風は遠き地に

香月 優希

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第一章 遥かな記憶

崩壊 2

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 どうしてこんなことになったのだろう。
 啼義ナギは一度落ち着こうと自室に戻ったものの、どうにも気持ちがざわめいて、気づけばまた大樹の元に来ていた。昨日と同じように登って、昨日と同じように景色を眺めている。なのに、自分はすっかり変わってしまった気がしていた。
<俺は、なんなんだ?>
 こんな得体の知れない力さえなければ、平穏にいられたはずなのに。でももう、知らぬ顔で今まで通りに暮らせるとは思えない。自分を支えていた土台が、足元から崩れていくような感覚が包み込んでいくる。身寄りはなく、素性も知れない自分の命を拾いあげてくれたレキの力になりたいと、ずっと思ってきた。そのために自分はいて、この力もきっと、なんらかの役に立つに違いないと信じて。
<どうして>
 抗いようのない"記憶"。竜の加護と呼ばれる力。どうして自分は、ここへ来てしまったのだろう。問うても答えてくれる者などいない。
 靂は──どうするのだろう。今朝のやり取りで、自分が少なからず危うい状況にあることを、見抜いたに違いない。彼は表面上に優しさは見えずとも、自分を黙って傍に置いてくれていた。だが自分の育ての親である前に、羅沙ラージャやしろかしらだ。自分が役に立たないと分かれば、ましてや障害となりうるならば、容赦無く切り捨てることも厭わないだろう。
<そうか……>
 ならば──
 啼義は木から降りて、深く息をついた。
<靂に会おう>

 羅沙の社の本殿は平屋だが、奥に建っている塔は三階建てで、二階には啼義の自室がある。
 啼義は真っ直ぐに、最上階の靂の自室へ向かった。果たして、靂はそこにいた。
 窓辺に佇んでいる後ろ姿はいつもの靂のままで、自分が来るのをここから見ていたのだと、すぐに見当がついた。ここ数日のことは、やはり夢か何かだったのではないかという考えが、一瞬頭をよぎる。
「靂──」どこかすがるような声だと、啼義は自分で思った。銀の髪が揺れ、ゆったりと靂が振り向く。その端正な目元、冷たいほど落ち着いた表情も、いつもと変わらない。
「今朝はどうした」靂の方から投げ掛けられた。啼義は答えず、ただ視線を合わせる。靂の金の瞳は柔らかい光を反射して、ひどく澄んでいるように見えた。その静けさに、心が凪いだ。
 啼義は覚悟を決めた。
「──俺の力は、助けにならない」
 十七年育ててくれた父を真っ直ぐに見つめ、啼義は言った。
「俺がいたら、淵黒えんこくの竜の力を、目覚めさせることはできない」
 靂の瞳が、微かに揺れた。「どうしてそう言い切れる?」
 思いがけない切り返しに、啼義の方が驚いた。なぜ他ならぬ彼が、そう聞くのだろう。まるで、証拠はないという返事を待っているかのように。
 しかし、啼義は答えた。
「俺が──"竜の加護"の継承者だからだよ」
 その言葉は、他の全ての音を掻き消して、靂の耳に刻むように届いたのだった。
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