僕の英雄の物語

和泉茉樹

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     七

 僕は匠子の工房を訪れていた。
 先日の、街頭での悪魔の襲撃を受けた時、唐突に発生した魔法のことを聞こうと思っていたら、向こうから電話での呼び出しがあった。
 時間は二十時頃で、アオはいつも通りに十八時には眠っていたので、起こすのはやめて、こっそりとやってきた。
 第一次人魔大戦で魔法使いは人間軍の主要な戦力となり、果敢に悪魔と戦った。そして無数の魔法使いが命を落とした。
彼らが人間の生命線、命綱だった。
その後、第二次人魔大戦でも、魔法使いは戦闘の最前線に送られていたものの、第一次大戦で消耗し、数を減らしていた魔法使いは、さらに少数となったため、人間軍は反動の悪魔との共同歩調によって、生き残りを目指した。
人間軍は戦後、魔法使いを積極的に組織に残そうとする姿勢を見せたが、しかし魔法使いたちの多くは野に下った。魔法使いはそのまま表舞台から身を引き、それぞれに自らの能力を高め、弟子を育て、ひそやかに力を継承させる道を探った。
そんな事情もあり、第二次大戦を戦い抜いた魔法使いの弟子の、そのまた弟子である匠子の工房も、知っていない者は気付きもしない、そんな場所にあった。
彼女の師の師の、そのまた師の代から受け継がれた工房は、小学校の隣に残っている、竹林の中にあった。
正確には、竹林の地下だが。
入口は、竹林の奥にある、小さなお堂の裏にある。ご神体を祭る小さな社の背後に回ると、その壁には、一本の線が走っている。
僕の手がそこに触れると、その線の部分から、壁が割れ、地下へと降りる階段が姿を現すのだ。
そんなふうにして地下に降りると、やや薄暗い空間があって、そこが匠子の工房だった。
「どうぞ。座って」
 自分の住居も兼ねている工房だが、匠子はいつも通りに、サングラスにパンツスーツという姿だった。
 古びたソファに座った僕の向かいに、匠子も椅子を引っ張ってきて、腰を降ろした。
「匠子さん。もう、僕の両親と匠子さんとの約束は、ないと考えるべきですか?」
 先に口を開いた僕を、匠子はじっと見て、僕の言葉が終わると、小さく首を左右に振った。
「まだ生きている。現に、あなたを助けたでしょ?」
「だいぶ痛い思いをしましたけど」
「それは許してよ。魔法も万能じゃない」
 僕だってそれは分かっている。
 何も知らない頃は、どうして言葉の上だけの主義や主張がるのか、理解できなかった。
 口約束と呼ばれるもの、口先だけと呼ばれるもの、そういうものが不自然に思えて仕方なかった。
 本当には思っていないことを相手に伝えることは、結局、何も伝えていないのではないか、と思っていた。
 今は、それも必要だと思っている。
 自分がどう考えるか、が重要なのであって、他人の胸の内や腹の底は、自分が思った状況からスタートして、そこから対応していけば良い。
 今も、僕は匠子の言葉を信じた。自分がそう信じたいから。
「次は」
僕はいつもと変わらない素振りを意識しながら言う。
「もっと素早い対応を、願います」
「心がけます」
 とりあえず、これで言葉の上では、僕と匠子の関係は変わらない。
「でも、凪くん」
「なんですか?」
 不意打ちの言葉に、心を見透かされたかと思った。
「アオといることが、あなたに向かう危険を膨らませている、という面もある、と知っておいてほしい」
「……それが」僕は自分の目元が思わず険しくなっているのを感じた。「匠子さんが手を抜いた理由ですか?」
「手は抜いていない。そこは勘違いしないでほしい」
「では、あなたの真意は、どこですか?」
 そんなものに価値はない。匠子がそう答えた。
 価値はない。僕の中にある他人への評価もまた、価値はない、という発想だ。
「アオは……」
 僕は少し言葉を探し、どうにかそれを見つけた。
「どこにでも行けるし、どこででも生きられると思う」
「私もそう感じる」
「だから……」
 今にも逃げ出しそうな言葉の尾を掴みと、僕はそれを引き寄せる。
「だから、アオはただ、あの部屋にいたいと、思っているだけだと思う」
 匠子はサングラスの奥からこちらへ視線を向けているが、しかし僕にはその瞳は見えない。ただ視線だけを感じる。
「アオは、何も考えませんから」
 そう口にして、口にした僕自身が、自分の非道さに奥歯を噛みしめた。
 考えないようにしていた。
 アオが何も考えられないのを知っている自分が、そこにつけ込むようなことをしていることを。
 それはやっちゃいけないと思っているし、しなかった。
 でも、僕は「しない」という選択を「して」いる。
 そして「しない」こともまた逆に、「する」のと同義なのではないか。
 僕の心の中の葛藤を知ってか知らずか、匠子は首をゆるゆると振った。
「考える必要はない」
 匠子がゆっくりと言う。
「アオが何も考えなくても、何も考えられなくても、それでも彼はあなたに引き寄せられる。それがあなたの……」
 あなたの……?
 匠子はまた首を振り、「私も同類だ」と呟く。
「どういう意味ですか?」
「言葉通り。私も、アオと同じね」
「答えになってません、匠子さん」
 問いを重ねる僕には、匠子の表情に微かな、本当に微かな、苦み、のようなものがうかがえた。
 そして匠子はその苦みを飲み下したようで、ゆっくりと話した。
「あなたの前では、誰もが影響を受けてしまう。あなたは、吹きすさぶ強い風、大地を削る強い流れのようなものなの。もちろん大木を薙ぎ倒す強風や、巨大な痕跡を残す激流じゃない」
「何の話ですか?」
「あなたは弱い風、弱い流れなのよ。なびくものはなびき、流れるものは流れる」
「アオも、匠子さんも、僕に、その、不可抗力の、何か、影響を受けている、ということですか?」
 でもそれは、と匠子はすぐに言葉を続けた。
「でもそれは、無理強いではないし、私たちが全く違う考えを秘めているのを、百八十度転換させている、というものでもない。私はそう思う。それはアオも同じで、彼だって、あなたと一緒にいたくないのを無理して一緒にいる、ということじゃないはず」
 僕にどう答えることが出来るだろう。
 億はしばらく黙ってから、その静けさに耐えきれず、「帰ります」と告げた。
 匠子は、「またね」と答えた。

