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第四章 因縁の導き
それぞれの決意 5
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啼義は部屋の前に着くと、イルギネスが眠っていたのを思い出し、努めて静かに扉を開けた。
──が。
「おかえり」
目の前の椅子には、ちゃんと起きて、半ば解けていた髪を結き直したイルギネスが腰掛けていた。鞘に入ったままの愛剣を手にして、様子を確認している。
「起きてたのか」
イルギネスはにっこりと微笑んだ。「あんまり寝すぎると、夜に眠れなくなるからな」
それにしても、ぐっすり眠っていたようだったのに──啼義は思い当たった。まさか。
「いつ、起きたんだ?」
「ん?」
イルギネスの青い瞳に悪戯っぽい感情が走ったのを、啼義は見逃さなかった。聞かない方がいいと思った時には、もう遅かった。
「誰かさんが、大きな音で扉を閉めて出て行ったからな」
「……」
ということは──それこそ、あまり考えたくはないが──啼義は尋ねてしまった。
「見てたのか?」
イルギネスが、手にしていた剣を壁に立て掛け、身体を啼義の方へ向ける。
「リナとちゃんと話ができて、よかったじゃないか」
「う、うん」
顔が火照るのを感じながら、啼義は答えた。けれど、自分の気持ちに気づいたとて、どうにも出来ないことも同時に思い出し、次の瞬間、急に胸の奥の熱が引いていく。
「安心しろ。ここからじゃ、会話までは聞こえん」
イルギネスは笑ったが、啼義の表情を見て笑顔を引っ込めた。照れていたかと思えば、一気に浮かぬ顔になっている。
「どうした?」
答えられるはずもない。啼義はイルギネスを見返し、半ば無理やり笑顔を作った。
「なんでもない」
しかし、そんな付け焼き刃な笑顔を、イルギネスが見抜かぬわけがない。
「説得力がないな」彼は言うと、その眼差しに力を込めた。優しいが、射抜くようなまっすぐな視線に、啼義は観念した。しかし、言葉にするのはとんでもなく恥ずかしいことのように思えて、どうにか直接的な表現は避けようと、頭の中の語彙を必死にかき集めた。
「ここに、いつまでもいられないんだと思ったら、寂しくなってさ」
苦し紛れに言葉を捻出すると、イルギネスは少し意地悪そうに微笑んだ。
「ほう? 昨日は自分で出て行ったくせに」
啼義の頬がわずかに紅潮する。
「あっ、あれは……」しかし反論もできずにわなわなしている啼義を見て、イルギネスは声に出して笑った。
「いや、すまん。でも、そう思うなら安心だ。勝手に出ていく心配もなくなったわけだ」
この野郎、と心で悪態をつきつつも、ひとまずリナのことを追求されずにすんで、啼義は安堵した。ふうと息を吐き、自分も剣や装備品の手入れをしようと、荷物の前に腰を下ろす。ザックの中からあれこれ出していると、その言葉は唐突に、背後から投げられた。
「リナに、惚れたか」
突然、しかも直球を食らって、啼義は心臓が飛び出るかというような衝撃を受けた。振り返ると、イルギネスはその目に嬉々とした光を走らせ、やんわりと追い打ちをかける。
「というか、やっと気づいたってとこか」
「え」
啼義はひどく狼狽えてどう返していいか分らず、なんとか立ち上がって、イルギネスに向き直った。
「どうして……」
やっと、とは?
