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第二章 第1話 社会への第一歩
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僕達は水族館に入ってもずっと手を繋いでいた。
「翔くんは何が好き?」
「僕は今もこれからも加奈さんが好きだよ」
「そうじゃなくて、水族館の生き物よ」
「あ、そっちか。そういうことならクラゲかな」
「意外ね。イルカとかペンギンって言うと思ってたわ」
「そう言う加奈さんは?」
「私はジンベイザメよ」
「それは沖縄と鹿児島に行かないと見られないやつじゃなかったっけ?」
「大阪にもいるわよ」
そんな話をしながら特大な水槽の前で立ち止まって同時に飼育されているシュモクザメや鰯、ウツボといった多くの生き物を見ていた。
薄暗い中でぼんやりと光が差すこのエリアで見る魚達は神秘的で、それを隣で見ている加奈さんもまた綺麗だった。
「なんでジンベイザメ?」
「あそこまでの大きさになるにはかなりの何月が必要なわけじゃない? 弱肉強食の世界でそれを成し遂げるのはもはや強運のそれなのよ。それに、日本じゃそうそう見られない希少性もあるからよ」
「そういう見方で見る人は初めてだよ。それなら海亀もそうじゃないかな」
「そうね。でも私はジンベイザメの方が好きなのよ。実際好みの問題ね。翔くんはどうしてクラゲなの?」
「クラゲは見ていて癒されるのもあるけど、小さくてあんなに柔らかい体なのに一生懸命に生きてるんだよ。あと、不死の個体もいて、まだまだ謎が多いところも魅力的なところかな」
「謎が多いっていうなら、ダイオウグソクムシもじゃない?」
「そうだね。ダイオウグソクムシも好きだけど、ほとんど動かないからやっぱりクラゲの方が好きかな」
すると偶然にもエイが近くを通っていき、その裏側を見せながら上に昇っていった。
そういえば、どこかの水族館で子供達の目の前でエイが同じ水槽で飼育されている魚を食べたってのがあったな。それで子供達はおろか大人達も驚いていたとかなんとか。
まぁ、そんなことは本当に偶然かかなりの運がないと起きないことだからここで起きるなんてことはないだろう。
「なんでエイってひらひらさせているだけで前に進むのかしらね」
「なんでだろうね」
それから先に進んで行くと、いくつかの中型水槽が並ぶエリアにやってきた。そこにはイソギンチャクやサンゴ、貝類なんかも入っていた。あとヤドカリが砂の上を歩いていたりヒトデやウニがガラスにくっついていた。
「クラゲがいたわよ」
「本当だ」
そこに行くと、フロアの床から天井にかけて繋がっている特殊な円柱の水槽があり、そこに大小さまざまなミズクラゲが光を反射しながらふよふよと漂っていた。
また、少しでも水流があるとそれに抗えずに流れていく様子も見ていると、やはりどこか癒される。
「不死の個体はいないのね」
「あれは希少だから一般の水族館では見られないんじゃないかな」
「そうなのね。でもこうして見るとクラゲもいいわね。向こうには脚の長いのもいるわよ」
ということでそこにも行くと、いかにも毒々しい色をした個体やまるでブロッコリーのような形をした個体もいた。もちろんそれらも全てのクラゲと同じく優雅に水槽の中を漂っていた。
そんな時だった。一匹のクラゲが激しい水流に巻き込まれてかなりのスピードで端から端に流されていった。また、突然発生したバブルリングに巻き込まれて高速回転をしながら上に昇っていった個体もいた。
「あんな目に遭っても骨が無いから平気なのよね」
「そうだね。見ている側はいいけど、クラゲからしたらどんな気持ちなんだろうね」
「あ……ってくらいじゃない?」
「それもそれで癒されるね」
さらに先に行くと、次は小型水槽が並ぶさらに薄暗いエリアだった。そこでは深海生物が泳いだり砂の上を歩いたりしていた。
