66 / 96
第五章 竜が啼く
北へ 2
しおりを挟む
男ばかり三人での旅から帰還した、翌日。
啼義は朝の鍛錬を終えてひと休みすると、イルギネスに声をかけて、港へ向かうことにした。海に落ちた時に借りた服を返しに、朝矢が乗る羅真丸を訪ねるためだ。
朝矢は返さなくていいと言っていたが、啼義は単純に、彼に会いたい気持ちもあった。
「もう少し、休んだほうがいいんじゃないのか? 足の怪我だってまだ多少痛むだろう。驃にも、容赦なく扱かれたあとだし」
イルギネスは、鍛錬で新たな痣を作っている啼義を心配したが、彼は首を振る。
「大丈夫。このくらいなら多分、動いてても今日中に回復する」
「そうか」
穏やかに微笑んだ啼義を、イルギネスは眩しげに見つめた。
<なんだかここ数日で、すっかり逞しくなったな>
瀕死の状態で助けた時、自らの置かれた状況に戸惑い打ちのめされていた啼義の姿が、瞼の裏をよぎった。あれから半月ほどだが、目の前の青年は今、困難を乗り越えようと、強い意志で着実に前を向いている。
啼義とイルギネスが羅真丸が停泊している波止場に着くと、ちょうど舳先を掃除していた朝矢が二人を見つけ、頭上から大声で呼んだ。
「啼義っ!」
嬉しそうに手を振る幼馴染みに、啼義も手を振って答える。朝矢は「今行くから、そこで待っててくれよな」と言うや否や、ひょこっと姿を消した。
ちょっとの間があって、船と波止場の渡し板に姿を現した朝矢が、駆け足で向かってくる。
「服を返しに来たんだ」
啼義の言葉に、朝矢は「いいって言ったのに。律儀だな」と白い歯を見せて笑い、続けた。
「どっちにしろ、俺ももう一度会いたかったから嬉しいよ」
朝矢の誘いを受け、またしても、甲板で木箱を卓がわりにした簡素な茶会となった。明朝に船出が控えているせいか、前回来た時より、船内は少し慌ただしい。
ほどなくして現れたのは、船長のデュッケ・アドスだ。彼は、和気藹々と大きな薬缶で茶を注ぎ合っている三人をぐるりと見渡し、不意に、秀麗な顔に不釣り合いな厳つい表情を浮かべた。
「おい、朝矢! 掃除は終わったのか?」
相変わらず怒号のような勢いで問われ、思わず息を呑んだ朝矢と啼義だったが、デュッケ・アドスは翠色の目に楽しげな光を浮かべ、「なんてな! ようこそお二方!」と豪快に笑った。
「よっしゃ。俺も少し混じろうかな」
彼はイルギネスの隣にどっかりと胡座を組む。
「よう、また会えたな船長」イルギネスも嬉しそうだ。
デュッケ・アドスは自分で空の銅製のマグカップに茶を注ぐと、一気にグビグビと飲み干した。
「ああ、美味いな! ちょうど休憩したかったんだよ」
そのまましばらく、他愛もない、しかし啼義にとっては未知の航海話に花が咲いた。羅真丸は、このエディラドハルドの大陸周りと、周囲の島々に物資を運んでいる。ミルファは大陸の少し中に入った湾の突き当たりに位置し、湾を出て東へ回るか西へ回るかは、その時によるそうだ。
啼義がふと、尋ねた。
「イリユスにも、行ったことがあるのか?」
朝矢は「うん」と頷く。
「いいところだぞ。気候も穏やかだし、羅沙のような厳しい寒さとは無縁だ」
朝矢の褒め言葉を受け、イルギネスが得意げに付け足す。「酒も食い物も美味いぞ」
デュッケ・アドスも続いた。「いい女も沢山いる」
その言葉に、イルギネスと朝矢が「いやあ、間違いない」と合いの手を入れて盛り上がりだしたので、啼義は呆れながらも、どこかでほっとした。
「そうか」
啼義は空を見上げて、まだ見ぬイリユスに思いを馳せた。もし辿り着けたら、おそらくそこが、自分の新たな居場所となるのだろう。果たして何が待ち受けているのか──不安は尽きないが、そう聞くといくらか楽しみな気もする。
「イリユスに立ち寄ったら、ぜひ訪ねてくれ。船着場に連絡所があるから、そこに言付けてくれればいい」
イルギネスが当たり前のように彼らに告げる様子に、啼義は、昨日のイルギネスの言葉を思い出していた。
『大丈夫だ。強く信じるんだよ。いつだって思いの強さが、困難を打ち破るんだからな』
<大丈夫>
きっと、切り抜けられる。
そうしてまた朝矢とも会って、こんなふうに、離れていた間の話で盛り上がるんだ。
啼義は言葉には出さずに、心の中で強く誓った。
別れ際、朝矢と啼義は「またな」と固く握手を交わし、互いの姿が見えなくなるまで、何度も振り返っては手を振り合った。いよいよ最後かと思った時、朝矢が叫んだ。
「啼義ー! 頑張れよーっ! 俺、祈ってるから!」
反射的に息が詰まって、啼義は胸を押さえた。それをグッと飲み込み、半ば強引に笑顔を作って振り返る。
「お前もな!」
朝矢が拳を掲げ、啼義も同じように応えた。その手を開き、今一度大きく振る。朝矢が、まるで何かを受け取るように開いた手のひらをひと振りしたのを見届けると、啼義は身を翻し、イルギネスの瞳をしっかりと見つめて言った。
「行こう。俺たちも進まなくちゃ」
啼義は朝の鍛錬を終えてひと休みすると、イルギネスに声をかけて、港へ向かうことにした。海に落ちた時に借りた服を返しに、朝矢が乗る羅真丸を訪ねるためだ。
朝矢は返さなくていいと言っていたが、啼義は単純に、彼に会いたい気持ちもあった。
「もう少し、休んだほうがいいんじゃないのか? 足の怪我だってまだ多少痛むだろう。驃にも、容赦なく扱かれたあとだし」
イルギネスは、鍛錬で新たな痣を作っている啼義を心配したが、彼は首を振る。
「大丈夫。このくらいなら多分、動いてても今日中に回復する」
「そうか」
穏やかに微笑んだ啼義を、イルギネスは眩しげに見つめた。
<なんだかここ数日で、すっかり逞しくなったな>
瀕死の状態で助けた時、自らの置かれた状況に戸惑い打ちのめされていた啼義の姿が、瞼の裏をよぎった。あれから半月ほどだが、目の前の青年は今、困難を乗り越えようと、強い意志で着実に前を向いている。
