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1-3章 傭兵登録

1-3-3 悪魔の試練

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     ◆


  部屋に戻ると、どこか変な匂いがしたが、まぁ、気のせいだろう。
「おーい、小娘、いるか?」
 台所を覗くと料理の最中だ。真剣な顔で鍋に向かっている。煮物に挑戦しているのはこの一週間の恒例で、じわじわと形になっている。
 形というか、ただ調味料を控え始めた、という感じだが。
「おい、マギ」
 驚いたように小娘が振り返り、笑った。
「お帰りなさい、その様子だけほとんど飲んでないね」
 まぁ、その通りだ。酒場に入ったところで顔見知りと出くわして、さっさと逃げた。
 やることもないので、傭兵ギルドの本部へ行っていた。
「お前、身分証って持っているんだっけ?」
「港に預けた荷物の中にあるけど、それが?」
 へぇ、ちゃんと持っているんだな。偽装だろうが、なんとかなるだろう。
「明日にでも、回収してこい。っていうか、預けている荷物もここに運び込めよ。大量なのか? どれくらいある?」
 明らさまに驚いた小娘が、こちらを上目遣いに見る。
「本当にいいの?」
「寝室をお前の部屋にしていい。まぁ、それは別の話だがな。吹きこぼれるぞ」
「わ、わ!」
 慌てて鍋に向き直るマギの背中に話を続ける。
「お前を傭兵ギルドに登録しようと思う。それで、身分証がいる。形だけだけどな」
「え? え? 傭兵?」
「そうだよ。登録に二人の保証人が必要だが、今日になってアテが見つかった。どうする? 傭兵をやりたくないなら、まあ、それでも構わないが」
 うーん、などと唸りつつ、鍋の中身をかき回している。いきなりは決断できないか。
「ま、考えておけ。すぐじゃなくていいんだ」
「やる! やります!」
 バッとマギが振り返り、俺を強い視線で見た。
「傭兵、やります」
「……死んでも恨むなよ」
「た、助けてよ」
 彼女の背後でまた鍋が吹きこぼれ始め、また鍋に向き直ったマギの背中に、俺は軽い調子で意見しておく。
「傭兵っていうのは、命懸けだからな。やめるなら今だぞ」
「やるもん。やるってば」
 そうかい。そういう気持ちなら仕方ないだろう。
「この書類に個人情報を書いておけよ」
 もらってきた書類を机に置いて、俺はリビングのソファに移動した。その日の夜、マギは遅くまで起きていたようだった。
 その翌日、俺はマギと一緒に傭兵ギルドの本部へ行った。新規登録の窓口へ行く。
「なんだい、旦那、どういう風の吹き回しで?」
「気まぐれな風が吹いてね。こいつを登録したい」
 受付の男性がギロリとマギを睨む。ちなみにこの男は片足がない上に、顔にも二本の傷跡が走っていて、さらに禿頭なのだ。
 はっきり言って、まともな風貌ではない。
「よ、よろしくお願いします!」
「はいよ、かわいこちゃん」
 強面の中の強面をほころばせて、書類を受け取り、それを見て、それから俺の方に視線を向けてくる。
「傭兵ギルドに登録できるのは十六歳からだぞ」
 俺は素早く書類を奪い取り、確認する。年齢、十五歳。
 次に小娘の持っている身分証を奪い、年齢を確認。やはり十五歳。
 くそ!
「甘く見てくれよ」
「俺はこう見えて、真面目な傭兵でね。袖の下を渡されない限り、不正には手を染めないんだ」
 くそったれな強欲な傭兵上がりの事務員に呪いあれ。
 紙幣が二枚ほど、俺も財布から消えた。気のせいじゃないと思うが、どこぞの小娘と関わるようになってから、出費ばかりがかさんでいる。
「保証人は……」
 再び書類を受け取った事務員が不審げな顔でこちらを見る。
「一人は旦那で、もう一人が空欄だが」
