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リューネ①
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「リューネ様、二刻です。必ず時間厳守でお願いしますね。絶対ですよ?」
いつもと変わらぬ念押しに、思わずため息が漏れそうになるが、己の立場を思えば仕方のないことだった。無理を通しているのは自覚している。だからこそ、従者の言葉に穏やかに微笑み、感謝を伝える。
「はい、必ず時間内に戻ります。いつも私の我儘に付き合ってくださり、ありがとうございます。」
そう言って、リューネはゆっくりと歩を進める。向かう先は、慈善活動の帰りに訪れる馴染みのカフェだ。雨続きだった空がようやく晴れ渡り、爽やかな風が街を吹き抜ける。その心地よさに、思わず足取りも軽くなった。
彼はクスラウド王国の王族――しかし、生まれつき病弱で、幼少の頃にはすでに王位継承権から外されていた。それでも王族である以上、外に出る際は護衛が付き添い、お忍びの身とはいえ万全の変装を施している。平民の服に身を包み、特徴的なピンクブロンドの髪も碧い瞳も、王宮魔導士の手によって凡庸な灰色へと変えられた。
それでも、生まれ持った気品と母譲りの美貌は、どれほど手を尽くしても隠しきれるものではない。仕草の端々に滲み出る王族としての風格は、覆い隠そうとすればするほど、その存在感を際立たせてしまうのだった。
カフェのオープンテラスに座り、慣れた様子で注文を済ませる。
「こんにちは。ノンカフェインの珈琲とクッキーをお願いします。」
サコッシュからそっと市場で手に入れた本を取り出し、広げる。街の賑わいに耳を澄ませ、子供たちの笑い声に微笑み、香ばしい珈琲の香りを楽しむ。ふわりと木漏れ日が揺れ、今日も変わらぬ穏やかなひとときがここには流れている。
珈琲の香りを胸いっぱいに吸い込み、カップを傾ける。ほうっと息を吐きながら、ページをめくるその刹那――ふと、離れた席に人の気配を感じた。
地に響くような低い声が、「エスプレッソ」と淡々と店員に告げる。
その声に、リューネの指先がわずかに震える。
リューネがこのカフェに通い始めて半年ほどになるが、その存在に気づいたのは、二月前のことだった。
それは、帰り際に本へ栞を挟もうとした、ほんの一瞬の出来事だった。突風がリューネの指先から栞を奪い去り、ひらひらと舞ったかと思うと、ポトリと彼の足元に落ちた。組んでいた足をゆったりとほどき、長い指で栞を拾い上げると、彼は無駄な動作もなく、それをリューネへと差し出す。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を述べると、「どういたしまして」と、低く響く美声が返ってきた。
思わず息を詰めるほどのバリトン――その音色は腹の底にまで響くような深みを帯びている。リューネは無意識に彼を見つめた。しかし、切れ長の瞳が一瞬こちらを捉えた後、興味などないと言わんばかりにすっと視線を逸らす。話はそれで終わりだった。
リューネは小さく頭を下げ、栞を本へと挟み込むと、静かにカフェを後にする。
(うわぁ…なんて素敵な声なんだろう…。お腹の底に響くような美声って初めてだ…)
指先に触れた、確かな温もり。そこに集まる熱を意識した途端、頬がじんわりと火照るのを感じた。それ以来、リューネは彼の姿を追うようになった。しかし、彼は決まって後から来店し、リューネから距離のある場所に腰を下ろすため、その人物像はなかなか掴めない。
射貫くようなシルバーグレイの瞳。整った顔立ち。口数の少なさ。そして、必ずエスプレッソを注文すること。
黒の服しか身に着けず、スケッチブックを常に持ち歩いているところから、どうやら絵を嗜んでいるらしい。たまに女性と連れ立って店を後にすることもあった。
名前すらわからない。二月もかかって、何ひとつはっきりとしたことはなかった。けれど、それでいいと思った。
それは、宝物を見つけたような気分だった。
いつもと変わらぬ念押しに、思わずため息が漏れそうになるが、己の立場を思えば仕方のないことだった。無理を通しているのは自覚している。だからこそ、従者の言葉に穏やかに微笑み、感謝を伝える。
「はい、必ず時間内に戻ります。いつも私の我儘に付き合ってくださり、ありがとうございます。」
そう言って、リューネはゆっくりと歩を進める。向かう先は、慈善活動の帰りに訪れる馴染みのカフェだ。雨続きだった空がようやく晴れ渡り、爽やかな風が街を吹き抜ける。その心地よさに、思わず足取りも軽くなった。
彼はクスラウド王国の王族――しかし、生まれつき病弱で、幼少の頃にはすでに王位継承権から外されていた。それでも王族である以上、外に出る際は護衛が付き添い、お忍びの身とはいえ万全の変装を施している。平民の服に身を包み、特徴的なピンクブロンドの髪も碧い瞳も、王宮魔導士の手によって凡庸な灰色へと変えられた。
それでも、生まれ持った気品と母譲りの美貌は、どれほど手を尽くしても隠しきれるものではない。仕草の端々に滲み出る王族としての風格は、覆い隠そうとすればするほど、その存在感を際立たせてしまうのだった。
カフェのオープンテラスに座り、慣れた様子で注文を済ませる。
「こんにちは。ノンカフェインの珈琲とクッキーをお願いします。」
サコッシュからそっと市場で手に入れた本を取り出し、広げる。街の賑わいに耳を澄ませ、子供たちの笑い声に微笑み、香ばしい珈琲の香りを楽しむ。ふわりと木漏れ日が揺れ、今日も変わらぬ穏やかなひとときがここには流れている。
珈琲の香りを胸いっぱいに吸い込み、カップを傾ける。ほうっと息を吐きながら、ページをめくるその刹那――ふと、離れた席に人の気配を感じた。
地に響くような低い声が、「エスプレッソ」と淡々と店員に告げる。
その声に、リューネの指先がわずかに震える。
リューネがこのカフェに通い始めて半年ほどになるが、その存在に気づいたのは、二月前のことだった。
それは、帰り際に本へ栞を挟もうとした、ほんの一瞬の出来事だった。突風がリューネの指先から栞を奪い去り、ひらひらと舞ったかと思うと、ポトリと彼の足元に落ちた。組んでいた足をゆったりとほどき、長い指で栞を拾い上げると、彼は無駄な動作もなく、それをリューネへと差し出す。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を述べると、「どういたしまして」と、低く響く美声が返ってきた。
思わず息を詰めるほどのバリトン――その音色は腹の底にまで響くような深みを帯びている。リューネは無意識に彼を見つめた。しかし、切れ長の瞳が一瞬こちらを捉えた後、興味などないと言わんばかりにすっと視線を逸らす。話はそれで終わりだった。
リューネは小さく頭を下げ、栞を本へと挟み込むと、静かにカフェを後にする。
(うわぁ…なんて素敵な声なんだろう…。お腹の底に響くような美声って初めてだ…)
指先に触れた、確かな温もり。そこに集まる熱を意識した途端、頬がじんわりと火照るのを感じた。それ以来、リューネは彼の姿を追うようになった。しかし、彼は決まって後から来店し、リューネから距離のある場所に腰を下ろすため、その人物像はなかなか掴めない。
射貫くようなシルバーグレイの瞳。整った顔立ち。口数の少なさ。そして、必ずエスプレッソを注文すること。
黒の服しか身に着けず、スケッチブックを常に持ち歩いているところから、どうやら絵を嗜んでいるらしい。たまに女性と連れ立って店を後にすることもあった。
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それは、宝物を見つけたような気分だった。
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