花と散る

ひのま

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2 出会い

靄(もや)

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「ごめん、翔」
「何で麗奈が謝るの?」
「だって・・・」

 そういうと俯いてしまう。でも本当に麗奈が謝る理由が見当たらなかった。

「亮介・・・何で、なんで・・・」
「麗奈、あいつはバカな奴だけど、麗奈の他に優先させるものなんてなかっただろう?」
「そんなことないよ!1人だけいるよ」
「誰?」
「言わない。言ったら本当に亮介に嫌われちゃうもん!」

 そういうと麗奈は急に走って俺の肩を叩いた。

「痛っ」
「そっか!そういうことか!ありがとう翔!麗奈、元気になった!」
「なんで?」
「なーんーでーも!」

 全然意味がわからないけど、でも、麗奈が元気になってよかった。

「じゃあね!バイバイ翔!」
「ば、ばいばい?」

 麗奈も元気になったし、亮介のことは明日本人に聞けばいい。とにかく今日は疲れた。早く帰ろう。



「亮介の1番は、いつも、翔だよ」

 なーんてね!絶対言ったら亮介に嫌われちゃうよね。



「ただいま」
「かあくん!」

 この呼び方はやめてほしいと何度も言ったが、母さんはやめてくれない。たぶんやめられないのだと思う。きっと母さんの時計はあの日で止まっているから。
 未だに母さんは4人分の料理を作るし、必要のなかったランドセルや中学の制服も買い揃えている。母さんは4人分の食事を作って、1人分残ったのを見ていつも泣いている。だから俺は「俺が葵に届けてくる」と言うことしかできない。そして母さんは屈託のない笑顔で「本当?あおくんお腹すかせているから、ちゃんと届けてね」と話しかけてくる。本当は俺がこっそり捨てていることが、もしバレてしまったら、母さんはきっと、壊れてしまう。
 だって母さんの中ではまだ葵は生きているのだから。

「かあくん、聞いて。あのね、今日葵の中学校の入学式があったの」
「えっ?」
「お願い、かあくん、怒らないで。お母さんがかあくんのじゃなくてあおくんの入学式に行ってしまったこと、申し訳なく思ってるわ」
「そ、そうじゃなくて!」
「でもね、入学式に行って、受付に行って、あおくんの名前を探しても、どこにもないの」

 母さんは今にも泣きそうな顔をしている。これはまずい。すぐに父さんを呼ばないと・・・。そう思ってカレンダーを見ると『会議21時迄』の文字。今日に限って・・・。

「でもね、お母さんね、お願いしてね、なんとか入学式を見ることができたの!」
「・・・よ、よかったね」

 そういうと母さんは目の色を変えた。怒りに満ちた顔だ。俺は母さんのこの顔が怖い。怖くて怖くて、ずっと頭にこびりついて離れない。『お前だけ幸せになるんじゃない、お前だけ生きるんじゃない』そう言っているとようで、本当に怖くなる。

「よくないわよ!かあくんに何がわかるの!いつまでたっても、ちっともあおくんの名前が呼ばれないの!近所の佐藤さんのところの子とかあおくんと仲良しだったお友達はみんな呼ばれてるのに!どうして、どうしてあおくんは呼ばれないの?ねえ!かあくん!それなのにどうしてよかったねっていうの?」
「ごめん、母さん、ごめん・・・」

 そう言って俺は自分の部屋にこもった。怖かった。どうすればいい?俺は・・・
 手が震えて、全身に変な汗が出てきた。俺が頼れるのは、頼れる存在は・・・

「かあくん!出てきなさい!ちゃんと謝って!お母さんにじゃなくて、あおくんに謝って!」

 一階から叫ぶ母さんの声が俺の部屋にも響く。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 俺は小さな声で謝るので精一杯だった。これが毎日続くと思うと、心に暗くて濃い靄がかかって、もう前にも後にも引き返せない、そんな板挟み状態になって、俺はこのまま死んで・・・


プルルルルプルルルル


 はっと顔を上げると、電話が来ていた。待てよ俺、今、何を考えていた?そう、冷静になるとひどく寒気がした。スマホの画面を見ると『泉亮介』の文字。
 亮介は俺の心が見えるのだろうか?そんなタイミングでの電話に、思わず涙が出そうになった。俺は震える手で答えた。

「・・・もしもし」
『もしもしー翔?俺だよ俺ー』
「わかってるよ。用事は何?」
『特になんにもー!』
「何だよ、それ」

 くだらない会話をして、でもそれは靄に一筋の光が突き抜けたような、そんな気持ちにさせてくれた。亮介や麗奈はいつもそうだ。俺が闇に堕ちそうな時、いつも救ってくれる。

『でも、一応報告!』
「何?」
『渡辺蘭のこと!』
「何で俺に報告するの?」
『だってお前、渡辺の自己紹介の時だけ生きてたからさ!』
「は?」
『渡辺蘭のこと、ちょっと気になってたんじゃないの?
   聖マリアンヌって聞いた時、ピクッとしてたよ』
「してないよ」

 でも確かに、聖マリアンヌ、と聞いた時気になったのは事実だ。だから俺は亮介の報告とやらが気になり始めていた。

「でも、聖マリアンヌ出身でこの高校に来るのはおかしくないか?」
『そーそー!俺もそう思ってたところ!翔もそうだと思ったから聞いてみた!』
「そしたら?」
『離婚、らしいよ。思ってたより渡辺のやつ、明るくてさ、少し闇は抱えてそうだったけどでも、何で来たの?って聞いたら、素直に答えてくれた』
「そうか・・・。あそこは名門私立なだけあって学費は相当かかるだろうしな・・・」
『そういうこと!』
「お前、それを知るためだけにワタナベを委員に推薦したわけじゃないよな?」
『え、そうだけど?』
「ぷっ・・・」

 もう一度亮介が真底バカなことを思い知り、思わず笑っていた。
 少し靄が晴れていた。でも違う色の靄がまたかかっていた。でもそれは決して気分の悪いものではなくて、むしろ、夢の中に誘うような、優しい靄だった。
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