 帰り道、僕は星空を見上げながら歩いた。
 車は全く走っていないから、安全だ。車どころか、人の気配すらない。周囲には、ただ田園が広がっていた。遠くに、人家の明かりが見えた。
 匠子が語ったことを、僕は考えていた。
 もし仮に、匠子が言ったような力、他人を引き寄せるような力があるとして、そうならば、僕はどうしたら良いのだろう。
 僕の理解の及ばない、制御できない力を、どう扱えば良いのか。
 恐怖が半分、あと半分はまだ戸惑いのままだ。
 アオも匠子も、本心からではなく、彼らにも理解できない、正体不明のベクトルに心を動かされているのか。
 いや、匠子の口ぶりでは、本心から、という段階ではなく、本心と呼ばれるものさえも、影響を受けて、指向性を変えられているのかもしれない。
 それは僕には都合が良い。
 でも、正しく手に入れた状況や心では、無い気がする。
 どう考えるべきか、分からなかった。
 普通の人間は、様々な方法で他人との関係を気付く。彼らの使う、言葉、表情、態度などは、彼らが生来から持っているものや、あるいは意識して、あるいは意識せず、作り上げたものだ。
 彼らがそれを行使するのを躊躇ったり、あるいは罪悪感を覚えるかどうかといえば、おそらく、何も感じないだろう。
 僕の性質も、それと同じなのか。
 違うような気もするし、延長線上にあるような気もする。
 唐突に吹いた風に混じった、微かな匂いと気配に、僕を顔を夜空から地上に戻した。
 そこには、アオが立っていた。
「寝ていなくて、大丈夫?」
 僕がそう聞くと、アオは「ん~……」と唸り、首を傾げた。
「匠子のところへ行ったんだろ?」
「うん、そう」
「じゃ、寝てはいられないな」
 僕はアオと並んで歩きながら、「なんでだよ?」と聞いた。
「匠子が何を考えているか、俺には分からないからな。何が起こるか、分からん」
「起こるって、何が起こると思う?」
 アオがすぐに答えないので、僕は彼の顔を見上げた。
 ぐらりと彼の大きな体が揺らぎ、肩が僕にぶつかった。
「ちょ、アオ」
「……ん、あぁ、すまん。寝てた」
 僕はアオを押し返し、アオはグラグラと揺れながら、フラフラと進む。
 思わず苦笑いしながら、僕は黙ってアオと歩いた。
 アオが僕を迎えに来たのは、僕の意志じゃない。
 今、僕はアオと会うのがつらかった、避けたかった。だけど、こうしてアオが日常を無視して現れ、僕と一緒に歩いている。
 僕の影響を受けるアオの本心が、アオ自身には理解できない、理解が及ばないように、僕自身にも理解できない僕の本心が、アオを求めていた、ということも言える。
 でも、それはイタチゴッコで、同じところをぐるぐる回り続けるだけ。
 考えるのは、少し、休もう。
 アオは黙ったまま、歩いている。
 僕の隣を。

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