Sword Survive

和泉茉樹

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第14章

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     十四

 松代国際空港に垂直離着陸魔法推進機が降り立った。四本の足が展開され、その足の先の車輪が機体を空港の建物の乗降口へと進ませていく。
 ただの会社員である彼にとって、ヨーロッパからの長い旅だったが、それをより長く感じさせる要素があった。
 その要素から解放されると思うと、気が楽だった。
 要素とは、彼の隣の席に座った男だった。
 短い金髪は優雅に波打ち、顔も整っていて、人形のようだった。
 身長がかなり高く、あまりに男が涼しげな様子でいるので、席が窮屈そうには見えない。美形にはそういう効果もあるのか、と彼はしみじみと思った。
 飛行機が完全に停車する。小型の機体なので乗客は百名ほどだ。その数の少なさから、サービスが充実しているのだが、今回ばかりは懲りたな、と彼は心中で考えていた。
 あまりに整いすぎている存在というのは、変な圧力を伝えてくる。
 キャビンアテンダントが控えめな声で、乗客に準備が整ったことを伝えた。
 彼は素早く席を立ち、急いで機を降りた。空港の建物の中に入って、やっと安心できた。

     ◆

 松代国際空港のエントランスに立った彼は、回収した荷物を手に、特別な魔具でもあるモバイルで上官に電話をかけた。相手がすぐに出る。
「どうだね、そちらは。北半球の八月だ、暑かろう」
「いえ」
 男の口から低い声が発せられる。大理石を思わせる、硬質で、冷ややかな声だった。
「道具も揃っているかな」
「日本の航空会社は優秀です。全てにおいて」
「安心したよ。任務は変更なし。松代シティにいる我々の諜報員が動き出している。ほどなく、対象の位置を割り出せるはずだ。それまで君の出番はない。観光でもなんでも、好きにするといい」
 男は、はい、と短く応じた。彼の周囲を歩く人が、残らず彼を見た。それほど目立つのだ。彼自身、自分の容姿が目立つことを知っていたが、しかし、まさか全身を覆うわけにもいかない。
「休暇だと思って。今日あたり、どこかで一杯引っ掛けてもいいよ」
「はい」
「きみは冗談というものを勉強したほうがいいな」
 彼は返事に困ったが、こういう時の常で「はい」と応じた。電話の向こうで嘆息する声。
「好きにしなさい。また連絡する。いつでも動けるようにしておいてくれ。以上だ」
「了解です」
 通話は切れた。
 彼はモバイルを上着のポケットに入れる。言われた通り、お膳立てが済むまで彼にはやることはない。それまでは待機である。
 彼は足元に置いていた荷物を担ぎ上げると、歩き出した。
 早く他人がいないところに行きたかった。