「さっき加奈さんが言ってたダイオウグソクムシがいるよ。やっぱり全然動かないけどね」
「本当ね。素人目には生きてるのか死んでるのか分からないけど、こうして展示されているってことは生きているってことよね」
「そうだね。それにしても、どんな気持ちでこうして端っこに集まってじっとしてるんだろうね」
「きっと無なんじゃないかしらね」
「無我の境地ってやつか。もしくは悟りっていうのかな。修行僧も羨む生き物だね」
すると、加奈さんの足元から小さい子供がやってきてダイオウグソクムシを見始めた。加奈さんは静かにその子に場所を譲って優しく微笑んだ。
それを見ていた僕は、なんかいいなぁと思った。というか、ここに来るまでに加奈さんは小さい子供達が見られるようにとさり気なく場所を空けたり、周りの状況を見て僕の手を引いたりして他の人達に気を配っていた。
「子供がいたりしたらもっと楽しいのかな……」
「何か言った?」
「何でもないわよ」
と加奈さんが一瞬だけ恥ずかしそうにしたけどすぐに微笑んだ。
やっぱり綺麗だな。
「この先に水槽が見られるレストランがあるみたいだよ。そろそろお腹空いてない?」
「そうね。調度いい時間だしお昼にしようか」
マップによると、この水族館のレストランは三か所ありカフェは所々にある。
レストランで言えば、一つは今から僕達が行く館内の各展示スペースの中間地点、あとの二つは水族館から出てすぐのところにある。館内だと水槽が見られるわけだが、館外の場合はこの水族館が海に面していることもあっていわゆるオーシャンビューを堪能出来る。
水槽を見ながらもいいけど、夕陽を見ながらのレストランもいい。まぁ、今は夕焼けにしては早すぎるわけだけど。
「何を食べようかしらね」
「そうだね。加奈さんは水族館のレストランで魚料理を出されたり食べているのを見るのは抵抗ある?」
「ないわよ。逆にある?」
「ないよ。でも見た感じさすがに魚料理は無いみたいだね」
「そうね。気にする人は気にするからじゃないかしらね」
「うん、そうかもね。―よし、僕はこれにしよう」
席に着いて注文を済ませると、僕は水を取りに席を立った。それから戻ってくると、何やら数人の男達が加奈さんを囲んでいた。
「あ、翔くん」
「この人達は?」
「なんか席を譲れって言ってくるのよ。しかもカタコトだし、外国の人っぽいんだよね」
「そう」
僕は水を置いて加奈さんを後ろに隠すようにして男達の前に立ちはだかった。
「ドイテクダサイ。ワタシ、スワリタイカラスワル。オマエラジャマダカラ、アッチイク」
「ちょっと何言ってるか分からないな。最近話題のあの国の人か?」
「ハヤクドク。ワタシスワレナイ」
すると男の中の一人が僕の横を抜けて加奈さんに手を伸ばそうとした。だが、僕はその手を取って強引に押し返してやった。
「ナニスル? ニホンジン、シタガウネ」
「Go back to your country! I'll expose you on the internet and destroy you socially!」
僕は試しにと英語で訴えかけてみた。だが男達は鼻で笑って顔を見合わせた。
「这家伙在说些什么啊」
アジア圏の顔をしていてこの言語はやはりあの国の人か。だったらその国の言葉に変えるだけだ。
すると後ろから加奈さんが僕の服の裾を握って心配そうに見てきた。でも僕は大丈夫だよと言って笑った。
「回国吧! 把你的信息公之于众,让你在社会上声名狼藉! 说起来,我已经开始拍摄了」
「エッ……」
男達が急にうろたえ始めた。
そりゃそうだろ。嘘とはいえ撮られていると言われたんだし、僕の手にはスマホとかカメラがなくどこから撮られているかも分からないわけだからな。
「你们国家的黑手党是我认识的人。随时都可以杀死你哦。怎么办? 你真的还想要座位吗?」
「……チッ」
すると男達が怯えた顔で舌打ちをして去って行った。
「もう大丈夫だよ。加奈さん」
