私はただ自由に空を飛びたいだけなのに!

hennmiasako

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第5章 私はただ青い色が好きなだけなのに!

22 ドミノ

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 ジュリアーナの顔を至近距離で眺めていても、すぐには自分の状況や体勢や事態が理解できなかった。
 呆然とジュリアーナの顔を見つめ、ジュリアーナが私の視線に気づいて私と目を合わせ、優しく微笑んでくれてやっと今の自分が置かれている状況に頭が追い付いてきた。
 私は今ジュリアーナに抱き締められているということを頭で理解し自覚することができた。

 それまで安心感しかなかった今の状態を客観的に自覚した途端に羞恥心が芽生えてきた。
 私は何も考えずに反射的にジュリアーナの腕の中から逃げようとしジュリアーナから無理矢理離れようとして体が動いてしまった。

 「駄目よ!まだ危険だから動かないで」

 ジュリアーナはそう言ってまるで駄々をこねて暴れる子どもをあやすように私を抱き締める腕に再び力を入れてくる。

 私はジュリアーナの言葉の意味が分からなかった。
 何が危険なのか理解できないが、ジュリアーナの必死さは伝わってきたので抵抗はせずに大人しくジュリアーナの言葉に従ってジュリアーナから離れようと動くことは諦めた。

 だが、幸い今は顔を胸に押し付けられていないので、頭部だけは自由を取り戻している。

 状況を把握する必要がある。何が危険なのか知らなければならない。

 体は動かさないが、私は首だけを捻って頭部を正面のジュリアーナから何も無い右後ろ側へと向ける。

 私の背後にはハサンの背中が見える。ハサンが私とジュリアーナを庇うように壁のように立っている。
 
 ハサンの向こう側にはこちらに傾いて倒れかかっている空っぽの棚が見えるが、微動だにせずに停止している。
 
 どうして棚があんな不安定な角度で停止しているのか不思議に思い、今度は首を左側に捻って私の左後ろ側を見てみるとすぐに理由が分かった。
 そこには倒れかかっている棚を両手で一人で支えているアヤタの姿があった。
 
 次に視線を下側に動かすと床に割れたガラスの破片が大量に散乱している。
 自分の周囲に青い色の透明なガラスの破片が床いっぱいに散らばっている光景はまるで自分が海の上に立っているかのようで神秘的で美しいと場違いにもそんなことを感じてしまった。

 今だにそんなことを感じている余裕など無い危機的状況は継続中であるのに、呑気にそんなことを感じていた私はまだ状況を正確に呑み込めていないようだ。

 どこか非現実的な光景や体勢や温もりなどに引っ張られて思考が現実逃避をしてしまっている。

 しかし、そんな夢のような現実逃避はすぐに終わり、現実へと引き戻された。


 「だ、大丈夫ですか!?」

 「うわぁ!これは大変だ!!」
 
 「早くこちらへ来てください!」
  
 「いや、動かない方がいい。足元のガラスが危険だ。我々が今行きます」

 すぐに数人の人の声が響き渡り、大勢の人が助けに駆けつけてくれた。
 数人に別れてアヤタと一緒に棚を支えて棚を押し戻したり、足元に散らばっているガラスの破片をどかしてしてくれた。

 そうして私たちは危険な状況から無事に脱することができた。

 一見すると大惨事に見えたが、被害はハサンが落ちてきたガラスの大きな水盆に頭を打ち、頭部から少し血を流す傷を負っただけで他には誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いだった。

 多くのガラス製品が割れたように見えたが、あの棚は試作品や失敗作を収めていた棚であり、売り物となる割れた商品は数点だけで経済的な損失が少ないのは救いだ。



 救出された私たちと救出してくれた人たちも含め全員が倉庫から工房へと移動し、ハサンの治療をして、落ち着いて全員から事情を聞いた結果、やっとあの時に何が起こったのか全容が解明された。



 モーリスが長い脚立を急いで運んでいて、うっかり足を滑らせて転んだ。
 その脚立が倒れた先に商会員がいた。
 商会員は倒れてきた脚立に驚き慌てて脚立を避けた。
 避けた先に別の商会員が立っていて思いっきりぶつかってしまった。
 ぶつかられた商会員は棚に向かって倒れてしまい、商会員がぶつかった振動により棚の製品がいくつか落ちてしまった。
 棚の衝撃は背中合わせに配置されている棚にも伝わり、その棚が傾いて倒れた。
 運悪くその棚の正面に私とジュリアーナがいた。
 倒れてきた棚をアヤタが押し止め、棚から落下してきた物からハサンが私とジュリアーナを守ってくれた。
 物音を聞いた倉庫にいた人たちが駆けつけて倒れてかけている棚と割れたガラスの海をどかして私たちを救出してくれた。