     ◆

「立て! 早く!」
 天城さんの怒声を聞きつつ、僕は立ち上がった。
 僕と相対しているのは、天城さんではなくアンドロイドだった。ここ三日ほど、毎日、ひたすらこのアンドロイドと格闘技の稽古をしている。月読はじっとこちらを見ていた、一時も目を離さず。
 僕の運動着は汗で体に張り付いている。
 そして、全身が隈なく痛む。
「ほら、自分から行け!」
 そんなに煽られても、動けないよ……。
 アンドロイドが歩み寄ってきて僕の襟首と袖を掴む。柔道っぽいけど、もっと砕けた、つまり、ルールとか定石とかを無視している強引な組手。
 見た目は細身なのに、アンドロイドの膂力は人間のそれではない。振り回されるように畳に衝突した。
 立ち上がるのが億劫だけど、しかし、そういうわけにもいかない。
 怒声と畳の上の衝突音が交互に繰り返される。結局、二十回ほどで僕はついに立ち上がれなくなった。天城さんが小休止を宣言し、僕の元に月読がやってきた。
「大丈夫?」
「いや、かなり痛む」
 畳を転がり、一度うつ伏せになってから起き上がる。ペットボトルを受け取り、一口、飲んだ。うーん、癒される。しかし痛みは引かないな。
「十分だけだぞ、休めるのは」
 こちらへやってきた天城さんが、仁王立で僕たちを見下ろした。
「よく相談しろ」
 そう、休みと言っても、ぼんやりしているわけではない。
 僕と月読は、さっきまでの格闘での問題点、課題を擦り合わせていく。僕の実感と、月読の客観を照らし合わせて、本当の問題や課題を炙り出す。
 でもそれは即座に僕が修正、実践できるものじゃない。
 月読を剣として僕が握った時のために、意見を言い合っているのだ。二人の感覚、二人の判断力をより高め、同時に、より同期させるのが目的だった。
 たまにアンドロイドを逆に責め立てられそうな瞬間もあるけど、僕は何せ、ほとんど素人だ。行けるか、と思っても、逆襲されて、畳に墜落する。
 ただ、やっぱり受け身は上手くなった。上手くならなかったら、今頃、死んでいるかもしれなかった。
 十分はあっという間に終わった。アンドロイドは武道場の真ん中で待ち構えている。
 これからまた散々、叩きのめされることを考えるとウンザリするけど、仕方ない。自分のため、月読のため、天城のため、できることをやろう。
「お、やっとるね」
 突然の声が、僕たちの動きを止めた。
 武道場に入ってきたのは店長だった。
「あまり気楽に来ないで欲しいね」天城が歩み寄って行く。そして店長の横を通り過ぎて、例のドアの鍵をかけた。
「別に問題ないと思うけど」
「気分の問題」
 にべもない天城さんの返事。
 店長は月読と、天城さんの魔器の状態を確認し、それぞれにメンテナンスのアドバイスをした。天城さんは聞き流しても、僕と月読は必死だ。今になってはっきりわかるけど、天城さんに保護されてからは、すべてが勉強だし、役に立たないことは何一つないのだった。
「守護者はすでに到着しているよ」
 何げない口調で、店長が言った。場所は変わらず、武道場だった。飲み物も何もない。空気は澄んでいて、爽やかだけど、変な感じだ。
 それでも店長も天城さんもいつも通り。
「どこまで来ている?」
「すでに松代シティに入っている。あちらさんの間者がうろついているよ。そこらじゅうをね」
 あちらさん、というのは、魔法管理機構のことだ。
 魔法管理機構は戦力こそ守護者の十三人を例外として基本的に持たないが、その代わりに情報網はかなり綿密に世界中を覆っている。
 数年前から魔法を利用した推進装置などの活用で、宇宙探査が始まり、月や火星に実験的な居住施設が作られているけど、魔法管理機構から逃げるには月に行け、と言われるほどなのだ。
 それくらい、魔法管理機構は全ての場所に入り込んでいる。
「ここも、そのうちバレるんですか?」
 思わず声に不安が混ざってしまった。天城さんは軽く手を振った。
「基本的にそれはない」
 軽い調子で応じられたので、その言葉は本当なんだろう、と飲み込めた。
「睦月の具合はどうだ? 仕上がっているか?」
 そう店長に質問されて、僕は思わず天城さんを見ていた。店長も、天城さんに質問したのだ。その天城さんは、顔をしかめて、
「かろうじて」
 とだけ、答えた。
 かろうじて……とは、どう判断していいんだろう。
「ちょっと実際にやって見せてみようか」
 そう言うなり天城さんが立ち上がり、上着を脱いで、その上にサングラスを置いた。
 僕は混乱したけど、月読が立ち上がり僕を引っ張るようにして立たせた。
 やって見せる、って、模擬戦を?
 武道場の真ん中で、天城さんと、僕と月読が向かい合う。月読が剣に変化したのと同時に、天城さんも魔器を武器の形態に変化させた。
 ゆっくりとした動作に天城さんが魔法弾を弾倉に送り込む。
「待っているとは、余裕だな」
 天城さんが弾倉をはめ込み、一瞬で撃鉄をあげて引き金を引いた。
 何かが周囲をすり抜けた、と思った時には月読が刹那で僕に警告、瞬間で応じる。
 剣を立てて、現象化魔法を発動。僕の基礎魔力を月読が導き、それがさらなる内包魔力を精密に、かつ大量に引きずり込む。
 僕の眼前に揺らめく不可視の壁ができた。
 その表面で激しい衝突音とともに火花が散る。
 店長が口笛を吹いたような気がしたけど、構っている暇はない。
 何かが周囲を走り抜けている。見えない。姿がないのだ。
 現象化魔術を、現象変質魔法に切り替える。僕が生み出した見えない壁、高密度の魔力の壁が今度は、視認可能な、複数の板に変化する。
 それの操作を月読に任せ、僕は天城さん本体を狙う。
 畳を蹴る。知覚強化魔法、運動強化魔法をさらに同時発動。
 頭の中で同時に複数の思考をするのは、一ヶ月以上、天城さんに鍛えられたおかげで、慣れてきた。
 動きの鈍い世界の中で、僕と天城さんがそれぞれに前進、間合いを詰める。
