龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第二部 旅のはじまり~小さな娼婦編~

小さな娼婦編 第五十二話

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 風呂に入ってから勝負をかけにいくというミカに、部屋から追い出され、ミカの部屋を教えてくれた女の人からは、何ともいえない笑顔で『思ったよりお早かったですね』と宿から送り出され。

 雷砂はとぼとぼと道を歩く。

 友達と思っていた相手に想いを告げられ、彼女はこれから雷砂の恋人の元へ直談判に行くという。
 そんな状況の中、自分はこれから娼館へ行って少女を一人、身請けする。
 なんだかとってもダメ人間になってしまったかのような気持ちなのは気のせいだろうか。
 ちょっと落ち込みつつも道を急ぐ。


 (アレサを、早くお母さんの所へ返してあげないと)


 自分がこの数日、必死に頑張ったのはその為だったのだから、とその事を再度自分に言い聞かせながら。
 アレサの母親の薬を作る材料は、宿を出るときに冒険者の腕輪のアイテムボックスに入れてきた。
 愛娘を連れ帰り、雷砂の作った薬を飲んでしっかり静養すれば、彼女の病もきっと良くなるはずだ。
 アレサと二人、きっと幸せに暮らしていける。

 自分がなぜ、ここまで彼女達にこだわるのか、正直よく分からない。
 一度関わってしまったから、という事もあるが、たぶんそれだけではない。

 アレサを送って彼女の家を訪れたあの日、病にやつれた彼女の母親の姿が胸に刺さった。まるで鋭い棘のように。
 その棘は時と共に薄れて消えて行ってしまった、雷砂の儚い記憶を刺激した。
 思いだそうとしても、良く思い出せない、かつてこの世界とは別の世界で暮らしていた頃の幼い記憶を。

 その記憶は、幸せで愛おしく、それと同時に泣きたいくらいに切ない。
 アレサと病みやつれた彼女の母親の姿を見ていると、無性にその記憶が刺激されるのだった。

 だから、なのだろう。
 二人を守ってやりたいと思ったのは。二人の、ごく平凡で幸せな日常を、取り戻したいと思ったのは。


 (早く、少しでも早くアレサを連れて帰ろう)


 彼女達が幸せに生活をしていたあの家へ。
 きっと楽な生活では無かっただろう。
 だが、親子二人、貧しくとも慎ましく助け合って暮らしていた。
 そんな日常に、早く帰してあげたい。

 気がつけば、雷砂の足は駆け足になっていた。
 遠くに、見慣れた娼館の大きな店構えが見える。
 雷砂が小さな娼婦アレサを解放するまで、あと少し。







 「イーリンは、いる?」


 『蝶の夢』に駆け込んで開口一番にそう言った、ここ数日でだいぶ見慣れた少女の美貌を見ながら、


 「今日はマダムの所でいいのか?アレサって娘の部屋に行くなら、直接行ってもかまわんぞ?」


 用心棒の親父は、そう返した。


 「今日はまずイーリンの所に行くよ。用事があるんだ」

 「用事?」

 「うん。アレサを身請けする」

 「身請け……って、もうか!?」


 雷砂の言葉に、親父が目を剥く。
 なんといっても、雷砂がここへ初めて顔を出してからまだ数日。
 その数日で、まだ新人とはいえ娼婦を一人身請けするだけの金を作り出すなど、普通の人間に出来ることではない。

 親父は半眼で、疑うように雷砂を見た。
 悪いことをする人間には見えないが、人は見かけによらないものだ。


 「何か人に言えないようなことを、しとらんだろうな?」

 「人に言えないようなこと?たとえば??」

 「うぬっ……うーむ、そうだな。人を脅して金を巻き上げるとか、人を殺して金を奪うとか……」

 「大丈夫だよ。魔物は殺したけど人は殺してない」

 「む、そうか。魔物、ということは、冒険者にでもなったか?だが、冒険者と言うのも、中々稼ぐに苦労する商売とは聞くが」

 「まあね。ちょうどタイミング良く、大きな依頼が出たおかげで何とかなったんだよ」

 「大きな依頼?」

 「うん。ほら、鉱山の」


 その言葉に、男は昨日から爆発的な広がりを見せたある噂の事を思い出した。
 流星の如く現れ、S級冒険者と対等にやり合い、あっという間にAまでランクを上げた新人冒険者。
 鉱山に救った魔物を単独で討伐し、捕らわれていた二人の冒険者も無事に救出したその人物は、まだ幼げな容姿の美しい子供だという。
 スピード重視の戦い方、美しい黄金の髪、そしてまだ成長途中のその姿からついた二つ名はー。