啼義とイルギネスが羅真丸が停泊している波止場に着くと、ちょうど舳先を掃除していた朝矢が二人を見つけ、頭上から大声で呼んだ。
「啼義っ!」
嬉しそうに手を振る幼馴染みに、啼義も手を振って答える。朝矢は「今行くから、そこで待っててくれよな」と言うや否や、ひょこっと姿を消した。
ちょっとの間があって、船と波止場の渡し板に姿を現した朝矢が、駆け足で向かってくる。
「服を返しに来たんだ」
啼義の言葉に、朝矢は「いいって言ったのに。律儀だな」と白い歯を見せて笑い、続けた。
「どっちにしろ、俺ももう一度会いたかったから嬉しいよ」
朝矢の誘いを受け、またしても、甲板で木箱を卓がわりにした簡素な茶会となった。明朝に船出が控えているせいか、前回来た時より、船内は少し慌ただしい。
ほどなくして現れたのは、船長のデュッケ・アドスだ。彼は、和気藹々と大きな薬缶で茶を注ぎ合っている三人をぐるりと見渡し、不意に、秀麗な顔に不釣り合いな厳つい表情を浮かべた。
「おい、朝矢! 掃除は終わったのか?」
相変わらず怒号のような勢いで問われ、思わず息を呑んだ朝矢と啼義だったが、デュッケ・アドスは翠色の目に楽しげな光を浮かべ、「なんてな! ようこそお二方!」と豪快に笑った。
「よっしゃ。俺も少し混じろうかな」
彼はイルギネスの隣にどっかりと胡座を組む。
「よう、また会えたな船長」イルギネスも嬉しそうだ。
デュッケ・アドスは自分で空の銅製のマグカップに茶を注ぐと、一気にグビグビと飲み干した。
「ああ、美味いな! ちょうど休憩したかったんだよ」
そのまましばらく、他愛もない、しかし啼義にとっては未知の航海話に花が咲いた。羅真丸は、このエディラドハルドの大陸周りと、周囲の島々に物資を運んでいる。ミルファは大陸の少し中に入った湾の突き当たりに位置し、湾を出て東へ回るか西へ回るかは、その時によるそうだ。
啼義がふと、尋ねた。
「イリユスにも、行ったことがあるのか?」
朝矢は「うん」と頷く。
「いいところだぞ。気候も穏やかだし、羅沙のような厳しい寒さとは無縁だ」
朝矢の褒め言葉を受け、イルギネスが得意げに付け足す。「酒も食い物も美味いぞ」
デュッケ・アドスも続いた。「いい女も沢山いる」
その言葉に、イルギネスと朝矢が「いやあ、間違いない」と合いの手を入れて盛り上がりだしたので、啼義は呆れながらも、どこかでほっとした。
「そうか」
啼義は空を見上げて、まだ見ぬイリユスに思いを馳せた。もし辿り着けたら、おそらくそこが、自分の新たな居場所となるのだろう。果たして何が待ち受けているのか──不安は尽きないが、そう聞くといくらか楽しみな気もする。
「イリユスに立ち寄ったら、ぜひ訪ねてくれ。船着場に連絡所があるから、そこに言付けてくれればいい」
イルギネスが当たり前のように彼らに告げる様子に、啼義は、昨日のイルギネスの言葉を思い出していた。
『大丈夫だ。強く信じるんだよ。いつだって思いの強さが、困難を打ち破るんだからな』
<大丈夫>
きっと、切り抜けられる。
そうしてまた朝矢とも会って、こんなふうに、離れていた間の話で盛り上がるんだ。
啼義は言葉には出さずに、心の中で強く誓った。
別れ際、朝矢と啼義は「またな」と固く握手を交わし、互いの姿が見えなくなるまで、何度も振り返っては手を振り合った。いよいよ最後かと思った時、朝矢が叫んだ。
「啼義ー! 頑張れよーっ! 俺、祈ってるから!」
反射的に息が詰まって、啼義は胸を押さえた。それをグッと飲み込み、半ば強引に笑顔を作って振り返る。
「お前もな!」
朝矢が拳を掲げ、啼義も同じように応えた。その手を開き、今一度大きく振る。朝矢が、まるで何かを受け取るように開いた手のひらをひと振りしたのを見届けると、啼義は身を翻し、イルギネスの瞳をしっかりと見つめて言った。
「行こう。俺たちも進まなくちゃ」
1
あなたにおすすめの小説
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
『召喚ニートの異世界草原記』
KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。
ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。
剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。
――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。
面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。
そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。
「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。
昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。
……だから、今度は俺が――。
現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。
少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。
引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。
※こんな物も召喚して欲しいなって
言うのがあればリクエストして下さい。
出せるか分かりませんがやってみます。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