「お前ときたら、もうけっこう前から、リナを目で追ってたからな。俺が気づかないとでも思ったか」
啼義は眩暈がした。言われれば確かに、自分が彼女の姿を追っている自覚はあったのだ。経験豊富な相棒には、すっかり見抜かれていたということか。
「でも」
啼義は、再び顔に熱が上がるのを感じながらも、やっと反論した。
「だからなんだって言うんだ。どうしようもねえじゃん。俺は、ここにいられないんだぜ」
するとイルギネスは、穏やかな眼差しのまま啼義を見返した。
「そんなのは簡単だ。ダリュスカインのことがどうなるか分からんが、しっかりカタがついたら、イリユスへ一緒に来てくれと言ってみればいい」
あまりになんでもないような物言いに、啼義は唖然とした。
「簡単じゃ、ねえよ」
渋面になった啼義に、イルギネスは、時に見せる好戦的な笑みを浮かべる。
「それこそ自分次第だ。やってやると覚悟を決めて、やり遂げるのさ」
啼義は黙って、イルギネスの海のような目を見つめた。その青は、悠然と凪いでいる。虚勢でもなんでもなく、この男は本気でそう思っているのだ。
<そうか>
どんな心持ちであっても、打破しなければならない現実は同じだ。だったら、やり切れると信じて、その先にある未来を描いて挑むほうが、自分自身が心強い。
啼義の心の動きを捉えたかのように、イルギネスは足を組み、「ひとつ、教えてやろう」と再び口を開いた。
「リナは昨日、俺たちと一緒にお前を探しに行くと言って聞かず、諦めさせるのにかなり手こずったんだ。お前に何かあったら、間違いなく泣かれる。だから絶対に乗り切って──ちゃんと安心させてやれ」
それは、啼義の心を揺さぶるには充分な情報だった。思えばリナは、いつも自分のことを気にかけてくれていた。さっきだって、あんなに心配して。
<泣かせたくない>
リナを、悲しませたくはない。ならば、自分はこの難局になんとか良い方向へ決着をつけ、もう大丈夫だと示してやらなければ。
「うん」
短く頷く。でもそれでは弱い気がして、もう一度、しっかりとイルギネスを見つめ、今度は力強く頷いた。「うん」
啼義の覚悟の思いを受けたイルギネスの眼差しは温かく、それはほのかな希望の光となって、啼義の心の奥を照らした。彼の瞳は不思議だ。軽く考えてそうでいて、揺るぎない強さがある。なのに、とても柔らかい。
そのイルギネスの目元が、ふと和んだ。
「なあに、心配するな。女のことなら、経験には事欠かない。いくらでも相談に乗れるぞ」
褒められた発言とは言えなさそうな内容に、啼義が眉根を寄せる。
「なに言ってんだ。むしろ失敗談じゃねえのか?」
はははは! と、言われた方は愉快そうに笑った。
「俺みたいに迷走せず、しっかりモノにしろよ、青年」
啼義が呆れ顔になる。「なんだそれ。どんな迷走してきたんだよ」
「それはいつか、酒の席でたんまり話してやるさ」イルギネスはむしろ、得意げに返した。
「得意顔で言うことかよ」
啼義の突っ込みに、イルギネスがまたケラケラと笑う。啼義も心の強張りが溶けて、いつしか一緒に笑っていた。声に出して笑うのは、久しぶりだった。イルギネスは、初めて見た啼義の屈託のない笑顔に、目を細める。
<こんな明るい笑い方も、できる奴だったんだな>
この笑顔を、もっと普段から目にしたい。そうできるよう導いてやるのが、俺の役目だ。
イルギネスは、海色の瞳に相応しい悠然とした光を浮かべ、優しくも力強い口調で言った。
「大丈夫だ。強く信じるんだよ。いつだって思いの強さが、困難を打ち破るんだからな」
──が。
「おかえり」
目の前の椅子には、ちゃんと起きて、半ば解けていた髪を結き直したイルギネスが腰掛けていた。鞘に入ったままの愛剣を手にして、様子を確認している。
「起きてたのか」
イルギネスはにっこりと微笑んだ。「あんまり寝すぎると、夜に眠れなくなるからな」
それにしても、ぐっすり眠っていたようだったのに──啼義は思い当たった。まさか。
「いつ、起きたんだ?」
「ん?」
イルギネスの青い瞳に悪戯っぽい感情が走ったのを、啼義は見逃さなかった。聞かない方がいいと思った時には、もう遅かった。
「誰かさんが、大きな音で扉を閉めて出て行ったからな」
「……」
ということは──それこそ、あまり考えたくはないが──啼義は尋ねてしまった。
「見てたのか?」
イルギネスが、手にしていた剣を壁に立て掛け、身体を啼義の方へ向ける。
「リナとちゃんと話ができて、よかったじゃないか」
「う、うん」
顔が火照るのを感じながら、啼義は答えた。けれど、自分の気持ちに気づいたとて、どうにも出来ないことも同時に思い出し、次の瞬間、急に胸の奥の熱が引いていく。
「安心しろ。ここからじゃ、会話までは聞こえん」
イルギネスは笑ったが、啼義の表情を見て笑顔を引っ込めた。照れていたかと思えば、一気に浮かぬ顔になっている。
「どうした?」
答えられるはずもない。啼義はイルギネスを見返し、半ば無理やり笑顔を作った。
「なんでもない」
しかし、そんな付け焼き刃な笑顔を、イルギネスが見抜かぬわけがない。
「説得力がないな」彼は言うと、その眼差しに力を込めた。優しいが、射抜くようなまっすぐな視線に、啼義は観念した。しかし、言葉にするのはとんでもなく恥ずかしいことのように思えて、どうにか直接的な表現は避けようと、頭の中の語彙を必死にかき集めた。
「ここに、いつまでもいられないんだと思ったら、寂しくなってさ」
苦し紛れに言葉を捻出すると、イルギネスは少し意地悪そうに微笑んだ。
「ほう? 昨日は自分で出て行ったくせに」
啼義の頬がわずかに紅潮する。
「あっ、あれは……」しかし反論もできずにわなわなしている啼義を見て、イルギネスは声に出して笑った。
「いや、すまん。でも、そう思うなら安心だ。勝手に出ていく心配もなくなったわけだ」
この野郎、と心で悪態をつきつつも、ひとまずリナのことを追求されずにすんで、啼義は安堵した。ふうと息を吐き、自分も剣や装備品の手入れをしようと、荷物の前に腰を下ろす。ザックの中からあれこれ出していると、その言葉は唐突に、背後から投げられた。
「リナに、惚れたか」
突然、しかも直球を食らって、啼義は心臓が飛び出るかというような衝撃を受けた。振り返ると、イルギネスはその目に嬉々とした光を走らせ、やんわりと追い打ちをかける。
「というか、やっと気づいたってとこか」
「え」
啼義はひどく狼狽えてどう返していいか分らず、なんとか立ち上がって、イルギネスに向き直った。
「どうして……」
やっと、とは?