「あ、ありがと…… カッコ良かったわ」
「加奈さんは怪我はない?」
「うん。大丈夫」
「良かった」
すると騒ぎを聞きつけた店員の人がやってきた。その人には僕が事情を話したうえで、そういう人もいるから気を付けてほしいと伝えた。
それから間もなくして料理がやってくると、それを二人で美味しく食べた。その間に加奈さんは何も話さなかったけど、時折僕の方を見ては顔を赤くして目を伏せたりしていた。
***
「たくさん見たね。途中のカフェで食べたケーキも美味しかったね」
「うん。そうね」
全て見終わって順路を進んでいくと出口に到着した。
楽しい時間はすぐに終わってしまうもので、名残惜しいけど僕達は展示エリアから出た。そしてお土産を買っていると、加奈さんがあるものを持ってきた。
「これ、どうかな」
それは二つセットで入ったイルカの置き物だった。
「翔くんの好きなクラゲじゃないけど、今日の記念にね」
「うん。そうだね。加奈さんと同じものを持てるのは嬉しいよ。ならそれは僕が買うよ。見つけてくれてありがとう」
僕が微笑むと加奈さんはしゅんとして俯いた。普段は可愛いよりも綺麗寄りということもあってこういう反応は新鮮で、どこか愛らしく見えた。だがら僕は無意識に加奈さんの頭を撫でていた。
「なによ……?」
「いいや。そういう加奈さんも可愛いなって思って」
「まったく…… 本当に、まったくなんだから」
レストランを出てから加奈さんの様子が少し変だ。少なくともいつもの凛とした感じではなく、しおらしすぎる。
そうして買い物も終えた僕達は車に戻ろうと歩き始めた。すると、
「お手洗いだけ行ってもいい?」
「うん。それなら僕も行こうかな」
「それじゃ、また後でね」
とお手洗いに寄った。
遅くなりすぎるとまた加奈さんが変な人に絡まれてしまうかもしれない。先に出て待っていよう。
****
あぁぁぁ無理無理無理ぃぃぃ……カッコ良過ぎて死ぬぅぅぅ………
芹乃加奈はトイレの個室で頭を抱えて身悶えていた。
その理由はもちろん高橋翔がレストランで男達を追い払ったあの件である。
普通でいるのが無理。翔くんを見るたびに神々しすぎて無理。
いつもは私が守っていたのに、どうして今日はこんなに守ってくれるの? だって歩いている時もさりげなく道路側を歩いてくれているし、エスカレーターも私の後ろに立って盗撮とか万が一にも倒れたりとかそういう何かしらからも守ってくれているし。
あれ? 翔くんってこんなに男って感じだったっけ?
大学生から社会人になってまだ六日目よ? 成長とか自立をするしては早すぎじゃない?
いやいや、そもそも私が気付かなかっただけで、私が色々としていたことで翔くんの男子力が表に出なかっただけなんじゃない? だからこれが本来の翔くんなんじゃない? でもそうだったのなら、もちろんそれはそれでいいことだけど、若干過保護気味だった私自身が反省すべきことなんじゃない?
でもでも、翔くんは自分で気付いていないけどよく見ておかないと何かにぶつかったり、それこそ変な人に話しかけられて騙されたりするタイプよ? それを鑑みたらやっぱり所々で私がちゃんとしておかないと。
でも……やっぱりカッコ良かったなぁ……
完全に男の目をしていたし、それでも私の方を向いた時にはいつもの優しい感じに戻っていて、その切り替えというかギャップがずるいのよ。
どうしよう。帰りもいつも通りの私でいられるかしら。
きっと、いや、間違いなく翔くんは私のことをじっと見てくるし、それを冷静に言いたいことは分かるわなんて返せる気がしない。
ちゃんと目を見て話せる気がしない。今目を見たら間違いなくメスの顔になっちゃう気がするのよ。それは、その顔になるにはまだ早いわ。早いけど、そんな顔になっちゃう気がしてならないわ。
どうしよう。本当にどうしよう。
そもそも私って前の彼の時はどうやって接していたっけ? というか、こんなに心が動かされる時があったっけ?
