死にたくはないなぁ。恐いなぁ。

 でも今さら止めるなんて言える空気じゃないしな……。
 ――いや、成功させるんだ!

 無理だと言われたゴブリンとだって結局こうやって話せているじゃないか。
 うん、きっと、上手くいくさ。

 上手く、やってみせる。そう信じるんだ。

「なんにせよ、有り難い。こちらも準備が必要だ。一度戻ってから、北の山へ赴くときにまた寄らせてもらう。その時に道案内として――」
「待て」
「……なんだ?」
「今から、蛮族の里に戻るつもりか?」
「そのつもりだが……」

 ゴブリン父が、無言で空を指差した。
 なんだ……?

 あ、なるほど。
 話に夢中で意識してなかったけど、もう日が落ちかけている。

 夜の森を突っ切ってセントリアへ戻るのは、危険か……?

「クルーア先生」
「どうした、ユウリ」
「セントリアへ戻ろうと思うんですが……」
「話はまとまったのか」

 ああ、クルーアはゴブリンの言葉がわからない状態だから、どう話が進んでいるのかわからないのか。

「はい。詳しくはセントリアに着いたあとで説明します」
「そうか、では急がないとまずいな。森の中で明かりがない状態は、あたしでも対処しづらい」

 森には、様々な動物や魔物がいるらしい。しかも夜行性の魔物が多く住むという話だ。
 これもクルーアから教えてもらった。

 夜の森。
 その中で視界が利かないというのは、危険極まりない。

 すぐに森を抜けなければ――

「蛮族、ここで夜を明かせ」
「……ん?」

 ゴブリン父が、そう俺に声を掛けてきた。

「どういう意味だ?」
「夜の森を進むなど、自殺行為だ。蛮族には神様の手助けをするという役割がある。関係ないところで命を落とすな」

 ……もっともだ。
 だが俺が聞きたいのはそういうことではなかった。

 ここで夜を明かすとは、どういう意味だ……?
 まさかゴブリンに見張られながら、洞窟の前で一夜を明かせというのか。

「あぁもうっ、鈍いわね! うちに泊まっていけって言っているのよ!」

 俺がうんうんと腕を組んで悩んでいると、ゴブリン姉がそう声を張り上げた。

「俺たちが、山の民の住処で……?」
「そうだ。北の山に行く前に死んでしまうと困るのは我々だからな。今夜はここに泊まれ。長よ、許可をいただけるな?」
「……うむ、まあ、仕方ないな……」

 長ゴブリンは、渋っていたが了承した。

 ……そうか。
 そういう事情なら、一泊させてもらう、か……?

「先生」
「どうした。早く行かねば日が完全に落ちるぞ。まだ話は終わらないのか」
「ゴブリン達が、一晩泊まっていけと言っています」
「っ!? 無理だ! 許可できない! お前を危険にさらせるか!」

 予想通りの反応だ。
 だよね、普通の感覚ならそう言うよね。

 ゴブリンの言葉が聞こえていない状態なら、きっと俺もそう言う。

「先生、俺とゴブリン達はいまある事情で互いを必要としています。問答無用で殺されることは、絶対にありません」

 絶対は言いすぎかもしれないが、可能性が低いことは間違いない。
 なにせ自身の命がかかっているのだ。いくら憎くても、魔力がないゴブリン達は神様の願いを叶えることができない。

 偶然縁ができた俺に、頼らざるを得ない状況なのだ。
 浅慮な真似には及ばないと、思いたい。

「……ユウリ、それは確実なんだろうな」
「はい。先生、僕は先生に嘘を付いたことはありません」

 本当のことを言っていないことはあるが、嘘は付いていない。
 これも嘘じゃない。うん、俺はなんて正直者なんだろう。

「……わかった。もう、どうにでもしてくれ。あたしにはもう、何がなんだかわからない……」

 あらら。
 クルーアの頭の中は、もうキャパシティオーバーしているらしい。

 無理もないか。
 今までの常識がひっくり返ったんだ。

 魔物を助け、魔物と会話し、魔物の住処に一晩泊まる。
 考えると、随分な無茶だと思える。

 でもね先生。
 これからもっと無茶なことをしにいく予定なんですよ。

 ドラゴンに会いに行くんですから。
 一緒に行ってくれるかな。付いてきてくれると、とても助かるんだけど……。

「わかった。じゃあ一晩世話になる」
「そうか。こっちだ」

 俺とクルーアは、歩き出したゴブリンの後ろを付いていく。
 先には暗く、深い洞窟――ゴブリンの住処。

 多分、ゴブリンの住処に敵対していない状態で入るのも、人類初なんじゃないかと思う。

 俺とクルーアは、今まさに歴史を作っているのだ。
 そう考えると、なんだかわくわくしてこないかな?

 ……ごめんなさい。ならないですよね。
 やっぱり俺も、結構恐いよクルーア先生。いざというときは、護って欲しい。

 ゴブリンの行列に紛れて、人間二人が洞窟の先へと進む不思議な光景が、そこにはあった。
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