婚約破棄された薄幸令息、大公子の教育係になって今は幸せです

円堂幸

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◇ 第十三話

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 部屋に戻ったノエルは侍従を呼び、入学式のために準備してあった服に着替えた。先日、ベルクール大公と城下の衣装室を巡った時に揃いで買ったものだ。

 ローランともお揃いに見えるように、生地は王立学院の制服に似た紺色。襟の高いロングベストに、白い生地をたっぷり使ったブラウス。その襟元にはベルクール大公が選んでくれた青色のリボンタイを結んでもらった。

 ベストの襟には万が一アルファに襲われても歯が貫通しないように、固い襟芯が使われている。とはいえ、入学式を参観に来るのはほとんどが両親なので、危ない目に遭う心配はほぼ無いと考えていいだろう。

「奥様。髪型はどういたしましょうか?」
「えっと……あっ。それじゃあ右側だけ編み込んで、前髪を斜めに流してもらえるかな」
「かしこまりました」

 これで髪型もローランと似たような雰囲気になるだろう。しかし侍従がノエルの前髪を斜めにき、右側の髪を編み込もうとしたところで手が止まった。

「奥様。右とのことでしたが、片方だけ編み込むなら左側でも……?」

 鏡越しにおずおずとたずねられ、ノエルはしばし考えた。エスコートされる時も着席する時も、ベルクール大公が居るのはノエルの右側。特に入学式の会場では小声で喋ると思われるので、右耳を出しておくほうがよく聞こえていいだろう。

「今日は右のほうが都合がいいんだ」
「……かしこまりました!」

 その後、妙に張り切る侍従がきれいに右サイドの髪を編み込んで、サファイアのイヤリングをつけてくれた。

「奥様。とてもお似合いですよ」
「あ、ありがとう⋯⋯大公殿下は本当にセンスがいいよね」

 今朝ベルクール大公の部屋から出た時もドキリとしたが、ノエルの呼び方を「奥様」に統一するという話が侍従たちの間であったのだろうか。もう結婚したような扱いがどうも恥ずかしく、ノエルは手でぱたぱたと顔を扇いだ。

「奥様⋯⋯やはり熱があるのでは」
「う、ううん。それはもう治ったから大丈夫。行ってくるよ」

 侍従に見送られてノエルが玄関に下りると、間もなくして制服に着替えたローランとベルクール大公も階段を下りてきた。ベルクール大公はノエルのベストと同じ生地で仕立てられた三つ揃いの礼服姿だ。

 ローランはノエルの装いを見るなり、満足そうに頷いた。

「俺としたことが。画家を呼んでお前の肖像画を描かせるべきだった」
「父上の台詞を取られては困るよ。そのイヤリング、とても似合ってるね」
「あっ、ありがとうございます……!」

 準備してもらった服を着るだけで朝からこんなに褒めてもらえるものかと、ノエルは恐縮しきりだ。

 たった今褒めてもらったイヤリングもベルクール大公が今日の衣装に合わせて選んでくれた品。青いリボンタイもそうだが、ベルクール大公の瞳と同じ色だ。ふとしたところにアルファの独占欲を感じてしまい、ノエルの頬がまた熱くなる。

「さあノエル父様。段差が危ないから手を繋ごう」

 玄関を出るところにある短い階段の前で、ローランがノエルに手を差し出した。体を気遣われて何とも言えない気持ちになりつつもローランと手をつなぐと、反対側の手をベルクール大公に握られた。

「こうすればもっと安全だね」
「は、はい。ありがとうございます……?」

 家族三人で入学式に向かうとしたら、子供を真ん中にして両親と手を繋ぐのが一般的ではないかと思いつつ、ノエルはふたりに両脇を固められて玄関を出た。

 馬車に乗る時も、先に乗り込んだローランがノエルに手を貸し、後ろからベルクール大公が体を支えてくれた。手厚すぎる待遇に、本当のことをローランに打ち明けられるのかだんだん不安になってきたノエルであった。


  +++


 馬車に揺られる間も楽しそうなローランにノエルは心を痛めつつ、王立学院の前に到着した。開式までかなり余裕を持って着いたので、それほど人が多くない。

「大講堂に着いたら一旦おわかれだな」
「大丈夫ですか? 不安でしたら席まで一緒に⋯⋯」

 ローランとベルクール大公に挟まれながらノエルが会場に向かっていると、途中で後ろから声をかけられた。

「兄上! ご無沙汰しております!」

 振り返ってみればノエルの弟、クロード・カルリエが全速力で走ってくるのが見えた。普段は行儀がいい子なのにめずらしいことだと思いつつ、ノエルは目の前までやってきたクロードを窘めた。