いや、ない。なかった。だからなのよ。だからこんなにもこんなことになっているのよ。これじゃまるで処女のそれじゃないの。
芹乃は昂り、それでいてどうしようもなく好きな気持ちを落ち着けようと奮闘していた。だが、そう思うほどに気持ちはどんどん大きくなっていき収拾がつかなくなってしまった。
これは……本当に無理ね。もうどうにでもなれってやつね。でも時間的にはまだ早い。
とりあえずはこの後はもう帰るだけだけど、夕食を外食にするか私の家に着いてからにするか決めないと。一応は外食の候補はあるし、昨日買い物に行って食材を揃えておいた。だからどっちでも大丈夫。
大丈夫だけど……家に着くまでが問題ね。翔くんのカッコ良さと視線にどこまで耐えられるか。いつまで凛としていられるか。
その時、閉園時間を知らせる館内アナウンスが流れた。
まずいまずい。こもりすぎた。トイレが長すぎると心配をさせちゃうわ。それに、変な勘違いもさせちゃうし。
そういうことで芹乃は急いで個室から出た。そして鏡の前で化粧を直し、表情もいつもの凛としたものにすると外へと歩いた。
大丈夫。あなたなら平常心でいられるわ。いつもそうだったんだから。
そう自分に言い聞かせて。
「翔くんは何が好き?」
「僕は今もこれからも加奈さんが好きだよ」
「そうじゃなくて、水族館の生き物よ」
「あ、そっちか。そういうことならクラゲかな」
「意外ね。イルカとかペンギンって言うと思ってたわ」
「そう言う加奈さんは?」
「私はジンベイザメよ」
「それは沖縄と鹿児島に行かないと見られないやつじゃなかったっけ?」
「大阪にもいるわよ」
そんな話をしながら特大な水槽の前で立ち止まって同時に飼育されているシュモクザメや鰯、ウツボといった多くの生き物を見ていた。
薄暗い中でぼんやりと光が差すこのエリアで見る魚達は神秘的で、それを隣で見ている加奈さんもまた綺麗だった。
「なんでジンベイザメ?」
「あそこまでの大きさになるにはかなりの何月が必要なわけじゃない? 弱肉強食の世界でそれを成し遂げるのはもはや強運のそれなのよ。それに、日本じゃそうそう見られない希少性もあるからよ」
「そういう見方で見る人は初めてだよ。それなら海亀もそうじゃないかな」
「そうね。でも私はジンベイザメの方が好きなのよ。実際好みの問題ね。翔くんはどうしてクラゲなの?」
「クラゲは見ていて癒されるのもあるけど、小さくてあんなに柔らかい体なのに一生懸命に生きてるんだよ。あと、不死の個体もいて、まだまだ謎が多いところも魅力的なところかな」
「謎が多いっていうなら、ダイオウグソクムシもじゃない?」
「そうだね。ダイオウグソクムシも好きだけど、ほとんど動かないからやっぱりクラゲの方が好きかな」
すると偶然にもエイが近くを通っていき、その裏側を見せながら上に昇っていった。
そういえば、どこかの水族館で子供達の目の前でエイが同じ水槽で飼育されている魚を食べたってのがあったな。それで子供達はおろか大人達も驚いていたとかなんとか。
まぁ、そんなことは本当に偶然かかなりの運がないと起きないことだからここで起きるなんてことはないだろう。
「なんでエイってひらひらさせているだけで前に進むのかしらね」
「なんでだろうね」
それから先に進んで行くと、いくつかの中型水槽が並ぶエリアにやってきた。そこにはイソギンチャクやサンゴ、貝類なんかも入っていた。あとヤドカリが砂の上を歩いていたりヒトデやウニがガラスにくっついていた。
「クラゲがいたわよ」
「本当だ」
そこに行くと、フロアの床から天井にかけて繋がっている特殊な円柱の水槽があり、そこに大小さまざまなミズクラゲが光を反射しながらふよふよと漂っていた。
また、少しでも水流があるとそれに抗えずに流れていく様子も見ていると、やはりどこか癒される。
「不死の個体はいないのね」
「あれは希少だから一般の水族館では見られないんじゃないかな」
「そうなのね。でもこうして見るとクラゲもいいわね。向こうには脚の長いのもいるわよ」
ということでそこにも行くと、いかにも毒々しい色をした個体やまるでブロッコリーのような形をした個体もいた。もちろんそれらも全てのクラゲと同じく優雅に水槽の中を漂っていた。
そんな時だった。一匹のクラゲが激しい水流に巻き込まれてかなりのスピードで端から端に流されていった。また、突然発生したバブルリングに巻き込まれて高速回転をしながら上に昇っていった個体もいた。
「あんな目に遭っても骨が無いから平気なのよね」
「そうだね。見ている側はいいけど、クラゲからしたらどんな気持ちなんだろうね」
「あ……ってくらいじゃない?」
「それもそれで癒されるね」
