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15歳の飛翔。
オビリケ軍将との打ち合わせ。
翌朝、アールが手配してくれていた王軍の詰所へ向かった。石畳を渡る靴音がまだ冷たい。詰所前で整列していた兵が道を開け、銀の飾緒を下げた壮年の将が一歩進み出る。
「オビリケ軍将、拝謁いたします。伯爵閣下、本日は外遊随行の件、航路と警護体制の最終すり合わせを」
僕は軽く会釈し、要点だけ告げる。こちらの事情、向こうでの振る舞い、そして僕の護衛線の考え。軍将は姿勢を崩さないまま、言葉は終始丁寧だった。身分は僕が上…その距離感を崩さず、しかし実務は速い人だ。
奥の訓練庭へ通される。黒い外套の一団が待っていた。王軍特務部隊。部隊長はナーラドと名乗り、無駄のない目をしている。僕の背の三人…アインス、ツヴァイ、フュンフを見た瞬間、彼の目がわずかに見開いた。
「……青の技」
互いに一礼。言葉少なに握手が交わされるや否や、特務と青の技はそのまま合同訓練に入った。弓は音を殺し、合図旗は最小限、崩しと捕縛は二呼吸で終わる。砂塵の向こう、手信号が次の手順を刻む。ナーラドが一度だけ親指を立てるのを見て、僕は庭を辞した。
会議室。壁に固定された大図面の前で、オビリケ軍将が航路を示す。棒の先が、港と港を順に叩いた。
「乗艦は新配備の大型戦艦オシュヴァルト。王都港を発ち八日でサテラージャ国の都バーデー。そこから二日かけて首都モルダーへ。滞在後は再びバーデーから六日でシトルウェル大公国の港町、さらに二日で首都シトルウェル。ここで歓迎式典、会談、見学。続いて三日で南域連合国の首都アミダ。式典、会談、見学。その後六日でミッソリーナ王国王都ソリーナ。訪問を終え次第、カリム国国都カリムへ。最後は十四日航行して王都港に帰還…全行程、概ね二ヶ月半を見込んでおります」
指揮棒が静かに下りる。
「出発式は三日後、出航は五日後の朝。以後、特務と青の技は毎日合同訓練を続けます。なお国外では、閣下が平素お使いの速文の仕組みは使えません。現地法を最優先に、隊の回線で統一を」
「承知しました。外では君たちの線に乗る」
軍将が小さく頷いたあと、少し表情をほぐした。
「それと…オシュヴァルトの名は、船の名だけではございませんな。海軍船舶用ザワークラウト『オシュヴァルト』。あれのおかげで、長期航海で倒れる者が目に見えて減りました。艦の者ども、皆感謝しております。閣下もきっと感謝されるでしょう」
「酸も塩も、約束を守る性格でね。船倉で喧嘩をしないのが取り柄なんだ」
「はは…実に頼もしい」
ふと思い出して、ナビのことを切り出した。ナビがミレイユの肩から軍将の目の前に行く。同行の旨、登録の段取り。軍将の厳めしい顔が、ふっと綻ぶ。
「……おお。まあ、可愛い。健康証明と搬入申請は済んでおりますな。航海中は私の責任で甲板立入の刻を定めましょう。猫は船の守り神…いや失礼、私は猫が好きでして」
「助かります。ナビ、礼を」
「にゃ」
場がやわらぎ、すぐまた実務に戻る。侍医の件を告げると、軍将は軍医を呼んだ。濃紺の肩章を付けた軍医は資料を数枚広げ、ナミリアの手技と携行する薬箱、診断の手順を確かめる。問答は端的で、核心ばかりを水際で洗うようだった。
「実地の反射がよろしい。回復魔法は切り札に、まずは常識的手順を。記録の書式は軍式に合わせ、重大事は二重記録。船医の線にも繋ぎます」
ナミリアは一つ一つ頷き、最後は落款の押された推挙状を胸に抱えた。その足で王立医療局へ向かう。回廊の大窓から差す光、受付の羽根ペンの軽い音。軍医の太鼓判の書類を差し出した途端、窓口の係は席を立ち、上席の机へ運んだ。
