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3-7章 世界樹

3-7-4 世界樹

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     ◆

 私が書店に飛び込むと、書棚の間をセイルが歩いている。
「おはよう、来たな」
 そういう彼の顔はどこか強張っている。
 緊張しているの?
「昨日の話、嘘じゃないよね?」
「パーティーだろ? まあ、良いだろう。名前は決めた」
「え? 勝手に決めちゃったの?」
 書棚から一冊の本が取り出され、こちらに投げ渡される。取り落としそうになりつつ受け取り、表紙を見る。
 世界樹の下で。
 そんなタイトルに見えた。
「パーティーの名前は、「世界樹」だ」
 そ、それはちょっと……。
「あまりに名前負けしそうだけど……?」
「良いじゃないか、それに」
 彼が話している間に背後でドアが開き、その人が入ってきた。
「おはよう、二人とも」
 そこにいたのはコスタだった。嬉しそうな顔をしている。
「これを見てよ!」
 そう言って彼女がこちらに掲げたのは、見間違うはずもない、傭兵の認識票だった。
「お、お前……」頬を痙攣させつつ、セイルが言った。「傭兵登録したのか?」
「まあね、いろいろと戸籍やらをいじって。金がかかったよ」
 そのお金を弁済に充ててほしい、と思ったけど、とても言い出せないほど、コスタは舞い上がっている。
「で、パーティーでしょ? ね? 違う?」
 違わないけど、と私とセイルは顔を見合わせた。
「せ、セイルも、傭兵登録した方がいいんじゃない?」
「その件は実は解消されている」
 そう言ったのはまたもコスタで、ポケットの中から何かを取り出し、指で弾く。
 受け取ったセイルの顔が真っ青になった。
「お、お前……」
「勝手にセイルも傭兵登録しておいたよ。偽名でね。つまりこれで私たちは正式に傭兵として、パーティーを組める。で、名前は? 色々考えたけど、まずは……」
「名前は決まったよ」
 このままコスタに主導権を握られるのも良くないので、私は即座に口を挟んだ。
 こちらを胡乱げに見る彼女に、ハッキリと言う。
「世界樹。そういう名前にする」
「……それはまた、大きく出たね」
 苦笑いするコスタはそれでも「悪くないか」と受け入れてくれた。
 それからが慌しくなった。セイルはコスタから自分がどういう身分で傭兵として登録されたかを確認して、私は傭兵事務所に走ってパーティーを結成する申し出の書類をもらって、また書店に戻った。
 三人でやいのやいの言いつつ書類を作り、午後には三人で連れ立って傭兵事務所に赴いた。
 私には知り合いが増えているので、声をかけてくるものがいる。でもみんな二言目に、「そちらの連れはどういう人?」という話になる。
 堂々と「仲間よ」と答える私に、コスタは嬉しそうで、セイルは無表情だ。
 そして私に質問した傭兵たちは、肩をすくめたり、笑ったり、幸運を祈ってくれたりして、去っていく。
 書類を提出し、少し待って、登録の完了が伝えられた。
「初仕事は明日だね。ちょっと食事でもしましょうよ」
 私がそういうと、コスタが声を上げ、先に立って歩き出す。
「食事する金の余裕があれば、弁済のための金に充てるべきじゃないか?」
 そっとセイルが耳打ちしてくるけど、私はニヤッと笑っておいた。
「実は、ちょっとヘソクリがある。こういうときのためにね」
 それはまた、とセイルが呆れたように天を仰いだ。
 中央通りにあるレストランに入り、三人で食事をした。飲み物が運ばれてくる。コスタだけがアルコールだった。
「なんだ、二人とも、下戸なの?」
「私は未成年」
「俺は酒が嫌いだ」
 シケているな、と言いつつ、即座にコスタがグラスを掲げた。
「世界樹の結成を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯……」
 三つのグラスが涼しい音を立てて合わされ、それぞれに飲み物を流し込む。
 食事がやってきて、仕事の話になった。コスタは実戦に出ることが望みで、逆にセイルは実戦には出たくないという。侃侃諤諤の議論の末、セイルは精神体で参加し、それは別に怠けさせるわけではなく、広範囲の索敵や警戒の役目を負う、ということになる。
 私は悪魔に、セイルは魔法使いに、狙われているから、油断はできない。
 例え、地下迷宮でもだ。
 食事が終わり、今度はセイルがよくケーキを買うお菓子屋さんに行き、その店に併設のカフェでお茶を飲んだ。
 今度の話題は、どこに部屋を借りて生活するか、だった。
 傭兵として登録したし、パーティーも登録したので、傭兵事務所が保証人になる形の借金が可能になった。
 いきなり部屋を買い取るのは無理だから、賃貸で探す事になる。
「ちゃんと個人の部屋がある方がいいね」
「当たり前よ。前みたいな変な部屋は私も嫌」
 女性二人の意見に、セイルは苦り切った顔で、しかし否定もできないでいる。
 お茶を飲んで、ケーキを食べたら、今度は不動産屋に向かう。
 なんだか、急に慌しいけど、どこか充実感もある。
 生きている、というか、前に進んでいる、というか。
 私はちゃんとこの街で、生きているんだな、生活しているんだ、と、不意に強く強く、感じていた。
 不動産屋を二軒巡って、最後には書店に落ち着いた。
「世界樹なんて、すごい名前ね」
 カウンターにいたエウロパが私たちに微笑みかけてくる。セイルとコスタはここに来る途中から魔法に関する専門的な話をしていて、そのまま店の奥へ行き、ロフトへ上がっていった。
 私はエウロパに耳打ちする。
「セイルが考えたの」
「良い名前だと思うわ。これであなたも、ご両親に一歩近づいたわね」
「小さな一歩だけどね」
 かすかにエウロパの瞳が潤んだ。
「良いことよ、とても。すごく良いこと」
「まだ何もしていないよ。これからなんだから。ちゃんと結果を残さなくちゃ」
 私はエウロパを励ますように手を握ってから、ロフトに移動した。
 二人は激しい口調で議論していて、私に気づかない。
「二人とも、あまり熱くならないでよ」
 口を挟んでみるが、返事はない。二人だけの世界だな、これは。
 私は空いている椅子に腰掛け、机の上にあった適当な本を手に取る。
 悪魔社会についての著書で、著者は私も知っている穏健派悪魔の重鎮だ。
 セイルとしても、私のことを少しでも理解したいんだろう。
 そうか。私はセイルのこと、人間のことを理解しているつもりだけど、それってどこまで正確なんだろう?
 もしかして何かあった時、私の想像もつかない選択を、セイルはするだろうか?
 そうなったら、私はセイルを拒絶する?
 そんなことが、あるだろうか……。
 私は本をパラパラとめくりつつ、考えた。
 人間も悪魔も、非常に近い知性を持っている。だから、長い時間を一緒にいれば、お互いへの理解を深めていくのが自然だ。その理解が、きっと、拒絶そのものを拒絶するはずだ。
 私はセイルを、セイルは私を理解して、譲り合って、お互いを認めるはず。
 そのはずだ。
 議論が睨み合いになり、取っ組み合いになりそうな気配がしたので、私は強くデスクを叩いた。二人ともが弾かれたようにこちらを見た。
「静かにしましょうね、魔法使いさん」
 二人が睨み合い、それぞれに空いている椅子に座った。
「さて、私たち、世界樹の今後の展開だけど」
 私はゆっくりと足を組んで、二人を見た。


(第27話 了)
 
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