「お前ときたら、もうけっこう前から、リナを目で追ってたからな。俺が気づかないとでも思ったか」
啼義は眩暈がした。言われれば確かに、自分が彼女の姿を追っている自覚はあったのだ。経験豊富な相棒には、すっかり見抜かれていたということか。
「でも」
啼義は、再び顔に熱が上がるのを感じながらも、やっと反論した。
「だからなんだって言うんだ。どうしようもねえじゃん。俺は、ここにいられないんだぜ」
するとイルギネスは、穏やかな眼差しのまま啼義を見返した。
「そんなのは簡単だ。ダリュスカインのことがどうなるか分からんが、しっかりカタがついたら、イリユスへ一緒に来てくれと言ってみればいい」
あまりになんでもないような物言いに、啼義は唖然とした。
「簡単じゃ、ねえよ」
渋面になった啼義に、イルギネスは、時に見せる好戦的な笑みを浮かべる。
「それこそ自分次第だ。やってやると覚悟を決めて、やり遂げるのさ」
啼義は黙って、イルギネスの海のような目を見つめた。その青は、悠然と凪いでいる。虚勢でもなんでもなく、この男は本気でそう思っているのだ。
<そうか>
どんな心持ちであっても、打破しなければならない現実は同じだ。だったら、やり切れると信じて、その先にある未来を描いて挑むほうが、自分自身が心強い。
啼義の心の動きを捉えたかのように、イルギネスは足を組み、「ひとつ、教えてやろう」と再び口を開いた。
「リナは昨日、俺たちと一緒にお前を探しに行くと言って聞かず、諦めさせるのにかなり手こずったんだ。お前に何かあったら、間違いなく泣かれる。だから絶対に乗り切って──ちゃんと安心させてやれ」
それは、啼義の心を揺さぶるには充分な情報だった。思えばリナは、いつも自分のことを気にかけてくれていた。さっきだって、あんなに心配して。
<泣かせたくない>
リナを、悲しませたくはない。ならば、自分はこの難局になんとか良い方向へ決着をつけ、もう大丈夫だと示してやらなければ。
「うん」
短く頷く。でもそれでは弱い気がして、もう一度、しっかりとイルギネスを見つめ、今度は力強く頷いた。「うん」
啼義の覚悟の思いを受けたイルギネスの眼差しは温かく、それはほのかな希望の光となって、啼義の心の奥を照らした。彼の瞳は不思議だ。軽く考えてそうでいて、揺るぎない強さがある。なのに、とても柔らかい。
そのイルギネスの目元が、ふと和んだ。
「なあに、心配するな。女のことなら、経験には事欠かない。いくらでも相談に乗れるぞ」
褒められた発言とは言えなさそうな内容に、啼義が眉根を寄せる。
「なに言ってんだ。むしろ失敗談じゃねえのか?」
はははは! と、言われた方は愉快そうに笑った。
「俺みたいに迷走せず、しっかりモノにしろよ、青年」
啼義が呆れ顔になる。「なんだそれ。どんな迷走してきたんだよ」
「それはいつか、酒の席でたんまり話してやるさ」イルギネスはむしろ、得意げに返した。
「得意顔で言うことかよ」
啼義の突っ込みに、イルギネスがまたケラケラと笑う。啼義も心の強張りが溶けて、いつしか一緒に笑っていた。声に出して笑うのは、久しぶりだった。イルギネスは、初めて見た啼義の屈託のない笑顔に、目を細める。
<こんな明るい笑い方も、できる奴だったんだな>
この笑顔を、もっと普段から目にしたい。そうできるよう導いてやるのが、俺の役目だ。
イルギネスは、海色の瞳に相応しい悠然とした光を浮かべ、優しくも力強い口調で言った。
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