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第三章 ~少年期・後編~

第二十九話 「鐘の音」

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「……では、わたしはもう行く。ありがとう」
「あ、はい。さようなら」
「尾なしの子よ。命が惜しくば、すぐに神と離れることだな。神を縛り付けるなど、あまりにも不敬である」

 シルヴァルフという種族らしい、頭上に動物耳が生えた旅人と銀色の毛皮の犬は、ユウベルトが去っていくのを見送ったあと、きびすを返して歩いていった。

「しろいの、行っちゃったー……最後まで『がうがう!』っていってたね」
「ああ……そうだな。行っちゃったなぁ」

 アイリスは、銀色の犬を見送りながら少し寂しそうな声で呟いた。

 割と気に入っていたんだろうか。
 初めて白い犬を見たからか、テンション上がってたし。
 まぁ、俺には「がうがう」じゃなくて、結構凄いこと言ってたけどな……あの犬。

 ただ、俺は犬の言葉ではなく違うことの方が気になっていた。
 旅人たちが歩いていった方向に違和感があったのだ。

 ……その方角、街外れなんだけど。

 ゴブリンの仮住まい家屋しかないぞ。
 というかそうでなくても、二十日に一度来る定期馬車は前回訪れてから、まだ八日しか経っていない。
 どうやって、この街に来たんだあの人達。
 まさか歩いてきたのか?

 セントリアに続く道など、西の山を越えるラクールからしかないはずだ。
 北と東には険しい山脈があり、相互の移動が難しい。
 そして南にはだだっ広い平原があるだけだ。

 南の平原の先には深く大きな森があるという。
 あまりにも広すぎて、入ったら出られないとランドルから伝え聞いていた。
 まあセントラル川は続いているはずだから、川を目印に歩けば迷うことはないと思うけれど。

 旅人は、セントリアを出て南の平原に向かって歩いていた。
 道なき道を、一人と一匹は迷いなく進んでいる。

「パパ、しろいの気になる?」
「……いや、大丈夫。よし、そろそろ家に戻ろうか」
「あいっ」

 俺とアイリスは、橋の建造現場を後にし、屋敷へと続く道を歩き出した。

■ ■ ■

「組み手はじめぇっ!」
「「うおおっす!!」」

 シュタットフェルト家に戻ると、庭先で警備兵団が訓練をしていた。
 指導しているのは、クルーアだ。
 見張りの役割についている警備兵もいるので、この場で訓練しているのは25名ほどだった。

 財政に似合わないほど広い庭先だけれど、流石にこの人数がいると暑苦しいな……。

「先生、いま帰りました」
「ああ。……始めるか?」
「はい。稽古をつけてください、先生!」

 基礎体力作りの段階は終わり、ようやく俺も最近稽古をつけてもらえるようになった。
 俺は二年前にゴブリンから貰った刃渡り20センチメートルのナイフを持ち、構える。

 これも、もうすっかり俺の愛用の武器になった。
 まだ子供の体格なので、ナイフでも十分な長さだ。

 構えは相手に対して真半身に保ち、剣身の延長上に身体を隠す。
 まだ片手で持ちながら戦えるほど筋力がなく、両手持ちなので少し身体がずれてしまっているが、できる限りナイフを相手との間におくように構えた。

 クルーアは俺のナイフより倍は長さのある木刀を持ち、俺に視線を向けながら静かにたたずんでいる。

 ……構えすらしない。
 俺は真剣であり、クルーアは木刀だというのに。

「お兄ちゃん、頑張れ!」
「むう……パパ、これやってるとき遊んでくれないからつまんない……」

 アイリスとシリアも、少し離れた場所で訓練を見守っていた。

 シリアは、寝そべっているアイリスに背中を預けているようだ。
 アイリスはすぐに目を瞑ってしまい、お昼寝の体勢に入っていた。

「よし、準備はいいか、ユウリ」
「はい! お願いします!」
「ではいくぞ。――っ!」

 クルーアが、勢いよく斬り込んでくる。
 顔を目掛けて振り下ろされる木刀を受け流そうとナイフで防ぐが、勢いを殺しきれず体勢を崩してしまう。

 そして、すぐに斜め下から斬り上がってきた木刀にナイフを吹き飛ばされてしまった。
 クルーアは、武器を手放してしまった俺の頭に木刀を叩きこみ――当たる寸前で、振り下ろす勢いをぴたりと止める。