さらに先に行くと、次は小型水槽が並ぶさらに薄暗いエリアだった。そこでは深海生物が泳いだり砂の上を歩いたりしていた。
「さっき加奈さんが言ってたダイオウグソクムシがいるよ。やっぱり全然動かないけどね」
「本当ね。素人目には生きてるのか死んでるのか分からないけど、こうして展示されているってことは生きているってことよね」
「そうだね。それにしても、どんな気持ちでこうして端っこに集まってじっとしてるんだろうね」
「きっと無なんじゃないかしらね」
「無我の境地ってやつか。もしくは悟りっていうのかな。修行僧も羨む生き物だね」
すると、加奈さんの足元から小さい子供がやってきてダイオウグソクムシを見始めた。加奈さんは静かにその子に場所を譲って優しく微笑んだ。
それを見ていた僕は、なんかいいなぁと思った。というか、ここに来るまでに加奈さんは小さい子供達が見られるようにとさり気なく場所を空けたり、周りの状況を見て僕の手を引いたりして他の人達に気を配っていた。
「子供がいたりしたらもっと楽しいのかな……」
「何か言った?」
「何でもないわよ」
と加奈さんが一瞬だけ恥ずかしそうにしたけどすぐに微笑んだ。
やっぱり綺麗だな。
「この先に水槽が見られるレストランがあるみたいだよ。そろそろお腹空いてない?」
「そうね。調度いい時間だしお昼にしようか」
マップによると、この水族館のレストランは三か所ありカフェは所々にある。
レストランで言えば、一つは今から僕達が行く館内の各展示スペースの中間地点、あとの二つは水族館から出てすぐのところにある。館内だと水槽が見られるわけだが、館外の場合はこの水族館が海に面していることもあっていわゆるオーシャンビューを堪能出来る。
水槽を見ながらもいいけど、夕陽を見ながらのレストランもいい。まぁ、今は夕焼けにしては早すぎるわけだけど。
「何を食べようかしらね」
「そうだね。加奈さんは水族館のレストランで魚料理を出されたり食べているのを見るのは抵抗ある?」
「ないわよ。逆にある?」
「ないよ。でも見た感じさすがに魚料理は無いみたいだね」
「そうね。気にする人は気にするからじゃないかしらね」
「うん、そうかもね。―よし、僕はこれにしよう」
席に着いて注文を済ませると、僕は水を取りに席を立った。それから戻ってくると、何やら数人の男達が加奈さんを囲んでいた。
「あ、翔くん」
「この人達は?」
「なんか席を譲れって言ってくるのよ。しかもカタコトだし、外国の人っぽいんだよね」
「そう」
僕は水を置いて加奈さんを後ろに隠すようにして男達の前に立ちはだかった。
「ドイテクダサイ。ワタシ、スワリタイカラスワル。オマエラジャマダカラ、アッチイク」
「ちょっと何言ってるか分からないな。最近話題のあの国の人か?」
「ハヤクドク。ワタシスワレナイ」
すると男の中の一人が僕の横を抜けて加奈さんに手を伸ばそうとした。だが、僕はその手を取って強引に押し返してやった。
「ナニスル? ニホンジン、シタガウネ」
「Go back to your country! I'll expose you on the internet and destroy you socially!」
僕は試しにと英語で訴えかけてみた。だが男達は鼻で笑って顔を見合わせた。
「这家伙在说些什么啊」
アジア圏の顔をしていてこの言語はやはりあの国の人か。だったらその国の言葉に変えるだけだ。
すると後ろから加奈さんが僕の服の裾を握って心配そうに見てきた。でも僕は大丈夫だよと言って笑った。
「回国吧! 把你的信息公之于众,让你在社会上声名狼藉! 说起来,我已经开始拍摄了」
「エッ……」
男達が急にうろたえ始めた。
そりゃそうだろ。嘘とはいえ撮られていると言われたんだし、僕の手にはスマホとかカメラがなくどこから撮られているかも分からないわけだからな。
「你们国家的黑手党是我认识的人。随时都可以杀死你哦。怎么办? 你真的还想要座位吗?」
「……チッ」
すると男達が怯えた顔で舌打ちをして去って行った。
「もう大丈夫だよ。加奈さん」
「あ、ありがと…… カッコ良かったわ」
「加奈さんは怪我はない?」
「うん。大丈夫」
「良かった」
すると騒ぎを聞きつけた店員の人がやってきた。その人には僕が事情を話したうえで、そういう人もいるから気を付けてほしいと伝えた。
それから間もなくして料理がやってくると、それを二人で美味しく食べた。その間に加奈さんは何も話さなかったけど、時折僕の方を見ては顔を赤くして目を伏せたりしていた。
***
「たくさん見たね。途中のカフェで食べたケーキも美味しかったね」
「うん。そうね」
全て見終わって順路を進んでいくと出口に到着した。