「クロード。今日から学院生だから、兄上とお話しするのは目上の方にご挨拶してからにしようね」
「あっ……!」
「お辞儀の仕方は覚えているかな?」
「はい! もちろんです」

 クロードは少し乱れてしまったケープマントを整えると、ベルクール大公に向かって頭を下げた。ノエルが教えたとおりのきれいなお辞儀だ。

「大公殿下、お初にお目にかかります。クロード・カルリエと申します」
「初めましてクロード君。入学おめでとう」
「ありがとうございます!」
「ノエル君の弟に会えて嬉しいよ。君に甥っ子ができるという話はもう聞いたかな?」
「……はい」

 甥っ子と聞くなり、先程までにこやかだったクロードが急に態度を変え、ローランに険しい顔を向けた。

「初めまして、ベルクール大公子。僕がノエル・カルリエの弟、クロードです」

――どっ、どうしたんだクロード!?

 クロードは少しも頭を下げずに、むしろ顎をあげるようにしてローランに挨拶した。あまりに無礼な態度にノエルは慌てたが、挨拶されたローランはクロードを一瞥してフッと鼻で笑った。

「大層な自己紹介をありがとう叔父上殿。俺がノエルの息子、ローラン・ベルクールだ」

――ローラン様までどうしたんですか!?

 何が気に入らないのか、ふたりは鼻先が触れ合いそうなほど至近距離で睨み合っている。

「え? まだ成婚していないのですから息子じゃないですよね?」
「は? お前、俺の父上とノエル父様が婚約破棄すると思ってるのか?」
「そうは言ってません。ただの教え子なのに最愛だなんて言うから指摘して差し上げたんです」
「なるほど。ノエルにとって俺がただの教え子だと思いたいんだな? 残念だが、もう寝る前に本を読んでもらう仲だ」
「そっ、その程度のことで威張らないでください! 私だってしてもらったことがあります!」

 クロードがこんなに刺々しい口調で喋るのを聞いたことがないし、ローランに至っては「公の場では一人称を私にしましょうね」と教えたにも関わらず「俺」に戻ってしまっている。

「あ、あの……! 入学おめでとうクロード。制服がとても似合ってるね」

 ノエルがおそるおそる間に入ると、クロードの顔がたちまち明るくなり、ノエルのほうをくるりと向いた。

「ありがとうございます! この間、兄上が帰っていらしたのにお会いできなくて寂しかったです……」
「ごめんね。あの日は父上とお話しした後、用事ができてすぐに帰ってしまったんだ」
「そうでしたか! 次はいつ帰っていらっしゃるのですか?」
「えっ? えっと……」

 ノエルは返答に悩んだ。結婚式の打ち合わせで何度か父と相談することになるが、顔を合わせる必要があれば大公邸に来てもらって、あとは手紙でやりとりすることになると思われる。そもそもクロードに会いに帰るなんて、継母ままははのクラリッサがいい顔をしないのだ。

 なかなか返事できないでいると、幸いにもノエルの父――カルリエ侯爵がやってきた。隣には継母のクラリッサもいる。

「こらクロード。あんなに走って転びでもしたらどうする」
「申し訳ありません。兄上が見えたので、つい」

 話の流れが途切れてノエルはほっと息をついた。目の前ではベルクール大公がカルリエ侯爵に向かって親しげに挨拶している。

「義父上。ご子息のご入学にお祝い申し上げます」
「ありがとうございます。大公殿下にそのように呼んでいただけるのが、いまだに信じられません。大公子様も、ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます、おじい様」

 ローランにおじい様と呼ばれた瞬間、カルリエ侯爵はノエルが見たこともないほど顔をほころばせた。

「おお……! そうでした。まさか息子と同い年の孫を持つことになるとは。これも大公殿下がノエルをもらってくださったおかげです。ノエル、しっかりやっているのか?」
「は、はい。明日から屋敷の仕事を教えていただく予定です」
「それはよかった。体に気をつけなさい。大公子様も、おひとりでは寂しいだろうからな」

 どうやら子作りに励めと言いたいらしい。今朝の一件もあって居たたまれない気持ちになっていると、今度は継母のクラリッサから手招きされた。

「ノエル。ちょっとこちらにいらっしゃいな」
「は、はい……」

 父と似たようなことを言われるのだろうなと思いながら、ノエルはクラリッサの前に。

「リボンが少し曲がってるのが気になって……」

 クラリッサはさも母親らしくリボンタイを整えながら、ノエルの耳元で呟いた。

「上手くたらしこんだじゃない。せいぜいその調子で、クロードの役に立つことね」

――ああ……この人は相変わらずだな。

 クラリッサにこういうことを言われるのはこれが初めてではない。ノエルが前侯爵夫人、エミリー・カルリエに似ているのもあって、初めて会った時からよく思われていなかった。クロードが生まれてからは特に。