「……得物を拾ってこい。実戦で武器がなくなったら、その時点で死ぬと思え」
「は、はいっ」

 ……容赦ないよ、先生。
 クルーアは稽古のとき一切手加減しない。
 大人と子供の体格差を、常に自覚させようとするのだ。
 元騎士の速さと力強さを抑えない攻撃を、俺では防ぐことすら敵わない。

 俺は吹き飛ばされたナイフを拾い、またクルーアに向けて構えをとる。

 あー……もう。ナイフを無理やり飛ばされたからか、手が痛いよ。

「何度でも言うが、戦闘の際は打ち合うな。そして正面から相手の得物を受けるな。今のお前の体格では必ず相手に押し負ける」
「はい!」
「競り合いに持っていくな。なったときは既に負けていると思え。まずお前の場合、躱わす、捌く、それのみに集中しろ。小刀はその補助で使え」
「……攻撃してはいけないのでしょうか。それでは勝つことなどできないのでは?」
「まず、相手に負けない戦闘をしろ。勝つことができても、こちらの損傷が大きければ勝利の意味は薄い。一対一ならまだそれでもいいが、大抵の戦闘は継続する。一度勝てても、次の瞬間にお前の首が飛んでいる」
「……はい」
「いまのお前の技量で通用する攻撃は、相手の攻撃が空振り、大きく体勢を崩したときのみだ」
「それは、そうなるように攻撃を躱わしながら誘導するということでしょうか」
「そうだ。そして攻撃に出る際は相手の四肢を狙う。これが一番成功率が高く、また反撃を食らわないだろう。顔や腹は狙うな。外れた場合お前の身体は無事ではなくなる」
「少しずつ、相手を弱らせていくという意図ですか?」
「その通りだ。そして相手が複数のときは、逃げろ。まだ勝てる技量はない。お前には状況を覆すことができる魔法もないんだからな」

 ……なんだか。
 クルーアの指導は現実的すぎて、逆に恐怖感が煽られるんだが。

 クルーアは、稽古のときに魔法を使わない。
 まずは魔法なしの状態で戦闘に慣れさせるということだろうか。

 いつか、俺は魔法ありの相手に勝つことができるのかな……。

「自分から攻撃は極力仕掛けるな。相手の技量がわからないうちは、まず捌くことや、躱わすことに専念しろ」
「はい」
「攻撃を仕掛けるときは、刃を相手の身体に滑らせる。突く動作でそれをやれ。斬りかかるな、刃渡りが短いその小刀では相手に届くより先に攻撃をくらう」
「それで、勝てるのでしょうか。切り傷を作るだけでは、先にこちらの体力が尽きる気がするのですが」

 本格的な戦闘を想定したとき、こちらは相手の肌を傷つけるだけでは勝利に届かない気がする。

 しかもこちらは相手の攻撃を食らったら負けなのだ。
 勝利条件に差がありすぎる。

「……いいか、ユウリ。痛みというのは、思ったよりも動きを鈍らせるものだ。ユウリは刃物で傷ついたことはあるか?」
「いえ」

 地球に生きていた頃、ハサミやカッターで指を切ったことはあるが、本格的な刃物で傷ついたことはない。
 紙で切り傷ができるか、包丁に慣れていない頃に手を傷つけたくらいだ。