待ち時間は、拍子抜けするほど短かった。
「臨時認証、侍医。外遊期間中、王軍艦船内および儀礼行事における侍医として従事を許可します。記録は帰還後に正本へ編綴を」
透かしの入った許可証が差し出される。ナミリアは一度深く頭を下げ、外に出ると小さく息を吐いた。
「よかった…責任、分かってる。やるわ」
「頼りにしてる。現地の空気と人の顔色を、よく見て」
夕刻、再び詰所へ戻ると、中庭ではまだ訓練が続いていた。縄梯子を駆け上がる音、砂を裂く足の擦過音、短い笛信号。ナーラドとアインスは合図一つで間合いを詰め、ツヴァイとフュンフは特務の二人を挟んで転身させ、砂上に極短の「型」を刻む。見ているうちに、互いの癖が馴染んでいくのが分かった。
詰所の脇で、オビリケ軍将が言う。
「護衛線は堅い。あとは閣下の時間の線だけ。三日後の出発式、式辞は短く…それが何より効きます」
「耳に心地よい忠告だね。短く、返す」
「もう一つ。国外へ出れば、速文も沈黙。かわりに、人の顔と声の手触りがすべてになります。私どもは軍の線を張る。閣下は…いつものように、相手の目を見てお話を」
「それなら、得意だ」
別れの握手。軍将は姿勢を崩さず、けれど猫の話題になったときと同じ柔らかさで微笑んだ。
「ナビ殿にも、よろしく」
タウンハウスへ戻る道すがら、王都の空は薄紫に傾いていた。ナミリアは許可証を大事そうに抱え、ミザーリは翌日の護衛割を口の中で反芻し、ミレイユは出発式の次第を頭の中で並べ直している。
玄関をくぐると、廊下の突き当たりでナビが丸くなった。僕がしゃがむと、ふわりと肩へ跳び乗る。
「行くぞ、ナビ」
「にゃ」
出発式まで、あと三日。出航まで、あと五日。速文は届かない海の上で、約束と段取りと、息を合わせた動きだけが頼りになる。けれど、今日交わした握手の数だけ、結ばれた線は確かに増えた。僕は肩の温もりを感じながら、短い式辞の言葉を心の中に並べ始めた。短く、要を置く。必ず、返す。
「オビリケ軍将、拝謁いたします。伯爵閣下、本日は外遊随行の件、航路と警護体制の最終すり合わせを」
僕は軽く会釈し、要点だけ告げる。こちらの事情、向こうでの振る舞い、そして僕の護衛線の考え。軍将は姿勢を崩さないまま、言葉は終始丁寧だった。身分は僕が上…その距離感を崩さず、しかし実務は速い人だ。
奥の訓練庭へ通される。黒い外套の一団が待っていた。王軍特務部隊。部隊長はナーラドと名乗り、無駄のない目をしている。僕の背の三人…アインス、ツヴァイ、フュンフを見た瞬間、彼の目がわずかに見開いた。
「……青の技」
互いに一礼。言葉少なに握手が交わされるや否や、特務と青の技はそのまま合同訓練に入った。弓は音を殺し、合図旗は最小限、崩しと捕縛は二呼吸で終わる。砂塵の向こう、手信号が次の手順を刻む。ナーラドが一度だけ親指を立てるのを見て、僕は庭を辞した。
会議室。壁に固定された大図面の前で、オビリケ軍将が航路を示す。棒の先が、港と港を順に叩いた。
「乗艦は新配備の大型戦艦オシュヴァルト。王都港を発ち八日でサテラージャ国の都バーデー。そこから二日かけて首都モルダーへ。滞在後は再びバーデーから六日でシトルウェル大公国の港町、さらに二日で首都シトルウェル。ここで歓迎式典、会談、見学。続いて三日で南域連合国の首都アミダ。式典、会談、見学。その後六日でミッソリーナ王国王都ソリーナ。訪問を終え次第、カリム国国都カリムへ。最後は十四日航行して王都港に帰還…全行程、概ね二ヶ月半を見込んでおります」
指揮棒が静かに下りる。
「出発式は三日後、出航は五日後の朝。以後、特務と青の技は毎日合同訓練を続けます。なお国外では、閣下が平素お使いの速文の仕組みは使えません。現地法を最優先に、隊の回線で統一を」