 「まさか、お前さんが噂の小雷龍しょうらいりゅうなのか」

 「しょうらいりゅう……?なに?それ」

 「小雷龍、だ。小っこい雷の龍。お前さんにつけられた二つ名だよ。恐らく、な」

 「二つ名……そんなのいつのまに。それ、本当にオレの??」

 「お前さんが最近冒険者になったばかりで、S級冒険者とやり合った経験があって、ランクがAで、鉱山の魔物を退治したなら、お前さんのだな」

 「なるほど。じゃあ、オレのだ。ふぅん。小雷龍、ねぇ」


 小さいと明言されているのは微妙だが、まあ悪くない、と雷砂は頷く。
 そんな彼女の様子を見ながら、こんな小こい子供がそんなに強いもんかねぇと首を傾げつつも苦笑い。
 まあ、噂は話半分としても、実際に女一人身請けするだけの金を短期間で作ってきたことは評価してやるか。
 そんな事を思いながら親父はちょっとむさくるしい顔をだらしなく緩めつつ、自分の子供と言うにもまだ幼い少女の、なんとも無邪気な様子をそっと見守るのだった。





 マダム・イーリンは仕事中との事で、最初の日に通された部屋で大人しく待つことしばらく。
 扉が開いたのでそちらを見ると、入ってきたのはイーリンではなく、最初にここを訪れた日に見た少女。
 どうやらお茶を入れてきてくれたらしい。
 片目を髪で隠した少女は、お茶の入ったカップを雷砂の前に置いたあと、少しおびえた眼差しでちらりと雷砂を見た。
 雷砂は彼女をそれ以上怖がらせないように、


 「確か、ダーリア、だったよな?お茶、ありがとう。頂くよ」


 言いながらゆっくりした動作でカップに手をかけ、柔らかく微笑みかけた。
 ダーリアは、隠れていない方の瞳をまあるくした後、少しだけ頬を赤らめてぴょこんとお辞儀をする。
 そしてそのままくるりと向きを変えて部屋から出ていった。
 ほっそりとした後ろ姿を見送ってから、茶を飲む。
 きちんと丁寧に入れられたおいしいお茶だった。

 そして再び待つことしばらく。
 がちゃりと扉の開く音に反応してそちらを見ると、今度こそイーリンの姿。
 彼女は雷砂の姿を認めて艶やかに笑い、


 「良くきたねぇ、小雷龍。調子はどうだい?」


 少しからかうような調子を込めてそう言った。


 「調子?まぁまぁだよ。その小雷龍って二つ名にはまだ慣れないけど」


 そんな雷砂の苦笑混じりの返事に、イーリンはそっと手を伸ばし雷砂の黄金の髪に指を絡ませた。


 「小雷龍。中々いい二つ名じゃあないか。あんた、雷の魔法でも使うのかい?」

 「いや。魔法は使わないよ」

 「じゃあ、この髪の色から連想したのかねぇ。空を切り裂く黄金の稲光を」


 言いながら、イーリンの細い指先が優しく雷砂の髪をすく。


 「で、迎えに来たのかい?」


 そうして雷砂の髪を撫でながら、何でもないことのように問いかける。
 金は集まったのか、とは聞かない。ただ、迎えにきたのか、とだけ。
 雷砂は彼女の問いに頷いて、用意しておいた小袋をテーブルの上に置いた。
 彼女は中身を確認することなくそれを胸元にしまい込むと、


