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氷の華を溶かしたら
143話
「あそこに見えているのが、ナザレという街になります。ナザレから皇都までは半日くらいです」
「今夜の宿はそこ?」
「その予定です」
「近くに見えるけど、どうしてここで休憩を取ったの? 一気に駆け下ればいいのに」
「このミルヘル峠は上から見ると、なだらかに見えるんですが、中腹辺で急に道が険しくなるんですよ。それに道幅も狭くなります。峠を下り切るまで開けた場所はこの茶屋の前が最後になりますから。安全に峠越えをするためには、此処で蹄鉄の緩みがないか、馬車の故障がないかの点検が必要なんです」
「だから厩舎が大きいの?」
「その通りです。坊っちゃんのリュウセイゴウも蹄鉄の点検中です」
「そう。景色は綺麗なのに」
「此処の景色は気に入っていただけましたか?」
「うん。こんなに遠くまで見通せる場所に来たのは、本当に久しぶり」
坊っちゃんは産まれてこの方、オセニアに来るまではラリスを出たことがないんだよな?
ラリスには帝国みたいに高い山はないのに。一体何処で似た景色を見たんだろう。とアントワーヌは首を傾げた。
峠に鬱蒼と生い茂る木々を超え。
所々に太古の遺跡と言われる白い巨石が立つ草原の先に、格子状に拡がる穀倉地。
その中を斜めにキラキラと光って見えるのは海へ向かう川?
まったく違う場所なのに。
遥か昔。
甲冑を身に纏い主君と見た景色を思い出す。
僕の主君は豪放磊落。
笑顔の眩しい方だった。
でも洒落者で戦のない時には、派手な小袖と袴を好まれていたな。
奥方様にも豪華な打ち掛けを贈られて、金糸が重くて動きにくいと叱られたりもしていたっけ。
二度目にあの国に産まれた時、歴史書を読み漁ってみたけれど、主君の名を見つけることは出来なかった。
小さな領地しか持たない田舎侍だった主君は、あの夜襲で討ち取られてしまったから、歴史に名を残せなかったのかも知れない。
でも・・・名は残せなくても、名を捨ててでも、奥方様と可愛らしかった若君。三人で生き延びてくれいていたら嬉しいんだけどな。
「キャス。出発の準備ができたぞ」
「もう宜しいのですか?」
「ああ。此処の馬子達は手際が良いし馬の扱いも大したもんだ」
「そうですか」
そっけない返事をしたキャニスは、そのまま厩舎に向かおうとした。
「・・・殿下、おやめ下さい」
腰に巻かれ、ぐいと引き戻した手を見下ろすキャニスの瞳は冷ややかだ。
「一緒に行こう。それとも婚約者の俺と居るより、アントワーヌと話していたほうが楽しかった?」
なんでそうなる。
ほんと面倒臭いんだけど。
「アントワーヌには、峠の説明をして貰っていただけです。それに私の侍従と話すことに問題がありますか?」
「う~ん。問題は大有りだな」
「は? 一体何処がどの様に?」
「まず、俺はキャニスを独り占めしたい」
「なっ?」
何を言ってるの?
