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1-6章 異邦の拳法家

1-6-3 賑やかな夜

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     ◆

 その日の夕飯は、珍しく賑やかなものになった。
 ガキンチョをからかうのはなかなか楽しい。
 彼女も彼女で、どんどん乗ってくるので際限がなかった。
「おっさんに頼むのもアレだけど」
 もうタツノは怒りを隠そうともせず、乱暴な口調で言う。
「私を傭兵事務所に登録させてよ。できるんでしょ?」
「おっさん? 誰のことかな?」
「マギちゃんを登録させられたんだから、できるわよね」
 うーん、まぁ、出来なくはない。二人の保証人は、俺とマギがやれば良い。
「なぁ、マギ。このガキンチョには何か優れた点があるのかな。剣を持っているわけでもない、槍を持っているわけでも、弓を持っているわけでも、銃を持っているわけでもない。なのに傭兵か? そこらの料理屋で女給の仕事を探した方がマシじゃないか?」
 からかいというか、怒りという炎にじゃんじゃん油を注ぐつもりで言ってみたが、案の定、タツノは爆発した。
「私には拳法がある! 両親が磨き上げた技を私は全部、身につけているんだ!」
「拳法?」
 久しく聞かなかった単語だな。
「拳法ってなんだったかな? 自殺の方法か?」
 さすがに言いすぎたかな、と思ったが、タツノは怒りが強すぎて、逆に冷静になったようだ。正確には、冷酷になった、と言えるかもしれない。
「表へ出ろ、このオヤジ」
「それが手っ取り早いな」
 俺はさっさと席を立った。剣を持つまでもない。
 二人で表の通りに出る。申し訳程度の明かりしかないが、相手が見えれば十分だ。
「手加減してあげてよ」
 そっと小娘が助言してくるが、はっきり言って、手加減するつもりはない。
 こういう跳ねっ返りは、徹底的に打ち据えて、身の程を理解させるしかない。
 通りにはちらほらと人、もしくは悪魔がいたが、素通りしていく。
 ま、ちょうどいい時間帯だな。
「さ、かかってこい」
 俺はただ突っ立って、ガキンチョと向き合った。ガキンチョは怒りに駆られているようだが、それでも静かに構えを取った。
 なるほど。様にはなっているな。訓練が十分なのもわかる。
 さてさて、どうやって料理してやろうか。
 俺が動かないので、ガキンチョも動かない。攻めてこいよ、と挑発してもいいが、そこまでお膳立てするのも微妙かもな。もっとも、こちらから攻めることも、お膳立てではある。
 俺は堂々と間合いを詰めた。
 普通に歩いただけだ。
 ガキンチョの姿が搔き消える。
 速いが、速いだけだ。
 拳の一撃を、俺は弾き飛ばす。ガキンチョが加速し、三連突き。
 全部、弾き飛ばした。
 遅いなぁ。これならマギの方がまだ速いぞ。
 回し蹴りを背を逸らして回避してやる。かすりもしない。
 ちょっと趣向を凝らしてやろうと思いつき、俺は足の動きをすべて止めて、上体の動きだけでガキンチョの連続攻撃を捌いてやった。
 最後に、と彼女の手首を掴んで、投げ捨てようとする。
 が、ここで予想外の事態が起きた。
 普通だったら肩から手までの関節か途中をへし折られないために、自ら体を逃す。
 だがそれをタツノはしなかった。
 さすがに手加減しきれず、鈍い音ともにタツノの手首の関節が砕けた感触があった。
「えっ」
 声を上げたのは俺ではなく、マギだ。
 俺はといえば、タツノの手を解放し、距離を取っている。彼女の回し蹴りが初めて俺の顎を掠めていた。直撃すれば意識を失ったかもしれない。
 まあ、当たらなかったわけだが、癪ではある。
 タツノはまだ構えを取っているが、右手首から先には力が入っていない。
「何のつもりだ? その怪我でどうやって傭兵をやるつもりだ」
「すぐ治るわ」
 彼女は痛みは感じるようで、表情こそ平静だが、脂汗が流れている。
「治るわけあるか」
 俺はタツノに歩み寄る。それに対する反応は、蹴りだったが、俺はそれを掴み止め、今度は、肉を切らせて骨を断つ戦法を使わせず、即座に組み伏せ、その上で万全に絞め落とした。
「ちょっと、エドマ!」
 小娘が駆け寄ってくる時には、安らかともいえる顔でタツノは意識を失っている。
「医者を呼んでくるから、お前の寝室に運んで、応急処置でもしておけ」
 くそ、胸糞悪いな。ガキンチョとはいえ、女で、子供を締め落とすとは俺もどうかしている。
 懇意の悪魔の医者を尋ねると、すでに病院は閉めているし、晩酌の最中でベロンベロンに酔っていた。奥さんの悪魔が嫌そうな顔をしたが、俺は構わず医者を部屋に引っ張っていった。
 酒臭い医者に嫌そうな顔をする小娘は放っておいて、ガキンチョを診察させる。
「どこが折れているんだね? これのどこが?」
「は?」
 俺は慌ててまだ眠っているガキンチョの手首に触れてみた。
 腫れてはいるが、触れてみても違和感はない。ちょっとひねった程度にしか見えなかった。
 だが、彼女の手首を砕いたのは俺だし、俺がまさか勘違いするわけもない。
「いや、折れたはずだが……」
「悪いが、帰るよ。まだ飲み足りん」
 医者はそんな言葉を残して、俺が渡した紙幣を手に去って行った。
「応急処置した時、どうだった?」
 リビングでまるで幽霊でも見たような顔のマギに尋ねると、彼女がかすかに怯えた声で言った。「それが、ひとりでに治っていって」
「ひとりでに?」
「そう、あれは、すごい治癒魔法の気配がした」
 治癒魔法ではない、と俺はすぐにわかった。
 何故なら、小娘が常時発動している魔法拒絶場に、ガキンチョは入っていたはずだ。
 それでも治癒が発動したのなら、それは魔法ではない。
「本当に治るんだな……」
「え? どういうこと?」
「あいつが自分で言っただろ、俺が手首を砕いた直後に。すぐ治る、って」
 ああ、そういうこと、と小娘が頷く。
「つまり織り込み済みだったんだ、腕を犠牲にしてもエドマを倒す、そういうつもりで攻撃したってことか」
「小癪だが、しかし、傭兵向きの技じゃない」
 そうなの? と視線でマギが視線を向けてくる。
「そうだろ? あいつの治癒はたぶん、自分にしか作用しない。そりゃ一人で戦っているのなら、怪我を負ってもすぐに治るのなら、疲れ切るまで、装備が尽きるまで、戦える。だが地下迷宮はそんなに都合は良くない。大勢の敵と戦うし、自分の背後には大勢の味方がいる。敵は治りきらないほど傷つけようとする。味方はあいつの戦いにはついていけない。不向きだよ。俺が言うのも変だが、本当の傭兵は連携ができなくちゃな。一人きりじゃ、行き詰まっちまう」
 微かな物音がして、俺はそちらを見た。マギも振り返る。
 そこにはガキンチョが立っていて、俺の話を聞いていたのは明らかだ。
 どういう反応をするのかな、と思ったら、ガキンチョの奴、脱兎の如く走りだし、部屋を飛び出していった。
「お前が連れてきたんだ」
 ソファに横になりつつ、小娘に投げやりに指示する。
「お前が面倒を見ておけ」
 マギは何か言うとしたが、結局、黙ってガキンチョを追っていった。
 やれやれ。
 これが賑やかな夜の結末かと思うと、うんざりするよ。
 うんざりする、本当に。


(続く)
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