「はい。きれいになったわ」
「……ありがとうございます」

 やれやれと思いながら、ノエルはローランの隣に戻った。

 実はベルクール大公からローランの教育係を打診された時、出発前にクラリッサから言われたのだ。お前が王太子に婚約破棄されたせいで、クロードと王家の接点がなくなってしまった。だから代わりに、ベルクール大公をフェロモンで落として結婚に持ち込めと。そんなことはクロードのためにならないと言って断ったが、まさかクラリッサが望んだとおりになるとは思わなかった。

 それでもノエルは、クラリッサに感謝している。番を失った悲しみを父からぶつけられる日々を終わらせてくれたのは紛れもなく継母で、跡継ぎのクロードも生んでくれた。たまに嫌味を言われるくらい、どうということはない。

 大講堂の前でローランとわかれ、ノエルはベルクール大公と一緒に保護者席に座った。席は家格順なので、ノエルは最前列でローランの挨拶を聞くことができる。しかしまあ家格順なので、ノエルの左隣の席は父、カルリエ侯爵になる。

 ベルクール大公も、ノエルが父との関係があまり良くないことを知っている。周りが騒がしくなってきたタイミングを見計らったように、ベルクール大公がノエルの耳元で囁いた。

「ノエル君。私のことだけ見つめていればきっと気にならないよ」

 一瞬噴きだしそうになってしまったが、何とか堪えて頷きを返した。確かに、ベルクール大公のほうだけ見ていれば父が隣に居ることを忘れてしまいそうだ。

 開会の時間が近づくと、大講堂の二階席――王族だけが入れるスペースに人影が現れた。

「静粛に。国王陛下と王妃陛下、王太子殿下のご来臨です」

 壇上の司会役の一声で皆が立ち上がり、王族席に拍手を送る。王族専用のスペースには椅子が四つ並べられているが、王太子の隣にアロイス・シャレー伯爵令息の姿はない。

――ああ……本当にまだ婚約できてないんだ。

 王立学院の創設者が先々代の国王だったこともあり、入学式と卒業式には余程のことがない限り国王と王妃、王太子が揃って来臨する。王太子に婚約破棄される前は、ノエルも同行して王太子の隣に座っていた。

 これは王太子にとって、あまり良くない状況だ。ひとりで座っているのを見た保護者たちの口から「王太子とシャレー伯爵家の令息はまだ婚約できていないらしい」と広まってしまう。

 婚約破棄して一年。本当ならもう結婚しているはずだったのに、新たに選んだ相手と婚約すらできていない。きっと批判を浴びるだろう。だから王宮で鉢合わせた時、あんなに必死だったのかもしれない。

 着席した後もノエルが王太子の様子を窺っていると、右隣からベルクール大公に話しかけられた。

「ノエル君。そんなに熱心に、何を見ているんだい?」
「あっ……ちょっと王太子殿下を」

 ひとりで座っているのがどうも気になってと言いかけたノエルだったが、話の途中でベルクール大公のほうに抱き寄せられ、右耳にキスされた。

「ひゃっ……!? な、何を……」
「君が誰のものか分からせてやろうと思って。ほら、王太子も君を見ている」

 ベルクール大公に言われて王族席を見上げると、王太子と目が合った。王太子は信じられないと言わんばかりに目を見開いているが、ノエルも正直この状況が信じられない。こんなに人が多い場所で何をするのか。

 ノエルはベルクール大公に目で訴えたが、まったく効かない。それどころかノエルが右耳につけているイヤリングを指で楽しそうにあそばせている。

「今日の髪形はいいね。君の可愛い耳がよく見えて、つい食べてしまいたくなるよ」

――今朝すでに召し上がりましたよね!?

 思わず口から出てしまいそうになったが、ノエルはすんでのところで堪えた。そんな指摘をしたら寝たふりでやり過ごしたことがばれて、さらに恥ずかしい状況になってしまう。

「少しだけなら大丈夫かな? ちょうど薄暗いし」

 ノエルが何も聞こえないふりをして押し黙っていると、左のほうからゴホンゴホンと大きな咳払いが聞こえてきた。そういえばきれいさっぱり忘れていた。ノエルの左隣の席には父、カルリエ侯爵が座っていたのだ。

「大公殿下……! 隣に父が居ますので……」
「ああ、そうだった。じゃあ君の耳は帰ってからいただくよ」
「はい。そうしていただけると大変助かり……たっ、助かりません! 大変困ります!」
「おっと残念。あと一息だったのに」

 ベルクール大公の言葉に慌てふためくあまり、ノエルは気づかなかった。王族席から一部始終を見ていた王太子が、険しい顔でノエルを睨みつけていたことを。
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