 それは「不幸な事故」としか言いようが無い。
 まるでドミノ倒しのように、いくつもの事柄が連なって起こってしまった偶然の事故だ。

 状況は全員が把握することができたが、誰も口を開かない。

 事故の発端となったモーリスは憔悴して項垂れている。
 まるで罪の意識に苛まれて罪悪感に苦しんで死刑宣告を待つ罪人のようだ。

 モーリスを責めるような視線は無く、哀れむような視線を向ける人やモーリスのことを思って悲しんでいる人ばかりでまるで通夜の会場のような重苦しい空気が工房に充満している。

 誰も口を開かない。
 弁護も弁明も擁護もしない。

 モーリスの母親のルチアは悲し気にモーリスを見つめている。
 モーリスの父親のマッシモは厳しげな視線をモーリスに向けながらも無言を貫いている。

 商会員たちは気遣わしげにモーリスを遠巻きに眺めている。そして、時々チラチラとジュリアーナの方に視線を向けている。

 誰が最初に何を言うか。

 誰もがそれを待っている。
 商会員はそれをジュリアーナに期待しているようだ。

 モーリスは罪が裁かれることをただ意気消沈して待っているだけだ。

 隣に座っているジュリアーナの様子を窺うが、いつもの美しく威厳と気品のある優雅な様子で静かに佇んでいる。
 
 何を考えているか、思っているか、感じているのか全く察することはできない。

 時間が経つにつれていたたまれない空気が増してくる。


 「あ、あの…」

 誰も予想していなかった人物が真っ先に声を発して、工房内の人間の視線が一斉にその人物に突き刺さるかのように集まった。

 「どうしたの、ルリエラ?」

 私の隣にいるジュリアーナが優しく労るように視線が集まっている私へと声を掛けてくれる。

 その声に押されて私は覚悟を決めて考えていた言葉を口から発した。

 「今回の事故ですが、私が我儘を言って倉庫に行ったから起こってしまったことです。私が大人しく待っていればこんな事故は起きませんでした。皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんんでした」

 私はそう言ってその場にいたみんなに向かって頭を下げた。

 そんな私の言葉と行動に誰もが虚を突かれたかのように呆然としているが、大慌てで動く人たちが出てきた。

 「ち、違います!わたしが、わたしが悪いんです!!わたしが脚立を倒してしまったせいです。理術師様は何も悪くありません!」
 
 「そうだ!理術師様が我儘を言ったのではなく、俺が倉庫の見学を提案したんだ。理術師様は悪くない!!」

 「こちらの安全管理が不十分だったせいです!原因は棚の立て付けが悪かったせいです。危ない目に遭ったルリエラ様は被害者です。この事故の責任はルリエラ様にはありません」
 
 モーリスとマッシモとルチアが叫ぶように私の発言を否定して庇ってくれた。

 彼らに触発されたのか、商会員からも声が上がる。

 「あ、あの、自分が棚にぶつかったせいでジュリアーナ様たちの正面の棚が倒れてしまったので、自分にも責任があります」

 「いいえ、それは僕が彼にぶつかったせいです!彼は悪くありません」

 擁護の連鎖反応が起こった。

 全員がジュリアーナの方を向いて、ジュリアーナへ意見を述べる。みんな自己弁護ではなく他の誰かを庇っている。

 ジュリアーナは静かに全員の意見を聞き届け、工房全体を見渡した。
 全員が息を潜めて緊張しながらジュリアーナを見つめて判決を待っている。

 そんな視線をものともせずにジュリアーナは優雅に微笑んで口を開いた。
 
 「わたくしも倉庫でモーリスに無理を言ってしまいましたね。予定にも無いことをすることになったのですから、準備が整っていなくて当然です。モーリスに無理をさせてしまい申し訳ありませんでした」

 このジュリアーナの発言で場の空気は一気に緊張が解けて全員が一斉に息を吐いた。
 
 こうして今回の事故に関して関係者全員が謝罪して、全員が責任を認め、全員にお咎め無しということになった。
 
 ただし、事故の再発防止のために、安全管理の見直しは図られることになった。

 モーリスたちとアジュール商会の人たちで倉庫内の全ての棚の立て付けの確認と修理、倉庫内の作業の見直しなどについての話し合いをすることになり、私は話し合いには加わらないので一足先に帰らせてもらった。

  




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