 もう昔のことだから感覚も覚えてないけれど、当時は痛がっていた気がする。

「戦闘での興奮状態ならば痛みを感じないこともあるが、大抵怪我を負ったものは痛みで我にかえる。一度『痛み』が頭の中にちらつくと、どうしても戦闘だけに集中できなくなるものだ」
「それを、少しずつ積み重ねていくのですか」
「そうだ。相手に痛みを与える。恐怖心を煽る。自分では勝てないと思わせる。片方の技量が圧倒的でない場合、それが勝利へと繋がる」
「……はい!」
「では、もう一度いくぞ――今度は上手く躱わしてみせろ!」
「はいっ!」

 そのあと、日が落ち始めるまで俺はクルーアと稽古を続けた。

 そして、稽古が終わりに差し掛かった頃、ふと気になったことをクルーアに聞いてみた。

「先生」
「なんだ」
「先生は、騎士だったことがあるのですよね」
「……ああ、そうだな」
「魔物と戦ったことはありますか?」
「何度かは」
「先生が戦った中で、一番強い魔物はなんでしたか?」
「……なにか知りたいことでもあるのか?」
「動物や魔物は、ドラゴンのことを神と呼んで恐れているようなのです。ドラゴンというのは、どのくらい強いのでしょう」

 スズメも、ゴブリンも、犬でさえもドラゴンのことを『神様』と呼称していた。
 ……神様だ。どれだけ畏怖されていればそう呼ばれるようになるのか。

 ――自分達では絶対に敵わないと、そう考えているのだろうか。

「ドラゴンを討伐するには、その国で一番実力のある騎士団が動く必要があるだろう。それでも、勝てるかどうかはわからない。そしてその騎士団が負ければ、その国は滅びる。それほど強力な魔物だ、ドラゴンという生物は」
「……なんだか、上手く想像つきませんね」

 北の山にいる母ドラゴンは、温泉でゆったりすることに命をかけているくらいだった。
 それに、家の庭先で丸まって寝ているアイリスを見てしまうとなぁ……。

 俺の視線がアイリスに注がれているのを見て、クルーアは一つ溜息をついた。

「……例えば、ドラゴンにはただの刃物は通じない」
「そうなのですか?」

 刃物が通らないって、そんなに硬いのか。
 ドラゴンの鱗というやつは。

「よほどの業物でも、技量がなければ傷を付けられない。一番正当な方法は魔力が通った刃だな。もちろん魔法単体でも通じるが」

 魔力――俺も訓練を重ねているが、まだ上手くナイフに魔力を通せないんだよなぁ。
 魔法は翻訳魔法という、非戦闘系だし。

「つまり、お前はアイリスには絶対勝てない。まだ幼くとも、アイリスは紛れもなくドラゴンなのだから」

 クルーアは、寝ているアイリスを見てそう言い放った。

 ……むう。
 勝てないと言われると、俺の中にある『男の子』の部分が騒いでしまう。

 ――その絶対を、見事に覆してやるぜ!

「アイリス!」
「あ、あい!」

 俺に名前を呼ばれたアイリスは、びくりと反応して飛び起きる。
 アイリスに背もたれて、うたた寝していたシリアも反動で起こしてしまった。
 ……ちょっと悪いことしてしまったな。

 アイリスは、ちょこちょこと歩き俺の前へとやってくる。
 さあて、俺がアイリスに勝つところをしっかり見ていてくれよ、先生!

「お座り!」
「あい!」
「伏せ!」
「あいー!」
「よし! それと、お腹見せて?」
「あいっ」

 アイリスはごろんと地面に寝転がり、俺に対してお腹が見える体勢をとる。

 うむ。夕日を反射して美しく輝く水色の光沢だ。
 鱗が隙間なく生えそろっていて、とても綺麗だぞアイリス。

 言うことを聞いてくれたアイリスのお腹を一度撫でてから、俺はクルーアの方へ歩いて行く。

「先生」
「なんだ」
「勝てました」
「…………そうだな。お前はアイリスに勝った。お前は強いな、ユウリ」

 クルーア先生に頭を撫でられた。
 しかも優しい手つきで、慈愛に満ちた目も追加してだ。

 むうう。
 こんなん違う!
 これは俺が求めていた賞賛じゃない!

