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はたのれもん。

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 加奈は、今日の夜には帰ってくると朝に連絡してきた。既読だけつけて、宗久は出勤のための準備を始める。
 もちろん、結婚記念日のことも伝えた。けれど、しつこい追及を恐れて和人を招待することは隠してしまった。和人と口にはできない関係に陥っていることはばれていないのに、余計な神経を使ってしまう。
 電車が遅れていたせいで、いつもの時間に出社できなかった。それでも、日課のコーヒーと新聞は忘れずに手に取った。
 朝刊を開き、好きな紙面までめくる。
「お前のほうが先だったか」
 和人だと分かるが、新聞はたたまず視線だけを投げる。
「ここで待って、コーヒー奢ろうと思ってたんだけど」
 珍しい心づかいだと思ったが、胸の内ではどうなのか。にべもないことを考えてしまうほど、和人が入り込んできている。
「そんな疑(うたぐ)った目すんなよ」
「してないよ。あ、昨日のやつまだ終わりそうもないから、またつき合ってくれるか?」
「もちろん」
 藤井と連絡先を交換していた宗久は、何回か彼とやりとりをしている。昨夜も、社内で話し合った結果を藤井に伝えたところ、また細かく言われた。
「俺、もう行くけど。和人は?」
「行くよ」
 二人して、エレベーターホールに行く。
 今日も、箱は無人だった。今なら、階段に変更できる。そう考えたが、もう遅かった。
 階数ボタンは、和人が押してくれた。そのあとすぐ、和人が迫ってきて隅に追いやられる。宗久は抵抗もせず、ただ追い詰められて和人に抱きしめられた。家飲みの日からあまり日が経っていないから、こうやって愛おしげに抱きしめられると、体の底が燻る。まだ自分の中に、余韻が残っていたのだ。
「どうして今日は、嫌がんないの?」
 囁く和人の声が、耐性のなくなった鼓膜を揺らし胸を甘く疼かせた。
 こんな同僚に、男に秘かに愛されていたのかと思うだけで、どうにか守ろうとしていた自尊心が崩れそうになる。いっそのこと、この人に何もかも預けてしまおうかとも思ってしまう。
「訊いてるじゃん」
「加奈に、結婚記念日のことは言った。けど、お前が来るってことは言ってない」
「なんで?」
 しばらく黙り、それに対する答えを探す。
 沈黙を強調するような空調機の音が返答を急かしているようで、余計に焦る。
「言ったら、もう戻れないような気がして」
 何がどうと詳しくは言えなかった。精神的に、後戻りできないような気がしてしまったのだ。
 冷めきった夫婦として生きている人に、和人のような一途な人は刺激が強すぎて対処に惑う。そこに溺れそうになっている自分もどうかしているが。
「ごめん」
 嘆息して、ひと言謝る。
「謝まんなよ」
 背中に回されている手に、ひときわ力がこもる。
「今日も残業するならさ、会社に泊まっていかない?」
 このオフィスには、仕切り完備でプライベートの守られた仮眠室がある。間取りを広く使っていて、最大で20人が入れる。残業で終電を逃したり急な体調不良になったりしたときに使う人が多い。宗久も、新入社員時代は頻繁に使っていた。だが、それ以降はほとんどそこへ足を運んでいない。
「泊まるって言っても、今日、加奈が帰ってくるから早く帰らなきゃ・・・」
 苦しい言い訳だった。
 和人はより一層、背中を抱く手に力を入れて宗久を抱きしめる。宗久の顔が肩に押し付けられ、どこにも逃れられない状態になった。それから、和人の唇が耳につきそうなほど近くまで寄せられて、
「帰ってくるって、待たなきゃいけないの?もう愛してないでしょ、加奈さんのこと」
 蠱惑的な声で吹き込まれる。
 すでに、心は和人のものになりかけていた。
 オフィスに到着してすぐ、宗久は加奈に帰りが遅くなると伝えていた。そのメッセージを送信して、無性に安堵した。どれだけ、加奈を盾に過ごしてきたかを改めて思う。

 朝言われた通り、宗久は特にやることもないのにオフィスに残った。
 最初は会議室にいて、そのあと和人と一緒に仮眠室に向かった。どこの部署も残業をしていないのか仮眠室は無人で、エアコンだけが稼働していた。そして、睡眠用BGMが小さい音量で流れている。久しぶりに足を運んだ宗久は、改装されておしゃれになった室内を見て感心した。
「新しくなったんだ」
「あぁ。俺も何年かぶりに来た」
 つい口にしたことだが、和人もしばらくぶりに訪れたらしい。