「次に、大事な婚約者が、他の男と楽しそうに話しているのは許せない」
「う・・・」
うわぁ。
なにこの執着。
ちょっと気持ち悪い。
こんな事なら、婚約を承諾するんじゃなかった。
「殿下ぁ~。キャニス様にどん引かれてますよ~」
シェルビーの後ろでボソボソと呟くサイラスに、キャニスは助けを求めて視線を向けたが、サイラスは祈りの形に両手を合わせ頭を下げただけだ。
「・・・まいりましょう」
短く答えたキャニスだが内心では ”殿下以外とは口もきくなと? 商売上がったりじゃないか!” と怒り心頭だった。
僕から仕事を取り上げて、王宮に閉じ籠もって居ろってこと?いくら獣人の血を引いているからって、この束縛はないよね。
陛下から「シエルも暫くは浮かれて、そなたにあれこれ言ってくるだろうが、大目に見てやって欲しい。そうだな経験上2ヶ月もすれば冷静になるだろうから、それまでは我慢してくれ」と言われはしたけど。僕2ヶ月も我慢できるかな。
正式な婚約を申し込まれた時、返事を待ってる。って時間をくれるようなことを言われて、じっくり考えて・・・主に逃亡計画だったけど。兎に角考えてみようとした。
だけど殿下は、四六時中僕をかまいに来ては、しつこく婚約を迫って? 懇願してくるし。
お母様は僕の好きにして良いと口では言っていたけど、実際は何かと理由を付けては殿下と二人きりにしようとしてきた。
二人の間にどんな取引があったのか知らないけど、外堀を埋めるどころか、お母様は完全に殿下の味方。
まあ、お父様達に僕を王にするのは諦めろと説得してくれて、二人をラリスへ追い返してくれたのはお母様だから、殿下の味方をされても強くは言えない。
僕がお母様に頭が上がらないっていうのも有るんだけど・・・。
滞っていた逃亡計画の算段が着いたから、婚約を受け入れたのだけど・・・。
国王ご夫妻は殿下と僕の関係をまったく疑っていないし、物凄く優しくしてくださる。それにセリーヌ殿下とライアン殿下も「結婚式はいつですか?」なんて・・・あんなに純粋に瞳をキラキラされたら、契約を破棄してこの国を出ていくつもりだ、なんて言えないよ。
姉弟揃って、子犬みたいに、瞳をウルウルさせて。
あれは反則だと思う。
レ家の祖先の獣人って、実は犬なんじゃない?
国王陛下もなんか垂れ耳の犬っぽいし。
セリーヌ殿下とライアン殿下は小型犬。
シェルビー殿下は大型の狩猟犬って感じかな?
まだお目に掛かったことはないけど、第二王子のロジャー殿下も似たような感じかも。
それはそれとして、殿下や陛下が言うように帝国に行くのなら、オセニア王太子の婚約者って肩書は役に立つ。
皇帝からの招待を断っても良かったけど、帝国相手に無駄な波風を立てるのもちょっとね。
ヴェーバー大公の事も心配されたけど、彼の事は手を打っておいたから、少なくとも僕達が留守にしている間は身動きが取れないと思う。
まあそれも、大公が自領の運営に無関心でなければ、なんだけどね。
彼はライアン殿下を鼠呼ばわりして、僕の商会にも手を出した。
オセニアのアマテラスは、染み付いた呪いを浄化するために、一月も店を閉じなくちゃならなかったんだ。
元々考えていたリニューアルの時期が早まっただけって思えば、そんなに腹も立たないけど、堂々と実力で勝負してくればいいのに、姑息な手を使って本当に嫌な人。
ラリスで手加減してあげたからって、調子に乗るなって言ってやりたい。幸いというか、レ家の方達は大公をの扱いに困っているようだし、多少懲らしめても問題ないよね?
その過程で家門が潰れるかも知れないけど、そこは大公の実力次第。
カラロウカを僕を怒らせたらどうなるか、身を持って知れば良い。
世間知らずで無力だった、前世の僕とはもう違う。
後何年かで僕の人生は終わってしまうかも知れないけれど、前世みたいにやられっぱなしで泣き寝入りなんて御免だ。
やられたらやり返す。
どうせ死ぬなら相手に一矢報いてやる。
どうですか殿下?
あなたが妖精と呼ぶ男は、こんなに腹黒くて歪んだ性格の男ですよ?
それを知っても、僕のことを天使だ妖精だと言って、愛を囁やけますか?
考え直すなら今ですよ?
「キャス俺の馬に一緒に乗らないか?」
「・・・殿下の馬の鞍は単座です。私は馬の背に直接乗りたくありません」
「しまった。二人乗り用にしておけばよかった」
こんなことくらいでショックを受けないで欲しい。
長距離移動で二人乗りなんて馬が可愛そうだし、僕が断ったら二人乗りの鞍に1人で乗ることになるんだよ?
安定しなくて余計に疲れちゃうでしょ。
「ううう。キャニスと離れたくない」
「はいはい。早く行きましょう
・・・僕は不幸を呼び寄せる。
殿下やレ家の皆さんは、僕の不幸に巻き込まれる前に僕から離れたほうがいいのに。
僕も殿下への気持ちが大きくなる前に、面倒くさいと感じている内に、殿下から離れてしまいたいんだ。
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