楽しい時間はすぐに終わってしまうもので、名残惜しいけど僕達は展示エリアから出た。そしてお土産を買っていると、加奈さんがあるものを持ってきた。
「これ、どうかな」
それは二つセットで入ったイルカの置き物だった。
「翔くんの好きなクラゲじゃないけど、今日の記念にね」
「うん。そうだね。加奈さんと同じものを持てるのは嬉しいよ。ならそれは僕が買うよ。見つけてくれてありがとう」
僕が微笑むと加奈さんはしゅんとして俯いた。普段は可愛いよりも綺麗寄りということもあってこういう反応は新鮮で、どこか愛らしく見えた。だがら僕は無意識に加奈さんの頭を撫でていた。
「なによ……?」
「いいや。そういう加奈さんも可愛いなって思って」
「まったく…… 本当に、まったくなんだから」
レストランを出てから加奈さんの様子が少し変だ。少なくともいつもの凛とした感じではなく、しおらしすぎる。
そうして買い物も終えた僕達は車に戻ろうと歩き始めた。すると、
「お手洗いだけ行ってもいい?」
「うん。それなら僕も行こうかな」
「それじゃ、また後でね」
とお手洗いに寄った。
遅くなりすぎるとまた加奈さんが変な人に絡まれてしまうかもしれない。先に出て待っていよう。
****
あぁぁぁ無理無理無理ぃぃぃ……カッコ良過ぎて死ぬぅぅぅ………
芹乃加奈はトイレの個室で頭を抱えて身悶えていた。
その理由はもちろん高橋翔がレストランで男達を追い払ったあの件である。
普通でいるのが無理。翔くんを見るたびに神々しすぎて無理。
いつもは私が守っていたのに、どうして今日はこんなに守ってくれるの? だって歩いている時もさりげなく道路側を歩いてくれているし、エスカレーターも私の後ろに立って盗撮とか万が一にも倒れたりとかそういう何かしらからも守ってくれているし。
あれ? 翔くんってこんなに男って感じだったっけ?
大学生から社会人になってまだ六日目よ? 成長とか自立をするしては早すぎじゃない?
いやいや、そもそも私が気付かなかっただけで、私が色々としていたことで翔くんの男子力が表に出なかっただけなんじゃない? だからこれが本来の翔くんなんじゃない? でもそうだったのなら、もちろんそれはそれでいいことだけど、若干過保護気味だった私自身が反省すべきことなんじゃない?
でもでも、翔くんは自分で気付いていないけどよく見ておかないと何かにぶつかったり、それこそ変な人に話しかけられて騙されたりするタイプよ? それを鑑みたらやっぱり所々で私がちゃんとしておかないと。
でも……やっぱりカッコ良かったなぁ……
完全に男の目をしていたし、それでも私の方を向いた時にはいつもの優しい感じに戻っていて、その切り替えというかギャップがずるいのよ。
どうしよう。帰りもいつも通りの私でいられるかしら。
きっと、いや、間違いなく翔くんは私のことをじっと見てくるし、それを冷静に言いたいことは分かるわなんて返せる気がしない。
ちゃんと目を見て話せる気がしない。今目を見たら間違いなくメスの顔になっちゃう気がするのよ。それは、その顔になるにはまだ早いわ。早いけど、そんな顔になっちゃう気がしてならないわ。
どうしよう。本当にどうしよう。
そもそも私って前の彼の時はどうやって接していたっけ? というか、こんなに心が動かされる時があったっけ?
いや、ない。なかった。だからなのよ。だからこんなにもこんなことになっているのよ。これじゃまるで処女のそれじゃないの。
芹乃は昂り、それでいてどうしようもなく好きな気持ちを落ち着けようと奮闘していた。だが、そう思うほどに気持ちはどんどん大きくなっていき収拾がつかなくなってしまった。
これは……本当に無理ね。もうどうにでもなれってやつね。でも時間的にはまだ早い。
とりあえずはこの後はもう帰るだけだけど、夕食を外食にするか私の家に着いてからにするか決めないと。一応は外食の候補はあるし、昨日買い物に行って食材を揃えておいた。だからどっちでも大丈夫。
大丈夫だけど……家に着くまでが問題ね。翔くんのカッコ良さと視線にどこまで耐えられるか。いつまで凛としていられるか。
その時、閉園時間を知らせる館内アナウンスが流れた。
まずいまずい。こもりすぎた。トイレが長すぎると心配をさせちゃうわ。それに、変な勘違いもさせちゃうし。
そういうことで芹乃は急いで個室から出た。そして鏡の前で化粧を直し、表情もいつもの凛としたものにすると外へと歩いた。
大丈夫。あなたなら平常心でいられるわ。いつもそうだったんだから。
そう自分に言い聞かせて。
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