 ……だが、まあ当然か。
 純粋な戦闘力では、俺はアイリスに遠く及ばないだろう。

 この幼いドラゴンが一歳になる頃には、既に火炎放射機みたいな勢いで口からファイアーボール飛ばしてたからなぁ。
 その際、庭に植えてあった大きな樹が燃えてしまい、ランドルが酷く落ち込んでいた。
 きっと大切にしていたんだろうな、可哀相に。

 それに先生の言っていたとおり、ドラゴンは鱗が固すぎて普通の人間の力じゃ刃物すら刺さらないのだろう。
 もちろん俺の力じゃ無理だ。

 つまり、アイリスは二歳にしてセントリアで一番強いと言ってもいいのだ。
 クルーアは、まだ幼いアイリスと戦ったら勝てるのかな?
 きっとこの子が成長するごとに、どんどん勝率が低くなっていくのだろう。

 そう考えると、ドラゴンって凄く強いね。
 種族差ってのは、どの世界でもあるもんだ。

 地球では、人間が素手で勝てる動物は中型犬までだという説をどこかで見た気がする。
 人というのは、それくらい野生の力をなくしているのだろう。

 その代わり、武器を使ってるんだけどさ。
 いや、この世界では魔法も用いているか。

「よし、では本日の訓練はこれで終わろう。明日のやぐら番は誰だ?」

 クルーアの問いに、訓練を行っていた警備兵5人がまばらに手を上げる。

「わかった。今日はゆっくりと休息を取るようにな――では解散!!」
「「はっ!」」

 解散宣言に、警備兵は胸に手を当てて応える。
 そして訓練を終えた警備兵は、シュタットフェルト家の庭先からぞろぞろと自分の家へと帰っていった。

 やぐらというのは、東と西のセントリアに一つずつ立てられた見張り場所のことだ。
 街を一望できるほど高い物見の建物で、警備兵が一人ずつ配置されている。

 やぐら番は、なにか街に異常があったとき、やぐら内に設置してある鐘を何度も鳴らし周囲に危険を報せるという役割を持っていた。
 ちなみにその鐘はゴブリンお手製のものである。

 ……まあ、訓練時以外で一度も鳴ったことないんだけどね。あの警報。
 セントリアって、旅人が驚いてしまうくらい平和だし。

 午前中はカルベラを教師になってもらい勉強をこなし、終わるとジョギングついでに橋の建造を眺め、日が落ちるまでクルーアに稽古を付けてもらう。

 そんなルーチンを繰り返し、俺の生活は過ぎていった。

■ ■ ■

 そして、ユウベルトが出発して六日後のことだった。

 ――鐘の音が、激しくセントリアに鳴り響いたのは。

「な、なんだ!?」

 俺は聞きなれない音に驚き、ベッドから飛び起きる。
 窓から見える外の景色は、まだ暗い。

 真夜中に鳴り響く、警報だった。
 静かな夜に、鐘の音だけがいつまでも続いている。

「かんかんって、うるさいねー……。パパ、あれなにー?」

 アイリスは、俺の部屋の隅に寝転がって寝ている。
 ワラを円形に敷き詰めた、まるで鳥の巣のようなアイリス専用のベッドだ。

 目をぱちくりとして、まだ眠そうなアイリスはむくりと首を窓へと向ける。

「な、なにって……それは、あの鐘がなるのは、セントリアに何か起こったとき――」

 ――待てよ。
 この連続打ち。これはなんの警報だ?
 落ち着け。俺はクルーアからちゃんと習っているはずだ。

 カンカン、カンカン、カンカンと――
 二連続で鐘を打ち鳴らし、それをずっと繰り返す。

 それは――外敵が街に攻め入ってきたときの合図。

「マジ、かよ……嘘だろ!?」

 この警報は、いまセントリアが敵に襲われているというものだ。

 ――『平和』が崩れた。

 深夜に鳴り響く鐘の音は、それを領民に悟らせる悲しい報せだった。
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