 「確かに。これで今日からアレサはあんたのものだ。連れて帰って構わないよ」


 そういって、名残惜しそうに雷砂の髪を撫でる手を止めた。


 「中身、確認しなくてもいいの?」

 「あんたを信用してるからね」

 「そんなに信用されること、してないと思うけどなぁ?」


 唇を尖らせる雷砂の幼げな表情をほんの一瞬愛おしいそうに見つめ、それから一転して大人の余裕を感じさせる表情でにぃっと笑い、


 「将来有望な冒険者の小雷龍の信用が欲しいから、まずはこっちから信用することにしたんだよ。今後も、ご贔屓にしておくれよ?」


 冗談なのか本気なのか、そんな売り込みをかけてくる。


 「ご贔屓にって言われてもなぁ。オレは女の人を買う趣味は無いよ?」

 「アタシの手がけてる商売はここだけじゃないよ?普通の商人としてもそれなりに手広くやってるから安心おしよ。この街だけじゃなくて、王都の方にも店があって、普段はそっちに詰めていることの方が多いしね」


 言いながら、彼女は蝶をかたどった小さな金属片を取り出した。
 それを雷砂の手に握らせながら、


 「コレは、アタシの客の証みたいなもんだ。コレと同じ絵柄の入った看板を掲げている店で見せれば、それなりに優遇してくれるはずだよ」

 「いいの?オレなんかに渡して」

 「もちろん。アンタはもう、立派にこのマダム・イーリンのお客だもの」


 イーリンがそう言うので、雷砂は素直に彼女の好意に甘えることにした。
 なくさないように腕輪のアイテムボックスへ収納して、ありがとうと彼女の顔を見上げれば、イーリンはとても優しい表情で雷砂を見ていた。
 例えて言うなら、己の子供を見守る母親のような表情で。
 小首を傾げてじっと彼女の瞳を見返せば、イーリンははっとしたように表情を取り繕い、


 「さ、アタシの用事はコレで終わりだよ。アレサを連れて、さっさとお行きな」


 そう言いながら、雷砂を促す。


 「うん。そうする。ありがとう、イーリン。またいつか、どこかで会えたらいいな」

 「そうだね。いつか、どこかで。その時アンタは、どんな風に成長してるのかねぇ。楽しみなような、怖いような」


 小さく苦笑し、イーリンはまぶしそうに雷砂を見つめた。
 最後に柔らかな金髪を撫で、頬を撫で、まだ細い肩に手を置いて、


 「さ、もうお行きよ」


 思い切るようにそう言った。


 「うん。またね」


 雷砂は頷き、背を向ける。
 遠ざかる小さな背中を見送り戸を閉めると、イーリンはさっきまで雷砂が座っていたソファーに腰掛け、大きく息をつく。

 あの年頃の子供を見ると、何とも言えずに心が疼いた。かつて生み育て、そして失った己の子を思い出して。
 子供を失って以来、彼女は仕事に全てを注いで生きてきた。
 地位を得て、金を得て、満たされて生きていると、思っていた。

 だが、失った存在と同じ年頃の子供を見ると、ついかつての自分を思い出すのだ。
 全てを注いで育てた愛しい子と二人、慎ましくも幸せな日々を過ごしていた時の事を。

 もう戻りはしない日々の追憶を断ち切る様に首を振り、彼女は手を叩いて合図を送る。ダーリアに、お茶を入れてもらう為。
 今日の仕事はもう終わりにして、ダーリアと二人お茶でも飲んでのんびり過ごそうと、そんなことを考えながら。

 脳裏に浮かぶのは、妙に魅力的な美しい子供の笑い顔。

 今日の休みを終えたら、明日からはまた仕事に精を出そう。いつか再び雷砂と再会する時の為。
 大きくなった彼女がいつ現れても良いように、もっともっと商売を頑張らなければ。
 雷砂が困った時にいつでも手を差し伸べてあげられるよう。そう母親が己の子供を助けるように、どんな時でも雷砂の力になってあげられるように。

 雷砂に会うのは今日で二度目。正直、どうしてここまで雷砂に入れあげてしまったのか分からない。
 だが、きっと理屈ではないのだ。人を、好きになるという事は。

 イーリンは微笑む。いつか訪れる未来に想いを馳せ。
 予感があった。
 いつかきっと、雷砂と再び出会う予感が。
 その時が、いまからとても楽しみだった。
 
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