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プロローグ

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この世界の名は『ハイヴェント』。
ハイヴェントはとても広大で、人が生活圏を築けた土地は一割にも満たないとされている。生活環境が厳しいのも原因に挙げられるが、最たる要因は人以外の生物である。凶暴な猛獣や瘴気から生まれる魔物、獣が瘴気を取り込んで変化する魔獣も人にとって脅威な存在だ。また、人間族以外にもエルフやドワーフ、獣人といった多種多様な人種も自分たちの領域を保持し、同盟している国もあれば敵対している国もある。

俺が主に行動拠点としているのは人族が有する5つの国の内のひとつ、『シャルケドラン国』の領土の端に在する都市『サリアムの都』だ。地方都市ではあるが、それなりに栄えているし周辺に出没する獣や魔物も弱く過ごしやすい。俺は今日も日課の薬草採取を終え、冒険者ギルドに提出した。

「薬草採取の依頼、これで完了となります。報酬は銅貨15枚ですね」

「ありがとう」

俺は受付嬢から報酬を受け取り、懐に入れる。

「ふふ、ヒビキさんも冒険者登録してもう一週間になるんですね。少しは慣れましたか?」

「まぁ、ぼちぼちかな。討伐依頼以外だったら何とかやれそうな気はするよ」

「戦闘を避けるのを咎めるつもりはありませんが、最小限の戦い方は身につけておいた方が良いですよ? いつ何時戦闘に巻き込まれるか分かりませんからね」

受付嬢の忠告は分かる話だ。
俺は今までケンカも碌にした事もないし、獣を狩った事もない。そんな俺が猛獣や魔物に襲われたら、逃れる術もない。

「冒険者ランクがGからFに上がったら考えるよ。それまでは逃げ足を鍛えるさ」

「私は心配して言ってるんですからね!」

険しい顔を浮かべる受付嬢を尻目に冒険者ギルドを出て、自転車に跨る。サリアムの都内を自転車で走ると、未だに好奇の目を向けられる。この世界には自転車等存在しないので仕方がない。平民は徒歩、金持ちは馬車…というように、移動手段は限られている。

サリアムの北区は林が生い茂る自然公園だ。自転車で一番奥まで進むと城壁に突き当たる。ここは木々の影になっており、自然公園の歩道からは完全な死角になっている。俺が城壁に向かって手を伸ばすと、何も無かった場所からドアノブが出現した。ドアノブを回し、透明な扉を開ける。





その先の空間はアパートの一室だ。
そこで細目の女性がテレビをつけて野球中継を観ながら酒を飲んでいた。俺は自転車を玄関横に置き、疲れた表情で部屋に入る。

「やぁ、おかえり。今日もご苦労じゃったな。キミの贔屓にしている球団、今日も負けそうじゃ。やはり私の贔屓球団が一番ということになるのかな」

頰を赤らめながら「カッカッカッ」と笑う。

俺の名は高良響たからひびき。大学受験に失敗し、一浪中の浪人生だ。

「…自分の世界を他人に押し付けて、自分は呑気に酒飲みながら野球観戦か。良いご身分な事で」

「うむ、何せ創造主じゃからな」

皮肉を軽く返され、俺は頭を抱える。
コイツの名は『ハイヴェス』。俺が先程まで行っていた世界の創造主らしいのだが、その世界の管理をボイコットしてこちらの世界にやってきた。本人曰く「少しくらい羽を伸ばしたい」という事なのだが世界の管理者がいなくなる事は問題があるらしく、その存在を俺が肩代わりする羽目になってしまった。

ライトノベルによく登場する異世界に行けるのだと最初は喜んだが、契約の際に俺の行動範囲が狭められたのだ。

「んあ? 酒がもう無くなりそうじゃ。ヒビキ、追加の酒を買ってこーい」

「残念ながらアンタの契約のせいで、俺は異世界か自室しか動く事ができん。自分で買いに行け」

「…あー、そうじゃったの。酒はこの世界の方が美味いし、自分で行くとするか」

「それじゃついでに食料も買ってきてくれ。今日は銅貨15枚渡す」

「あいよー」

ハイヴェスは面倒くさそうに立ち上がって扉を開けて出て行った。その先は異世界ではなく、アパートの玄関先。俺だけがあの先に進む事が出来ない。

自室の窓を開けて手を伸ばす。
しかし見えない壁に遮られ、外に手を出す事もできない。これが契約で生じた副作用だ。俺は異世界での管理者代理の権限を有する代わり、この世界では自室の外へ出る事ができない。まるで呪いだ。

こちらの世界でのアパートの家賃や電気代、水道代等はハイヴェスが工面してくれているが、食費だけは自分で稼ぐ事になっている。今日の稼ぎ、銅貨15枚。これをハイヴェスに渡すと、大体1500円の買い物をしてくれる。どうやってこちらの世界の金を手に入れているのか少し気になるが、それよりも今は空腹を満たすのが先だ。

俺は冷蔵庫を開けて中を探る。見事に酒と酒のツマミばかりが入れられていた。たった数週間で創造主の奴に完全に私物化されてしまっている。俺は溜息をつきながら奥にあった魚を取り出して調理する。やっと夕飯にありつけた頃にハイヴェスが帰宅し、テレビでは俺の贔屓球団がハイヴェスの贔屓球団に敗れた試合を映し出していた。

◆◇◆◇

深夜、ハイヴェスは何もない空間に画面を表示させて読み耽っていた。

「ヒビキは冒険者の道を選択しおったか。じゃが危険を避けてばかりの為かレベルは全く上がっておらん。折角創造主の加護を与えてやったというのに、何も活かさぬ奴よ」

疲れてベッドに横たわるヒビキの寝顔を見てハイヴェスは苦笑する。そして窓から覗く月夜を見上げて今後を思う。ヒビキがハイヴェントの世界に来てまだ日は浅い。異世界人という存在があの世界をどのように変えていくのか、興味は尽きない。

「…ハイヴェントの魔王となるのも守護者となるのも自由よ。名声を得ず静かに過ごすのも構わぬ」

ハイヴェスは玄関を開ける。その瞬間世界は繋がり、その先はハイヴェントの自然公園の景色が広がる。そっと手を伸ばすが、強烈な火花が散って阻まれた。

「…彼奴のかけた呪いは未だ解けず…か」

静かに戸を閉め、痛めた手を見つめる。
悲しい表情であった。

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プロローグ 完
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