「そろそろ来る」
「おいおい、先に書類を作っておけよ」
 そう言って男が書類を突き返そうとする時、俺の背後に人が立った気配がある。
「来たぜ」
 肩越しに振り返ると、そこにはメイヴがいる。
「メイヴ調整官!」
 事務員が素っ頓狂な声を上げ、よろめいて、危うく椅子から転がり落ちそうになった。
「メイヴさん?」
 マギも驚いているが、それには笑みだけを見せ、メイヴが放り出されていた書類を手に取ると、サラサラとペンで署名した。
「これで良いわよね?」
「はい、はい、ええ……」事務員が素早く書類をチェックし、頷く。「まったく問題ありません、調整官」
「よろしい。実技を確認しましょう。私がやっても良い?」
「ええ、それは、何も問題ありません」
 事務員がブースの奥を覗き込み、顔をこちらへ戻す。
「三階の第二訓練室が空いています。そこで、どうでしょうか?」
「わかったわ。行きましょう、二人とも」
 俺は事務員を不憫に感じつつも、鍵を受け取り、二人を先導して歩き出した。
「驚きました、ここで何をしているんですか?」
 マギがメイヴに尋ねるとメイヴはくすくすと笑う。
「私はここで調整官という立場で働いているのよ。調整官というのは、悪魔と人間の間を取り持つ役目で、まぁ、実際のところは名誉職ね。調整官は二人いて、片方が私で、もう片方は人間の男性よ」
「それぞれを代表しているってことですか?」
「ま、そういう見方もあるけど、本当に名誉職よ。暇でね、毎日、毎日、退屈を持て余しているわ」
 階段を上がり、三階の第二訓練室へ。
「さて、やりましょうか」
 部屋の真ん中に立ったメイヴが、マギに向き直る。
「やる? 何をですか?」
「実技試験よ。聞いていないの?」
 ギロリとまずマギが俺を睨みつけてくる。続けてメイヴも。
「変に緊張しない方がいいと思ってね。そんなに怒るなよ、二人とも」
 俺は壁際に下がった。
 マギは自分の剣を持っているし、彼女の腕ではメイヴには敵わないだろう。
 ま、やってみればいいさ。
「アホは放っておいて、本気でかかってきなさい、お嬢ちゃん」
 ムッとした顔のまま、マギが身構える。それに対して、メイヴが拒絶するような手振りをして見せた。
「剣を抜きなさい、本気でやるわよ」
「え? メイヴさんは?」
 微笑んだメイヴの姿が搔き消える。
 鈍い音ともに跳ねるようにマギは吹っ飛び、俺に向かって飛んでくる。
 おいおい!
 咄嗟に身構えて受け止める。マギは俺の腕に抱えられ、目を白黒させている。
「ほら、このバカ、いつまでボウっとしている。相手にとって不足はなしだぞ」
 自分の足で床に降りたマギが咳き込み、すぐに姿勢を整える。
 堂々と剣を抜いて、メイヴと向かい合った。
 次の動きも一瞬だった。
 二人がすれ違う。いや、即座にメイヴが距離を詰めていく。
 マギは防戦一方になるのを、俺は眺めていた。
 なかなかやるじゃないか。
 傭兵ギルドに所属する傭兵には、一人ひとりに評価色というものが与えられる。
 言葉では表現できない、わずかな色の差があるのだが、明るい色ほど優れた傭兵だとされる。
 今、目の前で行われている戦いは、新規登録者のレベルじゃないな。
 すぐに決着が付きそうもないので、俺はタバコを取り出し、くわえて火をつける。
 あぁ、タバコって、美味いなぁ。
 と、メイヴに追い立てられたマギがこちらへ高速で移動してくる。
 咄嗟に身を投げた俺の頭上をメイヴの超高速の蹴りが走り抜け、続けざまにマギの赤く光る剣が駆け抜けた。
 巻き込まれたら死んじまうな、これは。
 タバコをくわえたまま、俺は床を這って二人から距離を取った。



(続く)
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