「承知しました。外では君たちの線に乗る」
軍将が小さく頷いたあと、少し表情をほぐした。
「それと…オシュヴァルトの名は、船の名だけではございませんな。海軍船舶用ザワークラウト『オシュヴァルト』。あれのおかげで、長期航海で倒れる者が目に見えて減りました。艦の者ども、皆感謝しております。閣下もきっと感謝されるでしょう」
「酸も塩も、約束を守る性格でね。船倉で喧嘩をしないのが取り柄なんだ」
「はは…実に頼もしい」
ふと思い出して、ナビのことを切り出した。ナビがミレイユの肩から軍将の目の前に行く。同行の旨、登録の段取り。軍将の厳めしい顔が、ふっと綻ぶ。
「……おお。まあ、可愛い。健康証明と搬入申請は済んでおりますな。航海中は私の責任で甲板立入の刻を定めましょう。猫は船の守り神…いや失礼、私は猫が好きでして」
「助かります。ナビ、礼を」
「にゃ」
場がやわらぎ、すぐまた実務に戻る。侍医の件を告げると、軍将は軍医を呼んだ。濃紺の肩章を付けた軍医は資料を数枚広げ、ナミリアの手技と携行する薬箱、診断の手順を確かめる。問答は端的で、核心ばかりを水際で洗うようだった。
「実地の反射がよろしい。回復魔法は切り札に、まずは常識的手順を。記録の書式は軍式に合わせ、重大事は二重記録。船医の線にも繋ぎます」
ナミリアは一つ一つ頷き、最後は落款の押された推挙状を胸に抱えた。その足で王立医療局へ向かう。回廊の大窓から差す光、受付の羽根ペンの軽い音。軍医の太鼓判の書類を差し出した途端、窓口の係は席を立ち、上席の机へ運んだ。
待ち時間は、拍子抜けするほど短かった。
「臨時認証、侍医。外遊期間中、王軍艦船内および儀礼行事における侍医として従事を許可します。記録は帰還後に正本へ編綴を」
透かしの入った許可証が差し出される。ナミリアは一度深く頭を下げ、外に出ると小さく息を吐いた。
「よかった…責任、分かってる。やるわ」
「頼りにしてる。現地の空気と人の顔色を、よく見て」
夕刻、再び詰所へ戻ると、中庭ではまだ訓練が続いていた。縄梯子を駆け上がる音、砂を裂く足の擦過音、短い笛信号。ナーラドとアインスは合図一つで間合いを詰め、ツヴァイとフュンフは特務の二人を挟んで転身させ、砂上に極短の「型」を刻む。見ているうちに、互いの癖が馴染んでいくのが分かった。
詰所の脇で、オビリケ軍将が言う。
「護衛線は堅い。あとは閣下の時間の線だけ。三日後の出発式、式辞は短く…それが何より効きます」
「耳に心地よい忠告だね。短く、返す」
「もう一つ。国外へ出れば、速文も沈黙。かわりに、人の顔と声の手触りがすべてになります。私どもは軍の線を張る。閣下は…いつものように、相手の目を見てお話を」
「それなら、得意だ」
別れの握手。軍将は姿勢を崩さず、けれど猫の話題になったときと同じ柔らかさで微笑んだ。
「ナビ殿にも、よろしく」
タウンハウスへ戻る道すがら、王都の空は薄紫に傾いていた。ナミリアは許可証を大事そうに抱え、ミザーリは翌日の護衛割を口の中で反芻し、ミレイユは出発式の次第を頭の中で並べ直している。
玄関をくぐると、廊下の突き当たりでナビが丸くなった。僕がしゃがむと、ふわりと肩へ跳び乗る。
「行くぞ、ナビ」
「にゃ」
出発式まで、あと三日。出航まで、あと五日。速文は届かない海の上で、約束と段取りと、息を合わせた動きだけが頼りになる。けれど、今日交わした握手の数だけ、結ばれた線は確かに増えた。僕は肩の温もりを感じながら、短い式辞の言葉を心の中に並べ始めた。短く、要を置く。必ず、返す。
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