 一番奥の部屋に入ってドアが閉まると、そこから先、何が始まるのか分かってしまったようで抱きついて唇を奪いたい衝動が襲う。勝手に、身体が芯のほうから熱くなっていく。
 ベッドに腰かけると、無言のまま唇を重ねられて上唇と下唇を交互に啄まれ、息が乱れる。
 勢いそのままにベッドに倒れ、息を上げ貪り合う。このまえはすぐに息が上がってしまったから、慎重に様子を見ながらキスを続ける。頃合いを見て、宗久は自分から口を開いて和人の舌を導いた。ぬめった舌どうしがくちゅくちゅと絡み、頭蓋にまで響く。垂れるよだれも拭かず、宗久はこの行為に夢中になる。心中に、わずかに残る自制心と闘いながら。
 うっすら目を開けると、目を閉じて情熱的に唇を貪る和人の姿が見えた。時おり、微かに揺れるまつ毛が哀切で官能的だった。和人の大きな背中に手を回し、力が入らないのに抱きしめる。
「あぁ・・・・は・・・ふ・・・」
 もどかしくなって、自分からも唇を押しつける。それに応えるように、押しつけ返された。
 それが数分続いたあと、最後に上唇を啄まれて唇が解放される。もう目は虚ろげで、頭の中も靄がかかって判断力が鈍くなっていた。
 まだ無言のままの和人に抱き起されて、自然な流れで抱擁される。今度は、抱き返した。肩口に顔を埋め、目を閉じ気だるい身体を預ける。もはや、どうとでもなっていい気分だった。気を許し合った間柄だからいけない、そんなことはないのかもしれない。だからこそ、深く愛し合える。だけど、罪深さがあとを追ってきて重荷となるのは嫌である。
 和人の気持ちに応えて身を委ねるか、自制して関係を終わらせるか。
 どちらを選ぶべきなのか、宗久は抱き合いながらも熟慮していた。
 なのに、抱き返した手の指は背中に食い込んでいく。まるで、求めるように。
「そんなに好きなんだ」
「は・・・?」
 顔を横へ向け、和人と目を合わせる。
「こんなに強く抱きしめてきたからさ。そうなのかなって」
「いや、違う。ここ寒いから」
 和人は短く笑って、「嘘つけ」と返す。
「ここ、そんなに寒くないだろ」
 たしかに寒くはない。むしろ、暖房が効きすぎて暑いくらいだ。それに、お互いに密着しているからなおのこと暑い。
「脱がしていい?」
「どこを?」
 ひそめられた声で、「ここ」と耳のそばで答えられる。
「じゃあ、俺も脱がしていい?お前の」
 和人は黙ってうなずく。
 抱き合って、もみくちゃになりながら無造作に互いの服を脱がしていく。シャツだけ脱ぐと、またベッドに横になった。
「あ・・・」
「当たった?」
 楽しげな声。和人の、盛り上がった股間が当たったのだ。宗久の顔が、ほんのりと赤く染まる。
「脱がす?」
「サービスしてくれんじゃん」
 そこには否定しつつ、胸を押しやって起こし、和人の穿いているスラックスを脱がしにかかる。バックルを解き、フックを外してチャックを下す。むき出しになった下着には小さくシミが付いていて、和人もちゃんと興奮していたと分かった。それを知って、宗久もさらに興奮する。
 下着を押し下げて、怒張した肉棒を露出させる。性器を見るのは二回目だが、ふしぎと嫌悪感はない。心が、こうなることを待ちわびていたのかもしれない。
 宗久は竿を握って2、3回しごくと、上体を屈ませてためらうことなく口に含む。一瞬、呻く声が聞こる。それとともに、口腔内のものがどくっと脈打った。雰囲気にのまれてフェラをしてしまったが、和人も感じてくれて訳もなくうれしくなる。
 自分の性技に自信はないけれど、頬張っているものを口でしごく。
「ん、ん・・・は・・・」
 一度、中のものを外して口の周りにまとわりついたヨダレを手の甲で拭う。数回やっただけなのに、口が疲れた。
「大丈夫?」
 和人が手をのばして、指の腹で口の端を擦る。気遣う視線と声に、興奮と温かさが胸の中でない交ぜになった。セックスをして、こんな気持ちになるものなのか。
「さ、前戯はこれくらいにして」
 和人は宗久の上体を起こしにかかる。
「え、もういいのかよ」
「いいんだって。宗久だって、もう挿れたいでしょ。それに、お前のだってこんなだし」
 和人がちょんと、宗久の盛り上がった股間を突く。
「ん、まぁ・・・」
「お前の気持ちは期間限定みたいだから、早くやんないといけないと思って」
 変な表現の仕方に、笑いそうになる。
「声、がまんしなくていいから」
 再び魅惑的な声と一緒に耳にキスをされ、首筋に至りそのまま宗久はベッドに倒れ込む。すかさず、和人がスラックスを脱がしにかかる。宗久は和人を抱きしめた。布どうしの擦れる音、唇どうしがふれ合ったときの水音が静かな仮眠室内を満たす。
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