 この時、僕を襲った見えない何かがやっと見えた。動きが早すぎて見えなかったが、半透明のイタチのような生物だった。あまりに早くて、通常の知覚では視認できない。
 その情報を即座に月読に伝えつつ、逆に月読からも僕の身体の制御を同期する意思が伝わってくる。
 瞬間の判断、すでに天城さんとの間合いは消えている。
 お互いが斬撃を繰り出すが、相手の一撃を回避するため、わずかに身をひねる。僕の切っ先は空を切るけど、天城さんの切っ先は運動着の裾をわずかに切っている。
 ギリギリのやり取り。
 複雑に間合いが変化し、かつ、絡んだ糸のように不規則な軌道で、切っ先が舞う。
 あっとう間に僕の運動着がボロボロになる。汗が飛び散るのがわかる。
 一方、天城さんは涼しい顔だ。
 なんて人だ。
 背後で、半透明の二体のイタチが解けるように消えた。天城さんの魔法弾の効果が消えたのだ。月読もこれで現象変質魔法の制御を手放せる。
 僕の一瞬の意図を理解した月読が、魔力から作られた複数の板、真っ白だったそれはすでにボロボロだが、それを構わずに全部を天城さんにぶつける。
 天城さんの姿が、突然に霞む。
 知覚強化は継続しているのに、だ。
 最大級の警告。
 全力で後退した時、目の前で、爆発的に粉塵が巻き起こった。
 叩きつけた板が、高速のさらに上の高速の動きによる斬撃で粉砕されたのだ。
 部屋の半分がもうもうとした煙に包まれている。
 月読が周囲の魔力を探る。しかし、粉が元は魔力だったために、詳細がわからない。
 僕の目視も当てにならない。
 ただ、直感だけは残っていた。
 体を半身に開く。ギリギリのところで突きを回避することができた。
 もちろん逆にこちらも剣を突き出している。
 手応えは、ない。
 甲高い風を切る音。
「終わりだな」
 煙が瞬間で全て消し飛んだ。いや、一点に煙が収束し、そのまま、消えた。
 それが天城さんの何らかの魔法によるものだとわかったけど、しかし、それは本筋とは関係ない。
 粉塵が消えるより先に、天城さんの切っ先は、僕の運動着の胸にバツ印の切れ込みを入れていたのだ。
 つまり、粉塵をどうにかするだけの余裕を持って、僕を倒すこともできたわけだ。
「まぁ、複数の魔法を同時に扱うのは、悪くない」
 僕の横で月読が人間の姿になる。
「二人の同調も問題ないだろう。あとは経験だな。月読、最後の瞬間、何が起こったか、わかったか」
「はい」
「言ってみろ。ここで」
 僕は何のことかわからず、月読を見た。その月読は少しのためらいの後、はっきりと言った。
「あれは封印魔法でした。私たちの魔力を、一瞬で封じ込めたんです」
 封印魔法。以前、月読が教えてくれたことがあったはずだ。確か、あれは月読が脱走した日の夜だった。雑談の中で、教えてもらった。
 天城さんは封印魔法の高等技術を持っている、とか。
「そうだ」天城さんが頷いた。「感じているならいい。私が望むこともわかるだろう」
 こくん、と月読が頷いた。どういうことかな。
「複製の作成の進捗は?」
 さらに僕にはわからないことを、天城さんは月読に尋ねている。
「おおよそは進んでいますが、実戦で使えるかは、不明です」
「いいだろう、そのうち、機会もあるはずだ」
 天城さんが店長の方を振り返った。
「これが今の仕上がりだ。どうだ、満足したか?」
 店長は楽しそうに笑っている。
「俺にはよくわからないが、とにかくすごいのは分かった。あの睦月がここまでやるとは、思わなかったよ。よく頑張ったと思う」
 思わず嬉しくなった僕を即座に天城さんが睨みつけた。
「これで終わりじゃない。これからも頑張るんだ」
「はい……」
 それ以外、なんて答えられるだろう。
 店長は天城さんと何事かを話してから帰って行った。稽古を続けるのかな、と思ったら、天城さんは僕たちに「封印魔法について勉強しておけ」と言って、さっさとどこかへ行ってしまった。
 僕と月読は、例のドアで海に囲まれた中庭へ移動し、そこでアンドロイドが用意してくれたお茶菓子をつまみつつ、話をした。
 どうやら月読は天城さんの封印魔法を、魔法複製魔法で写し取ろうとしているらしい。おおよそのコピーが完成して、あとは試していく中で調整したい、と口にした。
 僕は別に反対する理由もない。天城さんが言った通り、何か、機会があるはずだ。
「それで、その封印魔法は、どれくらい意味があるの?」
「いえ、相手の魔法を、使用不能にするだけです。限られた範囲で、限られた時間」
「じゃあ、防御のための魔法?」
 月読が首を傾げた。
「戦いを避けるためじゃないかと思いますけど」
 意外な言葉だった。
「戦いを避ける?」
「そもそも、強すぎる力を封じるために、用いるものじゃないかな……」
 わかるような、わからないような。
 そのあとも僕たちは封印魔法について話したけど、ひょんなことから、月読がこんなことを言った。
「天城さんの封印魔法は、普通の魔法ではなく、反世界魔法なんです」
 その言葉を聞いた瞬間、電気が走ったような感じを覚えた。
 何がそこまで自分を驚かせたのか、よく考えてみたけれど、答えはすぐわかった。
「それはつまりさ」恐る恐る、尋ねる。「月読が複製した魔法って、反世界魔法ってこと?」
 不思議そうな顔の月読が、僕の視線に気圧されたのか、
「まあ……」
 とだけ答えた。
 僕は勢い込んで、自分の考えを伝えた。
 最初こそ理解が追いつかないでいるような月読だったけど、話を聞くうちに理解できてきたようだった。僕が話し終わると、考え込んで、しばらく沈黙した。
「あるいは、魔法融合魔法を使えば、できるかもしれません」
 僕の想像は、どうやら実現しそうだった。
「完全に作動すれば、ですけど」
 月読はまだ信じられないようにそう付け加えた。でも僕は構わなかった。
「やってみよう」
 やっぱり気圧されたように、月読が頷いた。











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